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ここで、M君についての私の思い出をいくつか紹介しようと思う。これは一見、今回の私の話とは直接関係ないようなことに思えるが、思い出を通じてM君の人となりを紹介することで、露出という凶行に走っているM君はいったいどんな人物であるかを理解してもらい、果てにはそんな凶行を彼がなぜ行っているのかを想像してもらうという、私なりの意図があるので、少し付き合っていただきたい。


   *


M君と私の交際は今でも続いているが、何より仲が良かったのは大学時代のことである。私たちは大学のクラスが一緒で、一年生のころにM君が私に話しかけるようになり、仲良くなった。


 M君はまじめに授業に出るタイプの学生ではなかった。一年生の時から単位はぽろぽろ落としていたし、まともに一回も出ていなかった講義に学期末の試験だけ受けにやってきて、力技で単位をぶんどろうとしていることもしばしばだった。


確か、二年生のときであったか、M君と私は同じスペイン語学の講義を受けていて、その試験に臨んだことがある。例によってM君はまじめに授業に出ず、勉強もしないで試験に臨んだ。彼が試験をパスしないことは明白だった。そこで私はM君の隣に座ってテストを受け、M君に私の答えをカンニングさせようと試みた。


その講義は、私はまじめに勉強をしていたので、難なくすらすらと答えが書けた。なるべく早く答えを書いて、答案用紙を机の左側に置いて、左隣に座っているM君に答えを見せるようにした。M君は試験官をやっている助教授にばれないよう、順々にそれを写していく。


この試みがうまくいっていないことが分かったのは、テストが始まって数十分経ってからだった。


「えーっ、真っ白じゃん。ちょっと、がんばれ」


 試験が行われている教室に、甲高い声が響いた。学生達が座っている机の間を見回っていた、女の助教授の声だった。この痩せた助教授は、当時もう四十歳は数えているように見えたが、いつも化粧が濃く、派手な服を着て、性格もガンガン来るタイプの女性だった。その助教授がM君の座った机のそばに立ち、唐突に声をあげたのだった。


「何か書かないと。これ、分からない?これは?」


助教授はM君の解答用紙の解答欄を次々と指さして、M君に話かける。M君は、はあ、はあ、と小さな声で答えている。何事かと私がそっと隣を見ると、M君の解答用紙は左側半分の解答欄だけびっしりと答えを埋められ、右半分はまるで何も書かれていないのだった。 M君の視力では、私の解答用紙の左半分の答えは見えたが、右半分までは見えなかったのである。


女の助教授はM君がやる気のない生返事しかしないのを見て取ると、諦めたのか、そっか、まだ時間あるからがんばれ、と声のトーンを落として言い、見回りを再開し、M君のそばを離れた。助教授が行ってしまうと、M君は、はあ、とため息をつき、そこで単位を諦めたのか、


「だめだーっ」


と小さくつぶやいて机に突っ伏し、寝始めてしまった。試験後にM君と話すと、試験中に大声で助教授に話しかけられて、なんとも恥ずかしい思いをしたという。


   *


 私とM君は、一~二年生の時はお互いの下宿先が歩いて行けるほどに近かった。そのため私たちは実によくお互いのアパートを行ったり来たりした。それは時には会うのが面倒くさくなってしまうほどで、あるときなど、こんなことがあった。


 その日の夜のまだ早い時間、私はM君から「今から(私の)家に遊びに行っていい?」というメールを貰った。しかしその時、私は風邪気味で寝込んでいた。そして体調より何より、その日は誰にも会いたくない気分だった。


「悪いけど、今風邪引いちゃってて」と返信したが、M君から返ってきたメールは「今から行くね!今家出たとこ」だった。困った私はしっかり断ろうとM君に電話を二度もかけたが、出てくれない。そのうち「もうすぐ着くよ」というメールが、追いうちをかけるかのように届いてきた。私は極度の面倒くささと、若干の恐怖を覚えた。仕方ない、無視しよう、と私は決め、M君から来たメールにも返信しないことにした。


そして数分後、私が部屋で布団に入っていると、


どんどんどん


玄関がノックされた。出て確かめるまでも無く、M君であることは明白だった。私は、布団に横になったまま、居留守を使った。


どんどん、どんどんどん


それから二~三度ノックが部屋に響き渡り、やがて静かになった。


私はやっと安心した。そして先ほどからちょっとムラムラした気分になっていたので、自慰でもしようと、その準備にかかった。本棚の下段についている引出しからポルノ雑誌を取り出し、ティッシュ箱を布団の近くに引き寄せ、布団の上に再び寝そべった。仰向けになったまま、ポルノ雑誌を手に持って開こうとした瞬間だった。部屋の南窓の、閉めてあるカーテンとカーテンの真ん中の隙間から、誰かがこちらを覗いているのが見えたのである。


「うわ」


 私は思わず声をあげた。M君であった。私を見て、ニコニコと笑っている。私は慌ててポルノ雑誌を閉じ、引出しの中にしまった。そして、窓を開けてM君と対峙した。


「やあ。来ちゃった。ふふふ」


 M君は屈託の無い笑顔でそう言った。仕方なく、私はその日もM君と遊ぶことになった。


   *


 私たちの通っていた大学では、一~二年時は杉並区にあるキャンパスに通うのだが、三~四年時には御茶ノ水にあるキャンパスに通うことになっていた。そのため、三年生になる時、学生の何割かはキャンパスの変更に合わせて引越しをするのが通例だった。


M君も、三年生にあがる時、それまで住んでいた杉並区のアパートからはキャンパスが遠くなってしまうので、引越しをすることになった(私は引越しが面倒だったのと、引越し代が無かったため下宿先は変えなかった)。ところがM君の新居には前の居住者が三月いっぱいまで住む予定だった。M君は二月にそれまで住んでいたアパートを契約終了とともに引き払ってから、四月までは新しいアパートへは行かず、茨城の実家に一時的に戻ることになった。


しかし困ったことにM君は杉並でアルバイトを続けていた。アルバイトの度、いちいち茨城から東京まで通うのは面倒だ。そこでM君は、アルバイトが早朝からある日や、二日連続してシフトが組まれている時などは、私のアパートに泊まることにした。こうして二月の終わりから三月いっぱいまでの一ヶ月間あまり、週に二~三日は、私のアパートにM君がやって来ることになった。


私の住んでいたのはぼろぼろの六畳一間の学生アパートである。二人の人間が過ごすには、だいぶ手狭だった。その上、布団は一組しかない。私とM君は、春先の寒い中、男二人でせんべい布団に二人して寝ることになった。


このころのことを思い出すと、今でも私は「あの時は大変だったなあ」と感慨深くなる。当時私は仕事終わりが夜遅いアルバイトをしていた。アルバイトが終わってアパートに帰ってくると、いつの間にかM君が部屋にやってきていて、私のせんべい布団を占拠して眠っている。私はM君にちょっと起きてもらってせんべい布団の半分を明け渡してもらい、眠ろうとする。しかし、これが眠れないのである。M君が、睡眠障害かと思えるほど眠りが浅く、寝言、歯ぎしりがひどいからだった。


M君の話によると、眠りが浅いのは家系だそうで、彼の妹はM君よりさらにひどく、夢遊病の気さえあるという。


M君がまだ子供で、実家で妹と同じ部屋で寝ていたころ、こんなことがあった。


ある夜、M君が部屋でなかなか寝付けずにいると、それまですうすう寝ていた妹が突然起き出した。そして、部屋の外に出て行ってしまった。「どうしたの?」とM君が声をかけたが、何も反応が無い。ちょっと不安に駆られたM君は、妹についていくことにした。


すると妹は、階段をとんとんと下りてリビングに行き、冷蔵庫を開けてプリンを取り出して食べ始めた。M君は不審がりながらも(プリンが食べたくなったのか)と思い、納得して部屋に戻った。数分後、妹も音も無く部屋に戻ってきて、ベッドにばたりと倒れこむと再びすうすうと寝始めた。


このことを後で妹に尋ねると、本人はまったく覚えていなかったそうである。


また、M君のおばあちゃんも、彼女の夫(M君のおじいちゃん)が亡くなってすぐのころ、ひどい金縛りにあった。夫の霊が彼女の体の上に乗ってきて苦しかったらしく、「重いよう、重いよう」と眠りながら叫んだそうである。


こんな睡眠障害の一家の一員であるM君と一緒に寝るのは、なかなか骨の折れることだった。何しろ寝言、歯ぎしり、いびきのオンパレードで、止むことが無い。たいていの夜私は眠ることができず、M君がアパートを出る早朝まで眠らず、M君が出て行ってからようやく昼ごろまで眠る、という生活を送るはめになった。


そんな日々のなかのある日のことだった。その日も私がアルバイトを終えて夜遅くアパートに帰宅すると、やはりM君が布団で眠っていた。私はため息をついて布団に入った。いつもの通り、M君のいびきがうるさく、寝付けたものではない。私は布団の中でM君に背を向けるように横になり、眠るのはとうに諦め、携帯をいじり始めた。


すると、私がM君に背を向けてしばらく経ったとき、私の背中でM君がごそごそと動き、私にぴったりと寄り添うようにこちらを向いてきた。そして、私の尻に手のひらを優しく添えて、なでまわし始めたのである。


「よーしよしよしよし・・・」


尻をなでまわす、その手の回転に合わせて、M君はそう声を出した。


私は携帯の画面を眺めながら、どうリアクションをしていいか迷った。眠っていたと思われたM君が、実は起きていたのかと思った。「なにすんねん!」と笑いながら一蹴すれば良いかとも思えたが、M君のせいで眠れず、ストレスがたまっていた中で、このM君のジョークは私には笑えず、苛立ちを覚えさせるものだった。私はM君への怒りを彼に伝えるため、俄然無視することにした。


するとM君は、やがて、


「よーしよし、・・・よっしゃ、よっしゃよっしゃ!」


と、元気よく言いながら、「よっしゃ」のかけ声に合わせて都合三回、私の尻をばしゃばしゃ叩いた。それで満足したのか、あとはくるりと仰向けに戻って、またいびきをかき始めたのである。


 私は恐怖心と妙な羞恥心を感じながら、黙ってM君に背を向けていた。携帯の画面が、暗い部屋の中、私の目の前で静かに光っていた。


 翌朝、M君にこのことを尋ねると、やはりまったく記憶にないということで、平謝りに謝られた。私は彼の睡眠障害に改めて驚愕した。


   *


 そんな、学校にはまじめに行かない、私と会っていても迷惑をかけることの多いM君だったが、彼にも情熱を注いでいることがあった。それは、英語圏の国へ留学したいということだった。


 M君が留学をしたいと私に話をし始めたのは、確か二年生のころだったかと記憶している。留学して、英語を勉強し、それを活かして就職につなげたい、ということだった。そのためにM君はアルバイトをして、その費用もコツコツ貯めていた。


 留学はM君が三年生の時に実現した。その年の九月から、一年間カリフォルニアの大学に通うことが決まったのである。そこでその直前の夏休み、私はM君がアパートを引き上げ一度実家に戻る、引越しの手伝いをした。


 M君のアパートは千葉県の市川市にあった。二年生の終わりに杉並区から引っ越してから、たった半年間での再引越しだった。私とM君は、その日、彼のアパートの荷物を全て段ボールに詰め、引越し屋のトラックに積んだ。


 全ての荷物が片付き、引越し屋のトラックが出発したのは昼下がりだった。私とM君はがらんとした彼のアパートの部屋で一息入れることにした。何も無くなった部屋の真ん中に二人してあぐらをかいて座り、何をするでもなくたたずんでいた。窓から夏の陽がぎらぎら差し込んで、部屋を白く照らしていた。


 ふと、M君が手に持った煙草を一吸い、吸って、ふっと煙を吐き出し、口を開いた。


「キックボクシング、がんばりなよ」


当時私はキックボクシングをやっていた。


「うん?」


唐突な言い方だったので、私はM君の真意が分からず、簡単に返事だけをした。


「俺は留学して、勉強がんばるよ。大学を卒業したら、働きながら学校に通い直して、経営を勉強して、起業するんだ。がんばるよ」


 私は、情けないことにちょっと涙がこぼれそうになったので、黙っていた。この友達が、一年間近くに居なくなることが、この上なく寂しいのだった。


 私たちの頭上で、部屋に取り残されたエアコンが、ぶーんと小さく音を立ててうなっていた。


   *


 M君は九月にアメリカへ飛び立った。それから一年間、私とM君は会うことがなかった。M君は時々私に電話をくれては、


「こないだブラジル人とヤッちゃったよー」


とか、


「こないだマリファナを吸っちゃったよー」


などと、私の期待にそぐわぬアメリカ生活の定点報告をしてくれた。あの引越しの日の誓いはなんだったのか、


「最近は英語でしゃべるのがめんどくさくなってきちゃったよ。だからなるべく誰とも話さず過ごしてる」


などという話もしてくれた。


それでも勉強はそれなりにしていたらしく、日本に帰ってきて受けたTOEICで彼は八百点を取った。

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