7話 思い込み
突拍子もない話だ。
俺には死ぬと生き返る権利が存在しているらしい。
夢だと疑っていた時期もあった。
けど、夢でも現実でも生きるのは当たり前だ。
降り注ぐ死の脅威が来ることが分かっているのなら、準備する以外にない。
前に行った総合ディスカウントショップに行って、包丁など諸々を買い込んだ。
朝起きて、型にはまってしまったと感じる会話をやり遂げ、学校に向かう。
まりとの会話も幾度となく繰り返されたもので、もはや新鮮味がなく、まったく身の入らない物だった。まりには悪いが、それどころではないのだ。
正直言えば、まりとどこかに逃げるのが最善策だろう。
だが、常識人のまりに対して、猪の化け物が来るからどこかに逃げないかと言っても、新手のギャグだと思われるのがオチだ。意味がない。
ならば、俺も学校に来てどうにかまりを守るのが一番の手だろう。守れるのかどうかが、一番の問題だが。
「今日のホームルームも別に連絡する事はない。以上」
先生が出て行ったので、皆席を立って色々し始めた。
俺もいつもだったら、席にじっと座っているのだが、今回は違う。
帰る風ではなく、ちょっと荷物を持っていく体を装って、教室を出た。
廊下にも人はいて、何かを持っている人はいないが、俺に注目する人はいない。なにせ別段注目するべき人間でもないので、何をしようがどうとも思われない。
この学校には三つ校舎があり、渡り廊下でつながっている。
二つは普通科で、もう一つの後者は体育科だ。
連結した三つの後者の真ん中に俺がいる理系の校舎がある。それを挟むようにして文系棟、体育棟がある。
そして向かっているのは、まりがいる文系棟だ。
二階の渡り廊下から文系棟に移って、そのまま屋上まで高速で登った。文系棟はほとんどが女子なので、男子が混ざっていると、相当に浮く。注目など浴びないだろうが、あまり派手に動いて、先生にばれたくない。
屋上に出た。
柵があって、落下防止策が施されている。あとはだだっ広い空間が広がっている。
腕時計で時間を確認すると同時に、授業開始のチャイムが鳴った。
八時四十五分。
「あと三十分で猪野郎が来る……かもしれない」
結局のところ自信が無いんだよな。本当に来るの? みたいな感じだ。その前に、俺って本当に死んでも生き返るのか? とか。
人生一回しかないと思って生きているのだから、あまり余計なことはしないでほしい。
三十分か。結構長い。
とはいえ、心臓はバクバク言っている。緊張しまくっているな。これから、殺し合いをするかもしれないんだ。それも勝率は相当に低い。憂鬱になりそうだ。
ぐいっとストレッチだけしておいて、リュックの中身などを確認する。
意味も無く位置を弄ったり、手に取ってみたり。
まあいいんけどさ。
始まるならさっさと始まんないかな、とか思っちゃうよ。
こっちは準備万端だから、さっさとして欲しい。
それでも時間は刻一刻と過ぎていく。スマホでも弄っていたら、いつの間にか九時十四分になっていた。
九時十五分ごろに猪野郎が現れ、学校の中で猛威を振るうはずだ。
五、四、三、二、一……九時十五分。
「来た……!」
ふと時間が切り取られたようだった。
その切り取られた刹那の時間に、猪野郎が学校中に存在し始めた。
屋上にはいないようだが、校庭にウロウロしている。それが校舎に続々と侵入している。あれが俺を殺していたのか。
やっぱり俺は時間をさかのぼっているのかもしれない。別にそうじゃなくても良い。俺には情報がある。死してなお、俺は生きようとしている。それでいいではないか。
夢と現実に境界線はない。
今その時間を精一杯生きよう。
そのためにはアイツらを殺さないと駄目だ。勝て。戦え。臆する事なく。
すると静かだった校舎がにわかに騒がしくなり始めた。
悲鳴と断末魔。それと猪野郎の叫び。
それらがごちゃ混ぜになって、俺の耳に届く。
俺がここに来たのは、混乱する状況から離脱するためだ。
前々回、俺は教室の混乱に巻き込まれ、満足に戦う事が出来なかった。それが無ければ、勝てるかと聞かれたら、正直分からない。でも、せめて対等な条件で戦わない限り、勝つことはできないだろう。
文系棟の屋上に来たのは、まりに素早く合流するためだ。この間にまりが死んでいたら、元も子もない。
すぐに屋上から出ようとした時だった。
扉の奥から誰かこちらに来ている気配がする。
足音もする。ぺたぺた。
「猪野郎……!」
こっちに来やがった。他の教室を無視して、屋上に来るのか。
屋上に隠れるところはない。
このまま迎え撃つか。いや、駄目だ。そんなリスクは冒せない。やるなら確実に勝つ。
上を見る。
登れる。梯子がかかっている。
扉の上の屋根に上って、強襲するしかない。
一回ジャンプして中途半端な高さにある梯子に手をかけた。あとは腕の力で体を引き上げ、どうにかこうにか屋根の上に上った。
よかった。俺の方が速く上った。登り切った瞬間に、屋上の扉が開いた。
猪野郎は何も言わず、そのまま前進した。手にはいつも通り刃物を持っている。くそ。怖ぇな。いつも通りだけどさ。
タイミングは今だ。真下に猪野郎はいる。今を逃すと後でタイミングが無くなる。
包丁を持って、そのまま猪野郎に向かって飛び降りた。
「……ッ!」
頭に突っ込んだ。そのまま押し倒した。「ブギョッ!」猪野郎はうつ伏せになり、じたばた動く。俺は「うらぁ!」と包丁で猪野郎の背中を刺す。
「ブギャあぁぁ……!」
「ぞらぁぁ!!」
刺す。何度も刺す。ドスッと刺して、ぐっちゃぐちゃに搔き回す。毛を掴んで、頭をコンクリの床に叩きつける。ぐしゃっと潰れた。牙が折れた。何度も叩く。刺す。叩いて刺して。搔き回す。
辺りが血の海になるまでそれを繰り返していると、なんか腹が熱いと感じた。
「ぐっ……ぁ……」
腹から刃物が飛び出てる。なんだ。これは。なんで刃物が俺の腹から飛び出しているんだ。背中。背中からか。
「ブヒョーッ」
猪野郎……ッ!
二体いたのかよ。逸った。焦り過ぎたのだ。確認するべきだった――。
「ガハッ……」
胃をやられた。喀血する。ビシャァァと俺の下にある猪野郎に自分の血がかかった。こんなに、出るのかよ。
そのまま無様に倒れ込んだ。やられた。
こんなに呆気なく。
「ひゅーっ……ひゅっー……」
息もし辛い。もう虫の息だ。まさにその通りだな。
刃物は俺の腹から引き抜かれた。何か大切なものが一緒に出て行った。
目の前がかすんで、体が震えはじめる。
「ああ……」
死ぬ。
経験で分かる。
これで何度目だよ。
夢であってほしい。
生き返りたい。
死にたくない。
未練がましいな。
これが根本的な理由かもしれないな。
俺は死にたくないのだ。
生きて、生きぬきたい。
本当に生き返る事が出来るのなら、どうか、午前二時に目が覚めて欲しい。
やれることをやろう。精一杯。
最後に見たのは、俺の頭に振り下ろされる刃物だった。