アンドロイドの色香は妹のばじまり
時間のながれというものは星の瞬きほどの速さですぎていくもの、茶の湯でまったりお茶を嗜んでいる時間とはわけが違う。
毎日が過酷で意味がわからない訓練と茶飲み友達のショートコントのようなミィーティング、鋭意に励む俺にはあっという間に一日が過ぎる。
訓練といっても今日も校庭を走るようなものではない。
ここで生きているのが不思議なぐらいバイオレンス&ジーザスである。
ちなみに本日の訓練は密林ジャングルサバイバル……焼き肉のたれを身体に塗ってホワイトタイガーの背中に乗ってロデオしながらソーラン節を歌うと言う、何の意味があるのか?理解不能だが、人間技を超えた超異次元チックな訓練である。
ああっ、毎日が過酷……そんな俺を唯一支える心の癒し。
心の癒し……そう、俺が生きていく上での必須アミノ酸クラスに大切な――琴音の満面の笑顔が見たいぃぃぃ……と考えながら俺は共同入浴所にてお湯にたゆたんでいる。
おっと、なぜ、共同入浴所だって……それは、俺の六畳間には風呂やトイレなどと言う崇高で文明の利器もない。
ウグイス張りのローカの突き当たりには銭湯のような共同風呂とレストランの厨房のような共同キッチンが、そしてその脇に何故か一つしかない洋式のトイレがある。
どうも全ての部屋は寝る事が主な活動となる空間になっているようだ。
今、俺がいる、八畳程度の風呂場にはタイル張りのミニ銭湯のように浴槽側の壁にでっかく富士の絵が描かれ、六人程度は入れるだろう浴槽がどっかりと存在感を示している。
しかも、これはスーパーオプションだね!贅沢にかけ流し放題の天然温泉ときたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……この世の極楽だねぇぇぇ。
ついつい、安らかなアルカイック・スマイルを浮かべてしまう。
「ぱぱぁぁぁ、見てぇぇぇ」
湯けむりの中『はしゃぐ』琴音がにぱぁ☆と笑顔を膨らませて、フェイスタオルに空気を含ませてお湯の中で気泡を作って得意げ&ご満悦のご様子、おおっ、我が姫、琴音……パパはお前の笑顔があれば幸せだぁ。
無邪気な女神のような琴音の笑顔を堪能する――福音かみしめるなぁ♪。
「琴音、肩までつかって十数えたらあがっていいからね」
「うん☆ぱぱぁぁぁ、ことねね、お着替えひとりでするのぉ」
振り仰ぎながら覗き込む琴音はお願いプリーズモード全開である。
俺は琴音の肩にすっと腕をまわし、抱きしめて「本当に一人で出来る?」と優しく問いかける。
喜色満面の笑みで琴音はこれでもかぁっと言うほど「できるのぉ!」と相貌をブンブン縦に振った。
砂糖菓子よりも甘くにやけてしまった俺に「ぱぱぁぁ☆だいすきぃぃ」とパタパタと両腕を上下に振っている。
そして、すこぶる興奮気味に「ニャハハ!」と高らかにご機嫌に一人探検ゴッコをしながら琴音が意気揚々とお風呂をあがった後、大きな天窓からそそぐ冴え冴えと輝く夏の月の柔らかな光彩をボンヤリと眺めた俺は俺自身が置かれている大変に稀有な状態に思慮深く思考を巡らせた。
ホームスティ――って確か滞在地の一般家庭に寄宿して生活体験するのだったと思うのだが……確かにここのおんぼろ宿舎には滞在しているが、それに毎日の逃げたくなるような意味もわからない厳しいだけの訓練に雪娘にアンドロイドにきゅうびキツネ……この環境は、やはり、何らかの『しきたり』が存在するのでは……などと湯船につかり考察していた。
そんな俺は深淵なる思考の世界に意識が飛んでしまっていて完全に油断していた。
ドポーン――湯船に突然の震度八クラスの津波が……俺の顔にジャストミート!
ほ~ら、耳の中までお湯だらけ☆中耳炎になったら大変❤てへ……ってなんでやねん!
お湯が沁みわたった目をシバシバさせて、流れ星でも落ちたのでは?と思われる湯船の方角に向き直る。
現在状況を目視で確認しようと、湯面と靄がかった現況に目を凝らして見ると――はははっっ……青天の霹靂――場馴れしていない純真な俺の身体中の血液が五千度ぐらいまで沸騰しそうなほど恥ずかしい描写が瞳に焼きついた。
「ほぇぇぇ」思春期における興奮と驚きのあまり思わず奇声を発してしまう。
「ぷふぁぁ――おおっ、相変わらず良い湯加減ミュン、おい、男女もどき、知っているかミュン、ここの温泉は美肌になる美人の湯なのだミュン」
湯気の向こうにぼんやりとミュウの透き通るような、それははちみつにミルクをそそいだような美しい肌色のシルエットがはっきりと浮かんでいた
ミュウは恥じらいも見せずに俺がいても意に介せず、堂々と気持ちよさそうに湯船を楽しみながらうっとりとした眼差しで俺を一瞥した。
「ミ、ミュウ、今は男の入浴タイムのはずだろ!」
初の男性加入(俺)により入浴時間が雪野うさぎの一考により決められてしまった深夜の時間。そう、今は深夜のはず!
裏返った声……セリーヌ・ディオンには程遠い俺の裏声が今の心の動揺を色濃く物語る。
湯気がやわらぐと俺の視線は先にイタヅラっぽく微笑み、こしのある髪をストレートに下ろし、それほど実ってはいない幼児体型だが水滴をプルンと滑らせて弾く若々しい素肌が……一糸纏わぬ姿のミュンにアンドロイドと知っていながらも少年心はくぎ付けになってしまう。
「お前、エロいミュン……エロエロ帝王ミュン。脳内フォルダーにラーニングするつもりミュン。そんな奴はウイルスに侵されればいいミュン。はっ!私を犯すつもりミュン!犯罪者ミュン。素直に閻魔大王に出頭するミュン。それに、私はアンドロイドだから女でも男でもないミュン、何時はいってもいいミュン」
手で波打つ湯面からチャパリ!と両手で湯をすくいバシャっと景気よく顔を洗う。
江戸っ子のように威勢は良いが、まったく興味なさそうにミュウはそっけなく答える。
どうも色めいている心は俺だけみたい……てか、俺は普通の健全な男だから意識しなくても思わず大きくなった尊厳部分をフェイスタオルで隠すと、『クスっ』とミュウが口の端をあげながら小さく笑った。
――こいつ、知っていて入ってきたな!――
「こんな私も女の子として見てくれるのかミュン?」
そそそっと湯船を掻き分けで寄ってと来るミュウ。
や、柔らかい……
柔らかい身体がぐっと俺の腕を絡みとる、二つのふくらみが腕とぶつかり形をかえる。
ぞくっとする緊張が俺の神経を支配していく……不思議そうにミュンは俺の傍に寄り添い、柔らかな肢体を『ぴたっ!』とひっつき、吸い込まれそうな漆黒の闇の色を宿した大きく真摯的な瞳、その瞳が上目づかいで俺の相貌を覗き込んできた。
ドキドキ感が止まらない……ロマンチックが止まらない♪ほどのドキドキ感が拍動を早め、のぼせてもいないのに全身が火照ったように朱色をおびていく。
り、理性よ、最大限に働け!!――不覚にも脳内細胞の過半数がミュウの事をメチャ可愛いと認識してしまっている、政治なら過半数を獲得して与党にランクアップ!!と合唱した事は内緒である。
ミュウとの距離はまさに紙一重の距離。今にも頬に柔らかそうな朱色の唇が届きそうな距離。
ごくりっとのどを鳴らしてしまう。とても蠱惑的なマシュマロのように柔らかそうなピンクの小さな唇――とても美味しそうに感じる。
再び、ゴクリっと思わずのどを鳴らすと少し目を細めたミュウの口角が僅かに上がったように見えた。
その可愛らしさは、もう、ドキドキやで――俺は思わず蝋人形のように全身硬直してしまう。
しおらしいミュウの態度――本気ともとれるミュウの質問にコクコクと頷くと快活的に嬉しそうにうんうんと頷き、笑顔から喜びがこぼれながらミュンは得心している。
「嬉しいミュン、私は前にいた未来のアンドロイドの学校では落ちこぼれだったミュン、人として見てもらった事ないミュン」
俺は少し冷静になりミュウを見つめた。
いつの間にか憐憫を含んだ瞳は湯気がかる虚空を見ていた。
その横顔はふっと寂しげな表情とこみ上げる喜びの表情――悲喜こもごも交差したように少し照れてミュウは俺の肩にしなだれかかる。
余談だが――俺の肩にはミュウの小さなおっぱいと突起物が当たっていて、緊張のあまり筋肉が収縮してしまい……俺は蝋人形クラスの硬直から死後硬直クラスにレベルアップしそうな勢いだ。
「私を産み出した研究所はもうないミュン。私のいた未来は破滅したミュン。過去にいる事は奇跡ミュン。だから、私は天涯孤独ミュン……もしよかったら男の女もど……すまんミュン、高坂歩に一生に一度のお願い事がしたいミュン」
手を胸元であわせて凄くあらたまったようにお伺いを立ててくるミュウ。その姿は吹雪の夜に親の帰りを待つキタキツネの子供ように不安の色が滲んでいる。
な、何なのだ!この展開は……しかも一生に一度のお願いって。
俺はエロスで覆われつつあった青少年の思春期的脳細胞達の考え方をフロイト式からユング式に切り替える。
しかし、次の言葉が湯面を見つめ、俯いているミュウの唇から紡がれない。
湯船に小さな波紋がいくつも広がっている静謐な空間に包まれているような感覚。
軽く髪をかきあげた俺はミュウの顔をのぞいてみる。
一瞬、驚いたように目を見開き、仄かに頬を朱色に染めながら湯船を一歩後ずさりする。
そして、小さく膨らんでいる胸の辺りで両手の指を乙女チックに弄びながらミュウの双眸は懇願と懊悩した色を滲ませていた。
ちょっとした驚きだった、いつもおちゃらけて、天真爛漫傲慢不遜を絵にかいたようなミュウが……そういえばホームシティに来て、俺の名前を初めて呼んだ……。
色々な事が思考を運動会のリレーのようにグルグルと駆け巡るがミュウの不安な表情を見た途端、俺はかがんでミュウに目線を合わせた。
たぶん、俺はとんでもないお人よしなのかも……俺の意志は逡巡する事なく決心した、どんな相談事をミュウが言っても、俺に相談するほど悩んでいるのだ。
ミュウの心をしっかり励まし、鋭意努力しよう、それが仲間だし、なんだかんだ言ってもここで一番、俺や琴音の世話をやいてくれているからな。
一呼吸つくと俺は優しい眼差しをミュウに向けて琴音と接するように柔らかく言葉を紡いだ。
「ミュウ、何を悩んでいる?俺でよければ何でも言ってくれ。俺達、大切な仲間だろ」
俺の言葉を聞いたミュウ――凄まじいプレッシャーから解放されたように目元が凄く柔和になっていく。
キラキラとした安堵の息がミュウのつぶらな唇から零れた、極度の緊張の為だろう、少し震えていた両足もぐっと引き締め、にっこり♪仲間にしか見せるつもりのない極上の笑みを浮かべる――柔らかな肌を朱色に浸食させながら。
あれっ――ミュンの奴、タコのように真っ赤になったぞ……のぼせたのかな?
ミュンは迷いをかなぐり捨てて意を決したように俺の両肩を掴み決然して向かい合う。
「私はアンドロイドだから、高坂歩とは結婚しても子供が産めないミュン」
凄く哀愁漂いながら申し訳なさそうにミュウは言葉を紡いだ……って、け、結婚?とか言っていたよな、俺の聴覚が二万光年はくるっていない限りは。
かなり、突っ込みたい気分満載だが、ここは俺のお釈迦様のような、良心が静かに聞きなないとおっしゃるので静観してみる。
「だから、私は一生懸命考えたミュン……」
ネコ科の動物のようにふわっとミュウの瑞々しい体躯が俺に寄り添う。
ミュウの髪からミルク・パフィームの芳香が俺の鼻腔をくすぐると唇と唇が触れそうな間合いまでミュンは詰めてくる――ドクドクと心臓の拍動が場馴れしていない緊張の為か俺の強張りつつある身体中にドラムのように激しくリズミカルに響く。
『ごくっ』と思わず生唾を飲んでのどをならす。
間違いなく、ザ・緊張である♪
仄かに上気がかったミュウの相貌……蠱惑的で可愛い――本能が……俺の理性を崩していく、踏ん張れ、脳内天使達、本能を押さえこんでくれぇぇえ――などと俺の気持ちを知り由もなくミュウの宝石のようにキラキラした唇と俺の唇と触れあった。
甘酸っぱくて、柔らかい感触――
………完全に冷凍マグロのようにフリーズしてしまったカテゴリー俺……ああっ、生涯でたった一度のファーストキスが……今、消化されました……興奮冷めやらぬ脳内エネルギーとは裏腹にカッチカチに強張った身体だがミュウの小さく柔らかな唇の感触はしっかり脳内の海馬のメモリー内に厳重に記憶された。
小刻みに小さな肩を震わせるミュウ。
汗ではない――頬をつたい大きな黒水晶のような瞳から流れる涙……涙?はっとミュウの顔を見た俺は驚愕しただろう――ミュウは涙腺がせきをきったように崩壊する。
大粒の涙は滂沱と溢れだした。
目が泳いでいる俺の視線に気づいたのかミュウは密着した唇を剥離して手の甲で涙をぬぐい、視線を泳がせながら、そそそっと俺との距離を少しとった。
一言でも声をかけるべきだったかも……いや、かけなければいけないが心と脳みそのシャッフル的動揺の為か小田和正の音域なみに言葉にできない。
ミュウは水滴を弾く自分の白い裸体をぎゅっと抱くような仕草を見せて湯につかり苦笑いした。
そして、俺を気遣うように上目使いのミュウが開口する。
「高坂歩、すまんミュン……私の気持ち……嘘じゃないミュン、だから……しきたりに恭順的に従うミュン」
ひっくひっくと嗚咽まじりの小さな声で訥々とミュウは言葉をはいた――戸惑う俺だが一つの単語が引っ掛かった……しきたり……俺にはしきたりと言う言葉に脳内メモリーが反応する。
「しきたりって……」
俺は精一杯の勇気を振り絞って伺いを立てた……とたん、のぼせているのかミュウは身体中を真っ赤にしてしまうほど上気だってしまった。
紅くなった事に凄く焦った俺は一瞬だけ瞳からレーザーが出るのかと勘違いして身構えてしまった――この条件反射はパブロフの犬もびっくりするほどだろう。
「そ、それはミュン……私がいた未来は人間と天界との大きな戦争があり、とっても偉い神様が女性と言う性別を遺伝子レベルで根絶やしにしたミュン。私がいた未来は女性はいなくなっているミュン。生きのこった人間は自分達の細胞を培養して造ったクローンで小さくなった世界を闊歩していたミュン。神の力で世界が破滅するまでは。私のような人型の有機アンドロイドは本来、戦闘より未来人の慰めものになる運命だったミュン」
その言葉の重さに脳が打ち抜かれるほどの衝撃が走った。
その言葉の重み――俺には凄く理解できて――何故理解出来たのかは分からない、ただ、俺は見えない感情の波の煽りをうけ、衝撃として身体中を駆け巡った――慰めものだって!
「だから、私の研究所は最後の戦争の時に破棄されたミュン。私が最初で最後の生き残りの完全なプロトタイプミュン、量産型はいないミュン、しきたりというのは当時の研究所の所長……最後のオリジナル体が残した遺言ミュン」
その黒い瞳に宿る光の力が無く弱弱しい、すがるような、拒絶するような、困惑した色。
視線の先の湯面に写るミュウの戸惑い。
しかしそこに迷いのない頑なな想いも同時に感じられる。
凄く大切に精一杯言葉を選びながらミュウは訥々と話す。
「私にも所長の遺言がプログラムされているミュン……しきたり、第八条、自分から初めて唇をさし出した者に対して伴侶になるか隷属するか……当時、所長が私に唯一くれた自由の権利ミュン。高坂歩……私は伴侶になりたいが子供の産めない身体では申し訳ないミュン……だからといって今の気持ちに嘘はつけないミュン」
想いと感情、そして遺言と言うしきたりに翻弄される、その姿は砂漠で水を求める虚ろな目の子供のようにとても憐憫である。
抱くように両腕を絡ませてミュウは精一杯の想いが交錯した麗しい相貌を俺に向けて自分の偽りのないまっすぐ気持ちを伝えてくる。
「端っこでもいいミュン……心の端っこでもいいミュン、私を少しでも高坂歩の傍に置いてほしいミュン」
ざざざぁぁぁ――
波打つように湯船が乱れると、幼くとも麗しい裸体が少し震えながらも精一杯の勇気をだして立ち上がる。
そして――透徹した想いを込めて両手を広げて、ミュウは俺を苦悶と懇願の入り交ざった瞳でまっすぐ射抜いてくる。
「私の心も身体は好きに使っていいミュン、隷属の意味は知っているミュン……だから高坂歩……私……」
「ミュウ」
心と想いに芽生える不思議な感覚……
愛おしくなった、どうしてだかわからない、ただ、ミュウの事が愛おしくなった。
俺はミュウの言葉を遮って紅くはれ上がり潤んだ瞳に微笑みかけて、優しく、絹を扱うように優しくミュウの背中に腕をまわし、そっと抱き寄せた。
腕に伝わってくる体温とわななく振動。
小刻みに怯える様に震えているミュウの小さな裸体は頼りなく守ってあげたくなる。
琴音を抱くように愛情を込めて俺はミュウの髪を撫ぜて、もう一度、強く抱きしめた。
心の片隅では脱衣所で着替えに奮戦中の琴音に土下座外交真っ最中♪
今の俺はどうかしているのかも……ただ、ミュウを悲しませたくない。
俺の脳内コンピュータが全力で答えを導き出す。
「そ、そうだ、言うことをきいてくれるのだよな」
咽をならしたホトトギスのように恥ずかしくも、俺の裏返った声が浴槽内によく響いている。
ミュウのしなやかな両腕にも微かだが抱きしめてくる力が強くなっている。
凛々しいながらも可愛らしい顔をひょいっと上にあげた。
そのぐっと強い光彩を宿した黒い瞳で俺を見つめて一度だけこくりと小さく頷いた。
「俺は孤児だったから一人は辛い気持ちは死ぬほどに分かる。だから、今の俺になってからの夢――小さい時からの夢を一つ叶えてほしい」
淡く切ない子供のころからの幻想……紡いだ言葉。
想いが螺旋状に張り巡らされた底辺に忍んでいる、淡い幻想と願望。
言葉にする事が凄く勇気がいった。
「俺の妹になってほしい」
俺は突拍子もない事を口走っている――だけど、心をぶつけてくれたミュウに俺も本気で心を伝える。
俺の言葉に小首かしげたミュウはキョトンとした面持ちを浮かべた。
「俺は本当の家族の温もりを知らない……歳老いている義父や義母には大変良くしてもらっているが、いつかまた、俺は一人になってしまう。だからミュウ、俺の妹として俺の傍にいてほしい」
願った未来が想いの中で描ける、ミュウと琴音と三人で仲良く居間で冷凍みかんを食べながら微笑む姿。
ああっ、ほほえましい。
正直、無茶苦茶なお願い事だと思っている――だが、現実はどうも効果てきめん☆のご様子……言葉の意味を噛みしめた途端、ミュウの相好が桜花爛漫のようにぱぁぁっと華やいた笑顔になる。
「感無量ミュン♪……本当は超美人な出来の良いお姉さんが良いミュン。だけど妹で我慢してあげるミュン――だけと、今の俺になってからの夢?そこは良く意味がわからないミュン」
ツンデレ……だったか君は……などと思いつつも俺も相好が崩れる……俺は嬉しい、ミュウの気持ちにも応えられ、今の俺の夢も叶えられる、一石二鳥ではないかぁぁぁぁ。
さすがに逆上せてしまった俺は恍惚した満たされた笑みを浮かべて、喜びを全身で表現して抱きついてくるミュウ……愛おしくなる上機嫌なミュウをニッコリ微笑みながら、頭をなぜなぜして、「先、あがるよ」と言い残し、浴場をおぼつか無い足で後にした。
脱衣所と呼ばれるスペースには戦場の跡が見受けられた。
竹の網籠や少し大き目の全身鏡や全自動体重計などが旅館の如く置かれている脱衣所にはマイ・スイート・ハニ―琴音の姿はなく、床に転がっている竹籠の散乱具合いからしてかなりの戦いがあった事は想像がつく。
『一人で……琴音、よくやったなぁ』
バスタオルで身体を拭き、黄色のジャージに着替えながら感慨深く思う。
脱衣所を出て『キイィィ』と音が鳴る忍びの者が困りそうなウグイス張りのローカを闊歩しても、あの柔らかなあの感触……ミュウの青い果実を連想させる裸体がまだ、意識から離れない。
もう、エロ大魔王と呼ばれても今なら得心してしまうかも♪
「よしっ」と気合をいれて両頬をパシリ!と叩き厨房ルームに立ち寄り、冷蔵庫から麦茶を取り出してぐいっとあおった。
「少しはマシな顔になりましたね、歩さん」
厨房にあるみんなで食卓を囲みながら美味しいご飯が食べられる大きいテーブルで香りたかいアップルティーを嗜んでいる、ヒラヒラフリルの少女趣味なパジャマ姿の雪野が手作りビスケットをつまみながら、本を片手にゆったりくつろいでいる。
「雪女があったかい飲み物のんで身体とけないのか?」
「海の魚が海水飲んで高血圧にならないのか?程度の面白い質問ですね。そのような心配より、琴音さんの心配をされたほうが良いですよ」
少し口の端を釣り上げて、『にぱぁ』と悪戯っぽさを含んだはにかんだ笑顔を見せる。
俺の純真極まりないハートがドキッ♪としてしまうではないか、容姿端麗は特だなぁぁぁとしみじみと思う。
……えっ……琴音の心配……
雪野の言葉が突然掻い摘んだように脳内に反芻する。
「先ほど、今日子と琴音さんが一緒にいましたよ。昨日、ゴリラの胸毛を数える特訓の最中に今日子、メラメラな恋の好敵手は琴音って言っていたので少し心配になっただけです」
宝石のようにキラキラした唇にそっと、うさぎ型のマグカップを当ててアップルティーを嗜む姿はとても絵になっている、生まれ持った品の良さが充分に存在感を誇示している。
「ありがとうございます。部屋に戻ってみます」
軽く微笑みお辞儀をして、お礼を伝えると俺は光沢のある黒色の髪を翻して厨房を後にした。
「歩さんの笑顔……殺人的に素敵です……」
うさぎ型のマグカップを置いた雪野の相貌はサクランボのように真っ赤になっていた。
それはアップルティーが熱かったことと、もう一つの想いが重畳して想いを刺激した結果だった。
廊下を歩く俺、その足取りはストライドが大きくなるほど琴音に逢いたくなる。
『俺には世界で一番愛してやまない琴音がいるではないか!!』と俺の心は叫ぶ!!
浮気を見つかった駄目亭主が如く、何故か琴音に申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
無性に琴音に逢いたくなった俺はウグイス張りのローカを速足で歩き、マイルームこと部屋に入った瞬間――目に飛び込んできたのはパジャマを裏むけに着た、しどけない姿の琴音が何故か今日子と二人で幸せそうに微笑みながら仲良くアイスクリームを食べようとしている姿。
琴音の幸せな笑顔が俺の心のオアシス……だが、今日子が一緒だということは……ど、毒見をせねばぁぁぁぁぁぁぁ。
その瞬間の反応速度は音速の壁を越えていたと自負している。
俺は超絶なスピードで口に運ぼうと懸命だった琴音からアイスを取り上げ一口食べた。
一瞬茫然とした琴音――すぐに、ぷぅぅぅぅぅっ――と琴音の頬が膨らむ。
「ぱぱぁぁぁ」両腕をプンプンしながら全力で抗議している。
マイ・エンジェル♪琴音、絶対に許さないぞ!みたいな雰囲気が……ああっ、そんな親の仇を見るようにジト目で俺をみないでおくれぇぇぇ。
そして、今日子の「ちっっ」と舌打ちが聞こえた瞬間……意識が……天使が舞い降りてきた――パトラッシュ―。
「ぱぱぁぁぁ!」
遠くに琴音の声がきこえるぅぅぅぅ。
俺は前のめりに折りたたまれるように倒れて痙攣してしまっていたらしい……。