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フェイト・ロスト  作者: 黒衣エネ
記憶の渇望者
2/2

2『記憶』の力

【ボロミア王国編】



それは、ただあるだけには留まらないだろう。


何故なら大いなる力が眠っているからだ。


直接目には見えずとも自ずと力を発揮するその力は、時に運命と秩序とをねじ曲げる。





偽りの幸せは必ず壊れる。



アズレイが朝起きた時には、既に馬車の準備は整っていた。


相変わらず手際が良い。



結局、昨日仕掛けた結界に反応したものはおらず、どうやらただの心配に終わったらしい。


アズレイは軽く溜め息を吐きつつ、術を解除する。


そして、荷物を纏め部屋に何も残していないかを確認した後、部屋を後にして1階に降りる。


ニーシャの姿は無く、表が少し騒がしいところから、どうやら待機しているようだった。


朝食を運んで来たマーレが話したことだが、今回の行商団を率いるのはニーシャだという。


これは宿屋の主であるマーレがそう頻繁に宿屋を空けられないこともあり、そう珍しいことでは無いらしい。


それなら、ニーシャがあそこまでしっかりしているのも理解できるだろう。


その時、父親についてマーレに尋ねてみたが、マーレは微笑みながら首を横に振ったあたり、どうやら既に故人なのだろう。


アズレイは勿論非礼を詫びたが、マーレは『お気になさらずに、慣れてますので』と言った。





「あ、魔術師様!昨日はよく眠れましたか?」


「うん、ありがとう。それとニーシャ、一つだけお願いしてもいいかな?」


ずっと思っていたことだが、なかなか言う機会が無かったことを今言う。


「僕のことはアズレイでいい、魔術師様っていうのはあんまり慣れなくて。」


「はぁ、他でもないアズレイ様がそう仰るのなら、そう致します。」


アズレイは続けて『ニーシャの方が年齢も上だし、敬語もやめてほしい』と言ったが、こちらはニーシャに全力で拒否されてしまった。


ニーシャ曰く『それは店とお客様という立場として、とてもできない』と言うのが理由らしい。




そんなやりとりを行った後に、アズレイはニーシャと共に一番前の馬車に乗り込む。


一応の特別待遇としての立ち位置であるが、アズレイ自身が先頭の方が何かと外敵が来た場合対処しやすいからと申し出た結果だ。



「今回使う街道は、そう滅多に追い剥ぎとかは出ませんので、アズレイ様はごゆっくりなさってくださいね。」


一通り指示を終えた後、ニーシャはにこにこしながらアズレイに言う。


そう危険な旅にはならないと言いたいのだろう。


「…そうならいいのだけど。」


「え?」


アズレイは独り言のように言うと、鞘に収まった剣で馬車の床に軽く触れる。


昨日と同じように紋様…魔術師の言葉で言う『魔方陣』が一瞬描かれ、光った後すぐに消える。


昨日も使った、外敵を判断する魔法だ。



「これがアズレイ様の『魔法』ですか?」


「そうだよ、害意のあるモノが馬車に近づけば、それを知らせてくれる魔法だ。」


アズレイの使う魔法に興味津々のニーシャ。


もの珍しい『魔法』に興味があるのは、魔術師に会うことも比較的多いと思われる商人のニーシャも同じらしい。




しかし、アズレイの頭の中にはニーシャは無く、既に別のことを考えていた。


それが先程『そうならいいのだけど』と言わせたことである。


『記憶を取り戻す旅』が、今までにどういうものだったのか。


それは1枚目の『記憶のラピスラズリ』が廃墟と化した国にあったということが、既に暗示している。



『記憶のラピスラズリ』がある場所には、必ず何らかの『異変』がある。


それを知っているからこそ、昨日ニーシャに『異変』が無いか尋ねたのだ。



そもそも2日前だって、追い剥ぎを倒した後に『記憶のラピスラズリ』を取り戻しているのだから、もう『記憶のラピスラズリ』がどんな存在かは、アズレイは嫌と言うほど実感している。


『記憶のラピスラズリ』がある所、戦いは避けられない。


戦いではなくとも、悲劇は避けられない。


そんな忌まわしい存在の『モノ』なのだ。



他の2つを取り戻した過程に至っては、口に出すにも憚られるような凄惨な経緯があり、端的に言えば既にアズレイは『人を傷つけ』『人を殺し』『未来や希望を奪う』ことに手を染めている。


それも数人どころではない、記憶を探す過程でそうした人々は一体どれだけいたのかすら、アズレイにもわからなくなっている。



アズレイは決して善良ではなく、記憶を取り戻す為には何でもする。


そんな修羅の道で業の深い生き方を選択している。



それでもアズレイはただ自分の失った記憶を取り戻すことだけを糧にして、行き続けている。


もうその想いは狂気の領域に達しているが、彼を縛るものは何も無い。


家族の記憶も故郷の記憶も失い、彼を引き留めるものは存在しないからだ。





「アズレイ様…?」


「…どうしたの?」


呼ばれて、ふと視線を戻すと、そこにはどこか不安そうな表情をしたニーシャの顔があった。


「いえ…何か凄く厳しいお顔をしてらしたので。」


ニーシャは、アズレイの胸に渦巻くただならぬものを感じ取ったのだろうか。



「何もないよ、僕は大丈夫。」


取り敢えず、とりなすように微笑みながら言う。


ただ、空っぽのアズレイが作った笑みを浮かべた所で薄ら寒いだけだろう。


「そ、そうでございますか!済みません、余計な詮索をしてしまって!」


それでも根っからの商人は、焦り混じりながらも笑顔を作り返した。


同じ作り笑いなのに、心の在り方一つでこうも違うのかと、アズレイは思ってしまう。




だからこそ、アズレイはあまり他人を自分の旅に巻き込みたくない。


いくら何でもするとは言え、やはり他人に危害を加えるのは本心ではない。


避けられるなら、いらない犠牲は避けた方が良いに決まっていると思うからこその判断だ。



そして何より、深く関わっていない人間なら、目の前を通り過ぎて行った無数の他人の1人として、危害を加えたとしても感情移入することもない。



記憶を探す旅を始めた時に、決めたこと。


そうでなければ、この過酷な旅の中で前には進めないだろう。







結局、その日はニーシャの言う通り、追い剥ぎなどは出ずアズレイの結界に引っ掛かるような悪党も出ずに、街道横で夜営することになった。







***********




「我が主よ『例の少年』がこの町に向かっているようなのですが…?」


「あの少年の心と身体は『ソレ』を探す為だけの羅針盤と化している、特に不思議でもないだろう。しかし、ここにあるのを見つけるとは…思っていたよりも早かったな。」


「して、私はどうすれば良いのでしょうか?このままでは、奪い合いになるのは間違いありません。」



「いや、これだけ早くここに来たのは、むしろ好都合かもしれん。」


「と、申されますと?」


「いくらあの少年でも、あの時に比べれば大分魔力は減じている…記憶を失い心を砕かれた結果だ。記憶を集めて間もない今なら、お前の力で滅ぼせるだろう。『エサ』が無ければ全く興味を示さない以上、こちらから出向くわけにはいかないからな。それに、あれに『エサ』を持って近づくなど、獅子に肉を持って近づくようなものだ。それなりの準備を持って、迎え撃つ形を取るのが一番いいだろう。」


「確かに、いかに優秀な魔術師2人分の力を受け継いでいるとはいえ、あの状態なら精々半分程度の力しか残っていますまい。しかし、やはりこちらから出向くのは分が悪いと?」


「ああ、頼むぞ。早々潰せれば後々楽だ。」


「はっ、お任せください。」







***********




モズの街に着いたのは、ちょうど昼頃だった。


ガザラに比べて洗練され優美な建物の並ぶ街並みは、見る側に落ち着いた印象を与える。


ニーシャ曰く、作物が育ちにくい環境の替わりに交易で成り立つ街からか、昔から建築や工芸に秀でた街であったらしいが、それに高級な材料や貴金属宝石類が使われ始めたのは、つい最近のことらしい。



急激な生活と特産物の変化。


それはもう、アズレイにとって答えにも等しいような情報だ。


この街に『記憶のラピスラズリ』は必ずある。


おそらくニーシャの言う通り、モズの領主だと言う男、シュドナイのネックレスがそうだろう。



シュドナイの噂としては、街の人々が口を揃えて『やや神経質だが心優しく』『生真面目で勤勉』『街の人々の為に身を粉にして働く尊敬できる人』と評価しており、理想的な領主だと言える。


同時に聞いた話によれば、少し前に急に『魔法』を扱うようになり、己のできうる全てを使って街の発展に身血を注いでいるのだという。


故に、急に魔法を使い始めた領主に対して人々は妬むことも恐怖することもなく、更に尊敬の念を深めてモズの街は急速にここまで発展したらしい。


ちょうど魔法を使うようになった辺りから、件のネックレスをつけるようになったとも。



噂で言われた急に『魔法』を扱い出す、と言うのが一番不自然なことである。


魔法は魔術師が扱うもので、確かに急に使えるようになる場合もあるが、そう誰でも使えるようになるわけではなく、大半が幼少の時に使えるようになる。


だがシュドナイはもう30歳も半ばを過ぎたような年齢であり、それが急に魔法を扱えるようになるのは、どう考えても不自然だ。



全ての辻褄を合わせようとするなら『記憶のラピスラズリ』の存在があれば、いとも容易く解決する。


『記憶のラピスラズリ』がある所異変が発生するが、それは『記憶のラピスラズリ』自体が持つ莫大な『力』が原因に他ならない。


『記憶のラピスラズリ』はただそこにあるだけのような代物ではなく、非常に強力な魔法の品だ。



記憶のカケラとは、どうやら凄まじい力を持つらしく、それの結晶である『記憶のラピスラズリ』は才能ある誰かが手にした時、様々な奇跡を発現させる。


おそらく『記憶のラピスラズリ』を手にしたなら、魔術師になるのはそう難しくはない。


アズレイが過去に見ただけでも、滅びた一国分死者を人形として使役させていたということがある。



そして、それだけにその場所のパワーバランスは狂ってしまい目に見えて変化が、つまり『異変』を引き起こしてしまう。


要は『記憶のラピスラズリ』は災いの品なのだ。







「さて、まずはその領主を探して自分の目で確認してみないと。」


入手した情報では、今日は街の大規模な集会にシュドナイが来るのだという。


そこで、会場にこっそり紛れ込み、シュドナイが本当に『記憶のラピスラズリ』を所持しているかを確かめようということだ。


万一持っていなかった場合のことも考えての安全策の一つだ。



もし強引な手を使わなければならない場面に陥った時に、シュドナイが『記憶のラピスラズリ』を持っていなければ、アズレイは無実の人間に危害を加えたことになってしまい、下手をすればおたずねものになって、追っ手がかかる。


アズレイは追っ手自体は怖くないが、それでも他国に行った時に旅路になんらかの影響を与えるかもしれない。


だから、アズレイとしても慎重に行かねばならなかったのだ。


ちなみに、既にニーシャとは(適当なことを言って)別れている。


勿論、余計なことに巻き込まない為だ。


モズに『記憶のラピスラズリ』があろうが無かろうが、もうニーシャの行商団には会う気は無い。


ニーシャはアズレイに、滞在中は行商団の居る宿屋を使うように薦めたが、残念ながらアズレイがそこに戻ることは無いのだ。




「…ここがその場所なんだ。」


人の集まっている所に向かいながら歩いていると、立ち台のある広場に着く。


人々が何かを待ちながら談笑している辺り、ここで領主シュドナイが公演する予定なのだろう。



アズレイはマントに付いているゆったりとしたフードを目深にかぶり、顔がよく見えないようにしながら、人々の脇をすり抜けて最前列へと移動する。


できうる限り間近でそのネックレスとやらを確認したいからだ。




「モズの皆さん、こんにちは。今日は集会にお集まり頂きありがとうございます。」


そうこうしているうちに、立ち台に1人の男性が姿を現す。


小綺麗ながら簡素な作りの貴族の礼服を着ている、30歳半ば程の端正な顔立ちのいかにも真面目そうな男性で、その首には『親指の爪程の大きさのラピスラズリ』が輝くネックレスが下げられている。



「見つけた…!」


間違いない。


それは確かに『記憶のラピスラズリ』だった。



「皆さんの毎日の努力もあり、モズは最早『ボロミア唯一の作物の育たない土地』ではなくなりました。既に多方面に渡りモズ産の作物を輸出しており、この街はボロミアでも有数の豊かな街になりつつあります。」


群衆から自然に拍手が巻き起こり、前に立つ男性…領主シュドナイに『シュドナイ様の努力の賜物だ!』『モズで一番働き者!』『シュドナイ様万歳!』などの声援が贈られる。


評判の通り人々の信頼され、街で誰よりも働き者であるようで、そんな領主シュドナイを中心に人々は結束し、その結束力は非常に強固なようだ。



話を始めたシュドナイはこれからの街の方針と開発の計画などを発表し、街の人々に賛否を問うが大半の人々が賛成であり、それ程よく考えられた方針や計画だった。


まさに名君だろう。


実際に、世界中の指導者が彼のような人物だったなら、きっと世界に悲惨な国など無い。



しかし、アズレイの頭の中にはそんな個人を讃える気持ちなど、ただのカケラすら無かった。


「あれは、あれを取り戻せば、一体何の記憶が戻るのだろう…」


既に、己の記憶のことだけしか考えていない。



ただ一つだけ問題があるとすれば、これだけの効果を街に及ぼした『記憶のラピスラズリ』を、シュドナイが簡単に渡すとは到底思えない。


シュドナイから『記憶のラピスラズリ』を取り戻す為には、やはり争いは避けられないだろう。


そうなれば、今みたいな人々が大勢いる場所や昼間に行動を起こすのは、不利でしかない。


シュドナイを慕う街の人々は、皆で『親愛なる領主を襲う、悪党』アズレイを排除しにかかるだろう。


勿論そうなれば、アズレイの魔法による大量虐殺は避けられず、もしそうなればボロミア中のおたずねものになる。


いくらなんでも、この場で取り返しに行く訳にはいかなかった。





「夜、館に行こう。」


シュドナイの住居である館の場所は、既に聞き込みによって把握している。


シュドナイの館を警備する人々だけ相手をすればよい、しかも上手く忍び込めばその必要もない夜に取り返しに行った方がいい。


そう判断したアズレイは、まだ話を続けるシュドナイに背中を向け、話に聞き入ってアズレイの退席に気付かない人々の隙間を縫って姿を消した。







***********




深夜のモズの街は、明かりの点いている家はいくつかあるものの、出歩く人々は皆無で街は非常に静かだった。


夜でも騒がしく、活気溢れる酒場もこれだけ夜が更ければ、明かりも消えて静かになっている。




その中に置いて、まだ明かりの点いている家の一つがシュドナイの館である。


やはり執務がある上に働き者と評判のシュドナイは夜も働いているようだ。


門には警備兵が2人立っているが、船を漕いでおりとても眠たそうだ。



勿論、生真面目で神経質なシュドナイの警備兵が、いくら平和で暇だとは言え、本来こんなにだらけているはずもない。


ならば、何故今はこんな有り様なのか?




ついに、2人の警備兵は座り込み塀に背中を預けて眠り始めてしまった。




そして、虫の鳴き声に足音を混ぜながら、三日月に白い一組の翼を杖頭を持つ身の丈より長い杖を片手に、まるで何も無い空間から湧き出るようにアズレイが姿を現す。



それは手にした杖の効力で、魔法を発動する為の媒体である他に、それ自体が魔法の品で手に持ちながら念じれば姿を闇夜に溶け込ませるという効力を持つが、太陽の下では効力を現さないという欠点もある。


普段はアズレイの合言葉によって、小さなアクセサリーのようになっている。



警備兵が眠ってしまったのは、勿論アズレイの魔法のせいであり、不自然でないように徐々に睡魔に落とす魔法をかけたのだ。


命に害があるような魔法ではなく、アズレイが何もせずとも、朝日が昇れば勝手に目覚める。


ただ、本当に強い精神の持ち主には効かないし、それ自体が所持者に力を与える『記憶のラピスラズリ』を持っているなら、やはり効果は期待できない。


精神に影響を与えて効果を現すこの手の魔法は、得てして不安定な点が目立つものであり、アズレイも過信はしていない。


魔法は確かに様々な効果を現し普通では有り得ないようなこともできるが、決して何でもできる万能なものではないのだ。




2人が完全に寝てしまったのを確認すると、アズレイは杖をアクセサリーに戻してから、門をゆっくりと音が立たないよう静かに開けながら、侵入する。


中にもおそらく警備兵はいるが、今のところその姿は確認できず他の場所を見回っているのだろう。


今のところ警備兵の姿が見えないことを確認すると、アズレイは鞘に収まったままの剣を腰から抜くと、地面を軽く叩く。


「『風よ、その自由な流れなるままに我が歩みの助けとなれ。』」


そして小声で囁くような詠唱。


ブーツにうっすらと緑色に輝く魔方陣が一瞬だけ現れて、すぐに消える。



中庭を踏み出した足からはまるで水面に葉が落ちたかのように風の波紋が広がり、足音はしない。


アズレイの足は地面からほんの僅か、拳一つ分にも満たないほどの高さだけ浮いていた。


『風』の魔法の一つ。


効力は足をほんの僅かだけ浮遊した状態にさせ、悪路でも足を取られずに歩けて、足音も消せるというものだ。


歩を進める為の助けにもなり、普段よりも早く走れるようにもなる。



アズレイは風の力を借りながら氷の上を滑るように移動すると、本館の入り口に張り付くように止まる。


そして、アクセサリー状になっている杖で扉に軽く触れると、扉の鍵はガチャリと小さな音を立てて、独りでに開く。


それなりの魔法を用いて封印でも施さない限り、どんなに強固な鍵をつけたとしても魔術師にとっては、巾着袋を開けて、その中の物を取るくらい容易く開けられる。





「…変だ。」


それ故に感じる不信感。


シュドナイは『記憶のラピスラズリ』の力で魔法のような技を、それもかなりの離れ業をやってのけるくらいには、扱える。


当然、アズレイの使った『解錠の魔法』に対する『防鍵の魔法』も、容易く使えると思われる。



しかし、先程アズレイは『防鍵の魔法』を破ってまで鍵を開けたのではなく、ごくごく普通の鍵を魔法で開けたに過ぎない。


勿論、魔術師の不当な侵入を全く想定していない可能性はあるが、それにしても誰かから命を狙われかねない程の力を手に入れたにしては、無用心だ。


力を得た人間は疑い深くなるということを、アズレイは今までの旅の中で何度も見てきた。


面倒な魔法ならともかく、かけるの自体は簡単な魔法故に、尚更使わない理由が見当たらない。






「…何故、私が『防鍵の魔法』を使わないのか、教えよう。一つは、このモズの人々を心から信頼しているからだ。そして、もう一つの理由は、君を待っていたからだ。」



不意に声をかけられた方向を向くと、1人の男性が階段を降りながら歩いてきていた。


端正な顔立ちと落ち着いた口調の男性は、集会所に現れたモズの街の領主、シュドナイだった。


少し冷える夜中であることもあり、白いマントをかけて手には片手剣を携えている。


シュドナイの首には、紛れもないアズレイの記憶のカケラである『記憶のラピスラズリ』が下げられていた。


「間違いない、見つけた…!」


アズレイの興味はもうシュドナイには向いておらず、シュドナイの首に下がっている『記憶のラピスラズリ』に向けられていた。


まるでその所有者など、どうでもいいと言わんばかりの態度だ。



「露骨だな、あのお方が言っていた通り、君は『これ』を探す為だけの羅針盤に成り下がっている。」


『記憶のラピスラズリ』に指で触れながら、シュドナイはアズレイをどこか哀れむように見る。



「どうでもいいよ、そんなことは。最初に言っておくけど『記憶のラピスラズリ』を渡して欲しい。それは本来この世界には無い物だから世界の力の均衡を崩すし、何より僕の記憶のカケラだ。誰の物でもない、僕の物だ。」


アズレイは、ここてようやく剣を抜く。


白銀の刀身は火の灯った燭台の光を反射して、冷たく輝いている。



「それは出来ないな。この『記憶のラピスラズリ』の力には魅力がある。作物が育たず、交易をしなければ成り立たなかったモズをここまで発展したのは、この宝石の力があったからだ。そして、私には街を発展させ改善し、街の人々を幸せにする義務がある。」



それは、間違った意思なのかもしれない。


街の為とは言え、他人を不幸にすることが善良とは、とても言えないだろう。


それはあれだけ『真面目』と言われているシュドナイが、一番理解しているはずだ。



それでも、シュドナイは信念を貫く人間だった。


膨大な力を手に入れ人々を支配するなど容易いはずなのに、それをせず力は街の為に全て注ぎ込む。


決して力に惑わされず、領主としては頼もしい人物だろう。




「そう、でも返してもらう。僕には、この街のことなんてどうでもいいことだし、この街の人の幸せになんて知らない。『記憶』は返してもらう、それだけのこと。」


それでも、アズレイの氷のように冷たい瞳を揺らがせることは無かった。


地面に向けていた剣先をシュドナイに向け、片足を半歩だけ前に踏み出す。


川辺の森で使ったように、この剣はただの武器ではなく魔法を発動する為の媒体にもなる。


つまりアズレイは、魔法をいつでも撃てるように構えているのだ。


「やれやれ、話し合いにはならないのはわかっていたことだ。だが、私には街を守るという義務もある。君は街にとっても危険だから、ここで倒させてもらおうか。」


シュドナイも片手剣の先をアズレイの心臓の辺りに向け『記憶のラピスラズリ』をもう片方の手で握る。




僅かな緊張の後、二人が動く。


アズレイの心臓めがけてシュドナイが放った赤い光でできた矢を、アズレイは剣を振ることで巻き起こった風で弾道を逸らす。


アズレイ自身もわかりきっていたことだが、それはもちろん牽制の一撃で、片手剣を振りかぶりながら、シュドナイはアズレイに走り寄り間合いを詰める。


その動きに素早く反応し、振り切った剣を下から擦り上げるように振り上げ、アズレイは鍔の部分に片手を添える。



ガチッと音が鳴り、互いに必殺の間合いのまま刃と刃をぶつけ合いながら膠着する。


「やっぱり、あのお方の話に比べて大分魔力が減じているな。いや、ほとんど残っていないようだ。」


刃越しにアズレイを見ながら、シュドナイは言う。


「…僕の過去を知っているみたいだね。記憶を失ってしまったから、昔の僕がどんな存在だったかなんて、僕は知らない。」


不意討ち気味に蹴りを放ち、その反動で大きく跳びながら後退し、宙返りをしながら床に着地し、油断なく剣を向ける。


対するシュドナイもバランスこそ少しだけ崩したものの、腕でアズレイの蹴りをしっかり防いでおり、有効打にはなっていない。


剣は地面を向いているが、目はアズレイの動きに注力している。



「私もただ『あのお方』に聞いただけで、本当の意味で君を知っている訳ではない。が、君に関する情報を持っていることも確かだ。」


一歩だけアズレイに近づきながら、どこか含みを持たせながら言う。


「あのお方…つまり、貴方の他にも『記憶のラピスラズリ』の在処を知る、もしくは『記憶のラピスラズリ』に関わっている人がいると言うことだね。それだけ聞ければ十分だ。」


聞く耳持たずと言った様子でアズレイはたんっ、と走り始めると、剣を目の前に構える。


「『空烈』」


アズレイが魔法発動のワードを唱えると、その華奢な身体が閃光のように一陣の風と共に加速する。


肉体による動作とは全く異質なそれは『風』による動作、人間が通常成せることからずれた位置にある力『魔法』的な動作である。



風という波に乗ったアズレイは流星のような早さでシュドナイと一瞬だけ交錯し、反対側の床にふわりと着地する。


シュドナイの手からは片手剣が弾き飛ばされており、所々服が裂けて浅く切れた皮膚から僅かに血が滲んでいる。


それでも、シュドナイはさほど驚くこともなく、ポケットから取り出した白い布で軽く血を拭くと、アズレイの方に向き直る。



「今の君にはほとんど魔力が残されていないのは間違いない。だが、流石はかつて『風読の巫子』の異名を持つ天才魔術師だっただけはある。少ない魔力でも、要は使い方ということか。0を1にするより1を10にする方が容易いのは、魔法の基本的なルールだ。無から風を生み出すよりも、自然に吹く風を操る方が少ない消耗で大きな効力を現す。勿論、自然をコントロールするのは高度な集中力と精神力が必要になるし、環境に左右されやすい欠点もあるがな。」


「興味無い話だ。僕は今、自分にできることをやっているだけ。」


淡々と述べるシュドナイから視線を外すことなく、無言のままアズレイは剣を正面に構える。



その頬には切り傷があり、傷口は浅く量は少ないが血が流れている。


さっき突進した時、反撃を受けていたのだ。


それでもアズレイは迷いなくシュドナイを、正確にはシュドナイの首に下がっている『記憶のラピスラズリ』を見据えている。



「だが、少々怖いもの知らずか。悪く言えば、それは無謀と言う。だからこそ、こんな風になる前に引くことを知らない。」


シュドナイが『記憶のラピスラズリ』を握り絞めながら人差し指で空中に何かを描くと、シュドナイの背後に赤い魔方陣が現れ、先ほど放った赤い光の矢が、今度は50、60本程空中に現れる。


「悪いな、いくらこれが君の記憶のカケラとは言え、街の人々の幸せには替えられん…滅せよ。」


シュドナイの手の動きに従い、光の矢はアズレイに向かって一気に掃射された。


「『地よ、降りかかる災厄から我が身を守れ。』」


詠唱しながら目の前に構えた剣を降り下ろすと、地面が盛り上がり、土の壁を形成して光の矢からアズレイを守る。


土の壁は矢の威力でぼろぼろに砕けてしまったが、アズレイに影響は無い。




「はぁ…はぁ…」


しかし、それにも関わらずアズレイの呼吸は乱れ、片膝を着いて片手で胸を押さえる。


額には変な汗が浮かび、顔色は悪く、明らかに様子がおかしい。



「館に入るまでにも『自然の力を借りれない』魔法をいくつも扱い、今も騙し騙し使っていたが、流石に限界が来たといったところだろう。」


シュドナイの言うとおり、簡単に言えばアズレイの『魔力』が底を尽きかけているのだ。


一度に扱える魔法には限界があり、それを越える数の魔法を扱えば、今のアズレイのようになる。


土台の魔力が多ければ扱える数も増えるが、それでもやはり限界はある。


じきに回復はするが、それには4時間程の時間がかかり、少し休んだからと言ってまたすぐに使えるようになる訳ではないのだ。


そもそも、アズレイは(以前はともかくとして今は)一度に使える魔法の絶対数は少ないので、なるべく消費を押さえて効率良く使っていたのだが、それでももたなかった。



弾き飛ばされていた剣を拾い上げ、シュドナイは再び剣先をアズレイの心臓に狙い付けると、また空中に赤い光の矢が形成される。


とどめのつもりだ。



「これで終わりだ。生かしておけば、君はこれを狙い続けるだろう。だから、ここで死んでもらう。」


シュドナイの操る剣の動きに従い、光の矢はアズレイの心臓めがけて吸い込まれるように射出される。


輝く光の矢は、アズレイを串刺しにするに余りある威力を持っていた。



「『閃』」





「なっ…!?」


だが、その矢尻がアズレイの胸を射抜くことはなかった。


アズレイがワードを唱えたその瞬間アズレイの身体が光り輝き、そのまま閃光の如き早さで迫り来る矢を捻るようにして回避し、シュドナイをそのまま飛び越えてしまったのだ。


明らかに『魔法』的な現象。



「ば、馬鹿な…その状態では、もう魔法は撃てないはずだ!!」


トンッ、と叩くような音がして、シュドナイの胸から血に濡れた白銀の刃が生える。



「がっ…まさか!」


背後には、手にした剣でシュドナイの胸を貫くアズレイの姿があった。


未だに呼吸は乱れ手先は震えているが、その眼は真っ直ぐにシュドナイを見据えている。


その握られた剣の刃に描かれた赤色の魔方陣が、今まさに消えた所だった。


「は、謀ったな!その刃に、魔法を刻印していたのか!!」


刻印の魔法。


やはり魔法の一つで、あらかじめ物品に魔法をかけておくことで、キーワードを唱えたり一定の条件を満たすことで、そこにかけられた魔法が自動的に発動するというものだ。


もちろん物品にかけた魔法を未発動の状態で固定化させるのは、緻密な魔力コントロールが必要になる為、どの魔術師にもできる技ではない。


そして一度かけた魔法の為、改めて魔力を消費することもない。




「答える必要はないよ。ただ、僕は自分の限界はよく知っている…自分が練れる魔力の量も。『記憶のラピスラズリ』は返してもらうよ。」


細い鎖を引きちぎり首に下がっていた『記憶のラピスラズリ』を取りながら、剣を引き抜く。


シュドナイの胸を瞬く間に赤い染みが濡らし、ぐらりと倒れ膝をついた。



「わ、私はまだ死ぬわけには…街を幸せに、しなければならない…あのお方が、その宝石があれば、可能だと…!!」


「これは僕の記憶のカケラで、本来存在しないはずの幻の物体。偽りの幸せは、必ず崩壊する。あのお方が誰か知らないけど、貴方はそんな虚言に惑わされた哀れな人間だ。」


乱れた呼吸を無理矢理整え、血を振るい落とした剣を鞘に納めながら、アズレイは倒れそうなシュドナイを冷ややかに見る。


自分の記憶を弄んだ張本人、慈悲も同情も無い。



シュドナイはゆっくりとうつ伏せに倒れこみ、呼吸を浅く繰り返す。


肋骨を押し退け肺を貫き心臓を傷付けた一撃、致命傷に間違いない。



「わ、私は…それでも街を…」


最期にそんな言葉を残して、動かなくなる。


どうやら、事切れたようだ。



その場には、取り戻した『記憶のラピスラズリ』を手にしたアズレイだけが残される。



「終わった…これで5つ目。」


目を閉じ、呟きながら『記憶のラピスラズリ』を胸に当てると、川辺でやった時と同じように『記憶のラピスラズリ』は光り輝き、アズレイの胸に吸い込まれて消える。


その瞬間、身体を駆け巡る記憶の断片、過去のヴィジョン。



「僕の生まれた国は、あの滅びた国『トーラ王国』で、トーラは魔法の力によって滅びた、か。」


それが今回戻った記憶だった。


アズレイは目覚めた時に近くにあった廃棄の国『トーラ王国』の出身で、トーラ王国は魔法によって、それも悪しき魔術師によって滅びたのだと。


誰かは姿に靄がかかって判然としなかったが、紫色の閃光が国を覆い尽くした次の瞬間には、人々は息絶えていたヴィジョンが身体の中を流れていったのだ。



トーラ王国は少なくとも(ボロミアとはまた違った形だが)平和で国民は幸せそうだった。


それが何故、突然滅びなければならなかったのかは、今回の『記憶のラピスラズリ』では見せてくれなかった。





そこまで考えた所で、アズレイは思考を中断する。


人の話す声が聞こえたからだ。


おそらく物音に気付いて不審に思った館の人が、こちらに向かっているのだろう。


アズレイは杖を取り出し、そこに宿る力を発動しながら月も雲に隠れてしまった闇夜の中に消えた。





***********




早朝、モズの街は悲しみの中にあった。


優秀で生真面目で優しく、皆に愛されていた領主シュドナイが、何者かに殺されているのが昨日の深夜に発見されたのだ。


鋭利な刃物で胸を貫かれており、傍らには剣が転がっていた所から、おそらく領主は勇敢に戦い死んだのだと、推測されている。



勿論、街の人々は犯人を捕まえ極刑を与えることを望んでおり、街の兵士団は犯人を血眼になって探しているが、驚く程に証拠や痕跡は何一つとして見つからなかった。


唯一、シュドナイの遺体から宝石が無くなっており、犯人はこれを目当てにシュドナイを襲ったのだろうと推測されている。


それを聞かされた街の人々の怒りは、頂点に達している。



「まさか…!?」


行商団の一人からそれを聞かされたニーシャは、シュドナイの宝石に興味を持っていた人物に、心当たりがあった。


自分に宝石の所在を尋ね、それについて領主シュドナイに話があると言っていた、魔術師が。



件の魔術師アズレイは街に到着するなりニーシャたちと別れて、夜中になれば宿場に来るのかと思いきや、それ以来忽然と姿を消している。


ニーシャは夜中に探してみたが、別の宿屋に居る様子も無く足跡はついに掴めなかった。




そこで、否定できない疑惑が浮上する。


アズレイがシュドナイを殺害したという予想であり、否定する為の証拠が無いどころか、逆に街に到着した時の態度や夜中に宿屋に居なかったということから、むしろ犯人の有力候補と言えるだろう。



人混みをかき分けシュドナイの悲報を告げられ悲しみに沈んだ集会所を抜けると、ごく自然にニーシャの足は街の外れへと、つまり街道への入り口に向いた。


目的は勿論『あの魔術師』に会うためだ。





「あ、アズレイ様っ!?」


案の定、次の街へと行くためにか旅装のアズレイが今まさに、街を出ようとしている所だった。


茶色のマントで見えづらいが服に汚れが少しついており、昨日は無かったはずの頬の切り傷がある。



「…ニーシャ、これが『アズレイ』という魔術師だ。自分の目的の為なら、どんなことでもする。」


声をかけられ振り向いたアズレイの瞳は最初に会った時よりなお厳しく、まるで何かを覚悟しているような眼差しだった。


「いいかい、君は早く僕の存在なんて忘れて、元の生活に戻るんだ。僕の進む道に光は無い、これからも僕は命を踏み台にして望みを追い続ける。君は『こちら側』に来るべきでもないし、知るべきでもない。」



アズレイはそれだけを告げると、もうニーシャを見ることなく街道へと歩いて行ってしまった。




その後には、ただ呆然と立ち尽くすニーシャだけが残された。

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