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Shortstory

腐れ縁と糸きりばさみ

作者: 百円

「なあ、ななー。ボタン縫い出来んのんじゃけど。せんせーが出来るまで帰らさんってゆうの。なな、手伝って」


 そう言って、七生ななおは布とボタンをあたしに押し付けてきた。頬を赤く染めて、目も少し潤んでいた。その表情はひどく情けなくて、そんなんだからみんなにからかわれるんだよ、と心の中で思っていた。


「そんなの自分でしなよ。ボタンぐらい自分で付けれなきゃだめだと思う」

「はは、そーよなあ」


 七生は頭を掻いて困った顔で笑った。開けっ放しの窓から生ぬるい風が吹き込んできて、七生の髪の毛をふわふわと撫でていく。黄色い光が差し込んでいて、七生の真っ黒い髪の毛も何処か茶色がかって見える。

 あたしはその日ちょうど日直で、教室に残って日誌を書いていた。本当は七生と同じように家庭科の裁縫の授業で居残りだった子たちも何人か居たけど、みんなとっくに出来てしまったのか、教室にはいつの間にかあたしと七生しか居なかった。

 七生はあたしが小学二年生のときからの腐れ縁。七生は、あたしの家の近所に引っ越してきた転校生で、前に暮らしていたところの方言が残っていた。泣き虫で全然男らしくなかった。そのせいか、いつもクラスの男子達にいじめられていた。それを庇っていたのがあたし。あたしの名前は七瀬で名前が似ていることと、いつもあたしが七生を庇っていたことで、よく黒板に相合傘を描かれては、あたしも一緒にからかわれた。あたしは、ずっと、それが嫌で嫌でたまらなかった。

 だから、七生が話しかけてきたとき二人きりで良かった、と思った。男子が残っていたら、また、黒板のど真ん中に相合傘を描かれるところだったから。


「でもな、出来んの。これで最後にするけえ、手伝ってや」

「信用できない」

「じゃあ、飴あげるけん」


 そう言ってずっと握り締めた手のひらをゆっくり開いた。そこにはあたしの好きな梅味の飴が二個。


「ずるい」


 あたしがむっとしながら彼の手から飴を一個奪い取ると袋を破って口の中にほおりこんだ。すると、口いっぱいに甘酸っぱい味が広がる。あたしの大好物。こんなだから、腐れ縁って嫌だ。


「貸して」


 七生は口の端を引いて笑顔になり、布とボタンを手渡す。

 あたしは机の横にかけていた裁縫道具を取り出した。ボタン付けは日誌を書く時間の十分の一ぐらいの時間で終わった。白い糸を裁つための糸きりばさみは、しゃきん、と軽やかな音を立てた。


「はい、出来た」


 何でこんなことも出来ないの、なんて言おうと顔を上げると、七生の目は水分をいっぱいに含んで、あたしが瞬きをしたのと同時に、雫が頬を伝っていった。


「どしたの?」

「ありがとな、なな。無理してくれとったんよなあ?」


 ぽろぽろと涙を零す七生は、馬鹿みたいに情けなくて。


「聞いてしもうたんよ。ななが、友達と話してんの。オレがななにまとわりついてくるの、迷惑じゃって」


 嗚咽を漏らしながら、涙声で告げる。


「ごめん、ごめんな。オレ、そんなん、全然、分からんくて」


 私は何も言えなかった。否定も出来なかったし、肯定も出来なかった。七生がまとわりつくのは確かに鬱陶しいと思っていたし、それに気づかない鈍感な七生に苛々していた。でも、それに気づいて傷つく七生を見たかったわけじゃなかった。

 それからというもの、七生はあたしに話しかけに来なくなった。「これで最後にするけえ」。七生の言葉は山びこみたいに私の頭の中で何度も響いた。どうせ、また涙目の情けない顔で私に話しかけてくるだろう。最初は、そう構えていたけれど、七生の決意は固かったらしい。最後にする、という言葉通り、あたしに頼みごとはしなくなった。それはそれで有難かったんだけれど、次第にさびしくなってきて。さびしいと思い始めれば、自然と視線は七生の方に引き付けられていった。でも、そんなあたしの気持ちとは裏腹に、中学生になるとクラスも離れて殆ど話さなくなった。高校生になったらお互いの進路も違って、会う機会さえ無くなった。


***


「七生?」


 だから、彼の名前を呼ぶのもひどく久しぶりで。ざあざあと煩い雨の音にかき消されてしまうかと思ったら、七生はきちんと私の声を聞き取って振り返った。コンビニで雨宿りしていた七生は雨に打たれてびしょ濡れだった。七生の通っている制服のブレザーは、雨水を吸い込んで、ずっしりと重みを持っているのが傍から見ても分かる。長くなった黒い髪が頬にへばり付き、七生の顔を半分隠していた。七生は私を見て、無表情のまま何度か瞬きをした後、「なな?」と聞き返してきた。私が頷くと、口の端を引いて、に、と笑った。


「久しぶり」


 声も髪型も変わってしまったけど、笑い方だけは変わってなくて、七生だ、と心の中で呟いた。


「傘は?」

「学校の傘置きに置いてたら盗られた」

「はぁ? ばっかじゃないの」


 あたしは傘立てに置いていた自分の傘を取り出して、開いた。すると、乾ききっていない傘についた雫が飛び散り、土砂降りの雨と一緒に消えた。


「ねえ、入れて欲しいな」

「当たり前でしょ」

「ななは優しいなあ、変わってない」


 小学生のときとは違う、低くて落ち着いた声だった。方言もすっかり消えて、クラスの男子と同じ喋り方になっていた。その変わりようが何だか物悲しい。七生はずいぶん変わったね、と言おうとしたけれど、この気持ちがより鮮明になってしまうような気がして、中途半端に開いた口をゆっくり閉じた。


「……んじゃあ、俺んちまで、入れてって」


 私は、ん、と言って、そのまま歩き出そうとしたら、傘を持っているほうの手に七生の手が触れる。ひんやりとして冷たくて、濡れていた。


「俺が持つよ」

「……ありがと」


 私がそっと手を退けると、七生の手が小さな持ち手を握った。私の手に丁度良い持ち手は、七生の手には収まりきらなくて、親指と人差し指は鉄の部分にはみ出ていた。その指の太さも、浮き出ていた血管も、何だか七生じゃないような気がして、胸がもやもやして、そっと視線を外した。


「相合傘だ。懐かしいなあ」


 七生はくすくすと笑いながら目を細める。


「コンビニで何買ったの?」

「飴。急に食べたくなって」

「へえ、ちょーだい」


 私はビニール袋の中から飴がたくさん入った袋を取り出し、その中の一つを七生にあげた。昔からよく食べていた、梅味の飴玉。


「あ、まだ好きなんだ。これ」


 七生の目が懐かしむように細められた。その後、飴玉を口に放り込むのを見て、何だか私も食べたくなって、また、その中の一つの飴玉を取り出し、口に含んだ。


「雨に打たれながら舐める飴は最高だね」

「洒落のつもり?」

「なってないかな」

「なってないよ」


 二人で飴玉を舐めながらお互いに近況報告をした。家が近所なのに、お互いに近況報告しなければならないほど話していなかったのだ。七生の通う高校は無駄に学年集会が多いこと、怖い先輩が校門の前でタバコを吸ってること、でもかわいい女の子はたくさん居ること、そして、七生には彼女が居ることを教えてくれた。


「いいの? 彼女がいるのにあたしと相合傘なんて」

「いいの。彼女さんは優しいからさ。それに、ななとはただの幼馴染じゃん?」


 ただの幼馴染。その言葉が引っかかったけれど、何も言えずに俯いた。その時、七生の制服の袖の裾についたボタンが一個外れているのに気づいた。


「そこのボタン、付けてないの?」

「んー、彼女さんに付けてもらう」

「あぁ、そうですか」


 何だかそれ以上の言葉が出てこなくて、少しだけ沈黙になった。七生は、あの時のことを覚えているのかな。聞こうとしたけれど、この沈黙が更に気まずくなってしまう気がして出来なかった。


「なあ、なな」

「ん?」

「呼んだだけ。なーななって言ったら、“な”がいっぱいだなって思って」

「くだんない」


 思わず私が吹き出したら、七生も目を細めて楽しそうに笑った。気づいたら、七生の家に着いていた。


「じゃーな、なな。入れてくれてありがと」

「ばいばい、七生」

「ん、またね」


 そう言って、七生は私から目を逸らし、走って家に入って行った。「またね」って、きっとその「またね」は当分来ないだろう。口の中に残った甘酸っぱさを感じながら、もしかしたら、これで最後なのかもしれない、と思った。しゃきん。ざあざあと鳴る雨の音に紛れて、いつの日かの糸切りばさみの音が頭の中で聞こえた。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。良かったら感想や評価を残してくださると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 思春期のなにげない日常を切り取っていて、甘酸っぱかったです。放課後の教室の情景がセピアがかって浮かび、ふわっとした中にちくりと小骨が混じっているような感覚を味わえました。これで良かったのか…
[一言]  胸がきゅーんってなりました。甘酸っぱい。実に甘酸っぱい。いつか結婚して子供連れてお盆に帰ってきたら、彼がいて彼の子供もいて同じような気持ちになるんですかね。
[良い点] 情景がパッと頭に浮かぶ、技術力を感じる文章だと思いました。細かなアイテムの使い方も非常に上手いと思います。 [一言] 「縁を切る」という言葉の感触を、上手く表現できていると思います。
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