【ギリシャ物語】虚像。
【ギリシャ物語】の他の話とは繋がりがありません。
どうぞ、切り離してお読み下さい。
ギリシャ神話から人物をひっぱって来ていますが、
全くの別物と割り切ってお読みくださいませ。
オリンポスの神々が集まった酒宴の終盤。
女神達の多くは帰ってしまい、残されたのは飲み潰れた男神ばかり。
雑魚寝する男たちに混じって、ディオニュソスとアポロンは熱い接吻を交わしていた。
「ん…ふ、んん……」
「ふぁ…んっ……ねぇ、アポロン、今夜は俺としない?」
銀糸を引いて唇を離すと、ディオニュソスはとろんとした紫の瞳で誘いを掛ける。
「……悪いが、今はお前を抱く気分じゃなくてな」
「…ふーん、アポロンの意地悪。いいよ、アリアドネに慰めて貰うから」
ぷぅっと頬を膨らませた少年は、次の瞬間は満面の笑顔になって「また今度ねー!」と手を振って去っていった。
「……今日は、超美少年のディオじゃ厭なんだ?」
隣の寝椅子にごろりと転がったヘルメスが、うつ伏せのまま頬杖を付いてアポロンを見上げる。
「起きてたのか」
「…じゃあさ、誰がいいわけ?選り取りみどりだけど」
ヘルメスは、酔っ払いに溢れた宴会場を見回して悪戯っぽく囁く。
「ほら、あそこにアレスがいるよ。彼なんかは?」
「……そうだな。あれは少年とは言えないが、引き締まった体つきや、整った顔立ちは悪くない。どんな喘ぎを聞かせてくれるか興味はあるな」
「でしょ?」
二人の会話に、アレスが見る見るうちに真っ青になる。
「て、てめーら何言ってやがるんだ! 俺は男に抱かれるなんて真っ平ごめんだぜ!!」
足早に遠ざかる背中に「振られてしまったな」とアポロンが平常な声で呟いた。
「ふふふ、自分で追い払ったくせに……んっ」
ヘルメスはいきなり自分の唇をアポロンに塞がれて、瞳を瞬いた。
丹念に舌を絡められ、吸い付かれ、息まで飲み込まれるような口付けに、肩を震わせる。
「…も、ちょっと苦しいから…」
散々貪られてから、アポロンの胸を押すと、サファイアの煌きがヘルメスを覗き込む。
「……お前が慰めてはくれないか?」
耳を擽る囁きに、何回か息を吐いてから、ヘルメスはふっと視線を反らす。
「悪い冗談だね。僕も男に抱かれる趣味はないし」
殊更眠たげに目を閉じると、仰向けに寝返りを打った。
以前、宴会のお酌を勤める少年、ガニュメデスに聞かれたことがある。
「ヘルメス様は、アポロン様が怖くないんですか…?」
「…へ?」
正直驚いて、首を傾げてしまう。
「確かにアポロンは気位が高いし、レト様やアルテミスに何かあると激怒するし、疫病の神でもあるから人間にはちょっと怖いかもしれないけど…基本的にいい奴だよ?」
「あ、いえ…そうではなくて」
ガニュメデスは少し頬を赤くする。
「ヘルメス様は、アポロン様の親友でいらっしゃいますよね?」
「うん」
「アポロン様は…その、少年も愛される方ですよね?」
「うん」
「…傍にいて、身の危険を感じたことは…?」
あー、そっちかー、とヘルメスは苦笑した。
「なに、ガニュメデスはアポロンが怖いの?」
「いえ…僕はゼウス様のものですから…。でも、あの方に本気で口説かれたら、首を横に振る自信がない、という意味では怖いですね」
「ははは。僕もガニュメデスみたいな美少年だったら、警戒したかもしれないけど」
僕は彼の好みじゃないから大丈夫だよ、とヘルメスは笑う。
「大体、アポロンに本気で口説かれたことなんて一度もないし」
自分達が交わすのは、こんな冗談ばかりだ。
うとうとと、眠りに引き込まれながら、ヘルメスは思う。
これが変わることのない、自分の位置なのだと。
「あれっ、今日もアポロン来てないの?」
伝令の仕事を終えて、宴会場にやってきたヘルメスは、ディオニュソスとアレスの間に座りながら、思わず声を上げた。
「最近あいつ付き合い悪いよなー。さては新しい女か?」
アレスが手酌で葡萄酒を飲み干す。
「アポロンってば、彼のガラティアに夢中なんだよー」
ディオニュソスがくすくす笑う。
「ガラティア…って、ピグマリオンがアフロディーテをモデルにして彫った彫像? 彼女が人間にしてあげたやつ」
ヘルメスは、酌に来たガニュメディスから杯を受け取り、口を付ける。
「そ、そ。アポロンの理想像を彫ったんだって~」
「生身の女の方がぜってーいいのに」
アフロディーテの愛人であるアレスがそう言うと、君はその理想像が彼女だからだよ、とヘルメスが茶々を入れる。
「まぁ、アポロンだと、アフロディーテより、アルテミスがモデルになりそうだけどねぇ」
「……でも、女性じゃないらしいよ?」
「…げ、彫像な上に男かよ…」
怖気を震うアレスを横目に、ヘルメスは視線を巡らせた。
アポロンの理想の少年……ヒュアキントスを始めとして、ありとあらゆる美少年を恋人にしてきたアポロンに、そんなものがあったのかと。
「ふーん。なんか、ちょっと興味が沸いたな」
ヘルメスは、唇の端を釣り上げた。
早々に宴から引き上げたヘルメスは、アポロンの神殿に忍び込んでいた。
人気がないのを十分に確認してから、寝室の窓から侵入する。勝手知ったる親友の部屋、そのくらいはお手の物だ。
寝台の横に、白い布が被せられたものを見つけ、これかと思う。ほぼ等身大に作ったらしく、天辺はヘルメスの身長より、やや高い。
音を立てないようにそっと布を落として、ヘルメスは思わず息を呑んだ。
それはとても美しく。
清らかで。
官能的な少年の裸体だった。
伏せ目がちの瞳、長い睫毛は瞳に影を落とし、僅かに開いた唇には淡い微笑を浮かべ。
長い髪はほっそりした首に纏い付き、肩まで垂らして、やや身を乗り出しているせいで、頬に微妙な陰影を付ける。
すらりと伸びた肢体、軽く伸ばした優美な腕、柔らかな丸みを帯びた腰の双丘。何も隠す意志のない無防備な秘所まで繊細に彫り込まれて、猥褻な印象を与えぬまま色香を醸し出している。
確かに、自分の異母兄には飛び抜けた芸術の才がある。そんなことを再認識しながら、ヘルメスは頭の隅が疼くのを感じた。
このヒュアキントスにもディオニュソスにも、勿論ガニュメデスにも似ていない…麗しき少年を、どこかで見たことがある、と。
「……母上?いや、まさか…」
小さく呟いた時、耳がこちらに近づいてくる微かな足音を捉えた。慌てて、ヘルメスは窓から外に飛び出す。
「……」
扉を開いたアポロンは、彫像に掛けておいた筈の布が落ちていることに、小さく眉を寄せた。
「ヘルメス、お願いがあるの」
光明神の片割れ、黄金のアルテミスにそう言われて、断れる神などそう居はしない。
「…なんなりと、アルテミス」
だから、ヘルメスもにっこり笑顔を浮かべてそう応えた。
「…よっと」
再度の侵入は、月明かり眩しい満月の晩。今回は忍ぶ必要も何もなかった。
『アポロンが作った像をなんとかして。役目以外はずっと部屋に閉じこもって…あんなのおかしいわ』
アポロンが人前に殆ど姿を見せなくなって久しい。ヘルメス自身、もう随分会っていなかった。
寝室に入ると、彫像は以前とまったく同じ位置に佇んでいた。儚くも、魔性を秘めたその姿。
「こんなもの作るなって…」
はぁ、とヘルメスは溜息を吐く。アポロンの最愛の姉からの頼みとはいえ、怨まれるのは自分だと思うと、いささか気が重い。
「……ヘルメス。やはりお前だったか」
薄く開いていた扉が音もなく動く。そこに金髪の美しい光明神の姿を見出して、ヘルメスは苦笑いを浮かべた。
「ご無沙汰だね、アポロン。親友の君が居ないことがさすがに寂しくなってきたよ」
「……見え透いた嘘だな」
アポロンが歩み寄ってくる。
「随分とこの彫像に入れ込んでいるみたいだけど、そろそろ復帰してくれないと皆が心配するよ」
誰とは言わないけど、君のお姉さんとかね、と呟くと、アポロンがくっくっと忍び笑いを漏らす。
「なぜ私が宴に出ないか知っているか?」
「…さぁ?」
「お前がいるからだ」
はっ、としてヘルメスの表情から笑顔が消える。
「ここにいれば、彼と二人の時間を楽しめるのに。お前の存在が邪魔をする…」
ヘルメスは一度口を開きかけ、そのまま黙り込む。この間忍び込んだことを暗喩しているのか、それとも…。
急に部屋が明るくなった。月がちょうど窓から指し込み、彫像に光を当てる。
その瞬間、ヘルメスは目を見開いた。
太陽の下で見れば、とっくに気付いていたであろう小さな事実。
台座に乗った少年が、片足だけサンダルを履いていて、それを脱ごうと前かがみになっていたこと。
そして…そのサンダルが自分のものであることを。
「………。君は一体、どういう目で僕を見ているわけ…?」
頬が熱い。今更気付いたという事実もさることながら、その彫像の視線、物腰、全てから…製作者の意図が汲み取れてしまう。
「判るだろう?私はそれほど下手ではないつもりだからな」
アポロンが自嘲と共に囁く。
「これは、私の理想を描いた彫像だ」
「……そうだね、これは君の理想の少年で、どこにも居やしない」
腰から抜いたアダマスの鎌を一振り。ヘルメスの狙いは誤らず、一撃で彫像は粉々に砕け散った。
「どこにも居ないんだよ、アポロン」
ヘルメスはにっこりと笑ってみせる。それは彫像の少年が浮かべていた淡い笑みとは違って、しかし、とても美しい笑顔だった。
「口説くんだったら、僕にしておいて貰えないかな?」
アポロンの動きが一瞬止まる。
やがて、ヘルメスの腕は強く引き寄せられた。
●あとがき
実験。秘め事。嫉妬。に続いて久々の息抜き小ネタ話でございます。
裏にある『結実。』があまりに難産だったため、ふと浮かんだお話。
…アポロン様が少々変態ちっくで申し訳ございません…(土下座)
ヘルメスは色々するけど、一定範囲で。アポロン様は揺れ幅が少ないのに、時々メーターを振り切ってしまうイメージです。
出だしはちょっとアポ×ディオっぽい…。苦手な方はすみません。
アポ×ディオも嫌いではないんですが、作者がアリアドネ好きなため、カップルにはなりにくい二人です。
お互い、体の関係があってもなくても距離が変わらない感じ。
ガニュメデスの台詞は、日頃からの作者の疑問そのままです。
本当に、身の危険は感じなかったんでしょうか、ヘルメス…。