平井課長の一日(2012文字小説)
日下部良介先生発案の2012文字小説です。
いつものメンバーが出て来ます。
私は平井卓三。ある大手企業の営業課の課長だ。
同期の梶部より早く課長になれた。
奴はまだ係長。どうだ、この実力の差!
だが、知っている人は知っている。
私の妻の蘭子は実は専務の愛娘。
だから私は梶部より早く課長になれた。
最初はそれを喜んだのだが、やがてそれがプレッシャーとなって私に圧し掛かって来るようになった。
「貴方、次は次長よ」
事ある毎に蘭子はそう嫌味を言う。
「父の力で伸し上がるのは簡単でしょうけど、男だったらここからは自力で這い上がりなさいな」
「はい」
婿養子同然の身分の私は妻に全く頭が上がらない。
この関係は、どれ程年月が経とうとも変わらないだろう。
娘のめぐみは高校三年で、受験生。
蘭子はめぐみをすっかり手懐けてしまい、私は家では孤立状態だ。
「パパ、私より先にお風呂に入らないでよね。ばっちいから」
一家の主が娘より先に風呂にも入れない。
何と嘆かわしい事か。悲し過ぎて、涙も出ない。
「そうか」
悔しさを隠し、作り笑顔でめぐみに応じる。
めぐみは妻に似て美人だが、性格まで似てしまい、とてもきつい。
今思えば、三年不倫関係だった真弓は本当にいい子だった。
今は実家の宇治市で機織をしているらしいが。
真弓に会いたい。
急にそんな感情が湧き上がって来た。
しかし、連絡先を知らない。
会社の誰かが知っているかも知れないと思い、訊いてみる事にした。
課のフロアに行くと、スチャラカ社員の律子君と優良社員の香君がいた。
二人は真弓と仲が良かったから、もしかすると連絡先を知っているかも知れない。
いや、待て。
香君はともかく、律子君が関わるとまずいのではないか?
何しろ、人間拡声器の異名をとる律子君の事だ。
真弓の連絡先を訊いた途端、この課だけではなく、社内全体にその話が広まってしまうだろう。
律子君がいないところで、香君に訊く事にしよう。
私は二人にごく自然に挨拶をし、課長室に入った。
しばらく時間が経ったが、香君と律子君は常に行動を共にしており、なかなか香君に話を訊けない。
考えあぐねた私は、ある事を思い出した。
確か、律子君は藤崎と付き合っているはずだ。
藤崎をうまく動かして、香君から律子君を遠ざけよう。
早速、内線で藤崎を呼び出す。
「何でしょうか?」
藤崎は午後から外回りの予定なのは把握している。それを利用しようと思った。
「どうだね、律子君とは順調かね?」
私は如何にも二人を気遣う良き上司として尋ねた。
「はい、お陰様で順調です」
藤崎は照れ笑いをして言った。
この男、課内だけでなく、全社でもモテていたのだが、何故か律子君と付き合っているのだ。
理解に苦しむ。
スタイルは幼児体型、顔はお世辞にも美人ではない。
その上ガサツで仕事もできない。
何が良くて彼女と付き合っているのだろう?
私が藤崎なら、間違いなく香君と付き合うのだが。
「あの、課長?」
妄想に耽っていたら、藤崎が声をかけて来た。
「ああ、すまんな。たまには律子君と美味しいものでも食べなさい」
小遣い制の私は、身を切る思いで藤崎に一万円札を渡した。
「え、どういう事ですか、課長?」
藤崎は目を見開いて私と札を見比べている。
課内で、私はケチで通っているのは知っている。
一度も奢った事がないから、基本的に飲み会には誘われないのもわかっている。
しかし、それもこれも妻の締め付けがきついからなのだ。
「いいからいいから。受け取りなさい。律子君には内緒だよ」
「はあ……」
藤崎は得心がいかないという顔をしている。
「さあ、早くしないと、どこも混雑するぞ」
「はあ、ありがとうございます」
藤崎は納得しない顔のまま、課長室を出た。
よし、これで香君はお昼休みは一人になる。
思わずニヤリとしてしまった。
そして、お昼休み。
思惑通り、藤崎と律子君は連れ立って食事に行き、香君が残った。
私は素早く香君に近づいた。
「香君、たまには一緒にどうかね?」
私は会心の笑みで誘ってみた。
「はい、ありがとうございます」
素直な香君は素直に返事をしてくれた。
財布の中を確認すると、一葉さんが一人。
あまり高いところには行けない。
仕方なく、近くの蕎麦屋に向かった。
「課長のお誘いを受けるなんて、久しぶりですね」
香君はニコニコして言ってくれた。
「私より、蘭子ちゃんを誘いたかったのではないですか?」
ギクッとした。そうだ。同じ課に配属された新人社員の蘭子君。
律子君より優秀な社員だが、彼女が呼ばれるたびにビクッとしてしまうのが難点だ。
どうして妻と同じ名前なんだ……。
「そんな事はないよ」
私は苦笑いした。香君は私の財布の事情を知っているのか、かけ蕎麦を注文した。
何ていい子なんだ。涙が出そうだ。
「そう言えば」
香君が言った。
「課長は真弓の連絡先知りませんか?」
「へ?」
私は間の抜けた顔で聞き返した。えええ!?
知らないのか、真弓の連絡先を?
「残念ながら、知らないんだ」
私は顔を引きつらせて答えた。
とんだ散財だった……。
お粗末さまでした。
すみません、謝り忘れていました。
ごめんなさい、つるめぐみ先生<(_ _)>