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悪役令嬢は神々の庭で運命を書き換える──八度目の断罪でわたくしは目を覚ました──  作者: Futahiro Tada


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再生の庭

四 再生の庭


 ――あの日、風が消えた。

 村の上空を吹き抜けていた柔らかな風が、突如として止んだ。

 木々は息を潜め、鳥は巣の中で羽を震わせた。

 世界の輪郭から“流れ”が失われたようだった。

 それが、アイリアの死を知らせる合図だった。

 けれど、風が止まっても、人々は歩き続けた。

 神が死んでも、世界は止まらない。

 ――それが、人間という存在の強さでもあり、残酷さでもあった。

 リーヴァは丘の上にいた。

 薔薇の墓標の前で、散った花弁を手のひらに集めている。

 赤い花弁が血のように光を反射していた。

「あなたの風は、どこへ行ったの……?」

 問いに答える声はなかった。

 けれど、遠くの空で、微かに草が揺れた気がした。

 まるでアイリアの魂が、世界のどこかを撫でているかのように。

 その日から、リーヴァのもとに奇妙な訪問者が現れ始めた。

 彼らは皆、かつて“神に癒された”者たち。

 村で病を治してもらった者、嵐の夜に救われた者、

 そして――夢の中で神々の声を聞いたという者。

 彼らの瞳には、どこか同じ光が宿っていた。

 祈りではなく、“芽吹き”の光。

「先生、見てください。手のひらに花が……!」

 少女が差し出した小さな掌に、確かに花が咲いていた。

 それは薔薇に似ていたが、花弁の色は透明だった。

 風に揺れるたび、光を吸い込み、波のように揺らめく。

「……これは、どこで?」

「朝起きたら、咲いてたんです。

 母さんは“神さまが帰ってきた”って言ってました。」

 リーヴァは黙って花を見つめた。

 美しい。けれど――危うい。

 その花の根は、少女の肌の下にまで伸びている。

 まるで血管と融合しているようだった。

「その花、誰かに見せてはなりません。」

「え?」

「――それは祝福ではなく、呼び声です。」

 少女の顔が曇った。

 リーヴァは穏やかに微笑みながらも、内心では凍えるような寒気を感じていた。

 神々が人間となり、その命を終えたとき、

 その欠片が“別の形”で世界に残る――

 それが、今まさに芽吹き始めているのだ。

 アイリアの死から七日目。

 村の各地で“再生の兆候”が見え始めた。

 夜になると、地面の下から小さな光が溢れ出す。

 人々はそれを“奇跡の種”と呼び、祈りを捧げた。

 だが、リーヴァだけはその輝きの中に“歪み”を見ていた。

 それはあまりに完璧すぎる光。

 生命の鼓動ではなく、作られたリズム。

 それは――“人間が神を模倣して生む命”の前触れだった。


 ◆


 ある夜、フェルスがリーヴァの部屋を訪れた。

 彼の顔には、珍しく焦りの色があった。

「リーヴァ、見たか?」

「ええ。あの“再生の花”。」

「もう村の南まで広がっている。

 畑の麦は光り、川の水が逆流している。

 これは自然の再生ではない。

 お前が書いた“神々の記録”が、世界を上書きしている。」

 リーヴァは静かに息を吸った。

「……私が原因、というのね。」

「お前の書いた言葉が“命”として芽吹いているんだ。

 それは祝福ではなく、再現だ。」

 フェルスの声は低く震えていた。

「神々の死が、世界に“余白”を生んだ。

 その余白を埋めようと、世界が自ら命を複製し始めている。

 それを導いたのは――お前の筆だ。」

 リーヴァの手が震えた。

 机の上の原稿を見下ろす。

 そこには、数日前に書いた一文が残っていた。

 > 「死んだ神々の息吹は、

 > 再び人の血潮に宿る。」

「……まさか、この一行で。」

「お前は“書く”ことで世界を変える。

 それは、神の創造に等しい。」

 リーヴァは机を握りしめ、かすかに嗤った。

「ならば私は、神々を殺してまた創る、愚かな人間ね。」

「愚かではない。

 ただ、選ばれた――“創造の罪”を背負う者として。」

 その言葉に、リーヴァは目を閉じた。

 思考の奥で、アイリアの声が聞こえた気がした。

 ――生きることは、流れ続けること。

 ――けれど、流れすぎれば、形を失うの。

 リーヴァは筆を取り、紙の上に静かに書いた。

 > 「神々の庭に芽吹いた命は、

 > 人の祈りではなく、沈黙から生まれた。」

 その瞬間、机の上の紙が淡く光を放った。

 フェルスが息を呑む。

 窓の外――夜空の下で、村全体が動き始めた。

 地面が鼓動し、光の筋が草原を走る。

 人々の夢の中で、花が咲く。

 そして、それらの花が“人の形”を取り始めた。

 リーヴァは立ち上がった。

 恐怖でも驚愕でもない。

 それは、生の再演の瞬間だった。

 「フェルス……彼らが、“再び生まれようとしている”わ。」

 フェルスは首を振った。

 「いや、これは生ではない。模倣だ。

 神々の意志ではなく、世界が自己修復のために造っている。

 つまり――“無意識の創造”だ。」

 リーヴァは空を見上げた。

 光の中から、ゆっくりと人影が降りてくる。

 その顔は――かつての神々のものだった。

 レオル、リサンドル、オルド……

 彼らが再び現れた。だが、どこかが違う。

 瞳に理性の光はなく、言葉を発しない。

 その姿は、命の器に過ぎなかった。

「……魂が、ない。」

 フェルスが呟いた。

「世界が“姿”だけを再生させたんだ。

 魂は、もうどこにもいない。」

 リーヴァは震える声で言った。

「これは……“再生”じゃない。

 “亡霊の複製”よ。」

 彼女は筆を握り、震える手で紙に新たな文字を書き始めた。

 > 「形あるものは、再び散れ。

 > 記憶は根に還り、息は空へ戻れ。」

 筆先が光る。

 外の光景がひとつ、またひとつと崩れ始めた。

 再生された神々の姿が、花弁のように溶けていく。

 それは悲しみの光景ではなかった。

 むしろ、静かな祈りのようだった。

 フェルスが小さく囁いた。

「お前は“再生”ではなく、“浄化”を選んだのだな。」

 リーヴァは頷いた。

「命は、繰り返すためにあるのではない。

 一度の痛み、一度の微笑み――

 それだけで、世界は十分に美しい。」

 風が戻った。

 アイリアの声が、微かに響く。

 ――ありがとう、リーヴァ。

 ――これで、ようやく流れが戻った。

 リーヴァは空に向かって目を閉じた。

 風が頬を撫で、薔薇の花弁が舞い上がる。

 丘の上の墓標が静かに光り、花が再び咲いた。

 それは今度こそ、本物の生命だった。

 誰の祈りでもない。

 誰の意志でもない。

 ただ、世界が“もう一度呼吸した”瞬間だった。


 ◆


 翌朝。

 リーヴァは再び筆を取った。

 机の上の紙に、ひとつの言葉を書きつける。

 > 「再生とは、死を受け入れる勇気のこと。」

 フェルスが窓辺に立ち、柔らかく笑った。

「お前の物語は、もう神々のものではない。

 これは、“人間の聖書”になる。」

 リーヴァは微笑み、ゆっくりと頷いた。

「いいえ。

 これは祈りでも経典でもない。

 ――ただの、生の記録です。」

 風が部屋に入り込み、ページをめくった。

 薔薇の香りが漂う。

 遠くで子どもたちの笑い声が聞こえる。

 世界は、また新しい朝を迎えていた。

 神々がいないのに、花は咲き、人は笑い、風が流れる。

 それだけで――十分だった。

 リーヴァは筆を置き、静かに呟いた。

 「再生とは、絶望の中でそれでも光を選ぶこと。」

 空の端で、ひとひらの花弁が舞う。

 それが、神々の残した最後の息吹であることを、

 彼女だけが知っていた。

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