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悪役令嬢は神々の庭で運命を書き換える──八度目の断罪でわたくしは目を覚ました──  作者: Futahiro Tada


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夢の神殿

三 夢の神殿


 ――音が、遠い。

 どこかで誰かが呼んでいるような声がする。

 けれど、その声が「自分の名」を呼んでいるのかどうか、リヴィアにはわからなかった。

 なぜなら、彼女は今、自分という存在をうまく思い出せなかったのだ。

 目を開けると、そこは白い廊下だった。

 白、と言っても絵の具の白ではない。

 夢の中でしか見られない、光と霧の混じった“記憶の白”だ。

 床は鏡のように透き通り、空を歩いているような錯覚を覚える。

 ――ここはどこ? また、あの庭の続き?

 声に出すと、言葉が空気に溶けて消えた。

 代わりに、足音が柔らかく反響する。

 一歩進むたび、廊下の壁に金の模様が浮かび上がる。

 それは祈りの言葉でもあり、物語の断片でもあった。

 《わたしは夢を食む者》

 《人の記憶に宿る時、世界は生まれる》

 《創造とは眠り、破壊とは目覚め》

 文言が次々と流れ、やがて重なり、歌のようになった。

 リヴィアの足が止まる。

 目の前に、ひとつの扉があった。

 扉は青いガラスでできていて、その奥に水のゆらめきが見える。

 扉の中央には、文字が刻まれていた。

 《夢の神殿》

 リヴィアは息をのんだ。

 その名前を聞いた瞬間、どこかで誰かが微笑んだ気がした。

 恐る恐る扉に手を触れると、冷たい水音が響き、世界がゆっくりと裏返る。

 ――そこは、夢そのものの形をした場所だった。

 床も天井も存在しない。

 浮遊する島々が空間に散らばり、無数の水滴が宙を漂う。

 遠くには、鳥の形をした光が飛び交い、

 近くでは、眠る人々の幻が呼吸をしている。

 子ども、老人、兵士、聖女、そして王太子レオン。

 全員が夢の中に閉じ込められている。

「……レオン?」

 思わず名を呼んでしまった。

 声は柔らかい水のように広がり、彼の夢を揺らす。

 レオンは、まるで眠る獅子のように穏やかな顔で目を閉じていた。

 断罪の夜とは違う、苦悩の影を宿さない表情。

「わたくしを、まだ……覚えていますか?」

 答えはなかった。

 しかし、水面がふっと揺れ、幻の彼がうっすらと微笑んだように見えた。

 それだけで、胸の奥が少しだけ痛む。

 なぜか懐かしく、そして取り返しのつかないものを思い出させた。

 その時、後ろから声がした。

「その男の夢に触れるのは、やめた方がいい」

 低く、少し気怠げな声。

 振り向くと、そこにはフェルスがいた。

 黒いコートを羽織り、手には灯りを持っている。

 炎ではなく、星の欠片のように瞬く小さな光。

「ここは“夢の神殿”。神々の領域の中でも、特に危うい場所だ」

「危うい?」

「夢は現実よりも脆い。ひとつ触れれば、全てが崩れる。

 ましてや、きみのように“脚本の外側”にいる存在が介入すれば、

 夢はそのまま現実に溢れ出す」

「……わたくしは、ただ、確かめたかっただけなのに」

「きみが彼を見つめるたび、彼の夢が痛むんだ。

 人間は、自分の罪を夢に変えて眠る。だから、その夢は壊すな。」

 フェルスは静かにそう言い、灯りを高く掲げた。

 淡い光が周囲を包み、眠る人々の輪郭を浮かび上がらせる。

 リヴィアはその光景を見つめた。

 ――人々が見ている夢。

 誰もが笑い、泣き、愛し、誰かを赦していた。

 現実ではできなかったことを、夢の中で繰り返している。

「……夢は、優しいですね」

「そうだ。だからこそ、夢は危険なんだ」

 フェルスの声が一瞬だけ硬くなった。

「神々ですら、夢の中では己を見失う。

 それが“創造”の原型だからな。」

「創造……?」

「リヴィア、お前はまだ知らない。

 お前が書いた言葉は、“夢”から生まれる。

 神々が世界を創ったのも、最初の夢を見たからだ。

 夢とは、神の呼吸。だからこそ、現実を変える力を持つ」

 フェルスはゆっくりとリヴィアの肩に手を置いた。

 その指先は、ほんの少し震えているように見えた。

 観測者であるはずの彼が、何かを恐れている。

 それが伝わってきた。

「行くぞ。神殿の奥に、“夢を食らう獣”がいる。

 そいつが、きみの“次の試練”だ。」

 リヴィアは小さく息をのんだ。

 足元の夢の床が波紋を描き、二人の前に一本の橋が現れる。

 虹のように透き通った橋。

 その先には、巨大な扉が見えた。

 扉はまるで人の心臓のように鼓動している。

 近づくたびに、“眠り”の香りが濃くなる。

 花と血の混じったような、甘く危険な匂い。

 フェルスが片手をかざすと、扉が開いた。

 途端に、強烈な風が吹き抜けた。

 夢の残滓たちが引きちぎられ、光の羽となって舞う。

 リヴィアの頬を掠める冷たさ――それはまるで、現実の涙のようだった。

 扉の向こうは、暗闇だった。

 しかし、その闇はただの黒ではない。

 無数の夢が溶け合い、渦を巻いている。

 その中心に、ひとつの“影”がいた。

 それは、獣の形をしていた。

 だが、普通の獣ではない。

 人間の夢を喰らい、欲望と恐怖を混ぜ合わせて存在する、神殿の守護獣――「モルペウス」。

 光のない瞳で、こちらを見ている。

「人間……いや、“物語の娘”か。珍しい」

 声が、直接心に響いた。

 低く、重く、しかしどこか懐かしい響きだった。

 リヴィアは自然と問い返していた。

「あなたは……夢を食べるのですか?」

「そう。人間の夢、神々の夢、そして、まだ形を持たぬ夢。

 夢が過剰になれば、現実が壊れる。

 だから私はそれを喰い、均衡を保つ。

 ――しかし、最近は“美しい夢”が増えすぎた」

「美しい夢?」

「愛、幸福、赦し……どれも、神々が創った“飾り”だ。

 お前のような者が増えたせいで、夢は甘くなりすぎた」

 リヴィアは一歩踏み出す。

「わたくしは、美しく死ぬことに飽きただけです」

「それが、お前の夢か」

「ええ。けれど、わたくしの夢は“目覚め”です。もう誰かの芝居を続けたくない」

 獣の瞳が揺れる。

 長い沈黙ののち、モルペウスはゆっくりと立ち上がった。

 その体から、無数の夢の断片がこぼれ落ちる。

 子どもの笑い声。母の祈り。恋人の囁き。死者の言葉。

 その全てがリヴィアの耳に流れ込む。

「夢を壊す覚悟があるか?」

「はい」

「ならば――見せてやろう。お前の“本当の夢”を」

 闇が開いた。

 リヴィアの視界が一瞬で白に染まる。

 次の瞬間、彼女は宮廷の広間に立っていた。

 あの断罪の夜。

 王太子レオンが彼女を指差す場面。

 聖女アリアが涙を流す場面。

 観衆が嘲笑する場面。

 しかし、今度は違った。

 ――壇上に立つのは、レオンではなく“リヴィア自身”だった。

 もう一人の彼女が、静かにこちらを見て微笑んでいる。

 その瞳は空のように澄んでいて、どこか懐かしい。

「あなたは、わたしの夢」

「いいえ」

 もう一人のリヴィアは首を振る。

「わたしこそ、あなたの“現実”よ」

 リヴィアの足がすくむ。

 夢と現実の境界が、溶けていく。

 目の前の“もう一人の自分”は、確かに生きていた。

 表情、仕草、声――すべてが本物のように感じられる。

 いや、もしかすると、自分が“夢”なのかもしれない。

「あなたは、何を望むの?」

「わたくしは、自由を」

「それは孤独を意味するわ」

「構いません」

「なら、神々を殺しなさい」

 その言葉が落ちた瞬間、世界が砕けた。

 宮廷の壁が裂け、鏡が割れ、花弁が血のように舞う。

 夢が崩壊する中、リヴィアは叫んだ。

「誰があなたを言わせているの!?」

 その時、背後でフェルスの声がした。

「リヴィア、戻れ! それはお前自身の“恐怖”だ!」

 しかし、遅かった。

 夢の中のリヴィアがこちらに手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間、両者の視界が重なり――

 リヴィアの中に、強烈な光が走った。

 無数の映像。

 幼い頃の自分。母の叱責。鏡の前の笑顔。

 初めてレオンに出会った日の夕暮れ。

 裏切りの瞬間、処刑台の冷たい石。

 そして、八度目の死。

 それらすべてが一瞬にして駆け抜ける。

 リヴィアは息が詰まり、膝をついた。

「これが……わたくしの、夢……?」

「違う」

 フェルスの声が近づく。

 彼が肩を抱き起こした時、彼女の瞳はまだ光の中に揺れていた。

「それは、きみの“過去”だ。

 夢は過去を変えるためにある。

 だが、過去に飲まれれば、永遠に目覚められなくなる」

 フェルスの腕の中で、リヴィアはかすかに笑った。

「……わたくし、少しだけわかった気がします」

「何を?」

「夢は、神々が逃げ込んだ“現実”なのですね」

 フェルスの表情がわずかに緩んだ。

「その通り。神々もまた、夢を見る。

 彼らは永遠に現実を創れないから、夢の中で“物語”を作るんだ。」

 リヴィアは目を閉じた。

 夢の残光が静かに薄れていく。

 モルペウスの姿も、いつの間にか消えていた。

 ただ、足元には一枚の羽根だけが落ちていた。

 黒く、けれど光を宿す羽根。

 それは彼女が次の“章”に進むための鍵のように見えた。

「行こう、リヴィア」

 フェルスが手を差し伸べる。

 リヴィアはその手を取り、立ち上がった。

 夢の神殿の天井が開き、夜空がのぞく。

 星々が静かに降り注ぎ、世界が再び回り始める。

「フェルス」

「ん?」

「わたくし、怖くありませんわ」

「それは強さだ」

「いいえ。たぶん、夢を見ているだけですの」

 リヴィアは微笑んだ。

 その瞬間、神殿の壁がゆっくりと崩れ始めた。

 夢の終わり。

 彼女が新しい現実を選び取る時間だった。

 光がすべてを包み込み、リヴィアの姿は消えた。

 ただ、その場に残った羽根だけが、

 まだ夢と現実の境界を漂っていた。

 ――そして、誰かが囁く。

 「夢から目覚めるたびに、彼女は少しずつ神に近づくのだ」と。

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