表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢は神々の庭で運命を書き換える──八度目の断罪でわたくしは目を覚ました──  作者: Futahiro Tada


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/26

神々の饗宴

二 神々の饗宴


 ――静寂。

 それは音が止んだのではなく、音そのものが初めから存在しなかったような静けさだった。

 耳を澄ませても、風のない庭の中では、自分の心音だけが現実だと告げている。

 鏡の神に導かれたその場所――神々の庭は、夜空に似た“裏側”の世界だった。

 黒い大地に白い花が咲き、花弁は光を放つ。けれど光源はない。

 まるで、闇が自分自身を照らしているようだった。

 足元に触れるたび、土の代わりに文字がざらりと動いた。

 小さな文節。祈りの断片。

 ──「どうか幸福を」「彼を助けて」「もう一度だけ」──

 読もうとすると文字は形を変え、すぐに砂のように崩れる。

 それは、祈りが届かなかった証のようにも思えた。

 リヴィアは赤いドレスの裾を持ち上げて歩いた。

 音が吸われる世界では、自分の呼吸すら他人のもののように感じる。

 遠くに光の輪が見えた。

 まるで夜空の中に浮かぶテーブル――いや、それは円形の宴会場だった。

 十二の椅子があり、その中央には、白く燃える大皿が置かれている。

 皿の中には炎ではなく、流れる水が揺れていた。

 その水面に、人々の顔が映る。誰もいないのに、無数の表情が浮かんでは消えた。

「ようこそ、神々の饗宴へ」

 声は、あの鏡の神のものだった。

 月光のような姿の彼女が、円卓の一つに腰かけている。

 だが、その背後には他の十一の影があった。

 霧のように不定形で、それぞれが人の形を保っていない。

 炎、獣、天使、金属、石、言葉、時間。

 十二柱の神々――この世界の根を支える存在たち。

 リヴィアは立ち尽くした。目の前に広がる光景は、荘厳というよりも滑稽ですらある。

 彼らはまるで、退屈な舞踏会に集まった貴族たちのように、互いに興味を失っている。

「お前が“脚本を乱した娘”か」

 金属のような響きの声が、どこからともなく響いた。

 それを発したのは、“理性の神”と呼ばれる存在だと鏡の神が告げる。

 形を持たない銀の仮面が宙に浮かび、声だけが残る。

「八度目の断罪を逸脱し、虚構を知覚した……珍しい玩具だ」

「玩具、ですって?」

 リヴィアの唇が震える。

 その呼び方に、かすかな怒りが生まれた。

「違うのですか?」

 鏡の神が柔らかく微笑む。

 その微笑みは慈悲にも見え、残酷にも見えた。

「あなたは“物語の装飾”だった。

 けれど、装飾が自分を装飾と自覚した瞬間、神々は少し困るのです。」

「わたくしを困らせるのがお好きなように、ですわね」

「ええ、たまには人間も退屈を癒やしてくれます」

 神々の笑い声が響く。

 それは風鈴の音のように澄んでいるのに、なぜか耳の奥を痛めた。

 リヴィアは歯を食いしばる。

 恐怖ではない。屈辱に近い。

 この世界で誰よりも完璧であれと育てられた彼女が、神々の戯れの的になるなど――。

 やがて、円卓の向こうで炎が揺れた。

 炎から、女性の姿が立ち上がる。

 燃えながらも焦げない衣を纏い、髪は紅蓮。

 彼女が“欲望の神”アリューネだった。

 金色の瞳がリヴィアを射抜く。

「美しいわね、娘。八度も死ぬのに、まだその目を濁らせていない」

「美しくあることが、この世界の礼儀ですもの」

「礼儀? 違うわ。それは信仰よ。美は、神々が与えた最初の牢獄」

 リヴィアは言葉を失った。

 牢獄。

 アリューネは炎の腕を伸ばし、リヴィアの頬に指先を滑らせる。

 熱くはなかった。ただ、焼けるような記憶だけが流れ込んだ。

 鏡の前に立つ少女。化粧。微笑。完璧な所作。

 ――「美しくなければ、価値はない」――

 かつて母が囁いた言葉が、遠くから聞こえる。

「その鎖を、まだ大切に抱いているのね」

「……違います。わたくしは、美しく“あろうとした”だけ」

「それが、牢獄だと気づいているなら、もう扉は開いているわ」

 アリューネが微笑んだ瞬間、炎が弾け、赤い花弁が散った。

 花弁は空中で燃え尽き、灰が円卓に降り注ぐ。

 灰が触れた場所から、新しい模様が生まれた。

 ――それは、リヴィアの顔だった。

 円卓の中央に、灰で描かれたリヴィアの横顔。

 そこから淡い光が立ち上る。

「見なさい」

 理性の神が冷たく告げる。

「それが、お前という“概念”の形だ。欲望、虚栄、愛、罪。

 神々はそれを数値化し、配置し、鑑賞する」

「つまり、わたくしはあなた方の絵画ということ?」

「概ね正しい」

 リヴィアは静かに目を細めた。

 怒りはもうない。代わりに、乾いた笑いが込み上げた。

「……なるほど。ならば、あなた方は芸術家なのですね」

「違う」

 今度は低い声。

 闇の中から黒い霧が滲み出て、一つの影が形を取る。

 それは“虚無の神”ネファス。

 無限の瞳を持つ男。

 声は深く、底なしの井戸のように響いた。

「我らは芸術家ではない。我らこそが作品だ」

 神々が一斉に沈黙する。

 鏡の神がわずかに眉をひそめ、フェルス――観測者が口を開いた。

「ネファス、それを言ってしまっては――」

「構わぬ」

 虚無の神が笑った。

 「我らもまた、誰かの庭に植えられた花。お前のように、な。」

 リヴィアは息を呑んだ。

 鏡の神が静かに目を閉じる。

 炎の神が消え、風の神が頬を撫で、時の神が砂を落とす。

 世界そのものが、一瞬揺らいだ。

「……つまり、あなた方も脚本の中にいると?」

「理解が早い。だから興味深い」

 ネファスは無数の瞳で笑う。

「お前は八度目でようやくこちらを見た。

 神々は気づいてしまったのだ。人間が脚本を破った時、物語はどこへ行くのかと。」

 リヴィアの心臓が速く打つ。

 恐怖ではない。

 それは――自由の予感だった。

「では、わたくしが脚本を壊したのなら、あなた方は……?」

「お前を観測する」

 フェルスが答える。

「観測とは、支配でも拒絶でもない。記録だ。

 リヴィア・ヴァーミリオン。お前が“書く者”となるならば、

 お前の物語を、我々は読み上げる。」

「わたくしが……書く?」

「お前自身の罪を、お前の言葉で」

 鏡の神が立ち上がる。

 長い髪が夜風に揺れ、ドレスの裾が白い光を帯びる。

 その手には、羽根ペン。前夜にリヴィアが受け取ったものと同じ。

 彼女はそれをリヴィアの前に差し出した。

「この饗宴は、あなたを裁くためではなく、あなたに試練を与えるためのものです。

 ――書きなさい。あなたの“罪”を。

 それを終えた時、神々はあなたに名を与えるでしょう」

「名……?」

「はい。あなた自身の“本当の名”。

 この世界で誰にも呼ばれたことのない、あなたの最初の言葉。」

 リヴィアはペンを見つめた。

 黒い羽根の先に光が宿り、心臓の鼓動に合わせて脈打つ。

 罪。彼女は思う。

 何が罪なのか。

 殿下を愛したこと? 聖女を憎んだこと? この世界を疑ったこと?

 それとも、美しく生きようとしたこと?

 ――どれも、罪だと言われた。けれど、どれも私の“生”だった。

「……もし書いたら、世界はどうなりますの?」

「変わるかもしれないし、壊れるかもしれない」

 フェルスが肩をすくめる。

「だが、書かない限り、何も始まらない」

「あなたは、わたくしに書いてほしいの?」

「観測者はいつだって、誰かが“言葉を紡ぐ瞬間”を見たいのだよ」

 リヴィアは微笑んだ。

 それは恐れを越えた微笑。

 まるで、断罪の夜のあの時のように。

「……いいわ。書きます。わたくしの罪を。

 けれど、それを読んで泣いても、知りませんよ?」

 神々が微かにざわめく。

 笑うもの。沈黙するもの。顔を覆うもの。

 欲望の神アリューネが小さく手を打った。

「いいわね。では、宴の始まりよ」

 円卓の上の水が光を帯び、波紋が広がる。

 波紋の中に、人間たちの世界が映った。

 王宮、舞踏会、聖女の涙、断罪の剣。

 そのすべてが小さな映像となり、宙に浮かんで回り始めた。

「それがあなたの“舞台”です」

 鏡の神が囁く。

「書き換えるなら、今。神々の目が閉じている間に」

「神々の目が……閉じている?」

「退屈なのです。

 あなたのような人間が現れるまで、何千年も同じ芝居を見てきましたから」

 リヴィアはペンを握った。

 炎の神が笑い、風の神が息を吹きかける。

 時間の神が砂時計を逆さにし、虚無の神が微笑む。

 世界が、再び書き始められる。

 彼女は息を整え、一文字目を書いた。

 羽根の先から、淡い光が零れる。

 ──「わたくしは罪を犯しました」──

 その瞬間、空が震えた。

 星々が割れ、祈りの文字が土から舞い上がる。

 神々の視線が一点に集まる。

 鏡の神が目を細める。

 フェルスが微かに笑う。

 そして、庭の奥から聞こえてくるのは、誰かの拍手。

 リヴィアは顔を上げた。

 遠くに、人の姿がある。

 光の幕の向こう――あれは、殿下?

 いや、違う。

 彼はレオンではない。もっと古く、もっと深い何か。

 神々よりも古い存在。創造そのもの。

 その男が、静かに微笑んだ。

「書き続けなさい、リヴィア・ヴァーミリオン。

 あなたの物語を読むのは、我々ではない。

 ――あなた自身だ。」

 言葉が消えると同時に、饗宴の光景がほどけた。

 神々の椅子がひとつずつ光に変わり、空へ消えていく。

 最後に残ったのは、鏡の神とフェルス、そしてリヴィアだけ。

「……あれが“創造神”ですの?」

「あるいは、“読者”とも呼べますね」

 鏡の神が微笑む。

「神々にすら正体がわからない存在。

 けれど彼が“読む”瞬間だけ、世界は存在する。」

「読む者……物語を読む神、ですのね」

「はい。そしてあなたは、今、初めて“書く側”に立った」

 リヴィアは手元の本を見つめた。

 最初のページには、確かに自分の筆跡があった。

 震えながらも、美しい曲線で綴られた文字。

 “わたくしは罪を犯しました。”

 その下に、金色の光が浮かび上がる。

 ――「リヴィア」という名の奥に、もうひとつの名。

 “リーヴァ”。神々の古語で、“目覚め”を意味する言葉。

「……これが、わたくしの真名?」

「ええ。あなたが書き、あなたが得た名です」

 風が吹く。

 白い花が散り、夜空が朝焼けに変わっていく。

 神々の庭に、初めて“時間”が流れた。

 フェルスが小さく笑い、背を向けた。

「おめでとう、リヴィア。試練はまだ続く。

 次に会う時、君は“神々の敵”になっているかもしれない」

「望むところですわ」

 リヴィアは赤い本を抱きしめた。

 燃えるような空の下で、彼女は確かに微笑んだ。

 その笑みはもう、“脚本通り”ではない。

 ――それは、生きている者の笑みだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ