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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

カシスソーダを飲み終わるまで

作者: 猫小路葵

 ダークオレンジの薄暗い照明。

 洒落たバーのカウンターで、琥珀色の酒で満たされたグラスを瑞季(みずき)は傾ける。

 バーボンなんか飲んじゃって、生意気だね。

 はっきり言って――言うと気を悪くするだろうから言わないけど――その可愛い顔にはあんまり似合わないアイテムだよ。


「それでさ、弾いてみたら、それがまたいい音するんだよ~」


 うれしそうに、楽しそうに、瑞季は楽器の話をする。

 瑞季とは大学時代、同じ音楽サークルの仲間だった。

 瑞季はサークル内でも人一倍音楽が好きだった。

 社会人になったいまでも趣味でバンド活動を続けてるくらいだ。

 ギターの話なら、ひと晩くらい余裕で語り明かせるんだろう。

 でも瑞季がいま俺に話してる楽器は、ギターじゃない。

 沖縄、奄美の弦楽器、三線(さんしん)だ。

「高木は三線弾いたことある?」

 瑞季に聞かれて、「ない」と答えた。

「今度一緒に弾こうよ」

「いいね。楽しそう」

「三線はピックでも弾けちゃうけど、やっぱりバチで弾けるようになりたいな」

 三線の絃をはじくと、それだけで沖縄の風を感じるんだとか。

 部屋では大事なギターの横に並べて置いてるんだとか。

 いつかライブで三線もやれるかな、やれたら面白いだろうなとか。

 うれしそうに、楽しそうに――似合わない酒のグラス片手に、瑞季の三線の話は終わらない。

 でも、言わせてもらうとね、瑞季。

 おまえはさっきから『三線のこと』を俺に話してるつもりだろうけど、実際はそうじゃない。


 (さとる)が出張で沖縄に行ったとき、わざわざ工房まで行って選んでくれたんだとか、

 夜中でも弾けるようにと消音装置も一緒に買ってくれたんだとか、

 誰に買ってもらったとかいちいち言うなよと釘を刺されたんだとか、

「聡のやつ、『自分で買ったことにしとけ』なんて言うんだよ」

 しようのない身内を、わざと嘆いてみせる家族のような顔をして、

「周りから何か言われたら照れくさいからって」

 うれしそうに、楽しそうに、

 いつのまにか話の内容を『聡のこと』にすり替えているおまえを眺めながら、おまえの友人である俺は、笑ってその話に相槌を打っている。


「ねえ高木、沖縄からの送料っていくらぐらいか知ってる?」

「知らないけど、なんで?」

「うん……楽器代だけでも結構しただろうし、聡に悪いなと思って」

「でも聡がしたくてしたことだし……そこまで心配しなくていいんじゃないの?」

 聡もまた同じサークルの仲間だった。

 いいやつだ。

 俺もよく知っている。

 会話が途切れて、しばし沈黙が俺たちのあいだを漂った。

 店内に低く流れるBGMは、空気と同化しながら心地よく耳に響く。

 バーボンのグラスをあけた瑞季が次のオーダーをした。

「すみません、カシスソーダお願いします」

 そうだね。

 それならおまえにピッタリだよ。

「あ、俺もそれ」

「じゃあ、二つで」


 届けられた甘酸っぱい赤紫色のカクテルに瑞季は口をつける。

 カシスの実をつぶして塗ったような唇で、瑞季が「ああそうだ、そういえばさ、こないだ」とまた話を振ってきた。

 俺が軽く目を合わせて先を促すと、瑞季は言葉を継いだ。

「聡がね――」

 ねえ、瑞季。

 今日俺がかけてるこの眼鏡に、ちょっと色がついててよかったね。

 おかげで俺がいまちょっとぐらい醒めた目をしてても、幸いおまえからは見えないだろう?

「……ってもう、笑うよね? それだけじゃないんだよ、更にはさ……」

 瑞季が楽しそうに、聡の話を俺に聞かせる。

 俺はその話を半分も聞いてなかったけれど、適当に返事をしながら瑞季の顔を見ていた。

 そんな視線なんてまったく気にかけない、愛すべき無頓着さは学生時代からちっとも変わらない。

 こうして頬杖ついて笑ってる俺がいま頭の中で思ってること――おまえが知ったらどうするかな。

「ほんとしょうがないアホだよね、聡は」

 うん。

 おまえもね。


 そうしてふと、瑞季の笑い声が止む。

 瑞季の視線がさり気なく壁の時計に動いた。

「もう終電?」

 俺から尋ねてやると、瑞季はほっとしたように自分の携帯電話をひらいて、正確な時刻を確認した。

「ああ、うん。そうだね。そろそろ」

「おまえってほんとタクシー使わないよね」

 俺がからかうと、瑞季はカシスソーダをちょっと多めにぐびっと飲んで「へへ」と笑った。

「電車と徒歩が好きなんだ」

 それ、同じこと聡もよく言ってるよね。

 知ってるよ。

「それに電車のほうがお金かかんないし」

「相変わらず堅実なことで」

「ただの貧乏性だね」

「いい奥さんになれるよ」

 そう言ったら瑞季は「はあ!?」と言ってずっこけていた。

 グラスの中、カシスソーダが細かな気泡を生み出しながら、まだ少し残ってる。

 ねえ、瑞季。

 それがなくなるまでは、まだおまえはこの店にいてくれるの?

 ……いや、ちょっと酔ったかな。

 俺のそんな内心を知ってか知らずか、瑞季は、俺の目の前でためらいなくカシスソーダを飲み干した。



 店を出る前、ドアの手前で瑞季に断って手洗いに行った。

「瑞季、時間平気?」

「まだ大丈夫だよ。ここで待ってる」

「悪い、そっこー戻ってくるから」

「手はちゃんと洗えよ」

 用を済ませ、本当にそっこー戻っていくと、ドアの脇で瑞季が携帯電話を見ていた。

 メッセージでも確認しているのか、瑞季は薄暗いホールの片隅で青白い画面を目で追っていた。

 俺に気づかないままの瑞季の顔に、ふと微笑が浮かんだ。

 瑞季はその顔のまま画面を操作すると、電話をふわりと耳に当てた。

 瑞季の耳の中でいま、鳴り始めたであろう呼び出し音が一回、にか――

「あ、聡?」

 声をひそめて、瑞季が電話に向けて囁いた。

「いま見た……うん……いまから行くね」

 瑞季は視線を足もとに落とし、笑いながら相手に囁く。

 うん……え?……ああ、そうだね……

 俺は、瑞季が通話中であることに気づかない振りをして、わざと電話のそばで声をかけた。

「瑞季」

 俺が来ていることを知らなかった瑞季が、ちょっと驚いて顔を上げる。

「ああ、ごめん瑞季。電話してたんだ」

 そして俺はもう一度、電話がしっかりと俺の声を拾える距離で言った。

「外で待ってるから」


 ドアをあけ、店の外に出た。

 その場に立っていると、ほどなく瑞季が出てきた。

「ごめん高木、結局こっちが待たせちゃったね」

「いいよ。話は済んだ?」

「うん」

 聡に「いまの高木?」って聞かれなかった?

 そう確かめたい気がするのを、俺は瞬きで誤魔化して、瑞季と並んで歩いた。

 聡はいいやつだ。

 そんなことはわかってる。

 けれど、だからといって俺の気持ちが減ったり増えたりするものでもない。

 狭いこの街は、少し歩くともう目的地に辿り着く。

 夜の街なかに、地下の駅へと続く階段が蛍光灯に白く浮かび上がっていた。

「じゃあ高木、またね。気をつけて」

「うん。瑞季も」

 バイバイと手を振って、瑞季が地下鉄の階段に消えてゆく。

「瑞季!」

 呼び止めたら、瑞季はくるっと振り向いた。

「おやすみ」

 手のひらを見せてそう言うと、瑞季も手を上げて返した。

「おやすみ!」

 階段を下りてゆく瑞季の後ろ姿を見送り、思う。

 やっぱり今夜の俺はちょっと酔ったみたいだ。


 ――カシスソーダは魔法みたいに、飲んでも飲んでも減らなければよかったのに

 ――時計も終電も止まってしまえばよかったのに


 そんなことを思った滑稽な自分に苦笑いした。

 車道を空車のタクシーが通り過ぎる。

 まだ眠りそうにない夜の街を、俺は一人歩き出した。



 


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