ただの村娘の逆襲
王都の裏通りに、ほのかに焦げたパンの匂いが漂う。
その小さな屋台の前で、フードを深くかぶった少女が、こくんと頭を下げる。
「ありがとう、いつもおまけしてくれて……」
「へへ。シェリルちゃんはいい子だからな。気をつけて帰りなよ」
露天商の老爺がそう言うと、少女は袋を抱えてとてとてと歩き出す。
一見、ただの善良な村娘。誰も彼女が“処刑される裏切り者の共犯”などとは想像もしない。
だが、彼女の歩みはまっすぐ、そして正確だった。
屋敷の影、衛兵の死角、すべてを熟知した者だけが通れる隠されたルートを辿り──
たどり着いた先は、廃教会の地下室。
「……あった。第二の封印鍵」
石壁に埋め込まれた封印装置に指を添え、シェリルは呟いた。
「クロウくん、今どこまで進んでるかな……ちゃんと、間に合うといいけど……」
祈るようなその声は震えていた。
だが、指先は躊躇なく“聖鍵”を回し、刻印を解除していく。
──そう、彼女は知っていた。
クロウ=ランヴェルは、全員の裏切りを“逆に利用する”ことで、真の黒幕をあぶり出す計画を練っていた。
だが、彼の策には一つだけ“外部からの協力者”が必要だった。
それが、自分──シェリル=カランだった。
彼女はただの村娘。戦えない。魔法も使えない。
だが、唯一の才能があった。
(私は……誰からも“見られない”。それを、クロウくんは“最強の資質”だって……)
誰にも気づかれず、注目もされない。存在感が薄い。
だがそれは、情報収集、潜入、破壊工作、すべてにおいて最大の武器になる。
クロウは、彼女にこう言った。
──「君が僕の“最後の一手”だ。君だけは、絶対に裏切らないでくれ」
……それだけでよかった。
涙が出るほど、うれしかった。
だから、どんな恐怖も、彼の言葉だけで乗り越えられた。
「さあ、これで“脱出経路”は確保。……次は、勇者様の部屋ね」
彼女はそっと小袋から小さな黒い石──“記録魔晶”を取り出す。
これがあれば、証拠は取れる。
五人の裏切り者の“真の動機”も。
そして──“クロウに罪を擦り付けた”決定的瞬間も。
そう、クロウは罠を張っていた。
裏切りを「計画に取り込んだ」などという程度ではない。
“裏切らせた”のだ。
彼らの心の闇を誘導し、思いのままに堕とした。
──それは、彼自身が“もっとも危険な存在”であることの証明でもあった。
だが、そんな男が唯一、心から信じたのが──この少女だった。
「……絶対に、間に合わせる。あなたが、あんな場所で、ひとりきりで終わらないように……」
彼女は立ち上がる。震えながらも、まっすぐに。
それは戦いではない。復讐でもない。
──ただ、“あなたを救いたい”という願いだけ。
少女は、地味な靴音を響かせて、夜の王都に消えていった。