2. 執着
俺は、お稲荷様の使いの狐。"穂高"という名前はお稲荷様につけてもらった。300年以上、この土地で、この稲荷神社を守っている。昔は村の人たちが皆親切で、よく油揚げや稲荷寿司をお供えしてくれた。お祭りはとってもにぎやかで、みんながどんちゃん騒ぎをしながら、飲み食いするのを楽しく見守ってきた。
でも、段々と人が神社の周りから離れ、この辺りは"町はずれ"と呼ばれるようになった。神職もいつの間にかいなくなり、神社は荒れ放題。お稲荷様も来てくれなくなった。俺はずっとずっと一人でこの場所にいた。
ある日、小さな女の子が神社に来るようになった。毎日お願い事をしている。家族に関する悩みがあるらしい。こんな神様も来ない廃れた神社に来てもしょうがないのに――だから同じくらい年代の少年に化けて、声をかけた。
その子は"栞"と名乗った。あまり笑わない子だと思ったけれど、俺と話しているとケタケタとよく笑うようになった。それが、とてもかわいらしくて、その陽だまりのような笑顔に心が癒された。栞がたまに来ない日は、日が暮れるまで境内で彼女を待った。今思えば、いつの間にか彼女に依存していった。
だから、自分の力を使って、色々なことをした。神様じゃないから、天気を変えたり、作物を育てたり、そんな大げさなことはできない。でも、眷属の自分にも多少のことはできる。彼女のお願いとは裏腹に、彼女が孤独になるように仕向けた。学校で友達ができないように、家で家族に虐げられるように。そうすると、彼女が自分に、自分だけに懐いてくれるようになった。こんなことをしては、ダメだと思ったけれど、止められなかった。
――いつしか俺は彼女を番にしたいと本気で思った。番にして、ずっと二人でこの神社を守りたいと思った。
そんな時だった。スーツを着た仰々しい人たちが、たくさん神社にやってきた。聞けば、この神社を取り壊して、森を切り崩して、新しいショッピングセンターを作るらしい。俺はゾッとした。役目を終えた神の使いは天界に帰らなければならない。そうしたら――二度と栞に会えなくなる。
だから、意を決して、栞に俺の正体を明かして、番になって欲しい、そう打ち明けようと思った。でも高校を卒業する日、神社に訪れた栞はいつになく、神妙な顔つきをしていた。
「俺、栞に言わなきゃいけないことがある。」
「私、穂高くんに話さないといけないことがあるの。」
俺たちは、ほぼ同時に言ったと思う。でも栞の表情をみて、栞の話をちゃんと聞かなくちゃと思った。
「穂高くん、私東京で就職が決まっているの。だから、今日でここに来るのは最後。学校は全然友達ができなかったけど、穂高くんに出会えてよかった。今まで仲良くしてくれて、本当にありがとう。」
そんな、栞をみて何も言えなくなった。東京に行ったら俺の力は届かなくなる。たぶん栞は人間社会の中で仕事をし、友達をつくり、やがて恋人ができ結婚し、子どもを成し、家庭を築くだろう。それが一番いい。いいに決まっている。だから『頑張れ』といって見送って、『またな』って言って送り出した。きっと東京みたいに大きくて刺激的な街に出たら、こんな小さくて廃れた神社のことは、すぐに忘れる。その間に神社は取り壊されて自分は天界に戻る。もう二度と会えないだろうと思ったけれど、また会いたいという希望をこめて、無理やり作った笑顔でそういった。
彼女が去った境内はひんやりとして、妙に静かだった。もともと一人だったはずなのに、心にぽっかり穴が開いて、日に日にその穴が広がっていくようだった。
お稲荷様からは、もういつでも天界に戻ってきてもいいと言われた。天界はいいところだ。みんな穏やかに悠久の時を過ごしている。争いも餓えや憂いもない。――でも、もしかしたら栞が戻ってきてくれるんじゃないかと思って、俺は境内を離れられずにいた。
そうこうしているうちに工事業者が来て、次々と神社を破壊していった。栞と鬼ごっこやかくれんぼをした記憶がよみがえってきて、自然と涙が零れ落ちた。
ついに本殿が黄色い重機で取り壊された。ぐちゃぐちゃになった本殿をみて、俺はここにはいれないと悟った。本殿の破片を拾い上げて、300年の間のことを思い出した。でも色鮮やかに思い出せるのは、栞と過ごした日々だけだった。栞に会いたい、最後に一目でいいから、栞に会いたい。――そう願った。
工事が休みの日、俺はぼーっとしながら境内があった場所に座っていた。もうがれきの山になったその場所に。ドサッと、参道の入り口近くで、変な音がした。今日は誰も来ない日のはずなのに……。おかしいなと思って近づくと、ずっとずっと会いたかった人がいた。そのまま「栞」と叫んで、抱きつきたかった。でも様子がおかしい。最後に見た時よりはるかに痩せてしまっているし、目の焦点も定まっていない。
そのまま彼女の後をつけることにした。自分と同じようにばらばらになった境内をみて、がれきの破片を拾い上げた。そして、優しく元の場所に戻すと、森の中へと消えていった。見失わないように後を追った。
森の奥で、栞は奇妙な行動をとり始めた。鞄から縄を取り出し、木に括り付けた。何か動物でも罠にかけるつもりなのだろうか?そして、靴を脱ぎ、丁寧にその靴を揃えた。何をやっているのか、ますますよく分からなくなった。不思議に思って彼女を凝視した。すると次の瞬間、思わぬ行動に出た。鞄を踏み台にして、輪になった縄に首をかけようとしたのだ。
「ダメだ!自分で死んだら、現世から魂が離れられなくなる。」
俺の足が勝手に動いた。気づいた時には、彼女を縄から引きはがしていた。絶対に動けないように後ろから羽交い絞めにした。
「止めないで、離して!私は死にたいの!」
死にたい?どうして?俺が誰なのか、分からなかったのか、栞は俺の手の中で暴れていた。
「何があったんだ?栞、落ち着け。」
やっと気づいてくれたのか、栞がこっちを向いた。
「ほだか……くん?」
俺は、自分がお稲荷様の使いの狐であることを明かした。もっと驚くかと思ったけど、案外素直に栞は受け入れてくれた。それから、栞の東京での生活を聞いた。栞の目から大粒の涙が零れ落ちた。東京の話をする間、栞はずっと泣いていた。栞がこんなつらい思いをするなら、東京に行くなんて、全力で止めればよかった。そして絶対に番にして、天界に連れ帰ると心に決めた。
俺たち、神の眷属は、人間とは違う。番は生涯たった一人だけ。番になると、栞の魂は人間の輪廻から外れる。例え家族であっても人間たちとの縁は切れるし、悠久の時を自分と一緒に過ごすことになる。この辺の説明を、本当はもっとちゃんとしなくちゃいけないのだけど、説明して栞に断られるのが怖かった。彼女が自分ではなく、自死を選んだら、彼女の魂は永遠に現世を彷徨うことになる。そうしたら番にすることもできないし、もう二度と会えなくなる。
「もう人間に戻れなくなるけど、それでもいい?」
「ねえ穂高くん、さっきまで死のうとしていた人にそれ聞く?当てもなく現世を彷徨うなら――いっそ穂高くんと一緒に行きたい。」
そう言われて、思わず衝動が抑えられず、彼女に接吻をした。彼女は安心したように目を閉じて、静かに身を預けてくれた。でも番になるには、本当の意味での"交わり"が必要だ。さっきまで縄に手をかけ、泣き腫らした顔の彼女に、とてもそんなことは言えなかった。これ以上、傷つけたくない。でも、もう失いたくなかった。一刻も早く、彼女を天界に連れ帰りたかった。だから――少しだけ自分の力を使った。栞は意識を失った。
やがて彼女の耳が獣耳に変わり、にょきっと尻尾も生えた。それが栞が番になった証拠だった。俺と同じ耳と尻尾が愛おしくて何度もなめた。そして、なめられてくすぐったかったのか、栞が薄く目をひらいた。
「やっと……やっと栞を自分のものに出来た。」
うれしくて、うれしくて、本当にうれしくて、栞にそう告げた。
「あ、あれ!?私にも耳と尻尾が生えている!」
お尻に生えた尻尾を見て、困惑した顔の栞もかわいかった。
「これで、栞もお稲荷様の眷属の狐。立派な俺の番。」
「眷属?」
「お稲荷様のお使いってこと。日が明けたら、一緒に向こうの世界に行こう。」
「う、うん」
胸の中の栞のぬくもりが、心にあいた大きな穴を少しずつ埋めていった。
朝日が、天界へと続く金色の道になって、鳥居の跡から参道に差し込んだ。もう二度と離さないと心に誓い、栞の手をしっかりと握りしめて、その道を歩んだ。
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