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7話『天空のキラ』



 ──吉良死亡 十三回目



「ようわかった。援軍はまったく期待できんということがな!」


 吉良は起き上がって柱に荒々しく『十三』と書いた。


「火附改も町奉行所もあてにはならん。となれば他のどこも同じだろう」


 武士の争いならば江戸城の旗本を監視する役目である目付の仕事に当たるかもしれないが、その目付が兵を持っているわけでもない。彼らは不正を突き止めるのが仕事で、数十人規模のぶつかり合いに関わるような仕事ではないのである。

 更に言えば赤穂浪士らは言ってみれば正規の武士ではない浪人だ。取り調べなどできようもない。


「他人を頼れんという可能性を試して、駄目だったとわかっただけでもひとまずは良しとしよう。さて……となれば」


 吉良が援軍をあてにした戦略をとったのは、以前に考えた対応策で『まともに戦わない』というものであった。自分らは戦わず、相手を退けたり逮捕させたりする作戦だ。

 しかしそれが不発に終わったのだから、次に取るべき対策は、


「まともじゃなく戦う、だ」


 真っ向にぶつかり合うのではなく、異なる方法で赤穂浪士を迎え撃ち戦う。

 どういう方法を取ればいいのか? 吉良は腕を組んで考える。


「現状、儂らが赤穂浪士に勝っている部分は……儂が襲撃について知っているということだ」


 となればと吉良は紙に赤穂浪士について現在判明していることを書き記してみた。


・人数は四十名から五十名。

・裏門を破る隊と、表門を乗り越えて侵入する隊にわかれている。

・裏門からくる人数は二十四名。表門は不明。

・これまでに目撃した敵の武器と道具は槍・薙刀・野太刀・斧・木槌・金槌・大鋸・鉄梃。

・武林唯七は表から来る。


 と、こんなところだ。武器の半分は大工道具なのは、門を破るためもあるが中間・小者や足軽が住む長屋を板と釘で塞ぐためだ。鉄梃とはバールのようなものである。

 特に警戒が必要なのは武林唯七であり、吉良は彼が赤穂浪士最強の存在だと確信していた。しかし情報通の家来に聞いても、


「いえ、あまり聞いたことがないですね、武林という人物のことは。赤穂藩で有名な強い侍といえば、高田馬場で決闘の助太刀をした堀部安兵衛じゃないですか?」


 というのだが、吉良はさっぱりその安兵衛の印象はなかった。

 五十人近く居る赤穂浪士の中から、一人抜きん出て自分を幾度も殺すのだから唯七が尋常ならざる相手ということは実感しているのだ。

 その唯七の危険性を皆に訴えても、


「いえいえ、戦いになったら堀部安兵衛が危ないですぞ」


 と取り合わない。

 もしかしたらその安兵衛とやらが、自分が強いという噂を振りまいて秘密兵器唯七の存在を隠そうとしているのではないかと思ったので吉良も必死になって警戒を促した。


「伝えなきゃ……みんな安兵衛に騙されてるっ! あいつを信じちゃ駄目っ!」

「なんでちょっと可愛く言ってるんですかご隠居様」


 そうは言うものの、時間を逆行している吉良の言葉はなかなか信用されなかったので、ひとまず説得は諦めた。普通の赤穂浪士とて、警戒しないといけない相手ではあるのだ。

 そうこうしているうちに夜が近づいてきた。

 その間に手慣れた日課として、皆に襲撃を伝えて武具を準備させ特別の給料を支払い、義周を上杉家に逃がし、兵にローテーションを組んで襲撃時刻まで順番で休んで万全で迎え撃つように指示を出すということはしている。

 取るべき対応も、そこまで自信はないがひとまず伝えた。


(一度の試行で成功するなどとは思わん。何度でも戦って、記憶して、次に生かしてまた戦ってやる。勝って明日を迎えるまでは!)


 決意を露わに、吉良は準備を進めさせた。



 彼が取った作戦は、ひとまず裏門の敵を手早く一掃するというものだ。

 この際まず表門のことは忘れる。裏門隊だけでも倒せなくては、表門隊を気にしても仕方がない。

 裏門隊を狙う理由は二つ。彼らは門を破って一斉に敷地内に踏み込んでくるということ。

 それと武林唯七は表側に居るはずだということだった。


 吉良は準備として、梯子を沢山買ってこさせてそれを縄で結び合わせ、裏門の内側に囲むようにして柵を作ったのである。

 そして夜間では使いにくいと断じて使わなかった弓矢をあるだけ準備させて、弓手を配置した。どうにか使える者も含めて十名の射手ができた。

 夜間となればいきなり襲撃してきた方は弓を頼らないであろうから、相手の突撃を柵で受け止めてこちらが遠距離から弓で射たせようという合理的な作戦である。夜間で命中率が悪くても、大雑把に柵で動きを止めている相手に向かって射つぐらいはできるだろう。


 そして月の動きで襲撃時刻を確認して暁七ツ前、兵を裏門内側に設置した柵へと配置した。

 表門からは恐らくバラバラに侵入してくるはずなのでそちらは警備兵を広く配置して、少しでも足止めするようにしている。


「槍は前へ。敵が柵を乗り越えようとしたら突け。弓は儂の合図と同時に討て」


 冷静にそう指示を出す吉良に対して、家臣や足軽たちは、


「ご隠居様、妙に堂々としているよな……」

「まるで戦い慣れているようだ」

「敵の襲撃予想も具体的だし……」


 などと訝しんだり、吉良の戦術眼に感心したりしながら従う。

 曖昧な命令──今晩に赤穂浪士が来るので準備しろ、という命令では皆も困惑が先に立って或いは吉良の被害妄想だと思い込み油断してしまうのだが、明確に行動指示を与えることでそれなりに真剣に襲撃を警戒するようになっているのである。

そして──毎回ビデオの同じシーンを再生するように、裏門が破壊された。大木槌で門扉を打ち破り、閂を壊して開けるのである。兵全員に緊張が走る。


「行くぞ裏門隊──なんだこれは⁉」


 号令の指示を出した大石主税は、薄暗い中で妙な気配に気づいた。

 しかしとにかく敷地内にぞろぞろと赤穂浪士は入ってきて、戸惑いを見せる。夜明け前の暗さで、地面に仕掛けられた柵もよく見えていない。

 血の気の多くてせっかちな不破数右衛門が進み出て、障害物を確認した。


「なにか張り巡らせられて──」

「射てい!」


 数右衛門の声で充分に赤穂浪士が柵に近づいたと判断して、吉良が叫んだ。

 びゅ、と風切音を出してほんの短い距離を真っ直ぐに矢が飛び、暗闇を切り裂いた。

 刺さる音は殆ど聞こえない。だが地面にもんどり打って、反射的に足を激しく動かし悶える気配の次に、


「うわあああ!」


 と、悲鳴が上がった。命中したようだ。焦ったように、赤穂浪士側から声が上がる。


「矢だ! 弓で狙われているぞ!」

「次、構え!」

「皆の者、突っ込め! 乱戦に持ち込むのだ!」


 後ろ引いて突入を諦めるか、前に進むかの二択で司令官の主税は後者を選択した。

 裏と表から同時に攻め入る作戦なのに裏門隊が逃げるわけにはいかない。

 この暗闇では散らばり、接近すれば弓は使えまいと判断したのだ。


「当然そう来るだろうのう……!」


 だが吉良は裏門近くから横に逃げられないように柵を立てている。自然、赤穂浪士たちはまっすぐ吉良の方へ向かってくる以外の道はなく、


「ううっ! 柵があります!」

「乗り越えていけ!」


 罠に気づいた赤穂浪士はそう叫ぶものの、柵の前で立ち止まった彼らは格好の的であった。


「射て!」


 吉良の指示のもと、第二射が打ち込まれて赤穂浪士が幾人か倒れる。

 体に矢を突き刺したまま倒れず、それでもこちらに向かってこようとしている闘志のある者も見えるが、動きは覚束ない。


(大した忠義心というのかもしれんが、襲われるこっちは堪らんな)


 そう思いながら槍部隊を前に出して槍衾を作らせ、第三射の指示を出そうとする。


(しかしこれで裏門隊を倒す条件は全て整った! これで突発的な事故さえなければ)


 ──そう思った瞬間だった。


「うおおお! 吉良アアア!」

「んなっ⁉ 武林⁉」


 正面、裏門の赤穂浪士隊から武林唯七の叫びが聞こえてきたではないか。


「どういうことだ、あやつはいつも表門から……」

「武林唯七、成敗! 出るぞ! 戦いを終わらせる!」

「も、者共! 止めろ! 武林を射ち殺せ!」


 だがこちら側からも薄暗くて、敵の特定はできない。暗闇では唯七の赤い顔も見えなかった。

 とにかく矢を前方に射たせるが、それを掻い潜るように低い姿勢で柵を越えて接近してくる赤穂浪士が一人居た。


「はあああ!」

「あれだ! 槍を叩きつけろ!」


 吉良が慌てて指示を出して、急接近してきた敵に対し足軽達が槍を向けるが、


「とぅッ!」


 消えた。周りの皆からはそう見えるほど素早く槍の下に潜り込んだ。

 唯七はまったく速度を落とさないまま槍の内側に入り、構えている足軽らを蹴り飛ばした。

 中に入り込まれれば持っていた槍は使えず、かといって咄嗟に刀を抜くこともできなかった足軽は転げてしまう。

 一瞬も迷わず唯七はそれを乗り越え、すぐ後ろに居る弓隊を指揮する吉良の元へ駆けた。

 作戦は成功しつつあったのに一気に台無しにしたイレギュラーへ、吉良は理不尽を叫ぶ、


「なんだというのだ、お前は!」

「お前を討つと言ったはずだ! へあああ!」


 唯七が手に持っているものは、鉄梃であった。思いっきり振り上げられて、吉良の頭に叩きつけられる。頭蓋骨が砕ける音が最後に聞こえた。




 吉良義央、バールのようなもので殴られて死亡。




 ******



 ──吉良死亡 十四回目



「どういうことだァーッ!」


 吉良は跳ね起きて立ち上がり、空想上の唯七を殴るように拳を振り回した。ステップを踏みながら無駄に良い動きでワンツーを決める。

 部屋の中で一人拳闘をしていると起こしにきた近習が慌てて入ってくる。


「ご隠居様⁉ どうなされましたか⁉」

「どうもこうもないわ! あの武林め! いつもいつも、儂が違う行動をわざわざ取っておるのにその先に現れおって……! 嫌がらせか!」

「落ち着いてくださいご隠居さま!」

「はぁー! はぁー!」


 どうにか気分を落ち着かせて、心配している一学を退出させ柱に『十四』と筆でなぞった。

 そして布団にあぐらを掻いて腕を組み考える。


「そもそも前回で勝てると思ったわけではない。ひとまず裏門隊だけでも倒そうと戦略を練っただけであって、表門は放置だったからのう」


 ひとまず暴れたことで冷静さを取り戻した吉良は分析を始めていた。

 たかが一度死んだぐらいである。これまで死んだ回数からすれば十四分の一だ。そう考えてこの周回に気持ちを切り替える。


「あのままでもやがて表門からやってきた武林に殺される可能性は高かった……何故か裏門から現れたが」


 武林唯七が裏門から現れた。

 その事実は吉良を混乱させていた。


「これまでも裏門から突入してくる者共を見ていたが、その中には武林は含まれておらんかった……前回以外は」


 そして、裏門を破って入ってくる連中の動きは同じだった。大木槌で門を破壊するために殴る回数も、突入してきた際の立ち位置も。


「よくわからん……あいつはいったいどういう行動を取っているのだ? それに表門の事情も未だに掴めん……となれば」


 吉良は今回の方針を決めて、皮肉げに笑いながら首を振った。



「灯籠を用意せよ。表門側に多く配置する」


 突然ご隠居が言い出したのは造園についてだった。首を傾げながらも、中間などは言われたとおりに店から大量の灯籠を購入して屋敷に運び入れた。

 値段は安くするために木組みの簡単なものだ。凝った飾りで光量が抑えられたものではなく、油皿の周りを薄紙で覆っただけの実用品で、室内用の行灯に近い。

 それをなんと五十も購入し、おまけに表門側の塀に沿って並べるように配置し始めたのを見て家臣たちは一様に気まずそうな顔をした。


「やはり相当に、被害妄想で呆の気が来ていらっしゃるのでは……」

「今度母上を連れてきて心を落ち着かせよう……」


 などと話し合うのであった。

 今回、敢えて標準的な襲撃を確認するために吉良は家臣らに赤穂浪士の襲撃を伝えていない。

 勝つつもりはなかった。勝てる見込みがないのだ。ただ、襲撃を見るためだけに回を過ごす。

 その際に家臣らに犠牲が出る可能性は当然ながら折り込み済みだが、


(儂が迎撃の指示を出しても結局は死んでしまうのだ)


 まともに戦えば家臣らは赤穂浪士らに圧倒的に敵わない。

 なにも教えずに死なせるのと、これまで吉良が命じて戦わせて死なせたことになんの違いがあるだろうか。そう思って痛む心を誤魔化しながら、自ら灯籠に油を差していった。


 夜も更け朝が近づく時間帯に吉良は音もなく布団から起き出した。

 そして家来を起こさないように足を忍ばせて庭に出る。指や鼻など体の末端がじくじくと染みるように寒い。悴む手で火が灯った附木を持ちながら、灯籠の元へ行く。

 吉原にあるような巨大な油皿を付けている灯籠でなければ一晩も火は持たない。なので、襲撃前になって吉良は普通の大きさである屋敷の灯籠を点けに来たのである。当然ながら、表門から侵入してくる赤穂浪士を確認するための照明であった。

 部屋に置いていた火鉢から、附木という板切れに火を移していた。附木は杉の板に硫黄などを擦り付けて火が付きやすくしたものだ。

 それで東側の表門側に設置した灯籠に次々に火を灯していった。

 ぼう、と吉良邸の門内が薄明かりに包まれる。外からは見えない程度だが、敷地内に入ってきた相手はよく見えるだろう。


 吉良は北東の角にある土蔵の屋根に、梯子を使って上った。そこからならば一直線に表門側の様子を南の塀まで見渡せる。塀に上がった相手から見えない位置に隠れた。

 念のために梯子も屋根の上に載せて、吉良は身を縮こまらせて襲撃を待つ。

 空をちらりと確認する。晴天でほぼ満月の光が降り注ぐ夜だった。月の位置で襲撃時刻が近いことを確認し、表門側の塀をじっと吉良は眺めていた。

 鐘の音が聞こえた。吉良はハッと目を凝らすと、表門近くの塀に一人が登ってそれを鳴らしたようだ。

 同時に裏門が騒がしくなった。静かな夜だ。鳴らした音は隣町にも響きそうだった。どうやら、表門から鐘の合図で裏門を破る段取りになっているようだ。

 吉良がじっと見ていると、表門側の塀の上に次々と赤穂浪士が外からよじ登ってくる。 


(今この場で数えようと思わなくてよい。とにかく、見逃さんよう記憶せねば)


 吉良はじっと赤穂浪士の様子を眺めている。


(ふむ……てっきり、少数が門を乗り越えて内側から開けて残りが突入するかと思ったら、全員梯子で上がって中に飛び込んでくるのか……あ。誰か転んだ)


 着地に失敗した原惣右衛門が足をくじいたのを吉良は見て、案外に間抜けだとも思った。

 他にも堀部弥兵衛は老齢なので飛び降りることが困難であり、手を借りてぶら下がるようにして下にいる大高源吾が受け止めた。また、神崎与五郎は着地の際に付いた手を押さえて悶え転がっていた。


(儂が手をくださんでも二人ぐらい戦闘不能になっておる……)


 そんなことを考えていると、


「はあああ!」


 一人だけ叫びを上げて、明らかに梯子で上がっている皆とは違う場所から壁を蹴り上がりそのままの勢いで敷地内に飛び込んできた赤穂浪士がいた。

 灯りがなくとも武林唯七だとわかった。理不尽な身体能力である。たった一人で暗殺に来るのも納得だ。


「やはり武林はこっちだな……あいつなんで前回裏門に居たんだ? ひょっとして双子の兄弟とか……居ないよな」


 そう首を傾げる。やはり前回は偶然か、自分の行動がなんらかの条件改変を起こして普段は表に居る唯七が裏に回ったのだろうと吉良は判断する。それがどんな条件なのかは見当も付かなかったが。

 どうにかこうにか屋敷内に侵入した赤穂浪士らは別れて行動を始めた。

 一つは屋敷の表門から玄関に留まる三人組。

 一つは屋内に唯七を含む九人が突入していった。

 そして残り十一人が、南側の庭へと回っていく。

 北東の土蔵上に居る吉良からは玄関の三人しか見えなくなった。かといって移動もできないので、吉良はひたすら屋根の上で見守ることにする。


「火事だ!」


 赤穂浪士はそう叫んで邸内に混乱を巻き起こし、吉良が飛び出てくることも期待しての行動を始めた。

 火事に慌てた上に赤穂浪士らは一見すると火消しの服装に酷似している。出会い頭にほんの一瞬その格好に困惑した隙に、多くの吉良側の家来が攻撃を受けて戦闘不能に陥る。


「腹が立つほど効果的だ……」


 装備まで襲撃を受けた方に不利に働くように整えている。見えていないが、吉良は冷静に安全な場所からその戦術を想像して冷や汗を拭った。


「吉良アアアア! うおおお! どこだ!」


 屋敷の戸を蹴り壊して唯七が暴れているのが見えた。吉良は首を引っ込めて嫌な顔をする。


「このまま隠れ続けておけば諦めて帰らぬものだろうか……」


 仲間の二人と共に庭に飛び出て寄ってきた吉良の家来数名を蹴散らしている唯七を見れば、その考えは甘く思えた。意地でも探し出しそうだ。 


(ならば赤穂浪士らが邸内にいるうちに、外に逃げ出すのは?)


 吉良は屋根の上に持ってきている梯子をちらりと見た。土蔵と塀の距離は短く、梯子をかければ塀に移れるだろう。そこから外に逃げ出せるかもしれない。

 しかし結局のところ、


(今逃げたとして、今後いつ武林から襲われるかもわからん状態になるだけだ)


 そう考え直して、邸内の観察に努めた。それに、自分だけ逃げて義周などを犠牲にしたら意味がない。

 かなり見えづらいが遠目に南側の様子を窺う。敷地の南には塀代わりに、中間小者の長屋がある。

 そこに幾人かの赤穂浪士が集って長屋の戸を板で打ち付けている様子がどうにか見えた。


(ははあ、ああやって長屋を塞ぐことでうちの兵を閉じ込めるわけか……うむ? 中を確認せんで塞いでいるが、あの長屋に隠れていれば見つからないのでは……)

 そんなことを考えていると、吉良邸へのがさ入れは相当本格的になってきたようだ。庭にも赤穂浪士の姿が見られ、あちこちを走り回って吉良を探している。

 恐らくは邸内にいた大部分の家来を戦闘不能にしたのだろう。警戒よりも探索を重視しているように見えた。


「吉良ッッ! どこだ! お前の姿は俺に似ている!」


(似てねえよ)


 相変わらず意味不明なことを叫んでいる唯七が、吉良が屋根にいる土蔵の扉を叩いていた。

 次の瞬間に重たい扉を蹴り壊す音が聞こえて、吉良は思わず飛び上がりそうだった。

 音を立てないように吉良は屋根にしがみついて、土蔵の中を唯七が荒らし回る気配に息を飲み込む。心臓が早鐘を打つようだ。


「ここでもないのか……俺たちはどこに向かえばいいんだろうな……」


 テンションが下がったような声と共に、唯七が土蔵から離れていく。吉良はほっと息を吐いた。

 それから吉良邸の探索は一刻近くにも及んだだろうか。遠くの空が白んできているが、まだ暗い時間帯だ。それだけ騒いでいたので、何事かと吉良邸の北側に隣接している本田孫太郎邸の屋根に提灯が掛かった。屋根の上から吉良邸の様子を見るために上がったらしい。

 するとその提灯に気づいたのか、赤穂浪士の片岡源五右衛門が庭に出て叫んだ。


「浅野内匠頭家来なり! 主君の仇討ちにて、心配ご無用!」


 なにせ騒ぎとなれば火事かと思うかもしれないし、実際に赤穂浪士は火事だと叫んだのだ。そう心配して見に来るのも仕方がない。

 とはいえ仇討ちとなれば屋根に上がった家来から報告を聞き他の家来たちも、


「それは是非見なくては」


 見物のために提灯を持ち屋根にあがり始めた。

 当主の本田孫太郎がいれば関わらないようにしたかもしれないが、その日に屋敷に居たのは家来たちだけだ。誰も止めることはなかった。

 孫太郎邸の屋根に、沢山の提灯が並んで明るくなる。


「あ」


「あ」


 そして吉良がいた土蔵の屋根は、北側の塀すぐ近くで……孫太郎邸の屋根から丸見えだったのだ。

 本田家の家来と吉良の目があった。その家来は頷いて、大声を上げた。


「おーい、ここに吉良さんが居るぞー!」

「貴様ーっ! ぶち殺すぞ! なんの嫌がらせだ!」

「武士なら逃げるな、情けない」

「十回以上死んでからものを言え若造が!」


 なにも考えてなさそうな男に吉良は手持ちの梯子をぶん投げた。本田家の屋根に上っている者たち数名が投げつけられた梯子にあたって地面に落下する声が聞こえる。

 即効で位置を教えられた吉良の居る土蔵に赤穂浪士が集まってきた。


「吉良! そうやってお前は高いところから人を見下して!」

「いや……単に上に隠れてただけじゃないのか?」

「梯子を用意しろ!」


 などと騒ぎ始める。

 もはやこれで逃げることも隠れることもできない。だが表門の情報は手に入れた。

 戦おうにも、偵察重視だったので武器も持ってきていなかった。

 吉良はすぐに決断した。


「貴様らの剣では死なぬ! さらばだーっ!」


 そう叫んで、土蔵の屋根から頭を下に飛び降りるのであった……




 吉良義央、屋根から飛び降り首の骨を折って死亡。

 




 ******




 ──吉良死亡 十五回目



「はっはぁー! ざまあみろ!」


 吉良は笑いながら跳ね起きて柱に『十五』と書きなぐりひとまず落ち着いた。


「さて、あやつらの手には掛からなかったが特に勝ち誇る意味はないな、自害。まあとにかく、表門の様子もわかった。敵を知り己を知ればなんとやらだ。勝ちに行くぞ!」


 そう決意を固めている吉良をそっと障子の隙間から一学が見て、


「……ご隠居様、もしや夢と現実が曖昧に……?」


 などとやはりボケ老人扱いされるのであったが。



 繰り返せば家臣の説得も慣れたものだった。

 適当に納得させられる、決まった言葉で家臣を説き伏せて赤穂浪士迎撃の準備を行う。

 今度は表門部隊への対策も取ることにした。


「奴らは塀を梯子で乗り越えてくる。なので、この塀の内側を空堀にしておく」

「今から全部掘るのですか⁉」

「一人一坪掘れば大丈夫だ。ほら! 儂も掘るから!」


 吉良が鋤を用意させて自らそれを振るって穴を用意し始めた。すると──

 ぐきり、と嫌な音が腰から鳴った。


「ぐああああ!」

「ああっご隠居様が腰をイワした!」

「無茶するから!」


 そして吉良は部屋で寝かされ、空堀工事も滞り、かといって起き上がる気力もわかないまま激痛に気絶するように寝ていた。いっそそのまま死ねばと思っていたが、最悪はその後だった。


「ご隠居様! 赤穂浪士の襲撃です! 急いで隠れてください!」

「ぐおおおお!」

「ううっ、ご隠居様の腰が限界で動かすにも動かせない!」

「無理にでも持ち上げて連れて行け!」

「ぎゃあああ!」


 激痛に悶えながら吉良はそのまま死にそうだった。

 そうして運ばれていると赤穂浪士の間新六に見つかり、刀を構えて襲いかかられた。


「あんたは俺が討つ! はぁーっ!」


 新六はそう叫んで向かってきたが、


「止めろ新六!」

「なんで蹴るんですか⁉」


 突然飛び出してきた唯七に新六は何故か蹴り飛ばされた。手柄の取り合いになったのだろうか。改めて唯七が吉良を背負っている一学ごと、


「へああああ!」


 という叫びと共に突き刺して殺した。



 吉良義央、ぎっくり腰で動けずに死亡。




 ******



 ──吉良死亡 十六回目



 今度は自分では働かずに吉良は中間小者らに空堀を掘らせていた。

 とはいえ、引っかかって死ぬほどの深さではない。足でもくじけば充分に人は戦闘不能に陥る。それと効率を考慮して、表門側の塀沿いには小さなクレーターがボコボコとしているような半端な状態になった。そのほうが飛び降りたときに転びやすそうだと思ったのだ。

 随分と見た目は不細工な邸内になってしまっているが、赤穂浪士の襲撃を乗り越えれば埋め直せばよい。


「裏門はほぼ柵と弓で完封できる。表門隊をこの罠で減らし、裏門隊を片付けた後に迎撃すれば……ううむ、普通ならばこれで良いのだが……」


 吉良は不安を残しながらも、夜を迎えた。


「矢を放てー!」


 裏門から突入してきた赤穂浪士らを柵で囲んで矢を射掛ける。

 赤穂浪士は次々と一方的な攻撃の前に倒れた。ひと塊になって邸内に現れたのが命取りだ。散兵戦法を取ろうにも柵で逃げ場を塞がれている。仲間の屍を乗り越え接近するにも、数が二十四人足らずでは矢と槍衾に削りきられてしまう。

 また表門の方でも、飛び降りた赤穂浪士らが次々に足をくじいていた。五名ほど降りた段階で異常に気づき、内側から表門を開けさせて中に入ることを選んだようだ。

 そうやって時間を稼いでいるうちに吉良は兵を集中させて表門へと向かう。

 だが──


「吉良ァァァ! これで終わらせる!」


 突然屋敷の中から真っ赤な顔をした赤穂浪士が飛び出してきた。



 吉良義央、突っ込んできた武林唯七に斬られて死亡。




 ******



 ──吉良死亡 十七回目



 裏門隊をいつものように片付けた吉良は兵力を集めて迎え撃つことにした。

 それならば向こうが少数ずつこちらに近づいてきたら大勢で囲み、倒すことができる。

 吉良は陣の一番奥で、屋敷や庭を回って裏門側に達して吉良勢に気づきやってくる赤穂浪士らが次々に仕留められていくのを確認していた。

 それでも赤穂浪士は命を惜しむものなど誰もいないように、無謀な戦いに挑んでくる。


「今度こそ……」

「当たれッッ! うおおおお!」


 唯七の声と共に吉良は頭にガツンとした衝撃を受け、目の前が暗くなった。



 吉良義央、武林唯七の放った投石に直撃して死亡。




 ******


 

 ──吉良死亡 十八回目



 裏門を作業的に片付けて吉良は表門から入ってきた赤穂浪士を倒すことを家来に指示して、自分は長屋の部屋に隠れた。

 だがいつになっても邸内からの、唯七の叫びは止まらなかった。

 そしてやがて。


「吉良! これがお前の望んだ戦いか! 馬鹿野郎!」


 全身を返り血で真っ赤に染めた唯七が、ついに吉良の隠れている長屋に踏み込んできて、ぼろぼろに刃毀れした刀で殴りつけてきた。



 吉良義央、刀で殴られて死亡。




 ******




 ──吉良死亡 十九回目



 見つからない隠れ場所をと思った吉良は竹筒を用意して池の中に入り、筒で呼吸をしながら待っていた。まるで忍者である。

 だが時は十二月。雪の残る寒い冬の池に入った吉良はそのまま体が動かなくなり、やがて水を飲んで沈んだまま浮いてこなかった。



 吉良義央、池で溺れて死亡。




 ******




 ──吉良死亡 二十回目



 いっそ表門に最初は兵を詰めさせようと吉良は考えた。

 吉良も含めて敵が塀から飛び降りるのを待ち構えて、唯七が降りたのを見た瞬間に攻撃指示を上げる。


「射て!」


 着地硬直した唯七に矢を放つが、なんでもないように彼は暗闇の中飛んできた矢を軽々と切り払って無事だった。


「お前が俺を射つなら、俺だってお前を討つ!」


 そのまま突っ込んできた唯七に吉良は槍で腹を貫通させられた。



 吉良義央、串刺しになって死亡。




 ******

 


 ──吉良死亡 二十一回目



「あ、それ」

「わははは!」

「酒が旨うございますな、ご隠居様!」



 吉良義央、泥酔したまま首を斬られて死亡。




 ******



──吉良死亡 二十二回目



「この馬鹿野郎ッ!」


 吉良死亡。




「とぅ! へあ!」


 吉良死亡。




「俺にだって守りたいものがある!」


 吉良死亡。




「やめろ! 吉良は敵じゃない! なら討つしかないじゃないか!」


 吉良死亡。




「いつになったら戦いは終わるんだ……! 俺が終わらせる!」


 吉良死亡。





「新六! この馬鹿野郎! 吉良は俺を殺そうとしている!」


 吉良死亡。





「お前が正しいというのなら、俺に勝ってみせろ吉良ッッ!」


 吉良死亡。





「あ、それ」

「わははは!」


 吉良死亡──。


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