表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/11

6話『運命の出会い』



 ──吉良死亡 十回目



「忍者か!」


 思わずそう叫んで吉良は飛び起き、『十』と切支丹が十字を切るように鮮やかに書いた。

 忍者的暗殺を受けてとうとう死亡回数が十回目の大台に入ってきた。

 なんということだろうか。未だ嘗て十回も死んだ者が居るだろうか。


「神君家康公は生涯で幾度も命の危機に晒されてその度に苦難を乗り越え天下を取ったが、儂はガチで死んでおるからな……死にかけて天下が取れるならもう儂の天下だわい」


 げんなりしながらそう言って、刺された背中などを撫でた。

 思い起こせば様々な殺され方をしてきた。

 吉良はなんとなく紙に書き起こしてみることにした。これ以上増えたらさすがに思い出すのも面倒になるので、一区切りという気持ちも込めて。


 一回目。両手の平を切られて足を槍でめった刺しにされたあと頭を蹴られて死亡。

 二回目。腹をばっさり横一文字に切り裂かれて死亡。

 三回目。壊れた荷車の車軸で殴られて死亡。

 四回目。投げ縄で馬から落とされた後に切られて死亡。

 五回目。津軽政兕の屋敷に襲撃され首を切られ死亡。

 六回目。赤穂浪士ごと屋敷を燃やして火に巻かれ死亡。

 七回目。切腹して介錯を受け死亡。

 八回目。赤穂浪士を分散して迎え撃ったが全滅させられ首を落とされ死亡。

 九回目。赤穂浪士を集中して迎え撃ったが乱戦になり味方に切られ死亡。

 十回目。襲撃を取りやめさせたが暗殺に来られて背中から刺されて死亡。

 

「改めて思うと碌でもないな! それにしても……」


 と、吉良が確認する。


「十回中、七回は武林唯七に殺されておる……なんなのだあの狂人は」


 これまでに判明した唯七の特徴も列挙してみた。

 強い。話が通じない。明確な殺意でこちらを執拗に狙ってくる。意味不明の言動を繰り返す。顔が赤くて見るからに興奮している。恐らく、仲間の赤穂浪士もその動きを制御できていない。


「本当になんだ、こいつ……儂になんの恨みがある。いや、まあ……他の赤穂浪士と同じような理由なのだろうが、それにしても厄介だ……」


 こちらの兵相手に無双の大暴れをするような輩が、様々な手段を持って殺しに来るとは悪夢のようだった。そういうのは戦国の世に活躍して欲しい。


「はあ……儂、疲れておるな」


 肉体的にはまったく疲れはないが、十も殺されれば精神的に疲弊してくる。

 繰り返される朝の日常にうんざりし、襲撃を説明する度に驚いたり真偽を尋ねてきたりする味方に苛立ち、出される飯の味が膳を見ただけで浮かんで食欲も失せてきた。

 恨みや憎しみ、悲しみに怒りは人生が継続しているのならば続けようもある。

 しかし毎回死んでは戻り、殺された者も普通に生きているのでは怒り続けるのも心が疲れてしまうだろう。


「……よし、十も死んだのだ。たまには一日ぐらい、なにもかも忘れて酒でも飲もう」


 吉良は心のリフレッシュのために、今回は捨てて休息を取ることにした。


 

 これほど機嫌の良い振る舞いをする父を見たことはない。

 そう義周が思うほどに、その日の吉良は笑顔で酒を飲んでいた。

 茶人の山田宗偏も招いて昼間から宴会を始め、義周や家臣ら、そして大勢の中間小者にも酒を振る舞って無礼講に楽しませた。

 珍味を取り寄せ、馳走を作らせ、舞に歌にと夜まで騒ぎに騒いだ。


「あ、それ」

「わはははは」


 意気揚々と踊る吉良に家臣から笑い声も漏れる。

 義周は事情こそわからぬが、こうして父にして祖父が羽目を外して遊んでいるのは老け込むよりも良いことだと思えた。


(毎日やられては困るが、煤払いも終わった年末の宴会というのならばたまには構うまい)


 そういう名目で吉良が始めたので、皆もそれなりに納得しているのである。


「あ、それ」

「ははは、父上、なにか良いことがありましたかな?」

「なに、十度も死んだ自分に対する労いのようなものよ」


 意味はよくわからなかった。比喩表現だろうかと義周は首を傾げる。

 しかしすぐに酒気に飲まれてどうでも良くなった。家臣らもそのようで、とにかくその晩は吉良邸の皆は酒に酔い……そして、朝までぐっすりと眠るのであった。



 そして明け方に赤穂浪士らが裏門を破壊、表門を乗り越えて侵入してきたが……

 どこもかしこも酒臭の漂う屋敷の中では誰も抵抗を示さず、酔いつぶれて寝ている一人一人を検分して吉良を探した。

 あまりに反撃を受けないので、一同は仇討ちというよりも盗みに入ったような気分になってしまい、どこか気まずかった。

 武林唯七など屋敷があまりに酒臭いので不快感を覚えて、


「これではなにも意味がないじゃないか……」


 そう言って屋敷には入らず、門を固める部隊に留まった。

 そして寝室にて、徳利を片手に眠りこけている吉良を赤穂浪士らは見つけた。

 腹が立つほどに幸せそうな顔で寝ているので、いっそ起こしてから刀でも持たせて戦おうかと提案する者まで居たほどである。

 ともあれ、下手にことを荒立てるよりはと、大石内蔵助が野太刀で寝ている吉良の首を下として、それを布で包み一同は撤退するのであった。

 


 吉良義央、寝ているところを斬首されて死亡。

 



 ******




 ──吉良死亡 十一回目



「一学! 今日は何日だ⁉」

「十四日でございます!」

「だろうな!」


 死んだ記憶もなくあまりに爽やかに目覚めたものだから、もしかしたらそのまま翌日になっているのではないかと、吉良は朝起こしに来た一学に尋ねてみたのだが残念ながら十四日の朝に戻っていた。

 あまり期待はしていなかったが、まあ少なくともしんどい思いをせずに死んだので多少吉良の心はリフレッシュしていた。爽やかに文机に向かって『十一』と書き記した。


「殺されて癒やされておる場合じゃないが……今後も続くなら時折休憩は必要だのう」


 なにせ、疲れこそ残っていないがこれまでは主観的には夜中ずっと起きていて赤穂浪士に殺され朝起きて目覚めるのだ。まともな睡眠を取った気がしない。

 しかし前回は、襲われることなど忘れて酒を飲み美味いものを食ってぐっすりと眠れた。風呂にも熱い湯をたっぷり入れて浸かり、按摩も呼んで背中を揉ませた。

 その余韻などは残っていないが、精神的にはかなり楽になったのであった。

 十回も死んでいるのだ。一回ぐらい余分に死んでもいいではないか。それに皆酔いつぶれていたから殆ど犠牲は出なかったはずである。


「さて、気を取り直して対策、対策」


 吉良は朝の日課を済ませて一人会議に入った。


「まともには戦わぬ作戦を考えるか。前回とて、無駄ではなかった」


 遊んでいただけだが、一つ確認が取れたことがある。それは、


「この屋敷に外から人を呼ぶ分には、あやつらは止めんということだ」


 出入りを厳しく監視しているのは吉良だけであって、これまでも他の家臣が出て行くのを咎められたことはないように見えた。


「うちの兵が頼りないなら、援軍を頼めばいいじゃない……というやつだな」


 そして吉良は援軍のあてを考え始めた。


「真っ先に思いつくのは息子の綱憲が藩主を務める米沢上杉家だが、仮にも大大名が噂の段階で兵を集めて派遣できるだろうか……」


 吉良は、頼めば皆が進んで協力してくれるなどという甘い思考はこの繰り返しで捨てている。

 相手方の反応を想像するに、


「少なくとも綱憲は頷くだろう。赤穂浪士が危ないから、米沢にでも来ないかと誘っているぐらいだ……何故儂はそのときに米沢まで逃げなかったのか……今更か」


 だがしかし、


「幾ら藩主が、父親から助けを求められたとはいえ兵を集めて本所に送るとなれば、明確な証拠がないのだから家臣らは止めるはずだ。絶対止める。確実に止める。わかるよ。儂、嫌われているもの。上杉家の家臣に」


 自分で口にして嫌になってきた。

 吉良は嫁を上杉家から貰い、その間にできた子である綱憲を上杉家の養子にした上に、綱憲の子を今度は吉良家の当主にするために養子に貰ったという三重の縁で上杉家と結ばれている。

 その縁から吉良家への援助を年に六千石分も米沢藩から貰っているので、これはもう米沢藩にとって凄まじい負担であった。

 上杉家は元々百二十万石という領地を持っていた大大名であり、家臣も大勢居た。しかし今は減封を受けての所領十五万石まで減っており、多すぎる家臣の俸禄もあって非常に貧しい。

 そんな中で六千石も取る吉良は家臣でもないのに飛び抜けて一番に禄高を奪っていた。次に石高の大きい分領家である越後衆安田家ですら、二千百六十六石という領地なのだからその負担の大きさがわかるだろう。

 しかし吉良家も金がない事情があったのだ。

 江戸住まいの旗本にとって、中途半端に大きな身分が一番大きい負担を掛けられるのである。しかも吉良が役目に付いていた高家というのは身分が高い割には俸禄が安い。諸大名に典礼を教えなければならないので大名に軽んじられない格式を求められた結果、支出も大名並になってしまわざるを得ないのであった。

 例えるならば実際の年収の二倍以上を想定して税金が取られるようなものだろうか。

 四千二百石という石高でありながら、大名と同格の家格を維持しなければならないので、大大名である上杉家からの支援を受けていたのである。嫌われようがやむを得ず。

 また、上杉家としても跡継ぎが居ないまま藩主が急死し、あわや家名断絶であったところを吉良から養子を貰うことで、所領を減らされつつも存続しているという恩があるので苦しくとも断り難い。


「ともあれ、上杉家の援軍はまず来ない……」


 そう吉良は判断した。実際の歴史でも、吉良の首を取られたということで綱憲が兵を出そうとしたのだが家臣や他の高家に止められて仇討ちを諦めている。

 他の旗本屋敷まで襲撃したとか、余程赤穂浪士が目に余る逆賊と認められなければ兵は出せないだろう。


「他に縁があるところといえば、娘が嫁いでいった薩摩藩だが……」


 薩摩藩の藩士は強者揃いで、徹底的に剣術を奨励しており上級下級問わず殆ど全ての武士がいつでも戦える心構えがあるという。

 だが、それでいて慎重さもある。元々江戸より最も遠い場所の大大名であり、なにかと幕府に目を付けられることも多い藩だ。御府内で兵を出して無用な騒動を起こすことを良しと思わない可能性が高い。

 そしてなにより、吉良はあの外国語のような薩摩弁を喋る相手を説き伏せる自信はなかった。


「大名などは駄目だ。他家の抗争に、兵力を差し出すのは問題が多いので普通はせぬ。となれば、江戸の中で騒動が起きた際に助けてくれる者は……」


 吉良の頭のなかに思いつく相手がいた。

 唯一、吉良が自爆して勝利したともいえる炎に包まれた世界線では赤穂浪士が放火するという偽情報を使って火附改役を呼び寄せたのである。


「通報しておまわりさんに捕まえてもらおう」


 吉良はそう考えた。


 

 自分が出向くか、使いを出すか、相手を呼ぶか。

 三択であったが自分が出向く場合は酒樽に入って運ばれなければならず、なんとも間が抜けた姿になってしまう。使いを出した場合は真剣さが伝わらないかもしれない。なので、多少不躾ではあるが書状を出して向こうから来て相談に乗ってくれるように頼んだのである。


「いよーう! 拙者に突然要件があるって、ご隠居様は何用だ?」


 陽気な声を出しつつ、まるで素浪人のような格好で吉良の邸内に現れたのは三千石の旗本当主、中山直房であった。

 四十半ばの男だが体格もよく、全身の筋肉が引き締まってみえるのは普段から体を動かしているからだろう。剣術達者で家来に稽古を付けているという噂も聞いていた。

 彼の役目は火附改。放火犯を捕らえる役目にあるが、それに加えて盗賊や押し込み強盗も捕まえている。それらが逃げる際に火を放つことも珍しくないからだ。

 大身旗本が家来も連れずにそこらのサンピン侍のような着流しに刀一本でやって来たのも、直房の役宅と吉良邸は近い場所にあったので一々伴を付けるのが面倒だったのだろう。吉良邸は本所一つ目近くの回向院裏手、中山邸は本所二つ目にあった。


「こ、これは中山殿。ようこそいらっしゃいました」


 一応役目である直房に手紙を出したものの、本人が伴も連れずに来るとは思っていなかった吉良は慌てて接待をした。


「気にすんなって爺っつぁん。拙者ァ今日わりかし暇なんだ」


 気さくに笑いながら勧められるままに屋敷に上がる。 

 吉良家四千二百石と、中山家三千石で比べれば、高家という家格もあって本来は吉良家が上なのであるがそういう細かいことを気にしている余裕は吉良にはない。

 そもそも、旗本の中でも吉良は文官側で直房は武官側なので明確な上下関係ではなかった。勿論、直房の性格もあるだろうが。

 居間に案内して吉良は直房に本題を切り出す。


「実は今晩の夜明け前ぐらいに、赤穂浪士が当屋敷に火を付けてその騒動に乗じ仇討ちを行おうという動きを、忍ばせた手の者からの報告で聞きまして」

「ほーう! そいつは見逃せねえ。仇討ちはともかく、この御府内で人様の家に放火しようなんざ、相手が誰だろうと許せねえよな? 許しちゃおけねえなあ?」


 直房は顎に手を当てて剣呑な表情でにやりと笑みを浮かべた。

 いかにも剣豪のような雰囲気を出していて吉良も頼もしく思う。放火犯を捕まえる役目ながら、悪党を片っ端から逮捕していっているので彼は『鬼勘解由』と呼ばれ恐れられているのだ。恐らく今江戸の旗本で最も実戦的な実績を持つ男だろう。


「そ、そうですよね。そこで是非、中山殿には赤穂浪士を逮捕して頂きたく……」

「よし、わかった。その赤穂浪士共が火付けをやらかす連中なら、この中山直房が一人残らずとっ捕まえて鈴ヶ森にある首晒台の露にするか、小塚原で火あぶりの薪にしてやんよ」

「頼もしい限りでございます……」

「気にすんなって。こちとら、善良な皆様方からの貴重なご意見ってのはいつでも募集してんだからよう。爺っつぁんとはご近所さんだしな。困ったことがあれば呼びな」


(本当に頼もしい……)


 吉良は拝むようにして帰っていく直房を見送った。火附改である彼は配下の同心も数十人は持っていて、いずれ劣らぬ実戦経験豊富な武士揃いだ。赤穂浪士もまさか正規の命令を受けた役人相手に暴れたりはしないだろう。武林唯七以外。


「……一応、念のために屋敷の皆に防備だけはさせておくか」


 火附改の動きを察知して予定を早めて襲撃してくるかもしれない。

 そうなればこちらでもある程度食い止めて援軍を待たねばならないので、吉良はいつものように皆に襲撃を伝えて迎え撃つように指示を出すのであった。



 それから夜がやってきた。

 吉良邸の兵は、表と裏からやってきた敵に対して時間を稼ぐように均等に配置してある。

 どちらかに集中していたら背後を突かれて一気に壊滅する恐れがあるからだ。

 火附改の援軍が到着するまで持てばそれでいい。

 吉良は塀が庭を分断していて一気には攻め込みにくい南側の庭にて待ち構えることにした。

 更に時間は経過して、裏門が破られる音がした。


「赤穂浪士が来たぞ!」

「者共掛かれ!」


 と、吉良の家臣が大声を張り上げて足軽らの士気を高めさせようとする。同時に、屋敷中に襲撃を伝えるためでもあった。

 皆の緊張は高まり、あちこちで戦いの音が聞こえ始める。

 赤穂浪士が、


「五十人組は表に回れ!」


 などと指示を出しているが、何度も経験した吉良にとってそれは虚偽の命令だとわかっている。赤穂浪士の数を多く思えるように叫ぶことで、こちらの士気をくじこうというものだ。

 最初から赤穂浪士の数は五十人足らずと皆に伝えてあるので、偽情報を叫んでこちらを混乱させる効果は低くなっていた。


「それにしても……まだか! まだ火附改の援軍は来ないのか!」


 戦闘の音は続いている。ここから火附改の役宅まで数百メートルしかないのだから、予め通報していたのですぐに察知して駆けつけてもよいはずだが。

 吉良がふと、月光が陰ったような気がしてはっと顔を上げた。誰かが、南側の長屋の上に居る。


 目を凝らして月明かりでよくその姿を見ると、屋根の上で黒羽織に野袴、陣笠を被って刀を鞘ごと肩に担ぎ蹲踞して邸内を見物しているようだ。


 その人物は援軍として待っていた中山直房であった。だが、単独で屋敷にも入らずにこちらを気楽そうに見ている。


「中山殿おおおおお⁉ なにをしているのですか!」

「あぁん? んなもん決まってんだろ。仇討ちの見物してんだよ、見物」


 愕然として吉良が問い返す。


「助けてくださるのでは⁉」

「一応事前によ、赤穂浪士の連中に聴取にいったわけだ。仇討ちはともかく火でも付けたら一人残らずぶっ殺すぞってな。そしたら連中、絶対に火の元は注意して襲撃するから大丈夫だって言い張りやがった。だから拙者が、その言葉に嘘がねえように見張っているわけ」

「襲撃を受けている被害者なのですよこっちは!」


 直房は歯を見せる笑みを作って悪意の感じられない言葉で突き放した。


「仇討ちに返り討ちは武士の誉れだろ? それをお前、役人が邪魔したらお寒いだろうに。おっと、別に拙者ァ、赤穂浪士が好きなわけでもねえから爺っつぁんも頑張れよ。強いて言うならば、武士同士が戦ってるって状況が好きなだけだからな」


 まずい。

 吉良は冷や汗を背中に浮かべた。どう見ても助太刀をしてくれる雰囲気ではない。

 完全に物見遊山というか、戦いの見物に来ているだけのようであった。

 直房という男は武官であり、気骨のある武士が好きなのだ。その点で云えば赤穂浪士の主君であった浅野長矩など、老人一人奇襲して仕留めきれない情けない武士の極みで、もし自分がそんな主君の下に居たら恥ずかしさのあまり腹を切って死んでいただろうとさえ思う。

 だがまあ、情けない主君は置いといて法も幕府の裁定も無視して、罪人になる覚悟で襲いかかる武士達の覚悟は評価した。だから無粋な横槍はいれないのだ。

 彼は赤穂浪士が勝とうが吉良が勝とうが、それは武士同士の争いの結果なのでどうでもいいのだ。せいぜい、どちらかが火を用いた時点で纏めてしょっぴく用意をしているぐらいである。


「この回は……失敗だ!」


 吉良はそう悟る。予想していた援軍は来ないで、分けた戦力は各個撃破され吉良を追い詰めるだろう。


「うおおおおお吉良あああああ!」

「そして来たな武林!」


 吉良は終わりを感じながら、駆けつけてくる唯七に向けて槍を突き出した。


「へあああ!」


 唯七は吉良の攻撃を簡単に避けて、彼の持っていた槍を小枝のように蹴り折る。

 そのまま刀を振り上げて接近し、振り下ろす直前で唯七は突然制止した。


「吉良! 何故俺たちが戦わないといけないんだ! お前がなぜ!」

「え?」

「このッ馬鹿野郎がああ!」

「え?」


 一瞬止まって謎の問いかけをした後で、いきなり激高して袈裟斬りで切られた。

 いつもの狂気に満ちた叫びの一つで意味はなかったらしい。


(深く考えるだけ無駄か……)


 肩口から胸まで血が吹き出しながらも、せめてもの抵抗に吉良は持っていた脇差しを抜き打ちで放つ。


「ぬううう」

「このッこれ以上はやらせないッ!」


 当然ながら避けられ、強烈な蹴りが腹に入って転げて吉良は立ち上がれなくなった。

 蹴りの威力で内臓が幾つも破壊されたらしい。死ぬほど痛いし実際死ぬと感じる。


「吉良……どうしてこんなところで出会ってしまったんだろうな。俺とお前は」


(意味がわからん……)


 やはり意味などないのだろう。薄れ行く意識の中で、長屋の上にいる直房が唯七を見ながら興味深そうな声で、


「おっ、あいつは確か──」


 とだけ言ったのが聞こえて、吉良は死の眠りについた。



 吉良義央、刀で切られた後に蹴りで内臓破裂させられ死亡。

 



 ******


 

 ──吉良死亡 十二回目



「中山ァァァ!」

「ど、どうなされましたご隠居様⁉」

「叫んだだけだ!」


 叫び起きたので慌てて一学が部屋に入ってきたが、とりあえず怒ってもどうしようもない。

 筆を取り、紙を出すのも面倒なのでそこらの柱に『十二』と回数を記す。また死ねばどうせ消えるし、見事に生き延びればこの柱を記念にしようと思った。屋敷が墨で汚れるぐらい、毎日命のやり取りをする中では些細な事だ。


「この柱に記された数字が、儂が前に進んでいる証だ」


 そう呟いて、吉良は瞑目し頷いた。


「いや、言ってみただけだな。うん。格好を付けても始まらん」


 適当に流して筆を放り捨て、その日が始まった。


 

 例によって部屋で一人会議を始めて今回の対策を練る。


「前回は火附改に援軍を頼んで失敗した……この江戸府内で、他者のために使える戦力を持つ者はそう居ないのだが」


 旗本や大名は兵力を持っているが、それは幕府のための兵だ。貸してくれと頼んで派遣してくれるわけではない。

 一方で火附改は江戸に出る盗賊や放火犯を捕まえる、警察のような役目を持っていた。とはいえそれも、他人のためというよりは将軍の居る府内の狼藉者を捕縛するというのが存在理由であり、他人のためになっているのは副次効果だ。

 それでも狼藉者の被害を受ける一般人からしてみれば頼もしいのだろうが、吉良邸を襲う狼藉者に関しては盗みも放火もしないので彼らの管轄外に当たるようだ。


「火附改があてにならんというのならば……よし、次は町奉行所に通報してみよう。他に兵を回せるところもおらぬからのう」


 さすがに近所に住んでいてフットワークの軽い中山直房のように町奉行が事情を聞きにやってきてくれるとは思えないので、赤穂浪士を捕縛してくれるように手紙を書く。襲撃されるという吉良の言葉を半信半疑な家臣に言葉で伝えさせるよりは、しっかりと書状にした方が向こうも真剣に取り組んでくれるはずだ。

 そうして吉良は早速手紙を持たせて南町奉行所へと持って行かせたのが朝四ツ(午前十時)の鐘が鳴った頃であった。

 そしていつ返事が来るか、或いは誰か使いの者がやってくるかを待つことにした。



 吉良が家来に手紙を届けさせて、一応は奉行所の与力に手紙を預けたが町奉行・松前嘉広は留守であった。

 登城中である。町奉行は老中と仕事のやり取りをするためにほぼ毎日、江戸城に朝から出向くのであった。

 嘉広が帰ってきたのは昼八ツ(午後二時)をかなり回ったぐらいだろう。そして奉行所に帰っても、訴訟状や取り調べの詮議の書類が溜まっている。それらは多いときには必死に処理をしても夜中まで掛かることも珍しくない。江戸の民生全般に、司法・立法・行政・警察・消防など様々な役割を持ちながらも同心与力合わせて三百人しか部下が居ないので上司である町奉行の仕事はひたすら忙しかった。過労死する者も居たぐらいである。

 そんな中で、吉良からの書状が渡されて嘉広は顔をしかめながらそれを確認した。


「赤穂浪士が放火する計画で今晩やってくるから逮捕してくれ、とある」

「本当でしょうか?」


 嘉広から内容を聞かされた筆頭与力は疑わしげに声を出した。


「そもそも仇討ちなのに、放火なんてするわけがないだろう。死体が焼けて検分できなくなる。大方、被害妄想をしたご隠居の考え違いだ。恨みを買って忠義者を敵に回すから疑い深く怯えて生きることになるのだ」

「では、襲撃も嘘ですか」

「さてな。しかし、亡き主君のためにこうして多くの浪士が復讐を誓うというのは、並大抵のことではない。普通の侍は、主君が死んだら自分のこれからの生活を嘆く。だが彼らは貧困に喘ぎつつも、堅い結束で結ばれて一文の得にもならないかもしれないことをしようとしている。それを忠と呼ぶのだろう」

「……随分と赤穂浪士らを買っているのですね」


 与力が意外そうに聞いた。

 町の様々な情報が入ってくる嘉広は当然ながら江戸に五十人に及ぶ赤穂藩の浪人がやってきていることを知っている。

 亡き主君の墓参りという名目だが、その目的が仇討ちにあることは容易に想像できた。


「それに、武士同士の問題は町奉行の管轄外だ。過剰な干渉をすることはない」

「では手紙はどうしましょうか」

「本所廻りの同心を回して、なにか町奉行所の管轄内での事件が起きた場合はすぐに駆けつけると伝えておけ。万が一、本当に火でも上がったら出動する」

「了解いたしました」


 そうして、その後の顛末はわかるかもしれないが。


 案の定、町奉行所から援軍は来なかった。

 吉良は屋敷に討ち入りしてきた赤穂浪士を相手に、家臣らと共に絶望的な戦いに挑んだ。


「吉良ッッ! お前、逃げるな! 戦うことから逃げてなんになる!」

「おのれ役人共オオオ!」


 怨嗟の叫びをしながら、唯七から全力で逃げ回っていたら他の赤穂浪士に見つかってしまい、


「吉良覚悟!」


 と、正面から刀で斬りつけられて敢えなく死亡した。 




 吉良義央、赤穂浪士に刀で斬られて死亡。


 余談だが時の町奉行、松前嘉広が役目をしていたときに赤穂浪士襲撃に関して後世に残っている記録がある。

 赤穂浪士の吉良邸討ち入りを大層に感激して、他に類を見ない忠義者だと赤穂浪士を褒め称え、無罪を主張したという。

 とても吉良の味方にはなりえない考えの人物であった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ