第5話 私がツンデレになった理由
懐かしい夢を見た。
8歳の私が、クリスティアン様に保護されてエイベル邸にやってきた頃の夢……
「オーレリアお嬢様、もう少し召し上がらないと、元気になりませんよ。さあ、もう少し…」
「いらない、別にこのまま死んでしまってもいいもの。お兄様も、きっともう私には会いに来てくれないのよ」
勢いよく布団の中に潜り込んで、私はそのままぎゅっと目をつぶった。
「リア、メイドを困らせては駄目だよ」
夕方まで、ウトウトと眠っていた私は、クリスティアン様の声で布団から顔を出した。
「クリスティアン様…お兄様は見つかりましたか?」
クリスティアン様の顔が曇ったのを見て、ポロポロと涙が溢れた。助け出されてから7日ほど経ったが、私の涙は枯れることなく流れ続けていた。
「泣かないで、リア。水分もあまり取らず、食事もほとんど食べていないのに、これ以上泣いてしまったら脱水症状になってしまう…キースから君を託されたんだ。お願いだから、少しは食べて…」
小さく切ったリンゴを口元に差し出されたが、私はじっとクリスティアン様を見つめるだけで、口を開けることはない。今日も治癒魔法師のマルク様がやって来て、私が死なないようにと治癒を施して帰っていった。きっと死なせてくれる気はないのだろう。
「もう、このまま生きていても、何もないのです…お願いですから、死なせて…」
クリスティアン様の綺麗な顔が一瞬歪んだように見えた。気づいた時には、私はクリスティアン様に抱き上げられテラスにいた。クリスティアン様は私の腰を掴むと、そのまま私をテラスの柵の外に掲げた。
「きゃっ、何をするのですか!」
ここは3階のテラスだ。階下の地面が私のつま先のはるか下に見える。かなりの高さに、無意識にぷるりと体が震えた。
「何って、リアが死にたいというから手伝ってあげようとしているんだよ。僕がこのまま手を離したら、君はきっと死ねるよ。さあ、どうする?そうだ、10数えたら手を離そうか?1、2、3、4、5、6・・・」
このままだと地面に私は落とされる⁈…いや、怖い、いや…
「いやっ死にたくないっ!!」
フーッと長い息を吐いて、クリスティアン様は私をテラスの地面に下ろした。
「死にたくないのなら、ちゃんと食事をするんだ。そして元気になったらキースを探す手伝いをして欲しい。僕はまだ君の兄の生存を信じているんだ。だから妹のリアも信じて、しっかり生きて欲しい。お願いだから、これ以上自分で自分を傷つけ…ないで欲しい…」
パッと見上げたクリスティアン様は泣いていた。なんて綺麗な泣き顔なのだろう。
「…ごめんなさい、クリスティアン様」
素直に謝ると、クリスティアン様は優しく抱きしめてくれた。
部屋に戻ってきた私は、何気なく鏡に映った自分を見た。そこには無表情なまま涙を流す、人形のような姿が映っていた。怖い、はっきり言ってホラーだ。あまりの衝撃に、その日から私は涙を流すのを辞めた。
鏡に映る私、無表情でピクリとも動かない表情…8歳の少女は思った。この顔で今までと同じように、可愛らしい声と話し方が適正なのかと。答えは否だ、違和感しかない。どうしたらいいか悩んだ結果、この無表情に合う話し方をあみ出した。言葉に感情は乗せず、抑揚も出来るだけつけず、声は低めを心がけた。
クリスティアン様には受けは良くなかった(泣き崩れた)が、お屋敷の人たちには概ね受け入れられた。こうして今の話し方が確立されていった。
クリスティアン様のお屋敷で、お嬢様として過ごさせてもらっていた私だったが、結局兄のキースはいくら探しても見つからず、気づけば4年の月日が過ぎていた。クリスティアン様が雇い入れた家庭教師から淑女教育を受け、その教育課程もほとんど終了していた。
このままお世話になっていることに耐えられなくなった私は、何か仕事がしたいと申し出た。勿論、貴族令嬢としての生活しか知らない私に、一般的な仕事が勤まるとは思っていないけれど、少しでも受けている恩を返したかったのだ。
そんな私に「じゃあ、僕の弟子になるかい?」と、クリスティアン様が言ったのだ。
「え、でも私は、生活魔法以外、使える魔法がありません。白の魔法使いであるクリスティアン様の弟子になるには、何もかも足りません…」
「ああ、そんなこと気にしなくていいよ。僕がいいと言うのだから、リアは僕の弟子だよ」
こうして私は、弟子として王宮に通うことになるのだが、結論から言うと、私は弟子になったことをすごく後悔した。
お屋敷で過ごすクリスティアン様は、優しく頼りになるお兄さんだった。しかし現実は違ったのだ。彼は私の前で大きな猫をかぶっていた。ダメダメな部分は見せなくても、お屋敷では何とかなっていたのだろう。(主に執事のトーマスさんやメイドや使用人の努力で)
弟子として出仕した初日、クリスティアン様の執務室(汚部屋)を見て、私は盛大に混乱したのだ。勿論顔には出ないので、無…である。
「ごめんね、ちょっと散らかっているんだ。僕一人で仕事をしているから…」
ちょっと散らかっている?書類の山とゴミの山、そして書籍の山で座る場所はおろか、足の置き場も見当たらないこの部屋が??うず高く積まれた山が崩れて生き埋めになるかもしれないこの部屋が???ここで仕事をしていたと言われても信じることは出来ない。よくこれでクビにならなかったものだ。
「これは…私一人では無理です。今すぐに秘書か助手を雇って下さい!!」
そして、クリスティアン様が渋々雇い入れたのが、現在、秘書兼助手を務めるエルマー様だ。エルマー様はクリスティアン様の知り合いで、いろいろな意味で残念なクリスティアン様のこともよく理解していた。忙しくなり甘味と紅茶が切れると不機嫌になることを除けば、とてもいい人材だと思う。
こうして私は、理想の王子様改め、ダメダメ魔法使いの弟子として働くことになったのだ。
12歳で弟子として勤め出した頃は、王宮に出入りしているご令嬢も、私のことを敵視することはなかった。どちらかというと小柄だった私は、見た目だけで言えば10歳くらいにしか見えなかったのだ。
嫌味を言ってくる魔法使いは、クリスティアン様の転移魔法で迷子になっていたし、ご令息も以下同文だ。14歳になる頃には、ご令嬢の嫌味攻撃が始まったが、私に何かすると迷子になるという実績があったため、それを恐れて、あまり酷い事を言われなかったのは不幸中の幸いだった。
兄のキースを探し始めて6年が過ぎ、兄に会えるという希望を抱くことに疲れ果ててしまった。
今思えば、クリスティアン様が、兄のキースを探す手伝いをして欲しいと言ったのは、私が生きる希望を持てるようにするための口実で、その時点で兄の生存は絶望的だったのかもしれない。
私と同じ母譲りのピンクブロンドの髪、お父様似のアクアマリンのような瞳を持つ、10歳年上の優しい兄だった。あの日、私たちに何が起こったのか、今も犯人は捕まらず火事になった理由も分かっていない。