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第35話 お兄様の帰還

「お兄様、お帰りなさい。無事に戻れて良かったです」

 3か月後、兄のキースがタランターレ国に戻ってきた。行方不明改め、長期出張という名目での帰還だ。(かなり無理があると思うのは私だけだろうか?)

「ただいまリア。帝王様のお陰で、何とか上手く帰国できたよ」

 あれから帝王様付きの外交官として3か月間働くことを条件に、お兄様は無事タランターレ国に戻って来られたそうだ。3か月間何をしたかは言えないように魔法契約までしたそうだが、間諜として潜入したことは不問としてくれたので、そこは感謝しかないそうだ。

「本当に良かったです。でも今からのことを考えると、気が重いですね…」

「そうだね。伯父上には事と次第によっては、罰を受けていただかなければいけないだろう。今までアドキンズ侯爵領を真摯に管理していただいていたのだから、そこは考慮するとして、あとは陛下にお任せする予定だ」

 私が帰って来てからも伯父様には、私個人としての接触はしていない。聖女がガレア帝国から帰ってきたことも内緒にして、天界樹の祈りはクリスティアン様に頼んで転移魔法で移動していた。

「お兄様が戻って来るまで、私はまだガレア帝国にいることになっていたので、やっと堂々と王宮に行けます」

 白の魔法使いの弟子としての出仕は控え、クリスティアン様のお屋敷でこっそり暮らしていた。祈りの時間だけが唯一の外出だったので、ハッキリ言って暇だったのだ。

「明日一緒に王宮に行こうね。僕は帰国、リアも一緒に帰国ということになっているから。同時に明日、僕はアドキンズ侯爵を引き継いで、リアはアドキンズ侯爵令嬢としてクリスとの婚約を発表する。忙しいけど、頑張って乗り切ろうか…」

 今まで止まっていた時間が流れ出すような感覚がした。殺されてしまった両親のことを想えば複雑な心境だ。26歳でアドキンズ侯爵を受け継ぐ兄もまた感慨深げに微笑んでいた。ちゃんと時間を取り戻すには、乗り越えなければならない試練がまだあるのだ。


 翌日、兄と共に王宮へ向かうために、私は朝からエイベル伯爵家で着飾るための準備をしていた。当主であるクリスティアン様との婚約発表もあるため、エイベル家の侍女やメイドは朝から戦いにでも行くような気合で、私を磨き上げていた。

「あの、メリ…このコルセット、もう少し緩くならないかしら。背骨がボキボキなっているような、いないような…」

「まあ、これくらいは淑女なら我慢ですわ!旦那様の隣に立つのですから、今までで一番美しいオーレリアお嬢様でなくては!」

「う…それは、確かに。でも、私がいくら頑張っても、クリスティアン様に並び立つのは無理があると思うの」

「何をおっしゃいます。呪いが解けて、表情を取り戻し、さらに成人を迎えられたオーレリアお嬢様は、花も恥じらうほど可憐ですわよ。自信を持ってくださいませ」

 小さい頃から私についていた侍女のメリは、きっと私のことを過大評価してしまうのだ。可憐なんて言葉、私には似合わない…

「このメリにお任せください。きっとクリスティアン様も惚れ直すほど素敵にしてみせます!」

 メイドたちも気合を入れて頷いた。私だけが茫然としている間に、準備は着々と進んで行った。


「さあ、完成ですよ。お化粧は初々しく控えめにいたしました。オーレリアお嬢様、素晴らしいですわ」

 メリが賞賛の言葉と共に、大きな姿見の鏡の前へ私を連れて行った。そこには可愛らしい薄紫のドレスを着た、可憐と言えなくもない私が立っていた。

「これが私…すごいわ。化粧の技術と髪型、ドレスと装飾品が素晴らしいのと相まって、ちゃんと可憐な令嬢になっているわ」

「そこは素直に、私、綺麗とおっしゃってくださいな…」

「そうね、綺麗にしてくれて、皆ありがとう」

 メリとメイドの皆が、やり切った達成感で満足げに微笑んだ。

 コンコンとドアが叩かれ、クリスティアン様が入ってきた。この姿に対する反応が気になって、私は思わず俯いた。

「リア、綺麗だね。女神様みたいだ」

「それは言いすぎです。でも、メリやメイドの皆が頑張ってくれたので、少しはお嬢様に見えるでしょうか?」

 クリスティアン様が私の右手を掬い、そっと指先にキスを落とした。

「可愛いよ。綺麗だ。誰にも見せたくないくらい可憐だよ、リア。大丈夫だ、今まで君のことを、悪く言っていた奴ら全員がそう言ったことを後悔するくらい、君は魅力的な女性だよ」

 クリスティアン様の真っすぐな視線が、今言ったことは本心だと伝えてくる。私は嬉しくなって微笑んだ。

「リア、やっぱり今日はこのまま二人でいた方がいいかもしれない。誰かに見られたら、攫われてしまうかも…」

 本気で心配するクリスティアン様を、メリとメイドが無視をして、私を兄のキースが待つ応接間へ連れて行った。

「お待たせしました。お兄様」

「綺麗だよ、リア。こうして見ると、母さんに似てきたな」

 お母様は社交界の華と言われ、男性の求婚が絶えない美しい女性だった。そのお母様に似ているなんて、ちょっと嬉しい誉め言葉だ。

「ありがとうございます、お兄様」

「リア、キースの言うことは、素直に返すんだ。拗ねていいかな…」

「それは、クリスティアン様のいい方が少し過大評価な気がして、どう反応していいか困るのです」

「そうなんだってさ。でも僕も今日のリアは素敵だと思うよ。堂々とクリスの隣に立てばいいんだよ」

 お兄様が、髪型が崩れないように優しく私の頭を撫でた。私は照れながら兄に微笑んだ。

「ズルいよ、僕もリアにもっと微笑まれたい」

「恥ずかしいから嫌です。さあ、そろそろ出発しないと、王宮で陛下がお待ちですよ」

 私はそのまま部屋を出て、馬車が待つ玄関ホールを目指した。


 お兄様が帰るまで、エイベル邸に匿ってもらっていた私は、クリスティアン様の数々の甘い言動に困っていた。素直に思ったことを口に出すので、照れてどう答えていいかよく分からないのだ。 

 なので、時間を持て余していた私が、最近読んでいた本は「悪い男に騙されない方法」「社交界でスマートに誘いを断る方法」「お世辞を華麗にスルーする方法」というタイトルの指南書ばかりだった。

 一度、本を読んでいる時に部屋に入ってきたクリスティアン様が、首を傾げて「これはどうして読んでいるの?」と聞いたので、「身の危険を感じることがあるので、一応備えておこうと思いまして」と答えたが、それがクリスティアン様自身のことだとは思っていない様子だった。

 待ての出来ない駄犬ならいいのだが、最近のクリスティアン様は色気のある狼なのだ。私は追い詰められたハリネズミで、針を立てなければ、一瞬でぱくりと食べられてしまいそうだ。


「お兄様、これで私もアドキンズ侯爵邸に戻れますね」

 一瞬クリスティアン様の顔が曇った。私は家に戻れる安堵であまり気にとめていなかった。これ以上同じ屋根の下いたら、クリスティアン様の望みを叶えてしまいそうなのだ。(ここは逃げ一択でしょ)


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