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第34話 クリスティアン様が甘いです

「私は、用意されている馬車に乗って帰ります。クリスティアン様は転移門の前で待っていてください。勝手に迎えに来ないで下さい」

 シュンとするクリスティアン様を見ないように、私は帝王様に別れの挨拶をした。そして見送ってくれる子供たちに手を振って馬車に乗り込んで、窓の外を見ていたのだが…


「どうして一緒に馬車に乗っているのですか?転移魔法で飛んだ方が速いでしょう?」

「だって、折角リアを迎えに来たのに、別々に帰るなんて寂しいじゃないか…」

 クリスティアン様の頭に、待てをする犬の耳が見えた気がした。ダメだ、それすら美しいなんて…

「たった半日の差ですよ。待っていてくれたら…」

 私も素直にクリスティアン様にただいまを言えたのに…

 この馬車の中は、じっとこちらを見つめるクリスティアン様と、ずっと無視する可愛げのない私二人きりの空間だ。半日もこの状態でいるのは、流石に気が咎めた。

「勝手に来たのは、悪かった、と思っているよ。でも、やっと気持ちを伝えあって、これからこの想いを更に知って欲しかったのに、ずっとお預けをされていたんだよ…」

「う、それはそうですが、クリスティアン様がいろいろと想定外のことを私にしたのがいけないのであって、決して私が会いたくなかった訳ではなくて、ですね」

 ずっと会いたかった、側にいてここに来る前のように、クリスティアン様をお世話したかった。いきなり恋人らしいことは無理でも、少しずつ距離を縮めていけたらいいと願っていた。

 お兄様を恋人だと思っていたり、他の恋人とのことを考えてモヤモヤしたり、そういうこと全部を気にしなくてもいいように、これから一歩ずつ。

「昔いた恋人たちのことを気にしないように努力します」

「ん?いきなり話が見えないな。リアは僕の恋人だった女性が気になっていたの?」

 私はコクリと頷いた。兄のことは誤解だと分かったが、前に恋人がいたらしい、それは何となく気づいていた。ポケットから女性用のハンカチが出てきたり、着ている服から女性用の香水の匂いがしていたこともあった。まだ幼い私にそれをいちいち説明するのは違うと思うが、今の私は気になっている。

「いなかった、とは言わないよ。何人かいた。でもね、直ぐに振られてしまうんだ」

「え…?」

 こんなに美しいクリスティアン様を振る??私は訳が分からなくて、首を傾けた。

「可愛いリア。理由は君だよ。デートしている最中に、君が風邪をひいたと知らせが来たら、すぐに帰宅したし、転んで怪我をしたと聞いても帰っていたからね。絵本を読む約束、食事を一緒にとる約束をした日はデートを断ったし、何をするにも君を一番に思って行動していた。僕からしたら当然の行動だったけど、彼女たちには屈辱だったそうだ。いつも怒らせては、別れを告げられていた」

「それは、申し訳ないことを…」

 当時のことを思い出して、私は少しクリスティアン様を気の毒に思った。子供を抱えて、自由に恋愛も出来なかったのだろう。

「違うよ、リア。彼女たちには申し訳ないけど、結局僕は、その恋人たちを君以上に大切に想えなかったんだよ。あなたはその子供を愛しているって言われた時は驚いたけど、彼女が言ったことは間違ってなかったってことだ」

「クリスティアン様」

「僕は君と出会ってから、ずっと君のことが大切だったんだ。勿論幼い頃は家族のように、そして今は恋人として、リアのことが大好きで一番大切だ」

 蕩けるような笑顔でそんなことを言われ、嬉しくて顔が緩む。きっと無表情でなくなった私は、言葉より早くそれをクリスティアン様に伝えてしまっているのだろう。

「真っ赤だね、リア。可愛いな」

「か、揶揄わないで下さい」

 私は慌てて俯いて、赤く染まった顔を隠した。この時だけは、無表情でない自分を恨めしく思った。

「怒ったリアも、照れているリアも、いろいろな顔のリアが見たい。無表情のリアも可愛かったけど、僕のすることに反応をしてくれるリアはもっと可愛いから、今から楽しみだよ」

 クリスティアン様は私の頬をそっと持ち上げて目線を合わせると、極上の微笑みを浮かべた。(駄目だ、今すぐ倒れていいだろうか)

「これ以上は無理です。その顔を見せないで…」

「ええっ、リアは僕の顔、好きだよね?」

 確かに整った美しい顔立ちは、世の中の一般的な女性なら誰でも好きだろう。私もはっきり言って好きだ。

「それはそうですが、この距離で眺めるのは、小さい頃以来なので、免疫が切れたといいますか、慣れないといいますか…兎に角、距離を、距離をとってください!」

 ただでさえ馬車の狭い空間で、呼吸の音すら聞こえそうなのに、更に膝がつきそうなほど近づいて来るなんて、これ以上は耐えられない。

「ふふふ、リアは可愛いな。でも、もう僕たち婚約者になるんだよ。これくらいの距離でも、いいと思うな。ダンスを踊るときはもっと密着するし、恋人ならもっと…」

 クリスティアン様は私の耳元で囁いて、そっと頬にキスをしてから離れた。触れられた頬が熱を持つ。

「くっ待ての出来ない駄犬は、今すぐ馬車を追い出します!」

「え、僕、駄犬なの?まぁいいか。可愛いリアがもっと見たいけど、今は、待ってあげる」

 犬であるなら、きっと高級な血統書付きの犬であろうクリスティアン様が、向かいの席に大人しく座って微笑んだ。

「あの、婚約者って、言いましたよね?」

「うん、もう陛下には内々に許可は貰っているから、キースが帰国してアドキンズ侯爵を継いだら、正式に申し入れるよ。早くて3か月後くらいかな。キース次第だね。早く帰って来られたらいいんだけど」

「本当に、私でいいんですか?」

 恋人にもなっていない私を、いきなり婚約者にして本当に大丈夫なのか心配になった。付き合ってみたら違ったと言われる可能性だって、無いとは限らない。貴族同士の結婚なのだから、政略的なものもあるのは事実だ。でも結婚するなら、愛し愛される関係がいい。

「リアがいいんだよ。僕はリアしか見てないから、今更無理だって言われても、もう逃がしてあげられないよ」

 一瞬、高級犬だったクリスティアン様が獲物を狙う狼に見えた。これが愛なのか、はっきり言って今の私では、経験不足で判断ができない。でも、そう言われて怖いと思う前に嬉しいと思ってしまったのだから、私も大概毒されているのだろう。

「逃げる気はないですよ。逆に逃げ出さないでくださいね。これでも一応繊細なので…」

「勿論だよ。僕が逃げることは絶対にない。そしてリアのことは絶対に逃がさない。ちゃんと僕に愛される覚悟をしてね」

「……まだ、婚約もしていないので、出来るだけゆっくりと、お手柔らかにお願いします」

 精神を疲弊させるほど破壊力のある笑顔に、私はドキドキとしながら視線を逸らした。

「オーレリア、愛しているよ」

 手を掬われて、思わず見上げた途端、唇に温かいものが触れた。すぐに離れたそれがクリスティアン様の唇だと理解した途端、私は馬車の座席に倒れ込んだ。(クリスティアン様は待ての出来ない狼でした)


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