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第29話 帝王様と宰相

「帝王様、今日こそは執務室に来て…」

「うるさいぞ、今日もここで過ごす。執務は任せる」

 いつもの会話が目の前で今日も終わった。

 朝の祈りが終わり、帝王様も一緒に朝食を食べていると、食べ終わる頃に宰相様がやって来る。今日は会議です。いや行かない。決済の書類があります。宰相に任せる。

 最初は聞いていいのか困惑していたが、毎日同じような会話がされていれば、私でなくても慣れるようだ。実際ここにいる子供は、宰相様のことを「うるさいおじさん」と呼んでいて、会話の内容も分かっていないが、気にも留めていない様子だ。

「リリア、散歩に行かないか?庭の薔薇が綺麗に咲いている」

「いいですね、子供たちも誘いますか?」

「そうしよう。花の名前を教えてやろう」

 平和な箱庭で、何も気にせず生きているように見える帝王様が、私には追い詰められて、苦しんでいる様に見えていた。だから何も言えなかった。沈みゆく船に乗っている様な不安が常に付きまとうのに、私はずっと目を背けている。


「兎に角、怖いほど平和で危うい状況なので、早く何とかしたいと思うのに、結局気がついたら一日が終わっているので、すごく罪悪感があるんです」

 早朝の祈りの時間、天界樹の周りには人影すらない。天界樹にもたれながら、兄が眠そうに欠伸をした。

「ふーん、それでリアは、いつもこんな早くで眠くないの?僕は眠いよ~」

「子供たちと一緒に早い時間から寝るので、この時間には自然と目が覚めるのです。それに後宮は忍び込めないから、朝早くに神殿で祈って欲しいと言い出したのは、お兄様ですよね」

「そうだ、僕だったね。夜中の方が活動しやすいから、朝は苦手だってすっかり忘れていたよ…昨日もアルフ殿下と打ち合わせでさ、夜中までかかったから眠いんだよ」

 兄はもう一回寝てから外交官の仕事に行くと言って、朝日で出来た天界樹の影の中に消えていった。


「おはよう、リリア姉様。今日はどんなご飯かな、楽しみだね」

 朝食は子供たちと一緒に食べるか、帝王様と食べている。今日はまだ寝ているようで、帝王様の姿はなかった。

 毎日観察していると、この後宮の中の生活が見えてきた。現在20名ほどの子供たちが後宮で暮らし、年齢は1歳から10歳で、11歳の誕生日が来ればここを出ていく。といっても、追い出されるわけではなくて、王宮が運営している孤児院に移るだけだ。

 そこで残りの5年の生活を保障され、自分に合った勉強をしているそうだ。優秀な子は、帝王様が持っている支援団体が、大学に行く資金援助もしてくれる。ここを巣立った子供たちは優秀な子が多いようで、すでに大学も卒業して各分野で活躍、もしくは王宮で勤めている人もいるそうだ。

 子供たちは、ここで字を学び語学や算術も学んでいる。自然と学べるような仕組みが出来ているのだ。更に3食おやつ付きで、食事の栄養バランスまで考えて提供されている。

「ある意味理想郷なのよね…」

 意味のない箱庭だと思っていたけど、将来的には優秀な人材として国に貢献することになるのだから、むしろ意義のある箱庭だ。王がいなくても優秀な人材が育てば、国は支えられるようになるのかもしれない。

 それに、実は帝王様は執務をしていないわけではなかった。夜中に必要な決済をこっそりしている。昨晩も大量の書類が後宮に届いたので、夜遅くまで部屋の明かりがついていたと、夜中に目が覚めた子が教えてくれた。それで今日は朝食の席にいないのだ。

「でも、どうして隠れてしているのか、そこが不思議よね…」

 表立っては何もしない帝王を演じ、裏では執務をこなしている。宰相様が知っているのなら、毎朝執務室に来るように催促することはないと思うので、内緒でしている可能性が高い。

 お兄様にも伝えているが、今はそのまま静観するそうだ。忙しそうなお兄様と会えるのも、朝の祈りの時くらいで、それも兄が起きた時のみとなるので、3日に一度程度だ。

「リリア姉様、今日は算術を教えてください。あと、タランターレ国についても聞きたいです」

「はい、では席について待っていて。すぐに行くわね」

 今年11歳になる子供たちが、熱心に勉強をしているので、祈りが終わると私も子供たちの勉強をみるようになった。孤児院は後宮よりは恵まれていないと聞くが、それでもタランターレ国にある孤児院よりはかなり優遇されている。「子供は国の宝だからな」というのが帝王様の口癖だ。

 子供を大事にする帝王様が、いくら他国とはいえ聖女だと思われる少女を奪ったり、一家を惨殺する指示を出すのか、最近はその事が気になって仕方がなかった。帝王様が聖女を攫うよう指示しましたか、とも聞けなかった。

 それからしばらくは、とても平穏な日々を過ごしていた。兄のキースも忙しいのか、寝坊しているのかは分からないが、朝の祈りの時間に現れることもなくなっていた。


 いつも通り朝の祈りを済まし、子供たちと朝食をとっていると、後宮の入り口の辺りが騒がしくなった。

「リリア姉様、誰かが怒っているのかな?怖いよ」

 子供たちが怯えだした。私が様子を見に行こうと席を立ったところで、食堂の扉が乱暴に開いた。

「皆さま、そのまま動かないで下さい。手荒なことは致しません」

 数名の兵士が食堂の入り口を塞ぐように立った。子供たちは身を寄せ合い怯えている。

「何事ですか?ここが帝王様の後宮だと知っての狼藉ですか?」

「聖女様、当然知っております。ここへ来たのはマクシミリアン宰相様の指示でございます」

「…それで、この子たちをどうするのです。私に用があるのなら、従いますから手出しはしないで下さい」

 子供たちが、私の服をギュッと引っ張った。子供たちに視線を向けて、安心させるように微笑んだ。

「子供たちは、部屋へ連れて行き、そこで監視します。聖女様は王宮へお越しください」

「帝王様は?」

「王宮の地下牢へ連れて行くように指示されています」

 言い辛そうに兵士が目を伏せた。宰相が指示を出して帝王様を地下牢へ入れるということは…

「これは、クーデターですね…」

 一瞬お兄様の仕業かと思ったけれど、それならばガレア帝国の兵士は動かないはずだ。帝王様の執務放棄に、為政者の資格なしと判断した一部の臣下の謀反と考えていいのだろうか?

 私は素直に従った。兎に角、子供たちに類が及ぶような事だけは避けたかった。

「大きな子が、小さな子たちの面倒を見るのよ。大丈夫、すぐに戻って来るからね」

「リリア姉様、気をつけてね」

 私はもう一度、子供たちの顔を見て微笑んだ。


 兵士について王宮を歩いていると、王宮に勤めている人たちとすれ違った。彼らは何事もなかったように、普通に働いていた。私が兵士と一緒に歩いている様子を見て、怪訝そうな顔をしている者までいた。

 連れてこられたのは、本来帝王がいるはずの執務室だった。


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