第三皇女の私が処刑されるまでの七日間〜絶望?しません。罪をなすりつけた婚約者に倍返しいたします〜
「もう嫌。どいつもこいつも私に興味なんてないくせに、魂胆が見え見えなのよ」
自室に戻るなりドレスを脱ぎ捨てると、天蓋付きのベッドに下着姿で飛び込んだ。
前世で不慮の事故にあって死んだはずの私は、どうやら転生とやらをしたらしい。こっちの世界に生まれ変わって十七年目になる。
婚前披露宴という無駄なしきたりに、諸外国の王侯貴族や大商人が集まるなか苦手な作り笑顔を続けて結果、顔の筋肉が痙攣している。
「婚前披露宴の間、お嬢様は休む暇もなく喋りっぱなしでしたもんね」
「そうなの。私なんて元は小国の三女よ? それが突然、魑魅魍魎が跋扈する社交界に放り込まれて平気なわけないじゃない」
同い年の侍女のニナは、視界の隅でティーカップに香り高い紅茶を注ぎ入れている。
立ち昇る湯気から漂う独特な甘い匂いは、私の好きな東のサムネール産の茶葉だった。疲れ切ったときに好きな銘柄を選んでくれる気遣いが、今は心に温かく染みる。
寝間着のネグリジェに着替え、寝転がりながら左手を掲げると、薬指には身の丈を遥かに上回るサイズの宝石が、照明の光を淡く反射して輝いていた。
なんでも私が嫁ぐこととなったユースティア王国の、王位継承順位第一位の長男に嫁ぐ妃に代々送られる国宝なのだとか。重くて重くてかなわない。
「ねぇ、ニナ」
ワゴンで運ばれたティーカップを受け取り、匂いを愉しみながら口をつけると数種類の果実の香りが鼻腔を通り過ぎていく。
「なんでございますか?」
「ニナは好きな人とかいる?」
「す、好きな人でございますか!?」
突然の質問に顔を真赤にして狼狽える姿を見て、自分と同じ生娘であることを確信しホッと胸をなでおろす。
もしもニナに将来を約束している男でもいたら――大事な友を奪わないでと抗議するかもしれない。
「私は、その……好きという感情がよくわかりません。お嬢様こそどうなんですか?
マルクス皇太子に見初められて、いまや次期皇后だと騒がれてるじゃありませんか」
「ちょっとニナ。あのボンクラと結婚することが嬉しいわけないでしょ」
しばらく沈黙が続くと、同時に吹き出して笑いあった。近い未来に、私の〝旦那様〟になる予定のマルクス皇太子は、外見の良さだけがウリで政治手腕などまるで期待できない御方だった。それは城内で働く者なら周知の事実。
此度の婚約も元を辿ればよくある政略結婚の一つにすぎない。
私が暮らしていたザガインという国は、ユースティア王国の西に隣接する小国でありながら、希少な鉱物を産出する鉱山を保有しているという理由で、長年大国の庇護下にあった。
しかし、ユースティア王国内に新たな鉱山が発見されたことで、自分たちの〝存在価値〟が下がるのではないかと危惧したお父様、つまりザガイン国王は、より深い縁を大国との間に結ぶ必要があると考え白羽の矢が立ったのが私、アシュリーだった。
幸か不幸か、マルクス皇太子の好みに当てはまった私は、引き合わされたその日に求愛を受けてトントン拍子で今に至る。
人身御供に利用されたことを呪いはしないが、せめて平穏に暮らしたいと、ニナとの会話で改めて思った矢先――私の体に異変が生じた。
突如指先が震え始め、それは瞬く間に手から肘へ、そして爪先まで広がり、身体を自由に動かすこともままならなくなると、そのまま床へと崩れ落ちた。
「お嬢様ッ、どうされましたかッ!?」
「い、医者を、呼んでちょうだい……」
呂律も上手く回らない。慌てて飛び出ていくニナが、大声で医師を呼んでいる声が辛うじて聞こえた。
いったい、私の身体に何が起きたのか――。次第に溢れていく意識の中で、私しかいないはずの部屋に何者かが入ってくる気配を感じた。
侵入者は倒れている私のすぐそばまで近づくと立ち止まり、確かにこう告げた。
「やっぱり、お前はいらないわ」
マルクス皇太子の声で間違いなかった。
額に感じる冷たさに目が覚めた。ずきずきと痛むこめかみを押さえて上半身を起こすと、ふかふかのベットはどこにもなくて硬い床に直に横になっていた。
次第に鮮明になっていく視界に映るのは、四方を囲む壁。正面には鉄格子と、その向こうには槍を手にした衛兵が立っている。そこで冷たさの正体に気がついた。
手のひらに落ちてきたのは水滴だった。
「ここは……地下牢? どうしてこんなところに……ウッ」
何が起きたのか理解が追いつかず、記憶を遡ろうにも酷い頭痛が邪魔をして、断片的にしか思い出せない。
「そういえば、あの紅茶を飲んでから調子が悪かったような……」
ニナがいつものように淹れてくれた紅茶を飲んで暫くしてから、身体に異変が起きた気がする。
城内で唯一気を遣わずに接していたニナが、仮に私のカップに毒を混入していたとしたら――一瞬でも親友を疑ってしまった自分を恥じてかぶりを振る。
「まさか、そんなはずないじゃない。きっと私の考えすぎよ。そこの衛兵ッ、何故私が地下牢に閉じ込められてるのか教えなさいッ!」
十分声は聞こええるはずなのに、声をかけられた衛兵は何も聞こえてないとアピールするように直立不動の姿勢を崩さなかった。
直接の主従関係はなくとも、次期国王の座に就くことが確実視されているマルクス皇太子の婚約者を、ぞんざいに扱う者などいなかった。ましてや末端の兵士が見ざる聞かざるを貫くなど、到底考えられない。
「そういえば、意識を失う前に誰かの声が聞こえた気がする……。あの声は……確か」
「なんだ、もう起きてたのか」
咄嗟に顔を上げると、鉄格子越しに冷笑を浮かべて立っているマルクス皇太子の姿があった。
ふらつく足取りでなんとか歩みを進める。鉄格子を掴んでここから出してほしいと強く訴えた。
「マルクス様ッ、何者かの策謀で、意識を失っている間にご覧の通り、地下牢に閉じ込められてしまいました。早くここからアシュリーを出してくださいまし」
「おっと、まだ何が起きたのか理解してないみたいだな。なあ、アシュリー。お前に毒を盛ったのは俺なんだよ」
「……はい? なにを仰ってるのか、わかりませんわ」
そうだ。意識を失う直前に、確かにマルクス皇太子の声が聞こえたんだ。
〝やっぱりお前はいらないわ〟嘲りながら、私に掃き捨てて記憶が完全に蘇る。
「何故……何故このような真似をしたんですか? ニナは、ニナはどこにいるのですか!」
「ギャンギャン喚くな。お前の声はただでさえ耳障りなんだからな。オイッ」
マルクスから声をかけられた衛兵は、私を残して持ち場を離れ、姿を消した。つまり、これから話す内容は外部に漏らしてはいけない類の話ということ――。
「なあアシュリー。顔だけが取り柄のイモ臭い田舎令嬢が、この次期国王の椅子が約束されている俺の妃になるなんて、おこがましいとは思わないか? 相手なんて選り取り見取り。甘い蜜に吸い寄せられて寄ってくるバカ女どもを好き勝手に食い散らすことだって自由なんだぜ」
「なにを突然……仰ってる意味がわかりません」
「ふん。相変わらずつまらない反応しかみせない女だな。まあいい」
通路に置かれていた丸椅子に腰掛けると、優雅に足を組みながら「これから話すことが本題だ」と告げた。
「実はな、冷戦中の隣国に機密情報を横流ししてたのがユリウスにバレかけたんだよ」
「……なんですって?」
「だから、隣国ギドラントの役人に機密情報を横流ししたんだっつーの。良い小遣い稼ぎになったし、次期国王を選出する際には裏から手を尽くしてくれるというから、俺の権限で手に入るだいたいの情報は全て敵国に渡したんだよ。そのことが弟のユリウスに勘付かれてな、このままだと皇太子とはいえ、国家反逆罪で極刑を免れないと考えたわけよ」
この男は大間抜けか? 呆然と聞くしかできなかった私は、すぐに地下牢に閉じ込められるに値する理由を思いついた。
だが、それは考えうる限り、最悪なケースである。
「そこで死にたくない俺は考えた。だったら〝身代わり〟を準備すればいいじゃないかって」
「まさか、その身代わりに私を?」
「そうだ。婚約も最初からこのために仕組んだ罠さ。金に目がくらんだ婚約者が、敵国に取り込まれてスパイ活動をしていた。ありきたりな筋書きだが、丁度いいだろ」
馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけれど、まさかここまで拗らせているとは思いもしなかった。力なく笑っていると、マルクスはを思い出したようにニナの名を口にした。
「お前に盛った毒は、ストレス解消に良いからと言ってニナに手渡したものだ。お前が意識を失ってパニックになったのか、それとも忠義心かは知らないが自室で短い遺書を残して、喉を切って自害したぞ」
それじゃあ、裁判でまた逢おう。
マルクスは甲高い笑い声を残して去っていった。
嘘――ニナが、自殺した? 頭の中でナニかが切れる音がした。それが何なのか知る由もないが、自分でもゾッとするほど感情が死んでいくのがわかる。
『被告、アシュリーを火炙りの刑に処す――』
最初から仕組まれていたというマルクスの言葉通り、一切の発言権もなく法廷に立った私は、自らに下された判決に愕然とした。
犯罪を立証する証拠もなく、全てはマルクスの証言を鵜呑みにした裁判官によって最初から判決が決まっていたに違いない。
ふと、裁判長の視線がアシュリーに向けられた――その目には嘲笑の色が浮かんでいる。
何者かの意思のもと、歪められた裁判に何の意味があるのだろうか。
再び地下牢に叩き込まれた私に、わざわざ会いにやってきたマルクスは鉄格子の中を覗き込みながら、醜悪極まる笑みを浮かべた。
「一週間後に死刑だとよ。しかもユースティア王国建国以来、三人目の火炙りだとよ。どんな気分か教えてくれよ」
「……うるさいわね。そんなに知りたいなら、今からでも全部自分がやりましたって自首すればいいでしょ。女王、女王って泣き叫ぶと良いわ」
「ふん。随分と生意気な口を利くようになったじゃないか。まあ、今は気分がいいからお前の無礼千万な言動も見逃してやる。次に会うときはお前の最後だ」
高笑いしながら階段を登っていく。耳朶の奥にいつまでも不快な声の残響が残るようで、気持ち悪かった。
最初から能無しだとはわかっていたが、こんな本性が隠されていたと知っていたらいくらお父様たっての頼みだとはいえ、政略結婚など断固反対していた。
「それにしても、こんなときでさえお腹が減るのね……」
処刑が確定した身でありながら、はしたなく空腹を訴えるお腹をさする。
昼も夜も定かではない地下牢に閉じ込められ、時間の感覚が次第に薄れつつあったが交代で訪れる守衛の会話を聞くに、丸一日は何も食べていない計算になる。
「ニナが焼いてくれたクッキー……また食べたかったな」
死んでしまったニナのことを思うと、腹の底が焼け爛れるような怒りを覚える。怒りは莫大なエネルギーを消費して、さらに空腹を意識してしまう。
慟哭に似た音が地下牢に鳴り響くと、それまで一度も口を利かなかった守衛が直立不動を保ったまま、口を開いた。
「飯ならじきに係の者が運んでくる。それまで辛抱してるんだな」
「だ、黙ってください! そんなことより、お父様に手紙を送りたいのですが」
「ならん。マルクス様の厳命で、処刑当日まで貴様が持ちうる全ての権利が剥奪されている」
「そんな、せめて家族に連絡をさせてください!」
いくら三姉妹の末っ子とはいえ、無実の罪で処刑されることを良しとするはずがない。事情を伝えれば、何か対策を講じてくれるかもしれない――。
そんな僅かな希望を守衛は淡々と次の言葉で断ち切った。
「これは俺の想像だが、お前の処遇は既にザガインに届いている」
「なんですって? なら、何故お父様はなんの行動も取られないんですか」
「取らないんじゃない。取れないんだ」
急に喋りだしたかと思えば、一守衛でしかない男は事態のすべてを把握しているとでも言うように語りだした。
「ここで下手に反対の意を示せば、小国でしかないザガインなど大国の足で踏み潰されておしまいだ。一国を預かる王が、娘の命と国家のどちらを取るかなど考えまでもなく理解できるだろう」
「そんな……」
「現国王もマルクス皇太子にはてんで甘い。揉み消された事件など両手の指でも数え切れん。俺の、愛娘も奴にもて遊ばれた一人だ」
そう言って振り返った守衛の右眼は、酷い刀傷を負って光を失っていた。
「貴方はいったい……」
「俺はドラム。かつてユースティア王国の騎士団長を任されていたが、今ではしがない守衛に身をやつしている」
それほどの経歴がある人物が、何故守衛をやっているのか尋ねると、震えながら拳を握りしめた。
「俺の娘は、かつてマルクスに強引に迫られていた。その度に断っていたのだが、ある日薬を盛って逃げられなくなった娘を無理やり……」
声を振り絞るドラムの話を聞いて、マルクスは以前から毒を盛る事に慣れていたんだろうと確信した。生かさず殺さず――対象の動きを封じる毒の効果は身をもって味わっている。
その後、ドラムの娘は自室に引きこもるようになり、自身の誕生日に部屋で首をくくっていたという。残された遺書にはドラムへの謝罪が記されていた。
権力を傘にし、無理やり娘を襲ったマルクスの罪をドラムは訴えた。しかし、誰にも訴えを聞き入れてはもらえず、それどころか不敬罪の判決を受け、片目、片腕、片脚の腱を斬られる罰を受けた。
ユースティア王国では、体の半分を失ったに等しい刑によって、半人前からやり直せという意味が込められている。
「俺は余計な真似をしないように、最下層の守衛の職に就かされた。今でも忘れられない……マルクスが俺に、『娘も失い、体も満足に動かせなくなったお前は半人前以下だな』と、嘲り笑ったことをな」
ドラムの怒りが手に取るようにわかる。そして、これを利用する他に脱出する機会は存在しないことも。
「そんなに憎いなら、一緒に手を組みましょう」
「……なんだと?」
「私は、私の尊厳と大切な親友を奪われた。ドラムは大切な家族を蹂躙されて失った。自分だって傷つけられて要職を追われた。全部マルクスのせいじゃない。私達、仲良く出来ると思うんだけど?」
ふっ、と初めて笑ったドラムは、途端に氷のような表情を浮かべる。
「そんな安い説得を受けるとでも思ったか」
そう告げると姿勢を元に戻した。交代の兵士が訪れると、何事もなかったように持ち場を離れ、ドラムが去っていく。
よくよく見れば、片脚を不自由そうに引いていた。
地下牢で初めて食べた食事は、パンに野菜クズのスープだった。
パンは噛み切れないほど硬い。スープにしっかり浸さないと噛み切ることもできず、スープは透明に近く味もほとんどしない。それでも一日一食の食事を摂らねば力もでないのでしっかり噛んで飲み込んだ。
なんとかして外に出られないか――。
ない知恵を振り絞って脱出方法を探るも、唯一接触を図れる外部の人間といえば守衛のドラムしかいない。そのドラムもあれ以来押し黙ってしまい、何も進展がなく丸一日を消費して、私の寿命は残すところ六日となった。
事態が動いたのは、二回目の食事を係の者ではなくドラム自ら運んできた時のことだった。
「今日の深夜、必ず起きて待っていろ」
「どうして……ハッ、まさか!」
まさか、この男ときたら元騎士団長の肩書きを持つくせに、マルクスが娘にしたようなおぞましい行為を私にしようと企んでいるのか。
「この痴れ者!」
後退りをしながらドラムと距離を空けると、この私をゴミ虫を見るような目で見下して運んできた食事を下げようとした。
ただ胃袋に詰める作業とはいえ、さらに一日空腹で過ごさなくてはいけないなんて考えたくもない。
慌てて言い過ぎたと謝罪すると、不機嫌さを隠さずに反論してきた。
「いいか、俺は生涯亡き妻一筋と決めているんだ。お前のような子供に欲情するほど落ちぶれてはない」
「ですから、早とちりしたことは謝ってるじゃないですか。えっと、深夜まで起きて具体的には何をなさるんですか?」
「俺がここから脱出させてやる」
「ここから出してくださるんですかっ!?」
思わず声を張り上げてしまい、顔より大きな手のひらで口を塞がれた。
むーむーと抗議の意を示すと、ドラムは人差し指を口元に当てて「静かにしろ」と声を潜める。黙って頷くと圧迫感から解放され、一先ず説明を聞くことにした。
「俺たち守衛は勤務時間が厳格に管理されていてな、大した仕事でもないが持ち場に一分一秒でも遅れることは許されないんだ」
「確かに言われてみれば、そのおかげというのもおかしいけど、外の時間もある程度は把握できるようになったわ」
「地下牢以外にも、城内はもとより街中にも守衛はたくさん配備されている。全員の勤務態度が真面目とは言えんが、先程言ったように時間だけはきっちり守る連中だ」
的を得ない言い方に痺れを切らした私は、さっさと用件を言いなさいと両腕を組んで先を促した。今しがた失礼な物言いをしたことなど忘れたように。
「いいか、何度もいうが守衛は時間に縛られてると言っても過言ではない。裏を返せば、時間さえ把握していれば誰にも見つからずにここから抜け出すことも可能ってわけだ」
「なんですって? でも、それじゃあ他国の密偵が自由に出入りできてしまうんじゃ」
「だから不定期に守衛の勤務時間は変わるんだよ。これでもまだ慕ってくれる部下が上層部にいてな、今日の深夜に上手く城内を抜け出せそうな経路を調べたんだ」
まさか、そこまで私の為に危険を犯してまで調べてくれたのか?。
ドラムに対する評価を改める必要がある一方、なぜ急に脱出の手助けをする気になったのか尋ねると、金属の胸当ての内側からロケットペンダントを取り出して渡してきた。
中を確認すると、一人の女性がこちらに微笑みかけている写真が収められている。
社交界に出席すれば、間違いなく男性の人気を集めるであろう美人だった。
「その写真に写っているのは、娘のモニカだ」
「……そうなの。これだけ美人だったら、さぞ自慢の娘だったでしょうね」
「ああ。まだ騎士団長だった頃、よく言われたよ。『お父さんは自慢のパパだ』ってな。それで一晩考えた――今の俺は娘が誇れる父親であるかと」
私の手のひらに大きな手が被さって、大事そうにペンダントを掴んだ。私と同じ暖かい体温を感じる。
「考えた末に、俺はお前を助けることにした。ここで見捨ててしまえば、死んでから合わす顔がないからな」
「ドラム……。本当にありがとう」
心から感謝を告げる。それから言いつけどおりに普段はとっくに眠りについている時間まで起きていた。眠そうに立つ守衛と交代したドラムと視線が交わる。
ようやく、私の復讐が始まる時が来た――。
「なんだとッ! アシュリーが脱走しただ!?」
夜遅くに執事がもたらした報告は、気分良くワインと女を嗜んでいたマルクスの興を完全に削ぐものだった。
手にしていたグラスを精緻な刺繍のカーペットに叩きつけると、派手な音で砕け散り赤いシミを作る。
「ひっ……」
服をはだけさせていた女が悲鳴をもらす。怒りに任せてグラスを叩き割る光景を目撃したことで、すっかり怯えていた。
いつもの薬を溶かしたワイングラスは、女の手の中で小刻みに震えている。決して安くはない値段だが、今日は仕方ないと判断して幾ばくかの金を握らせると、今見たことはすべて忘れるよう固く口止めして退席させた。
「よろしいのですか?」
「構わん。もし下手な真似をしたら、いつものように処理は頼む」
「はっ、かしこまりました」
女を追い出して扉を閉める。気分を鎮めるため、新しいグラスになみなみとワインを注ぎ入れた。
城内で外見がいい女を見つければ、その都度対象を甘い言葉で寝室に連れ込むのが日課になっている。一度で終わる関係もあれば、気まぐれに一月は持つ関係もある。
共通して言えるのは、少しでも俺との関係を匂わせるような言動をした女は、もれなく〝行方不明〟になるということ。
全て執事兼暗殺者のキリトに任せておけば、素人の暗殺など朝飯前のものだ。全ては次期国王の座を約束された俺にとって、大した問題ではない。
そのキリトが信じられないことを口にするものだから、思わず取り乱してしまった。
「処刑日は二日後に迫っているというのに、なんたる体たらくだ」
「仰るとおりです。しかも現場の守衛たちの勝手な判断で、情報は秘匿扱いされていました。どうやらマルクス様の耳に入る前に、自分たちで解決しようと試みたようですね」
「チッ、そいつ等全員始末しておけ。それでいつ脱走したんだ」
しかし、そもそもあの地下牢からどうやって抜け出したというのか。奇跡的に牢獄を抜けたとて、城内には監視の者が彷徨いてるというのに。珍しく頭を動かしていると、キリトは淡々と答える。
「それが、裁判の判決が下った翌日には既に脱走していたようです」
「馬鹿なッ! それでは今ごろアシュリーの行方は!」
「今から痕跡を追うには、二日後の処刑まで時間が足りません。それと、アシュリーの脱走を幇助した人間の存在も発覚しています」
やはり共謀者がいたかと納得したが、いったい何処の命知らずな馬鹿の仕業なのか。度数の高さも忘れてワインを一気に飲み干す。
「そいつの名は」
「ドラムという男です。ご存知では?」
「ドラムだと? 下々の名前などいちいち覚えていない」
「以前、マルクス様が随分と御執心だった女性の父親ですよ。娘の名はモニカだったかと」
「モニカ……ああ、そんな女もいたな」
かつて俺を拒んで、薬を盛って無理やり組み敷いてやった女の名だ。いい女だったが、最後は首をくくって自殺したと記憶している。その父親といえば忘れもしない――俺に楯突こうとした罰として、二度と戦場に立てない体にしてやった惨めな男ではないか。
「まさか、俺への復讐で手を貸したとでもいうのか」
「そう愚考致します。して、いかがなさいますか」
「そうだな。ザガインに今すぐ使者を送れ。絶対に逃げられないことを教えてやる」
「そんな、お父様とお母様が私の代わりに処刑ですって!?」
地下牢から脱出した私は、協力者のドラムと共に身を隠していた。全てはマルクスに復讐を果たすため、その機会が来るのを待っていたのだが、急遽ザガインにいるはずのお父様とお母様の処刑が執行されると広く国民に伝えられた。
「マルクスめ……ありもしない罪状を二人に被せてお前を誘い出すつもりだな。完全に皇太子の権限を逸脱してるぞ」
「あいつに権限なんて関係ないわ。この世の全てが自分のものだと考えてるんだから」
「しかし、処刑は今日だ。それまでに声をかけた協力者が動いてくれなければゲームオーバーだぞ」
現在ドラムの伝手を使って、マルクスの悪事を立証できる複数の人物に声をかけている。
だが、マルクスを裏切ることはユースティア王国に反旗を翻すことに繋がる。そこまでの胆力があるものがいるかどうかが、最大の懸念だった。
「もはや悩んでいても事態は好転しないわ。処刑まではあと何時間?」
「あと……一時間だ」
「そう。ねえ、ドラム」
「なんだ」
護身用に渡されていたナイフを鞘から抜き出す。鈍色に光る刃には思い詰めた自分の顔が映っている。
いざという時は刺し違えることも辞さない覚悟を決めて、再び鞘に戻す。
「もしもの場合、私と一緒に死んでくれる?」
「ああ。マルクスへの復讐が果たされるのなら、はなからそのつもりだ」
無言で頷くと、ローブを羽織って処刑が行われる予定の広場へ向かった――。
広場には異様な熱が渦巻いていた。
「殺せ!殺せ!」とがなり立てる群衆に取り囲まれ、薪を積み重ねた上に組まれた十字架にザガイン国王とその后が張り付けられている。
投げつけられる石礫に顔を歪めて苦しそうに藻掻いていた。
一等席でその光景を見下ろしていた俺はキリトを呼び寄せて伝える。
「そろそろ時間だ。薪に火を点けろ」
「マルクス様。本当にあのお二方を処刑してもよろしいのでしょうか」
キリトが小声で話しかけてくる。この俺に口を挟むような真似をするのはキリトぐらいだが、さすがに小国とはいえ一介の王とその后をともに処刑することに、一抹の不安を感じているのかもしれない。
隣には国王が座っているが、此度の処刑を受け入れているとも拒否しているとも思えない諦念の表情が浮かんでいる。
親バカも過ぎると都合のいい傀儡にしか見えなくなる。心のなかで嘲笑し、キリトに大丈夫だと小声で伝える。
「気にするな。国王には適当に大義名分を伝えてある」
「左様でございますか。それではすぐに係の者に伝えます」
さあ、とっとと姿を現さないと本当に火炙りにしてしまうぞ。
キリトが係の者に火をつけるよう合図を出す。
松明の火が薪に燃え移ろうとしたその瞬間――広場の一部で何かが炸裂する音がした。
「なんだッ! 何事だ!」
突然鳴り響いた炸裂音と、もうもうとたちこめる白煙に驚いた民衆が悲鳴を上げて散り散りに逃げていく。
監視にあたっていた兵士たちは使い物にならず、突然起こった事態の収拾もままならず戸惑いを見せて立ち尽くすばかりだった。
「なんだ……何が起こったんだ」
それまで一言も発していなかった国王は、途端に落ち着きを失いクーデターでも起きたように顔面を蒼白にしながら、俺に掴みかかってきた。
「マルクスよ。これはいったいなんの騒ぎだ!」
「さあ……恐らく処刑に反対するものの仕業かと」
「ならんぞ。決して王族の貴い血を流してはならぬ」
まさかこのタイミングで仕掛けてくるとは――国王をなだめながら、怒りで腸が煮えくり返った。
――クソッ、アシュリーの仕業か!
ドラムと行動を共にしてるのであれば、その首俺が手ずから斬りはねてくれる。
結局ドラムが声をかけた人間が、処刑に間に合うことはなかった。
こうなったら捨て身の作戦しかないと、ドラムと頷き合って手にしていた白煙玉を広場で爆発させた。
突然の炸裂音に、処刑見たさに集まっていた民衆は蜘蛛の子を散らしたようにパニックになって逃げていく。
規則性のない集団は適度な目隠しとなる。視界を覆う白煙の中を駆け抜けて、高みの見物を決め込んでいるマルクスの姿が薄っすらと見えてくると、腹の底で憎しみの炎が再燃した。
それは私の体を焼き尽くすだけではとどまらず、憎きマルクスを地獄の底へと突き落としてやるまで消えることはない。
ニナ、貴方の分もしっかり復讐してやるからね――。
一直線にマルクスのもとへ向かうも、背後から追ってくるドラムに「待て」と声をかけられ立ち止まった。
「何故止めるっ!」
「焦るな。奴の隣にいるのは暗殺者のキリトだ。秘書を装ってはいるが、策もなく近づけば膾切りにされて殺されるだけだぞ」
「じゃあ……いったいどうすれば!」
「そのために俺がいる。俺がヤツを引き付ける隙に、お前はマルクスのクソ野郎のもとへ行け」
そう言うと、大声で名乗りを上げながら剣を抜き、不自由な足で突進を試みた。
「我が名はドラムッ! 愛娘を玩具のようにもて遊び、死に追いやったマルクスの首を貰い受けにきた!」
予定にない行動に驚いていた私を置いて、ドラムは勇猛果敢に駆け出す。
当のマルクスはというと、剣を抜いて迫ってくるドラムの姿を見ても余裕をかましている。隣りに控えていた男に「さっさと殺せ」と軽く命じると、目にも止まらぬ速さでドラムと刃を交えた。
「ドラム!」
「お前がヤツを仕留めるんだ!」
容赦ない剣戟をなんとか凌いでいたドラムから、娘の復讐を果たすようバトンを受け取った。マルクスまで開けた道を、手にナイフを携えて一心不乱に地を蹴り突き進む。
「マルクスッ! お前だけは絶対に許さないッ!」
「素直に殺されていればいいものを。キリトだけが隠し玉だと思ってんじゃねえぞ」
もう取り繕うこともやめたのか、汚らしい言葉を吐いて手を上げた。すると逃げ惑う平民に混じっていた兵士に一気に取り囲まれ、剣の鋒を向けられ逃げ場所を失ってしまった。
最初から両親が囮だとはわかっていたが、あと一歩のところで手が届かないことに唇を噛んでマルクスを睨みつける。
「残念だな、アシュリー。お前には国家反逆罪、並びに国家転覆罪が適用される。ザガイン国王と后とまとめてあの世に送ってくれるわ。兵士たちよ、その女を串刺しにしろ!」
マルクスの命令に兵士が剣を振りかざす。万事休すかと目を閉じると、この場にはいないはずの声が広場に響き渡った。
「そこまでです! マルクス皇太子、いえ……マルクスよ」
声のする方へ視線を向けると、そこにはマルクスの腹違いの弟であるユリウスの姿があった。
「おおッ、間に合ったか!」
「ガランド殿、お待たせしてしまい申し訳ありません。限られた時間で証人を連れてくるのに手間取りまして」
一番驚いていたのはマルクスで、ユリウスが連れてきた二人の人物を見て口をパクパクとさせていた。
「あ、貴方様は……」
「マルクス殿。貴殿は小金稼ぎのためと称して、ユースティア王国と我がギドラントの間に無用な争いを生じさせようとしたようだな。その証拠に、抗戦派の腐敗しきった役人に機密情報を流して、随分と甘い蜜を吸ったと張本人から聞いておるぞ」
まさか、冷戦中である相手国の国王が直々に動くとは、私も思いもしなかった。
手にしていた鎖は、憔悴しきっている男の首に繋がれた首輪に繋がっている。
ふと、ギドラント国王と目が合った。
「そなたがアシュリーだな」
「は、はい」
「確かに……マルクスごときには勿体ない女性であるな。なあ、ユリウス殿よ」
「い、今はその話はよしてください!」
会話の意味はわかりかねるが、どうやら抵抗の意思をなくしたマルクスはその場にへたりこんでしまい、ユリウスの命令で兵士に両脇を抱えられ取り押さえられた。
いつの間にか暗殺者の姿はなくなっていたが、その事に気がついている人間はいなかった。
その後、私に着せられた罪は全て冤罪であることが確定し、マルクスは数え切れない罪に問われて自らが王国史上三人目の火炙りの刑に処されることが決まった。
「アシュリー。あの時、俺を誘ってくれなければいつまでも諦めたままだった」
「そんな、私は何もできなかったわ。結局、周りの人達の力がなければ無力な女よ」
あの騒動から一月が経ち、ドラムは守衛から騎士団への復職が決まった。
マルクスの汚職は現国王の責任問題に発展し、今ではユリウスが暫定の国王を担っている。だけど暇を見つけては、お忍びで〝平民〟として留まることを決めた私のもとへ、時々会いに来ては雑談を交わしている。
ドラムも良き友人として、我が家に訪れるたびにお茶をともにしていた。
「はい。淹れたてのサムネール産の紅茶よ」
「う、うむ……」
ニナが淹れてくれた紅茶は、今では私が淹れている。器用に家事はこなせないけれど、何も出来ない私のままでいたくはない。
カップに口をつけたドラムは、渋い顔をしてそれ以上は飲もうとしなかった。
「あら、クッキーも焼いてるけれど、いかがかしら?」
「え、いや……頂くとしよう」
まさか、こんな静かな日々が訪れるとは思わなかった。
小さな窓の向こうに広がる青空に、仲睦まじい二匹の鳥が飛んでいるのが見えた。