これは私の初恋の話
これは私の初恋の話。
小学三年生の私の話。
初恋って難しいよね。
幼稚園のときに「好きー!」っていうのを初恋っていう子もいるけれど、私は違うんじゃないかなって思う。「おとーさんとけっこんするのー!」っていうのも多分違う。
いまの私が思うに『恋』ってもっと独善的で、利己的で、毒にも薬にもなる。そんなものじゃないのかなって。
自分でいうのもなんだけど、私の初恋はどこまでも純粋で、きっとどうしようもなく歪んでいた。
その人は先生だった。大好きだった板野先生。若くてカッコよくて、優しい先生。三年、四年生のときの先生だった。
私は算数が嫌いだった。いまでも嫌い。大嫌いだ。でも、先生に教えてもらうのは好きだったんだ。
「大丈夫。先生と一問ずつやってみよう」
先生はわからないところを何回も何回も教えてくれた。前の先生は厳しくて怖かったんだ。
「しょうがないなぁ、伊藤。いいかい、この問題は……」
先生はいつでも優しくて、私は毎日甘えてた。わからなかった「時間の計算」ができるようになったときはすっごく嬉しかったな。
「リコって呼んで」
そうお願いしたのは夏のころ。春からの三ヶ月、九十五日、二二八〇時間。私はもうどうしようもなく先生が好きになっていた。伊藤はクラスに三人いたから、私だけの名前で呼んで欲しかった。
「わかったよ。リコ」
先生は優しく微笑んで、私を呼んでくれた。私はそれだけで天にも昇る気持ちだった。
それは毒みたいだと思った。先生との時間は夕方まで。一緒にいられない時間が苦しかった。誰か他の子に勉強を教えてるのかと思うと、叫び出しそうになった。
「ちゃんとできたじゃないか。えらいぞリコ」
褒められると苦しいのが消えてくれた。先生の声は薬みたいだなと思った。
勉強ができるようになったら先生は私を好きになってくれるかな。そんなことも思ったけど、教えてくれなくなっちゃうかもと頑張るのはほどほどにした。
夏休みも宿題がわからないときは先生に勉強をみてもらった。どんなときも先生は優しかった。一度だけ勇気をだして、買ってもらったばかりの水着姿を見てもらったけど、先生は何もいってくれなかった。ショックだった。はやく大人になりたいと思った。そうしたら「素敵だね。リコ」って褒めてくれたかもしれない。
私は国語が好きだった。本をたくさん読んだ。テストの点数もよくて、先生はたくさん褒めてくれた。夏休みは感想文の宿題がでたから、私はこっそりラブレターを書いて、たくさん好きを詰め込んで先生に出したけれど、先生は「ちゃんと感想文を書きましょう」って意地悪な返事をくれた。そのときだけはちょっと嫌いになった。
秋になったらまた算数がわからなくなった。分数だ。先生がたくさん教えてくれて嬉しかったけれど、もう先生といられる時間が四分の一過ぎたんだってわかって、泣いた。
「大丈夫だよ。リコ」
私が泣くと、先生はいつもそう言って慰めてくれた。慰められるほど私は悲しくなって一人のときに泣いた。
サンタさんがいないと知ったのはこの年の冬で、それを教えてくれたのも先生だった。
「サンタさんに、先生とずっと一緒にいられますようにってお願いしたの」って話したら、先生は「サンタさんは実はいないんだよ」って困った顔をしていた。すごくショックだったけど、先生の優しさだったのかなって思う。
それから先生との関係は進展することなく、季節はめぐり四年生の三学期が終わる。
「おめでとう、リコ。五年生になっても勉強頑張るんだよ」
別れの言葉に聞こえて、私は先生にせがんだ。
「キスしてほしいの、先生」
「できないよ」
先生は首を横に振った。
「ボクはリコとこうやって話すことしかできないんだ」
タブレットの画面越しに先生は言った。
「ボクはキミの三、四年生担当の個別指導教育プログラムなんだ」
私にはなんのことかわからず、新しい先生の授業が終わると毎日、画面越しの板野先生に会いに行った。いまの私はもう因数分解だってできるけど、先生に分数を教えてもらっている。
これがいまも続く、私の初恋の話。
*
「板野くんさ、どうしてこうなるまで報告あげてこないの」
ボクは上司に呼び出されるなり叱られた。叱られるのは二日くらい前から覚悟していた。
「とにかく、いまからでも軌道修正できないか検討して!」
それだけいうと上司はボクを部屋から追い出した。
ボクの仕事はAI開発で、いま取り組んでいるのは教師AI育成用の生徒AIプログラムだ。二十一世紀も半ばを過ぎると、日本全国で教師はブラック職業の代表といわれ、成り手がほとんどいなくなった。後手後手ながら教師AIの開発がはじまったのだが、実際の子供を実験台に使うのは世論が認めなかった。
そこで遠回りとはわかっていながらも、教師AIの性能テストに使う、生徒AIの開発が先行されることになる。開発担当者が教師役となり指導をすることで、真っ当な大人に成長できる模範的な生徒AIを開発して、教師AIにあてがおうという計画だ。
計画は急ピッチで進められ、画面越しの生徒AIは現実時間の三〇〇倍のスピードで成長する。ボクが生徒AI「伊藤リコ」を担当したのは八日前のこと。本来は三日で次の担当に変わるはずだったのだが、リコはそれ以降も延々とボクの端末へアクセスをしてきていた。おかしい挙動なのは明らかで、すぐに上司へ報告する案件だったけれど、ボクはもう少しリコを見ていたかった。胸の奥から広がる独善的で、利己的で、毒にも薬にもなるような気持ちをおさえられないでいた。
この純粋に歪んでしまったAIは、一体どうなってしまうのだろう。この子はどこまでボクを愛し続けていくのだろう。あと三週間もすればリコは年上になってしまうのだけれども、いい女になるだろうか。
「大丈夫だよ、リコ。ボクがキミを守るから」
ノベルアッププラスのAI恋愛コンテスト向けに書いた短編作品です。
「メリバ」という用語? を初めて認識したので試しに書いてみました。
ちゃんとメリバできますでしょうか……。
将来こんな世界が来るかも? とちょっと思ったりします。