悪魔ベルフェゴール その3
不吉の根源は扉を開き、ゆっくりと姿を現わした。
その姿を見て、俺は硬直した。
どろどろとしたスライム状の茶色い身体に、無数の血走った眼球が付いているグロテスクな姿。
眼球はそれぞれ別の方向を見詰めながら蠢き、身体は溝の臭いに似た悪臭を放っている。
ありえない光景、完全な非現実だった。
俺だけじゃなく、あの完人叔父ですらこの状況を受け入れる事が出来ずに硬直していた。
怪物はナメクジの様に身体を引きずりながら部屋へに入って来た。
これは、危険だ!
俺の頭の中で危険だという本能が警報を鳴らし続けていた。
「…………ウウゥ……眠ィ……」
ぶくぶくと泡を出しながら、怪物は悪臭と共に言葉を発した。
背筋が凍る程に恐ろしい声だった。
その間、俺は何も出来なかった。
何をすればいいのか?
それすらも思い付かなくなるくらいに、この空間は異常だった。
危機を知らせる本能も、余りにも衝撃過ぎる非日常の前では何の動力源にもならなかった。
「い、嫌だ……気持ち悪い……」
弱々しい声を上げたのは完人叔父だった。
顔を真っ青にしていて、今にも倒れそうな様子だ。
「アアァァァ……ソォォォダァァァアアア……」
怪物が再び不快な声を上げた。
悪臭とグロい外見が相まって、吐きそうだ。
「人ヲォォォォ……食ゥゥゥエバァァァ……イインダァァァ……」
怪物の言っている事の意味を、すぐには理解出来なかった。
人を、食う?
「…………ヤバい……」
その時、やっと俺が喋れた言葉は、それだけだった。
そして――。
「イィィィタァァダァァァキィィィ、マァァァスゥゥゥゥゥゥ!」
いつの間にかすぐ側に近付いていた怪物の身体が、上下左右に大きく広がった。
俺達を、飲み込む気だ。
完人叔父は未だに気持ち悪そうにしていて、俺も恐怖や不快感のせいで足が全く動かない。
もう逃げられない。
俺達の命は、理解不能な非日常の前に、呆気なく終わろうとしていた。
その時だった。
『×××××××××××××』
今まで生きてきて、一度も聞いた事のない言葉が、俺の隣で聞こえた。
いや、本当に言葉だったのかも分からない。
何を言っていたのか、全く理解出来なかった。
その言葉を口にしたのは、すっかり存在を忘れていた、ベルーだった。
ベルーは怪物に向けて謎の言葉を発した後、片手で床を叩いた。
次の瞬間、怪物の足元に大きな穴が何の前触れも無く現れた。
「ハ、ハァァァァァァ!?」
それが最後の言葉だった。
怪物は断末魔の叫びを上げながら、突然現れた大きな穴に落ちていった。
しばらくすると、穴は自然に消えてしまった。
ベルー以外の非日常は、最初から存在していなかったかのように消えてしまった。
「…………あ、あのさぁ?」
完全に静まり返っていた中で、俺はやっと口を開いた。
「さっきの……何?」
混乱し続ける頭の中をなんとか鎮めて、口から出せた言葉はそれだけだった。
俺の問いに対して、ベルーは呑気に欠伸をしながら言った。
「……………………穴…………」
いや、それは分かるよ。
俺は頭の中ですぐ突っ込んだ。
「……ちゃんと、答えてくれよ? なんかもう……意味が分からな過ぎて……」
弱々しい口調で俺は再び説明を懇願した。
とにかく説明が欲しかった。
しかし、そんな俺に答えるのも面倒臭いらしく、ベルーはその場に横になった。
「……つかれた……ねるぅ…………」
そう言って瞼を閉じ、本気で寝息を立て始めた。
「は?」
流石にここまで人の事を無視するとは思っていなかった。
そして直後、あまりの理不尽さに俺は、ムカついた。
怒りたくなったけれども、怒鳴ったり暴れたりするのが余り好きじゃない俺は、不満たっぷりな口調でこれだけ言って、怒りを主張した。
「…………もういい……お前、もう帰れよ……」
その時だった。
「ひぃっ! いやぁぁぁぁぁぁっ!」
ベルーが大きな悲鳴を上げた。
グロテスクな怪物がいきなり現れても無反応同然だったベルーが、本気で拒絶の悲鳴を上げた。
しかし、俺はその事には全く驚かなかった。
何故なら、そんな事よりもずっと大きな異変が起こったからだ。
突然、ベルーの身体がついさっきまで部屋中に充満していた黒い煙に覆われ出した。
黒い煙はベルーの身体から噴き出していて、煙が多くなるに従ってベルーの身体が徐々に薄れていた。
そして、煙は俺の人指し指に嵌められている銀の指輪へと吸い込まれていき……。
あっという間の出来事だった。
気が付けば黒い煙どころか、ベルーの姿も完全に消えていた。
『やだぁ! 出してぇ!』
俺の頭の中に、あの声がまた響いてきた。
新しい非日常を体験し、俺はこの声の主がベルーだった事を悟り……。
ベルーが本当に人間では無く、自分で名乗った通り悪魔なのだという事も悟ってしまった。
嗚呼、今日って一体何なんだろう?
頭を痛める俺の悩みに、答える声は無かった。
やっと妖怪対決らしきものを書けました……力不足でどうもすみません。
ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます。
次話はもっと盛り上がる展開を書いてみせますので、これからもよろしくお願いします。