影育ち
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんな、成長ホルモンはいつくらいまで出るか、知っているかな?
名前からして、成長期が終わるまで出続けて、あとはお役御免なイメージを持っていても不思議じゃないと思う。
その想像、おおまかには当たりだ。人間の思春期あたりをピークに出るホルモンは、そこから緩やかにくだり坂となる。そして思春期はおおいに身体が育つことは、みんなも知っての通りだな。
厳密には、年を取ってからも成長ホルモンそのものは出続けているという。こいつが足りなすぎると代謝に大きな影響を与えることになるのだから。
古いものを追い出し、生き続けるためにも成長ホルモンという大きな力が必要となる。ゆえにものが大きく育つとき、そこには我々の思いもよらぬ力が働いているかもしれない。
先生の昔の体験なんだが、聞いてみないか?
先生は小さいころ、影の長さに関心があった。
朝や昼ごろまではさして気にならない大きさの影が、夕方ごろにはとてつもない長さに伸びる。その不思議が心をがっちりとらえていたんだ。
自由研究でも調べるくらいだったなあ。結果として、日暮れに近づくほど影の長さは増していき、陽が沈む直前などは、影の元となる物体の数倍ほどの長さに育っていたんだ。
その疑問に、多くの大人たちは陽の当たり方を根拠とする、理科的な説明をしてくれた。けれど先生の祖母は、少し妙な話をしてくれたんだ。
「影の一生はな。昼に始まって、昼に終わる。
よく人の一生の終わり際を「晩年」というな? つまりは、人生の終わりは夜であるといっているようなもの。
しかし影はその真逆を行く。本体が活発に動く昼にこそ勢いが薄れ、死に向かい、動きが鈍る夕方へ近づくにつれ、その身体を大いに伸ばす。
止めることができんだろ? せいぜい他の影へ隠せるくらいで。影も我々と同じで育っているのよ」
影の成長。
当時、生き物を家で飼うことに興味がありながら、許されていなかった先生は、この話を聞いてから、ますます関心を持つことになった。
影を思うままに育ててみたい。そう考えた先生は、いろいろな手を試し始めたんだ。
重視したのは、手軽に変化をもたらせるものだ。自分の背を伸ばし、影もまた大きくするなど、悠長な手は取りたくなかった。
その場で飛び跳ねてみる。帽子をはじめとする、着脱が簡単な衣類を利用してみる。しまいには衣類に限らず、そこらへんに落ちているもので、図体を大きく見せることができそうなものを見つけては、そのまま使ったり、手をくわえたりして、ひたすらに「ドーピング」の手法を探っていたんだ。
先生が特に求めていたのが、特に背の高い兜。戦国武将が愛用していたような、極端なものが欲しかった。
そうしてあちらこちらを歩き回っていた先生は、学区内にある神社の近く。参拝客のために、お白洲の砂利敷きを思わせる、白がちな小石たちの上で、寝そべるそれを見つけたんだ。
その兜は、耳あたりまでヘルメットと大差ない形でありながら、つむじのあたりから急激に先端が細まり、最終的には錐のような形に変わる。細まり出した部分から、ゆうに1メートル以上の長さがあった。
おもしろいものを見つけたと、色めき立つ先生だったけど、その日はあいにくの曇り空。陽は姿を見せず、影らしい影がない。
ひとまず、その兜を駐車場の近くにある茂み深くに隠し、次に空が晴れるまで誰にもいじられないことを祈っていたんだ。
幸いにも、次の日は朝からずっと空が晴れ渡っていた。
学校は遅い6コマ終わりだが、この時ばかりは逆にありがたい。日暮れに近づけば近づくほど、影たちはおおいに育つものだからだ。
授業が終わると、先生は例の隠し場所へ急行。昨日と寸分変わらず様子であることに安堵する。
何台か車が停まっているが、近くに顔見知りの姿はなし。そして影はすでに、先生の背丈の2倍以上の長さを誇っていた。
自由研究の結果、影の本当の成長はここからだ。ここから日暮れまでの間は、それこそ刻一刻と状態が変わる。まさに一片の残光さえも消えようという時なら、6倍以上になることさえあるんだ。
――これが影を育てる助けになるかな。
そんな軽い気持ちのまま、先生はそっと、とがりものの兜を頭にかぶってみたんだ。
先生は太陽を背に、影が伸びていく東方を見ていた。兜をかぶった時、どれほどの変化があるか見届けたかったからだ。
駐車場の端と、ずいぶん距離を離していたにもかかわらず、兜をつけた先生の背は、敷地の中ほどにあたる5メートル先まで届いている。ここから、いかように影が伸びていくか期待に胸を躍らせていたけれど、それはたいして長続きしなかった。
それはほんの一瞬。影の先に注意を集めていた先生が、思わず目を疑う瞬間だった。
影そのものが、跳ねるような勢いで地面を滑ったんだ。急激に伸びた影は、残り数メートルの距離をあっという間に詰め、道路近くに停めていた車の影へ到達。そこからこそりとも動かなくなってしまったんだ。
兜を取ろうとする先生だけど、兜はぴくりとも動かない。
いや、厳密には兜がぴくりとも持ち上がる気がしなかったんだ。いくら手に力を込めても、大岩を相手にしているかのように、びくともしない。
ならばと、先生は逆にかがんでみた。すると、顔はたいした抵抗もなく脱げていく。
兜はというと、わずかに宙へ浮かんでいたものの、先生が後ずさって距離を取るや、ぽんと投げられたように前へ飛んでいってね。自分の影がすっかりのめり込むほどの、車の足元へ転がっていったんだ。
先生はその場を逃げ出した。もう、あの兜に触れようとも、近づこうとも思わなかった。
きっと、あの兜は影を通じて、あの車にくっつき、貫いてしまったんだ。一足飛びに影が育ってしまったんだ。先生自身ではなく、兜自身のものが。
翌日。それを裏付けるように、奇妙な報せが伝えられる。
あの駐車場の近くに住んでいたクラスメートが話すには、夜中に車のエンジンをふかす音がすると、すぐ発進する気配があった。
それにわずか遅れて、がらがらとバケツを転がすような音が続く。まるで、ひもでくくられているかのようにエンジン音によくついていき、やがて聞こえなくなってしまった。
そうして今朝、登校してくるときに神社近辺を探ってみると、曲がり角のひとつに、えらくとんがった、細長い錐を思わせる物体が、転がっていたのだとか。