表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/92

細胞キャラメルポップコーン現象

「氷野さん、あのね、こっちも言いたくないんだけど、君は勤務態度が悪すぎる。これは遊びじゃなくて、仕事なんだよ。もっと責任感持ってやってもらわないと。勝手にタバコ休憩したり途中でどっか行ったり、本当、やる気ないなら来なくていいよ」


「……すみませんでした。これからはもっと精一杯、頑張るので続けさせてください」


とうとう俺の失態が店長の耳にまで入ってしまって、その小言に頭下げてから、バイトの一日が始まる。


「氷野、これ片してくんない?」


「はい」


と返事だけは一丁前で、


「お前、いつまでそれやってんの?」


「あー、あともうちょいで終わります」


仕事はからっきし。


「店長に散々言われたのに、まだあの感じでやるんだあ。メンタル強〜っ!」


「仕事が遅すぎて。本ッ当、使えないわ」


あーあ、言われてる言われてる。陰口たっぷり飲み込んで、今日も我慢して笑ってる。俺がゲラなのは、こういう状況下では、もうどうしようもないから。反論したって、弱者に人権なんてないし。暴言、暴力は吊し刑。あははっ、俺ってほーんと、何にもない。


「……そんなの俺が、一番よく分かってんだよ」


動かない身体叩いたって動かない。お前らの軽口叩いた心配なんか聞かなくても、俺は嫌ってほど自分の将来に対して不安だし、痛いってくらい生きてていいのかどうかも分かんねえ。こんな俺がまともに就職できるなんて、微塵も思わねえし、そもそも大学を卒業できるほどの頭がねえ。与えられたものの全てが中途半端で、俺は何処へ行っても、ただの邪魔者にしかなれないんだ。


「氷野さん、お昼ごはん食べないんですか?」


一緒に昼休憩に入った美優ちゃんに、俺が休憩入ってからずっと、煙吸ってるってことがバレてしまった。


「これがあれば十分」


「そんなのダメですよぉ。おにぎり一つくらいは食べてください!何が良いですか?」


とタバコを捨てられ、賞味期限ギリギリのおにぎりコーナーに手を引っ張られ、無理やり連れてかれた。


「んーーー、鮭かな」


というと、美優ちゃんはすぐさまそれを買ってくれて、


「はい、どうぞ」


って優しく手渡してくれた。ここまでされたらもう、食べるしかないじゃん。


「ふふっ、ありがと」


「……え、氷野さん。何で泣いてるんですか?おにぎりじゃない方が良かったですか?」


優しさが沁みて、無意識に涙が流れていたようだ。あたふたしてる彼女が可笑しかった。


「ううん、そんなんじゃないよ。めちゃくちゃ嬉しくて。何か、涙が出てきたわ」


「わあ、可愛い〜♡」


「え」


何?可愛い??成人済男性の泣き顔が可愛いなんてこと、俺の聞き間違えだよね??湊じゃないんだから。


「あの、イートインスペースで二人きりで食べませんか?」


今日の美優ちゃん、何か異常に積極的だし、俺なんかに優しくしてくれるし、何か、可愛いなぁ、なんて。


「うん、良いよ」


イートインスペースでおにぎりを一口。パリッとした海苔は賞味期限が近くても、全然生きている。


「氷野さん、もう分かってると思うんですけど」


「ん?」


「私が氷野さんのことを、何か、好き、みたいになってるじゃないですかぁ。それで……」


「え、待って。俺のこと、本当は好きじゃないの?」


「あーーー、はい。氷野さん、酷いですよぉ。彼女いるなんて全ッ然、聞いてないですしぃ。この前、あかり先輩がみっちりと教えてくれたんです、氷野さんのヤンデレ彼女さんのこと。私、刺されたくないですから!」


あーーー、これ、絶対に変なことまで吹き込んでるパターンだ。湊のヤンデレ感満載エピソード好きだからなあ、あかり。


「ふふっ、そっか。でも刺されるとしても、まず俺が最初だから安心して(?)」


「そんな、安心できないですよ!氷野さんも、大変ですよね。左手首の、その」


「ああ、ごめんね。グロいの見せちゃって……」


「あ、いえいえ!そんなつもりじゃないんですけど、痛そうだなあ、と月並みに思ってて」


「実際、めちゃくちゃ痛いよ。でも、憂晴しには丁度良くって、『俺なんか死んじゃえー!』って勢いで切っちゃう。まあ、死ねないけどね!」


なんて明るく振舞って誤魔化しても


「そうなんですね……」


と微妙な反応が返ってくるだけで、苦笑い。


「それよりもさあ、俺のこと好きじゃないんなら、何で鮭おにぎり買ってくれたん?」


「それは……あの、橋下さんっているじゃないですか」


「あー、俺のこと何故か嫌ってくる人??」


「その人が、よく分かんないんですけど、私のこと好きみたいで……」


「へえ」


「休憩中とか仕事終わりとかに付き纏ってきて、頻繁に話しかけてくるんですよぉ。昨日もストーカーまがいなことされて。もう助けてくださぁい♡」


とわざとらしく腕に抱きついてきた。レジに橋下さんがいるからだ。


「あはっ、そのための鮭おにぎりか」


「別に追い払うとかじゃなくて、恋人のフリをしてくれるだけで良いんです。お願いできませんか?」


「良いよ。その代わり、あかりのことを悪く言わないで。俺の大切な、友達(?)だから」


「分かってます。前まではちょっと敵視しちゃってた部分があったけど、今ではあかり先輩と同じく、彼女さんがいるのに私に告白してくる、氷野さんのが悪いと思ってますよ?」


「いやあ、あの時は丁度、別れよって言われてて……」


「言い訳無用です!」


「あは、そうかよ」


とかぶりついた鮭おにぎりは味がしなかった。美味しさの概念を失って、ただ喉の奥へと流し込むだけ。腹の中で異物が佇むのが、何とも気持ちが悪かった。



京一さんとよりを戻して、一週間。僕の傷はまだ癒えてなくて、化膿して黄色くなって、白シャツを汚してしまう。酷くリスカしてからは、性欲というのがまるで無い。生きるために精一杯で、歩いていると血の気が引いてきて、ぶっ倒れてしまいそうになる。でも、京一さんはそんな求めない僕のが好きなようで、僕は定期的にリスカしないと、と思案しているところだ。


「京一さん、」


死にたいです。と言いかけたところで口を噤んだ。ただニコッと笑っていた。


「何?どうしたの??」


「……何でもないです」


「何それ、何か言いたげだったじゃん!」


「ふふっ、忘れちゃいました」


「本当?」


「、はい」


「嘘つき、変な間があった。何でも言って?」


「あははっ、分かっちゃうんですね。何だかどうやって生きていけばいいのか、よく分からなくなっちゃって。そんなこと考えてる暇があったら、『勉強しろ』とも思うんですけど。僕、そんな我慢強い方じゃないんです。本当はもっと、我儘で、厄介で、ずっと好きなことだけしていたいって、そう夢見ちゃうタイプなんです。つらいのだけは、嫌です……」


そうやって僕が言いたい放題に言って泣いていると、京一さんはそんな僕を抱きしめてくれて、僕と同じようにつらい顔をするんだ。


「……俺なんかが、湊のつらさを拭えるなんて思えない。分かってやれるだなんて思ってない。だけど一つだけ、真実があるとするならば、『死なないで』と思うこの気持ちだけは本物だから。忘れないで」


「ふふっ、そんな重たい話じゃないですよ。ただ勉強が嫌になって、貴方に甘えたかったんです。僕がどれだけ頑張っても、埋められない差はあるんです。消えない過去はあるんです。それをまともに食らっただけですから、そんな心配しないでください」


「クソ、心配するに決まってんじゃん。俺がどうこう言ったって、現実問題は何も変わんないけど、何の解決にもならないけど、好きな人が泣いてたら、ほっとけるわけがないんだよ」


「……京一さん、僕は変なことを言いましたね」


「え?」


「別に勉強で一番だとか、恵まれた家庭環境だとか、クソほどどうでもいいことでした。僕は貴方の一番であればそれで、いや、それが良いんです。貴方と一緒に生きていけるくらいの稼ぎと、貴方と一緒に笑って過ごせる時間があればそれで十分なのに、何故か他人を羨ましがりました。目的を見失っていました。ごめんなさい」


「ふふっ、良いね。湊は真っ直ぐで。俺はもう歪みまくってるから、如何に他人を蹴散らすかしか考えてなかったよ。恨みと憎しみからできている俺は、湊には相応しいのかな?」


貴方の不甲斐なさそうな笑顔。捨てられても仕方ないね、って信じて疑わないような。自棄になっている笑顔だ。僕は貴方の言う通り、愚直なんだろう。貴方に優しく口付けをしてから


「大好きです。信じてください」


という単純な言葉しか出てこなかった。


中学二年生の最後のテストは二位だった。高橋も真城さんも、勿論、先生だって、あの不登校で問題児だった僕の成績がこんなにも優秀になるとは思ってもいなかっただろう。ここにいる殆どが僕よりも馬鹿だと思ったら、そりゃあ気持ち良かったが、たった一人だけ、敵わなかった相手がいると思えば、そりゃあ僕だって嫉妬した。そいつがまあ、如何にもガリ勉って奴だったら、順当だと許せたけど、頭も身体も、おまけに家庭環境まで良いときた。みんなから人気者で、はぐれ者の僕とは違う。ああ世の中、こういった奴が陽キャと言われる、まさに主人公だよな。ってカッターで情けない身体を刻んだ。中学生時代の京一さんみたい、別に落ちぶれて欲しいとは思わないけど、落ちぶれてくれたら、僕の好みになるのになあ。


「青柳って狡いよな。何で授業中は寝てんのに、テストだとそんな良い点数取れんだよ」


「んーーー、何でだろ。睡眠学習ってやつかな??」


中学三年生になって、高橋と真城さん以外の人とも少しだけ喋るようになった。でも、この人達には僕の詳しいことは一切、教えていない。どーせ、卒業したらもう会わなくなるんだし。


「あ、また一年生の子が来てる」


「兄弟とかがいるんじゃん?何狙ってんの?」


「ち、ちげーよ!!別に狙ってなんか……」


「あは、わっかりやすぅ〜!告ってきなよ」


「は?できるわけねぇじゃん!!」


「僕が呼んできてあげるからさ」


と席を立って、廊下へと行こうとすると、


「お前って、まじで性格悪いよな。ちょっと引くわあ」


って、肩掴まれて引き止められた。


「何で?」


「え、何でってそりゃあ……平気で友人(ひと)の感情を弄ぼうとするじゃん」


「えー?そうかな??まあそうだとしても、誰だって他人(ひと)の感情を弄んで、平気でエンタメとして楽しんでるじゃん。ドッキリ番組とか恋愛リアリティショーとか」


「それは……んーとにかく、呼ばなくていいから」


「そ。じゃあ、やめる」


そして、ある日の放課後。僕は京一さんと美優ちゃんが一緒に手を繋いで帰っているところを目撃してしまった。後をついて行くと、僕の他にもう一人の男の人がその二人の後について行っていることが分かった。ダブル浮気ってやつ?え、お悔やみ申し上げます。


「あのさ、ちょっとカフェでも寄らない?」


という京一さんの誘いからカフェに入り、二人が向かい合って席に座った、その隣りに僕は堂々と座って、京一さんの斜め前、視界に入るところで大袈裟に問題集とノートを音を立てて開いて、ガンを飛ばした。


「かなり、やばいですよね……」


と神妙な面持ちで話している美優ちゃんのとなりで、僕は頬を膨らませて、滑稽な顔をしていたと思う。


「んっ……ごめん、ちょっと待って」


意図的に僕を視界に入れないようにしている貴方がその顔に耐えかねたようで、笑うのを堪えながら、僕にメッセージを送ってきた。


「はあ?大事な話してるから笑わせないで、って何?」


と内心怒り心頭だが、耳をそばだてて、会話を盗み聞きしてみた。


「それでさあ、家は知られてんの?」


「いやあ、いつもはかろうじて撒けてると思うんですけど、二人で走る訳にも行かないですしね」


「俺がさ、『どっか二人きりになれる場所に行きたい』って、ホテル連れ込んだら諦めるかな?」


「ごほっ、げほ、……んん"っ!!」


何てことを言うんだ、京一さん!!飲んでいたアイスカフェオレで噎せたじゃないか。それ見てご満悦な顔して、本当、この男は……好きだわぁ♡♡


「あーでも、そんなに負担させるのは悪いですしぃ」


「でも家知られたら、それこそ危険だし。あ、それか。俺がキスしちゃえば、もう離れるんじゃね?ああゆう奴は気が弱いから、キスぐらいで怖気付くだろ」


「ちょっ……」


僕は声に出しちゃいけないと気が付いて、何回も首を横に振っていた。それを横目で見た京一さんが


「フリだよ、やってるフリ。俺何故か上手いんだよね、そうゆうの」


と付け足した。それは貴方がキスするフリして焦らすのが好きだから上手いんでしょうが、と得意げに話す貴方を見てツッコミを入れたくなった。ていうか、何だこの、作戦会議みたいな会話。


「それがもし、上手くいかなかったら……?」


「そしたら俺がもう『何見てんじゃボケ』って追い払うわ!」


って、冗談かまして眩しい笑顔。あ、たぶん美優ちゃんにストーカーが付いてて、京一さんがそれを追い払おうとしてるんだ。


「初めからそうすりゃ良いじゃん……」


と僕の心の声が漏れた。きっと美優ちゃんにも聞こえてる。変な学生だと思われて、数秒ほど凝視された。


「ん?何か文句ある??」


「いえ、特には……」


ううん、さっきの『文句ある?』って質問は、僕に向けられたものなんだ。だってフリでも、嫌なものは嫌だもん。美優ちゃんなんかどうでもいいし、ストーカーと付き合ってれば良いじゃん。


「まあ最悪、ダメだったとしたら、俺らの家で匿うよ。あそこセキュリティ万全だから」


それって、完璧に僕ん家じゃん!!!



「あー、死ね死ね死ね死ね。そもそも美優ちゃんにストーカーがいなければこんな事態にはならなかったんだ。京一さん、絶対にキスしてたって。何がフリだ、ふざけんなクソ!!」


と茂みの中でその様子を盗み見て、不満に任せて、小枝折った。もう一人のストーカーも、その様子を見て、突撃しようかしまいか悩んでいる様子だった。


「ねーねー、美優ちゃん。このままさ、二人でラブホ行っちゃおうか♡」


と僕らのその動揺した様子が僕の愛しの貴方には、とっても滑稽に写ったようで、計画にない、そんな台詞を貴方は言い出した。


「え、本気ですか?」


「だって俺、我慢できそうにないし」


うわー、役者だ。そう妖艶に笑ってから、彼女の首筋にキスするアドリブ。うぐっ、心臓を抉られる。クッソ負けた。ああもう知らない!!って、目を背けようとしても、何故だか、また貴方を目で追ってしまっている。貴方の演技から目が離せない。


「ちょっ、か、彼女、嫌がってる、じゃないか!!」


……は?誰お前。あ、ストーカーか。いや、空気読めよ。お前のごぼう演技なんか誰も見たくもないんだよ。今二人のイチャイチャ空間できてたじゃん。入ってくんな!……あれ?


「は?いや、俺の彼女なんで!口挟んでこないでもらえないっすか?」


京一さんの嘲笑。良いものはいつ見ても、良い。刺さる。


「お前みたいな奴と彼女は釣り合わない。彼女は僕のだ」


お、ストーカーの狂気が見えて、面白くなってきた。


「……ちょっ、ごめん。あははっ、予想外すぎて!え?妄想妊娠で子供とか産んじゃった??」


相変わらず、煽るの上手いなあ。男に妄想妊娠しちゃった?は馬鹿にしすぎだろ。でも、そこが可愛い♡♡


「ああクソ!!女誑しのクズで、人を馬鹿にすることしか脳がない社会のゴミが、そのよくまわる口のおかげで、ちょーっとモテるからって、いい気になりやがって、きめぇんだよ!!」


あ、ちょっ、殴るのは、反則。いや、鼻血出した顔で、ニタァって笑うのはタチが悪い。好き!!


「美優ちゃん、血ぃ出てへん?これ、侮辱罪と暴行罪で警察呼ばなあかんかなあ?」


って美優ちゃんを抱き寄せて、ストーカーに見せ付けるように、京一さんは彼女に寄りかかるから、もっとタチが悪かった。


「あ、逃げた」


僕は逃げたストーカーを全力疾走で追いかけた。大人と中学生の脚では僕の方が速かった。


「おい、離せ!!」


「嫌です」


「何なんだよ、お前!!」


「そんなのどうでもいいじゃないですか。それよりも、あの人への侮辱と暴力を、ちゃんと謝罪してください」


「はあ?」


「謝罪してください」


「……はあ、意味わかんね」


このストーカー男を京一さんのとこまで引っ張っていき、再度、対面させた。


「あれ?さっきの中学生……」


「ふふっ、気になって付いてきちゃいました♡」


美優ちゃんにバレた。京一さん、鼻血止まってなくて可哀想。ティッシュが血塗れだ。


「橋下さぁん、どうもぉ!よくもまあ、ボロクソに言ってくれたじゃないっすかあ♡」


とストーカー男の肩を鼻血流しながらバシバシ叩いてる可愛い。


「ひっ……」


「いやあ、どれが良いですか?お巡りさんに同伴するか、示談金30で済ませるか、俺にボロクソに蹴られるか」


僕だったら、ボロクソに蹴られたい。


「さん、さ……さんじゅう!?」


「はぁい!ストーカーに侮辱に暴行、これら全部ひっくるめて三十ぽっきりで済めば、破格の値段っすよ?俺ら、バイト仲間なんで!慈愛に溢れてますよね〜?」


指折り罪を数えて、その値段設定の安さを、テレビショッピングのように強調して、おまけに優しさの押し売りさえしている。さあ、どれにすんの?って急かすように、肩を掴んでいる手の指がトントンと貧乏ゆすりをし始めた。


「……し、示談金、三十万でお願いします」


「よーし、そうと決まれば銀行で早く下ろしましょうか」


京一さんはストーカー男の首ねっこ掴みながら、銀行まで歩いていく。借金取りみたいだなあ、とその光景を後ろから呑気に眺めていたが、僕はある重要なことを忘れていた。


「あの男にあの言葉を取り消させないと……」


「ん?どうしたの??」


「あ、いえ。何でもないです」


土下座したストーカー男から銀行の前で現金三十万を受け取ると、美優ちゃんは


「橋下さん、この際だからはっきり言いますけど、どう考えても氷野さんよりも、ねちっこく付き纏ってくるアンタのが、よっぽどきめぇからあ!!……ふふっ。それじゃあ、また今度っ♡」


と怒鳴り終わってから、小悪魔的に微笑んだ。ああ、これは詐欺師だなあ、と小並感。ストーカー男と別れてから、「これで狙ってたブランドの新作バッグ買おーっと」って喜んでて、まさにそれだった。


「あ、京一さんには謝ってなくないですか?あの男」


「良いんだよ、あんな怯えた顔が見れりゃあ満足だ」


と貴方は煙草に火をつけてから、乱雑に僕の頭を撫でる。傷付いてんのに、そうやって誤魔化してばっかり。


「氷野さん、これ二十万です」


「え?何で??バッグ買うんとちゃうん??」


「ブランドバッグは十万で買えるんですよ。氷野さん、私なりの感謝です。受け取ってください」


「じゃ、二万だけ受け取るよ」


と分厚い札束の中から貴方はスッと器用に二枚だけ取り出して、その薄い二枚をひらつかせながら満足げにニコッと笑った。


「そんな、そもそも私の問題なのに、氷野さんを巻き込んで、迷惑かけて、怪我までさせちゃって、本当に……」


「大丈夫だから。怪我っていっても大したことないし。本当、美優ちゃんに怪我がなくて良かったよ」


「……でも、でも、どうしよぉ!氷野さんのメンヘラ彼女さんに刺されたらあ!!氷野さんに怪我なんかさせるつもりなかったのにぃ」


と焦燥に駆られ思い悩む彼女を見て、京一さんは腹抱えて笑った。メンヘラ彼女さんって、僕のこと??


「あははっ、どう思う??」


って京一さんはメンヘラな僕にパスしてきた。


「え?……それはまあ、そのメンヘラ彼女さんはたぶん誇らしい気持ちになるんじゃないですか??こんなイケメンな彼くんが困っている女の子を助けたって知ったら。でも、ちょっとは、いや、だいぶ嫉妬はするだろうけど。キスしてないのなら、ギリギリセーフじゃないですか??」


「キスしてないよ!?全ッ然!!全く触れてない!!!証拠はないけど、やられたらわかるよ!!」


僕だって何回かやられたことあるけど、客観的に見たのは今日が初めてだったし……。


「えー?じゃあ、煙草持ってて」


と吸いかけの煙草を持たされて、顔に両手を添えられる。知ってるよ、僕の唇の端っこに置いた自分の親指にいつもキスしてるんだ。触れないのだって知ってる。……あ、キスされ、んっ!?ガチでしてくんのかよ!!煙草臭っ、でも、やば気持ち良い♡♡


「え、こんなキスしてるように見えんの!?やばあ♡♡」


美優ちゃんは僕らのその様子を指の隙間から覗いて、さっきのことを思い出したのか恥ずかしがっていた。


「はい、おしまい!」


と京一さんはこれ以上やると歯止めが効かなくなるって寸前でやめて、既に快楽にやられた僕の指から煙草を奪うと、それでその上書きするように一人でスパスパと吸っている。あーーー、頭が回んない。


「氷野さん、いつか公然わいせつで捕まんないでくださいよ?」


と美優ちゃんが京一さんを揶揄った。


「何で!?そんなこと一切してないんだけど」


「動作がエロいです」


「歩く十八禁」


「あはっ、キスするフリだけでえらく興奮してるお前のが、顔面十八禁になってんけど?」


と京一さんは僕の頬っぺたを引っ張っていじめてくる。赤面は免れないじゃん、キスするフリじゃないんだから。


「……やめてください。恥ずかしいので」


「てかさ、キスシーンが気になって付いてくるだなんて、今時の中学生は可愛いなあ♡」


「え、まじで言ってる?こうゆう簡単に付いてくる奴が、将来ああゆうストーカーになんだって。ストーカー予備軍だよ、コイツは」


「あーそう思ったら、何か嫌になりました」


「だろ?」


「あの、言い方酷くないですかそれ?僕だって、犯人を捕まえるくらいは正義感あるんですけど?」


「はいはい、用がないなら早く帰れよ。まだストーキングしてたいの?」


「酷っ!!ああもう、帰りますよ。さようなら!!」


と別れを告げて、意地悪な京一さんから走って逃げたけど、京一さんの部屋に入って、勉強している僕は何なんだろう。



美優ちゃんのアパートの家まで着いた。俺より良さげな部屋に住んでて羨ましい。


「氷野さん、今日は本当にありがとうございました。家まで送って貰っちゃって……」


「ううん、そんじゃまた」


と軽く手を振って、彼女に背を向けようとすると、


「待って、ください。あの、氷野さんにもうそんな気がないってのは、分かってるんですけど、私……氷野さんを好きなままでいちゃダメですか?」


って駆け寄ってきて、俺の手を掴んで、真剣そうに告白してくれるから、不覚にも「やべー可愛い」としか思えなかった。


「……あはっ、俺なんかを好きでいてくれるなんてありがたいね。けどさ、俺みたいなクズよりも、君のことを大事にしてくれる男と付き合っ」


「氷野さんはクズじゃないです!!どうして分かんないんですか!??私のこと何度も気にかけて、今日だって、怪我してまで守ってくれたのに、何でそんな悪役ぶるんですか!??」


女の子に胸ぐら掴まれた。こういう時は大抵、キスかぶん殴らんのがオチだったから、ここで一時停止させられると戸惑った。


「……悪役だったら、罵倒されてもぶん殴られても、悪役だから、で片付くじゃん。余計に傷付きたかねぇんだよ」


あーーー、小っ恥ずかしい。惨めだ。頭痛え。


「だけど、誰が何と言おうと、私にとって氷野さんは、とっても格好良いヒーローです」


「じゃあさ、幻滅させてあげよっか?」


何でこんなことになってんだっけ?まあいいや。彼女の腰に手を回して、身体を密着させてから、頬を撫でて貪るようなキスを、


「やっ、氷野さん……やめて……」


俺の身体を両手で押し返して反撥する彼女。なんて俺が気持ち悪いんだろう。パッと潔白を示すように両手を上げる。


「あはは、考えは変わった?俺はヒーローなんかじゃないよ。それじゃ、」


俺は何故、嫌われようとしたんだろう。傷付きたくないくせに、自分から傷付きにいったんだろう。いづれ向こうが勝手に冷めてくれんのに、早急に幻滅させようとして、俺は彼女を傷付けた。悪役という、クズという俺の居場所が心地良いばかりに。


「京一さん、おかえりなさい」


って湊が勉強しながらに言ってくれた。俺はそれを横目で見て通り過ぎると、脱衣所へと直行した。ただシャワーを浴びるだけで、こんな五臓六腑まで真っ黒な俺の穢れが取れる訳でもないのに。流れる水は赤く染まっていた。酒飲んで寝て、布団のかぶって丸くなり、声を抑えきれずに啜り泣く。その一連の動作がまた俺を責める声となって、呼応する。


「明日が来る前に、死ねたらいいな……」


ぼんやりとそう思っていると、突然、布団をガバッと引っペがされた。


「数時間前まではあんなに饒舌だったのに、こんなに寡黙になるなんて、何か僕に言うことないんですか?」


「え……」


「え?」


「え、ただいま(?)」


「はい、おかえりなさい」


って、楽しげに湊は俺の頬にキスしてくる。


「……おやすみ」


「ふふっ、おやすみなさい。今日はとっても誇らしかったですよ?貴方が僕の恋人で、嬉しいです♡」


あの失態を聞いたら、湊は、このどうしようもない俺に失望するのかな。俺は俺自身で、良い人間だと認めたくないし、善人ぶるのも嫌いだ。隣人を愛したって、他人にまでは手が回らないから、初めから愛さない方がいい。中途半端に夢見させられて、結局は苦しむだけなんだから。善人になりたいと望むことは、誰かにとっての悪人になりたいと望むことと、同義なのである。とか、そんなこと言ったって、善悪の価値感なんてその時の体調と気分次第だ。とかね。


「湊、溜まってないの?」


「はい?」


「俺とのキスはどうだった?気持ち悪かった?」


「いや、そんなわけないじゃないですか。僕の十八禁の顔面、ちゃんと見てましたあ?」


「あはっ、あれは傑作だった」


「そりゃあ、良かったですよ……」


俺に揶揄われて拗ねて勉強へ戻る、湊の背中に向かって


「みーなとぉ」


と無意味に呼んだ。


「何ですか?」


別にセックスしたい訳じゃないけど、イチャイチャしてたいし、お前に甘やかされていたい。そんな欲望は湊の迷惑そうな顔を見たらすぐに消滅した。


「ふふっ、おやすみぃ」


「はい、おやすみなさい」


って本日二度目のおやすみをされても寝れないし。もっともーっと会話していたい。湊に構ってもらいたい。気持ち悪い気持ち悪い。脳内の細胞が退行して、布団の中でズボンを脱いだ。そして、布団を半分かぶった四つん這いで、俺は勉強の邪魔をする猫になった。


「なあ、眠れない」


「じゃあ、この長文でも読みますか?途端に眠くなりますよ」


と渡された長文は簡単な単語の羅列で、高速回転している頭にその単語とその意味がぐわって流れ込んできた。


「んーん、そうゆうんじゃなくて。頭ん中真っ白にしたい。強制的にトリップさせて欲しい」


「でも京一さん、今日はすっごく疲れてませんか?もう少し布団にくるまっていたら、寝れるんじゃ……って、ちょっと、何して?」


湊のベルトを外して、ズボンもパンツも脱がして、


「その気にさせれば良いんだろ?」


って湊のソレを咥えた。


「京一さん、あの……汚いですよ?……」


「もう、下手くそだなんて言わせないから」


一回目よりも、二回目、二回目よりも三回目。身体を重ねる度に、湊の満足度を上げられるように。湊に捨てられないように。プライドも衛生観念も捨てて、見よう見まねでしゃぶっている。


「っ、言ったこと、ないですけど!??」


「……浮気した」


「それは、京一さんのせいじゃなくて、僕が、」


「俺のせいだろ。俺が悪いだろ。全部全部、俺がうまくやれないから……」


あーあ、惨めになってきた。こんなにやってもまだ、湊は理性的で、俺だけが異常に常同行動をして、気が狂っている。


「京一さん、京一さん!!」


湊が俺の行為をやめさせるために肩を掴んできた。俺は遊んでいるおもちゃを取り上げられた子供のように、泣きじゃくった。


「ううっ、何で?……いやだ、ひっく……」


「そんなことしてくれなくても、僕は貴方のことが大好きです。……ギン勃ちしてて、すみません」


湊に抱きしめられると、やっと冷静になってきた。本当だ、めちゃくちゃ勃ってた。


「何なんだよ、説得力ねぇよ」


「ごめんなさい、でも……すげー好きです♡♡」


と湊が俺の頬にキスしてくる。


「なあ、湊。……ごめん。俺はさ、ちょっとだけ、お前にかまって欲しかったんだ。めんどくさい、ってのは分かってるよ。だけど、こうしてないと……死んじゃいたくなる」


「京一さん、やっぱり何かあったんですか?貴方が話してくれるまで待ってみようとも思ったんですが、そんな悠長なこと言ってる場合じゃなさそうなので」


「……ごめんなさい、全部台無しにしちゃった」


美優ちゃんにヒーローって言われたこと、それが居心地悪くて襲うフリして幻滅させたこと、湊に誇らしいって言われて、本当の俺を見せれなくなりそうで、すごく不安に思ったこと。全て、湊に話した。


「僕は、京一さんの立派な姿も、京一さんのダメ人間なところも、両方とも大好きです。期待されて不安になる気持ちも、期待に応えられなくて申し訳なくなる気持ちも、どちらもよく分かります。僕も両親の期待を裏切って、今ここにいます。だけど、これが僕の人生です。京一さんだって、美優ちゃんの恋心を断つことが、今後のお互いのためだと考えたんじゃないんですか?」


「そうだけど……」


「京一さん、人間は八方美人には生きていけないんですよ。悪意がなくとも傷付けてしまう、傷付けざるを得ない瞬間があるんです。だからと言って、その行為が最低だということはありません」


「その言葉、ボイスメモに残しておきたいね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ