煙草ふかしてイキってる奴全員ダセェ
京一さんと会えないまま、夏休みが明けた。教室へ入ると、真城さんと高橋が話していたが、僕の顔を見た瞬間、話すのをやめた。そんなの、どうでもいい。僕の脳内に絶望の二文字が刻まれてる。だから、空元気で微笑んで二人に「おはよ」って言いに行った。
音楽の授業、今日は合唱コンの曲決めをするという。平和がテーマの歌や綺麗事を並べた歌詞、宇宙なんてちっとも分かりゃしない。幸せになんてなれない。そんな中で一つだけ気になった曲があった。流れるように綺麗で壮大な前奏は海の広さや波の煌めきを感じさせるようで、心地良かった。歌詞カードを見ながらその歌声に耳を傾けていると、京一さんと見た海での思い出が蘇ってきて、これは僕のことを歌ってるんじゃないかって思い込むくらいに、その歌詞が僕の心に刺さった。京一さんが口ずさんだ静かな優しい歌。僕が微笑みの裏に隠した苦悩。それらを包み込んでくれる故郷の海。
「あ、青柳!?どうした?何泣いてんの??」
隣りの太郎が僕の背中をさすってくれた。今すぐにでも涙を抑えたいのに、精神不安定だからなのか全く止まらなかった。
「僕、この曲が良い……」
昨年の合唱コンなんてやる気がなくて放課後も強制参加の練習があったけど、京一さんに一刻も早く会いたくてすっぽかしてたら、「青柳、お前は合唱コン休め」なんて担任から堂々と休めって言われて、その日は堂々と休んだ僕だが、この曲だったら、頑張れそうな気がした。
「え、そんなこと言われても多数決だし……」
「これじゃなかったら僕また休むもん!!」
と顔見知り太郎に無我夢中で我儘を言ってしまってすごい恥ずかしい。しかもその後で教室中シラケたからもっと恥ずかしい。
「じゃあ私はこれにしよっと!」
という真城さんの声。が鶴の一声のように響いた。
「ったく青柳、本当にお前は……」
続いて高橋の声。ペンギン効果のように次から次へと票を集められた。きっとみんな全員参加じゃないと減点喰らうことを恐れたんだろう。歌ってるフリすら見せれない僕はそれよりも減点になるから休めさせられたんだろうけど。
学校を終えると僕はすぐさま京一さんのいる病院に向かった。手土産に綺麗なお花を持って、バスに揺られていた。今までは何処へ行くのかとママの監視の目があったから困難だったけど、学校という隠れ蓑があれば安心だ。ワクワクしながら病院の受付に面会希望を伝えたが、ご家族の方以外の面会はお断りさせていただいております、って。
「いえ、僕は京一さんの婚約者です」
って中学校の学ラン着ながら訴えても説得力が皆無だ。
「えっと、申し訳ないですが……」
「無理ですか?」
「はい、決まりですので」
と門前払いされた。でも僕はどうしても諦め切れなくて、少しでも彼の近くにいたくて、京一さんの病室が何処にあるのか、外から窓の数を数えて考えていた。
「ねえ、君。何してんの?」
京一さんの声??驚いて振り向くと、そこには京次郎さんがいた。「何や、俺じゃ不満か?」ってケラケラ笑ってからかわれた。
「京一さんの病室を探してたんです」
「つっても、駐車場でウロチョロしてたら危ないやろ」
って首根っこ摘まれて端っこに連れてかれた。
「……すみません」
「それ、京一郎にあげんの?」
僕が手に持ってる生花。
「はい」
「病院内、生もの禁止やで?」
「え?……そうなん、ですか?」
「おん。せやから、この花は京一郎の退院祝いか、葬儀で焚べたってよ」
「縁起でもないこと言わないでください」
「アイツにとったら両方縁起いいやろ。ああ、あと煙草も焚べるかぁ、いーや、臭くなっからやっぱなし」
両方縁起いい、って、京一さんが生きていく方も縁起がいいって。口先ではこう言ってるけど心の底ではまだ京一さんに生きてて欲しいんじゃん。
「ふふっ、それまで枯らさないように僕が育ててないとですね」
この花を、京一さんみたいに綺麗で明るい花を、愛おしく抱きしめた。
「京一郎よりも断然手がかかんないな」
「あははっ、本当ですね!」
ブラックジョークのように病みを笑った。
「そういやさ、何で俺からの連絡ずっと無視してんの?」
スマホを確認して、京次郎さんがちょっと拗ね気味に聞いてきた。
「え、?あっ!!それは、スマホが壊れちゃって、飛び降りた時に」
「……ごめんな?ウチの馬鹿が」
「いやいやいや、京一さんが僕を守ってくれたんです!!僕がバランスを崩して落ちたんですよ!!本当にごめんなさい……全部、僕のせいです……」
と僕が跪くと京次郎さんは僕の両手を掴んで、僕は何か跪いてバンザイして彼と両手で恋人繋ぎしている人になってしまった。何これ。
「ふふっ、土下座謝罪未遂やね。そもそもウチの阿呆が飛び降り自殺なんかしよ思わんかったら、こないなってないねん。せやから、全部アイツの希死念慮のせいで、それを誘発させた俺のせいだよ」
って、悲しそうに微笑む。その顔が京一さんみたいで胸が震えた。ねえ、何でそんな自分の責任にしようとするの?京次郎さんは完全に悪くないって言い切れるわけじゃないけど、全部を引き受けるのは荷が重すぎる事故だ。過去を思えばつらくなる、本当にその通りだ。今まで僕達は小さな過ちをいくつか繰り返してきて、今その罰を受けている最中、何もできずに無力感でいっぱいだ。
「罪を半分こ、しましょう」
「子供っぽ」
「僕達はまだ子供じゃないですか」
と言うと京次郎さんは子供っぽくわんわん泣き出して、僕の手の甲で涙を拭う。京一さんを看病しながら、色々と自分の過去の振る舞いについて一人で考えていたんだろうか。僕だって、あの日、あの夜、すぐにでも京一さんに電話していたら、そもそも京一さんとデートしていれば、京一さんと一緒にいれば、とタラレバばかり考えて自己嫌悪に浸っている。
「俺、兄ちゃんが好きなのに……ごめんなさい……」
僕はそうやって懺悔をする京次郎さんに慰めの言葉は何もかけられなかった。ただ彼の涙を拭って、一緒に泣くことしかできなかった。花は僕達の涙で濡れて、育っていくのだとしたら、それはそれで残酷だ。
「もう、涙が枯れちゃいますよ?」
って冗談言う僕も泣いているのだけれど、本当にそれぐらいの長時間、病院の隅で二人泣いていた。
「湊くん、自分のことは傷付けちゃダメ」
京次郎さんは僕の左腕を撫でてから僕を抱きしめてくれた。僕のリスカ跡、見えちゃったんだ。まだ真っ赤なその傷達は京一さんのよりも断然浅いし、僕の心の傷よりも浅い。だけど、京次郎さんはそれをされるのを悲しむように僕をずっと抱きしめてこう続ける。
「自分の最大の味方は、自分なんだから、自分しかいないんだから。自分は世界中の誰よりも甘やかしてあげないと、大好きでいてあげないと、他人の使い捨ての道具になっちゃうんだよ。優しい湊くんだから、京一郎のこと考えて、自己嫌悪しちゃうんだろうけど、京一郎だって、その傷を見たら悲しむんじゃないの?俺なんか京一郎のことを傷付けた自分が今は大嫌いだけど、その分、罪悪感の苦しみの中で悶える自分が愛おしい馬鹿で大好きなんだ」
と京次郎さんは強がってるのか唇を震わせて笑った。
「でも、このどうしようもない怒りは、どうすれば良いですか?自分を罰したくて、傷付けたくて……」
「そうゆう時は『俺は幸せだ』って嘘でも笑うんだよ。虚しさが入り込む隙を与えないように馬鹿みたいに笑うんだ。『俺が死ぬべきだ』なんて考えが起きないように、苦しみさえも幸せだと笑うんだよ?」
「うーん、僕にできるでしょうか」
「じゃあ今後、もし自傷行為がしたくなったら、俺のところにおいで。俺が抱きしめてやる。その場しのぎだが、ええ考えとちゃうか?」
「そんな迷惑、」
「そんな迷惑をかけていい相手が一人、ここにおるんやから、お前さんは幸せやなぁ?」
「ふふっ、僕は、幸せですね」
夜遅くに二人でバスに乗って家まで帰った。
京次郎さんは今、京一さんのアパートに母親と二人で下宿しているらしい。だから、「京一郎の代役で、俺を使ってええよ」って僕に帰り際言ってくれた。京次郎さんが何故ここまで僕に優しくしてくれるのかと言うと、彼が善行していないと自分を大好きでいられないから、らしい。この人もこの人で複雑な人だ。家に帰るとママがいて、僕のことを怒って出迎えてくれた。
「湊、何処へ行ってたの?」
「京一さんのとこ」
「はあ、何でまたそんな……」
「ママ、僕の幸せは僕が決めるからそんなに心配しないでね」
「……学校は、ちゃんと行ったのよね?」
「もちろん!今日はね、合唱コンの曲決めをしたんだ!」
って明るい口調で話すとママは小さくため息をついてから笑ってくれた。僕は幸せ。幸せだ。でも、京一さんが僕の近くにいない世界で、僕が幸せになってしまったら、京一さんはもう僕の世界にいらないんじゃないかってことになってしまいそうで怖い。だから、幸せじゃないのが、今は僕にとっての幸せなんだ。苦しみさえも幸せなんだ。ああ、京一さんが僕を抱きしめてくれたら、多幸感で僕は死んでしまうんだろうね。そう妄想してはオナニーしてた。
目が覚めると、真っ白なところにいた。俺の家はこんな綺麗じゃない。全身が痛い。動けない。この静かな部屋で頭だけはいつも通りうるさくて、リアルな夢を見ている気分だ。俺はさっきまで何をしてたんだっけ?思い出せなくて、まず自分が何処にいるのかを考え始めた。あ、あれじゃね?セックスしないと出られない部屋。俺何故かベッドの上で縛り付けられてるし、異常にダルいし。湊がやったんかな?なんかこのまま解剖されそう。なんて、あるわけないか。酸素吸入機、点滴、看護師さん、ああ、病院??病院かよ。精神病院にやっと捕まったか。湊、ごめん。一緒にいれなくて。ごめん、ごめん、ごめんなさい……と心の中で何度も言っても何も無いから虚しいね。何もないところで何時間も拘束されて、気を紛らわすものもなく虚しさと寂しさに浸るのは、ただただ地獄だった。ナースコール握って看護師さんに構ってもらう?いや、業務妨害で訴えられろ。痛いダルい重い。具合が悪い時ほど優しくして欲しい。湊なら何してくれるかなって想像しては、自分の幻聴がいちゃもんばかり付けてくる。
「うわっ、起きてたんですね」
って朝日が昇って、明るくなってきてから徘徊して来た看護師さんに驚かれた。俺が起きちゃまずいか?
「いつ、退院できますか?」
「一ヶ月くらいは様子みて貰わないと」
長ぇ。
「あはは、暇すぎる」
「今は安静にしててくださいね」
「看護師さん、俺と一緒にいてくれない?」
「他に仕事がありますので」
と冷たく受け流されて、悲しみをくらった。暇だ。その後も看護師さんが来る度に色々と口説き文句を並べて話していると、看護師さんとちょっぴり仲良くなれた。でもその反動なのか一人になると強く孤独を感じて、動けない一人で何もできない自分が情けなくて涙が止まらなくなった。
「……死にたい」
「氷野さん、どうされました?」
と泣き止んだ後に来られても、「別に」って変にすかした態度をとることしか俺にはできなかった。
「俺、恋人いるんですよ。こんな俺でも愛してくれる可愛いのが。何かすごい暇だからか、とてつもなく会いたくなってきて」
「昨日、花束持った中学生くらいの子が『婚約者です』って名乗って貴方に会いたがってたらしいですよ」
「あははっ、それ絶対に俺の恋人!アイツ俺よりも頭おかしいの!」
「そうなんですね……」
と微妙な反応されたから、あっ、何か社会的にヤバい奴認定されたんだろうなって考えが頭によぎった。
「「海よ〜海よ〜海よ〜♪」」
放課後、合唱の練習が始まった。僕は歌は下手だけどやる気だけは人一倍あったので、先生の言う通りに大きな声で歌っていたら、高橋に後ろから楽譜で叩かれた。
「音程違う、悪目立ちしてる」
と言われても、僕には音楽のセンスってのがからっきしない、と思う。京一さんとダンスをした時だって、リズム感がなくて、笑われた。カラオケの時だって、京一さんみたいに格好良く、上手に歌えない。CD音源を何度聴いても、CD通りには歌えない。
「これ、どうやって歌うの?」
全体練習が終わってから高橋に聞いてみると、高橋は僕の腕を掴んでピアノの前まで連れていった。そして、
「コイツに音程教えてくんない?」
とピアノ奏者の女の子に頼んでくれた。学級委員、強い。ピアノのが音程取りやすいだろ?って、優しすぎる。けど、ほぼ初対面だから少し僕はキョドってしまって、
「上手くなりたいです、よろしくお願いします」
とクラスメイトにも関わらずぎこちない挨拶で会釈した。その子に苦笑いされた。
「青柳くんはさ、この歌はどんな歌だと思う?」
「海?」
「もっと歌詞の意味を汲み取ってみて」
「……鬱病の彼と素直になれない僕の歌」
なんか、恥ずかしくなってきた。
「ふふっ、青柳くんにとっては自分の歌なんだね」
「あっ、違う!私、だった」
そんな、違くないけど。
「別に良いんだよ、そんなのは。それじゃあ、そんな青柳くんに海はどんな風に見える?」
「飲み込まれそうで、怖いけど、五感の全てを包み込んで、つらさを見えなくさせてくれる、安心感(?)」
「そっかあ。じゃあ、その君の感情を乗せて歌えば良いんじゃない?」
京一さんも僕もつらくてつらくて、でも海を眺めて幸せだった。日々の喧騒を忘れて、ゆったりと時間を過ごして、ゆったりと、そっか、これは休暇の歌なんだ。ただ大声を出せばいいってもんじゃないんだ。
「あっ、わかってきたかも!」
「なら、あとはもう音程取るだけだね!」
ってピアノの音と合わせて「あー」で音程を取っていった。この作業が地味に難しい。ピアノの音をよく聞いてって言われても、ピアノと声じゃ音違うし。
「はあはあ、何でこんなに音楽って難しいの??」
「難しくないよ!聴いたまま歌えば良いだけじゃん!」
「それが難しいのっ!」
と僕は匙を投げてしまいそうだったが、その次の日も次の日も練習は続けて……。はあ、もう無理かも。
「でもさ、青柳くんが一番気持ち込めようとしてんのはよく分かるよ。みんな帰っちゃったのに、一人で毎日居残り練習なんて本当偉いよ!」
「いや、全然。ごめんね、付き合わせちゃって」
「ううん、私はピアノ弾けるの楽しいから」
「優しいね、ありがとう。僕さ、この歌を聞かせたい人がいて、」
「え、だれだれ〜っ?」
ってはやし立てられるとつい、その名前を口にしてしまいそうになる。
「鬱病の彼だよ、海を一緒に見に行った」
「まじで!?ノンフィクションなの??」
「うん。彼は海を見て、泣けそうで泣けてなかったよ。不器用だから。冬の海だったんだ。皮膚が乾燥して、風が強くて……」
と思い出して語っている内に目頭が熱くなってきた。あの京一さんの笑顔を思い出して、つらくなる日が来るなんて想像もしてなかった。
「え、大丈夫?」
「ごめん、思い出したら、つらくなっちゃって」
「ああ……」
僕が泣いてるから反応しにくそうにしてる。申し訳ない。だから、いつも通り笑って
「彼、ビルから飛び降りて、入院中なんだ」
って、嬉しいことのように話してしまった。本当はとってもつらくて苦しいのに。その矛盾が僕の心を握りつぶす。そうしたら、彼女はそんな僕から目を離して、ピアノの前に座った。そして、一呼吸してからゆったりと流れるようなメロディを奏でた。僕は音楽には全然詳しくないけど、その音はそっと心の中に違和感なく入ってきて、気持ち良く流れるさざ波のような音だった。それでいて休日の昼間にふっと微笑む京一さんのように、とても穏やかで素敵で太陽の光で煌めいていて、落ち着いた雰囲気の中で少し心が踊る気がした。演奏が終わった後で、泣き止んだ僕を見て彼女がほくそ笑んだ。
「ベートーヴェンのワルツ変イ長調。気に入った?」
「うん、とっても良いメロディだね。少し元気出たよ。ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして!」
母親は京一郎の面会へ向かったけど、俺は合わせる顔がなくて、救急搬送されて意識を無くしたアイツを見て、怖気付いてからもう行けていない。ショックでいっぱいになってしまうから、あまり会いたくない。あの日だって、母親に無理やり連れて来られてただけで、京一郎の寝ている顔をまじまじ見ていられる状態じゃなくて、俺は外の空気を吸っていた。アイツが勝手に死ぬとは思っていなかった。俺に連絡くらいしてくれるものだとばかり思ってた。そして、高々と哀れんでやりたかった。俺が望んでたのは、こんなんじゃない。この息が詰まるような小部屋には京一郎の生きた証が刻まれていて、キッチンに残る潰れた酒缶を見ても、ノスタルジックな気持ちになる。
夕方、鍵をかけていないドアが開く。こんなクソ暑いのに長袖シャツを第一ボタンまで閉めた端正な男の子が平然と部屋に入ってきた。
「ふふっ、本当に京一さんかと思った」
と俺が換気扇の下で初煙草を味わっていると、鞄をそこら辺の床に置いた彼は、俺を恋人と見立てて抱きしめてきた。俺の身体に触れたその手の触感がわかっていてもゾクッとしてしまう。
「悪かったな、俺で」
「良いんですよ、これはこれで、貴方の優しさが感じられて。僕は幸せです」
そう強がって子供にお世辞使われて笑われて、俺じゃ不十分だと役者不足だと思い知らされる。煙草の煙が身体に合わないようで、むせた。
「あははっ、何処が美味いんだよ、こんなん」
煙草の煙が目にも滲みて泣きそうになりながら息苦しさに魘された。でもここには灰皿もなくて、火の消し方も分からなくて、やりようのなさで笑った。湊くんはそんな不格好な俺を見て、何を思ったのか俺が手に持っていた煙草を盗むと、自分の左手首に押し付けた。
「……っ、ふふっ、煙草嫌いですもんね」
明らかに痛そうなのに笑顔で、俺が手持ち無沙汰になっていた煙草を消してくれた。人が自傷行為をする場面を初めて見てしまった。
「ごめん」
見ちゃいけないものを見てしまった気がして、胸が苦しくなって目を逸らした。のに、湊くんは俺の頬に手を添えて、顔を近づけてくる。え、何!??
「可愛い」
彼は俺よりも子供なのに、俺よりも何かを知ってる大人のように俺をからかって微笑んだ。そして、その何かを教えるように、唇を奪われた。
「……は?」
頭が真っ白になった。
「死にたい」
二言目にはそう呟いて冷笑する彼の感情が全く分からない。けど俺に顔を見せないままずっと抱きついている。泣くわけでもなく、ただ微動だにせず、くっつかれていた。
「キス、したいの?」
と俺が聞いても返事は無く、辱めを受けている気分になった。
「……僕は京一さん以外は愛せないです」
やっと口を開いたと思えば、これだ。
「あっそ」
「でも、負けました」
「ふふっ、俺の魅力に?」
ってふざけるとくっつかれたまま胸を拳でドンと一発叩かれた。痛って。
「"誘惑に"負けました」
「性欲に、じゃないの?」
って聞き返すともう一発。痛えって。
「もう、何で煙草なんか吸ってんですか?」
やっとこっち見て、怒り気味にそういう湊くん。
「ふふっ、ちょっとした好奇心やねん」
「京一さんみたいで、格好良かった……」
その一言が俺を最悪な気分に叩き落として、俺が見立てていいよって言ったのにも関わらず、湊くんを突き飛ばした。湊くんは床に倒れ込んで、左手首が赤く爛れていて、でも口許は何故か笑っている。
「変態かよ」
京一郎の暴力も暴言も何もかも受け止めてきた彼だ。こうやって半ば強引に襲われたこともあるのだろうか。想像したら、酷く気持ち悪かった。でも、よくよく見ると、彼は震えながら泣いていた。
「……ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい」
何度も何かに向かって謝って怯えて、でも笑顔を絶やさないのが奇妙だった。
「湊くん、ごめんね。俺が悪かったから、もう謝らんといて」
人の心っていうのは、どんな計算式を解くのよりも難解だ。安易に手を出すもんじゃなかった。この奇妙な空間で俺の方が精神的に参ってしまいそうだった。
何十回も湊くんの謝罪を聞いた後、ピタッと謝罪が止んだ。そして馬鹿みたいに湊くんの発作(?)をなだめようと何十回も撫でていた俺を方をガバッと向いて、その手をグッと掴まれ引かれた。
「ねえ、セックスしよ?」
「……は???」
拝啓、京一郎へ
俺は今、お前の恋人とべろちゅーをしています。こんなことするなんて俺らしくないだろ?俺も精神的に狂い始めてきてんだよ。お前の恋人はもっとだ。お前にお似合いなくらい頭がイカれてるから、早く帰ってこい。馬鹿。
「お願い。僕を罵って殴って、僕の首を絞めて、殺して?」
って床に寝転がって号泣しながら、俺の手を震える手で弱々しく掴んでは自分の首元に添える。彼は本当にずっと笑っていて、嬉しいのか悲しいのか何も分からないけど、そうお願いされる俺も苦しくて、京一郎ならどう慰めるかを教えて欲しい。赦せ、京一郎。俺は彼に覆いかぶさって、慣れないキスをした。
「君を傷付けることは俺にはできない」
と言うと湊くんは俺の首に手を回して、今度は彼の方からキスをされた。舌を絡ませる濃くて長ーいの。それに身も心も絆されて俺も床に寝転がって、湊くんを抱きしめた。湧き上がってくる欲情で現実から目を背けて、その時だけはこの今、生きている瞬間を味わえた。あんだけうるせぇって感じた喘ぎ声も、俺がこの子から引き出してるって思えば、それなりの快感だな。京一郎しか知らない彼の姿、俺も見ていいのか?っていう背徳感もその熱狂の油となって、心底、馬鹿なことをしたと思うよ。
「京次郎さん、もっと、僕の深いところまで、触ってください……」
と顔を真っ赤にしながらお強請りしてくる彼はあの時の俺みたいだと思った。お前に包丁を向けた幼い頃の俺。他人に自分という存在を見て欲しくてたまらなかった。俺はこんなに苦しんでるんだよって、みんなに知って欲しかった。でも、誰もそんなん興味ねえよ、って気づいてるから自己愛と人間不信を拗らせてんだ。笑えるよね。だから、
「ん?じゃあ、俺のこともちゃんと見て?」
って嘲笑って湊くんに意地悪しちゃった。「み、見てるよぉ」って弱ってたけど、俺のことまだまだ知らないのによく言えたよね、って。
湊くんはその後でトイレにこもって多分抜いてて、俺はそのままその場でやった。久しぶりに抜いたから、濃いのが出たなぁって思って、脱力感でその場から動けなかった。そうして何もしないでいると今までしてた行為がかなりキモく感じてきて、無理だった。洗面所で俺の子孫の種を洗い流していると、そういや湊くんやけに長ぇなって気が付いて、トイレのドアをドンドンと叩いても返事がない。邪魔すんなって思んのはええけど、返事ぐらいしろよって思って「返事せえへんなら開けんで?」と言うと「え、ちょっ」ってキョドった声が聞こえたんがおもろくて開けてみた。すると、カッターで何度も何度も腕を切りつけたのが一目で分かるぐらい腕が血で真っ赤になっていて、血が指先から何滴もこぼれ落ちていて、俺はまたプチパニックになってしまった。ああ、そういや、喘ぎ声なんて聞こえんかった。何でこんな俺は馬鹿でも分かるようなことが分からへんねや?
「……ご、ごめんなさい」
「そうじゃないやろ。お前は大切なの、分かる?」
とその血塗れになった腕を掴んで引っ張って、彼の腰を抱き寄せた。
「どういうことですか?」
「あはっ、何で分からへんの?」
俺にしてはこの上ないくらいド直球やねんで?
「分かんないですよ!!僕がどうなっても貴方には関係ないじゃないですか!!!」
って怒鳴られた。俺のお節介が仇となった。
「罪は半分こ、してくれんねやろ?お前が死んだら、俺が重罪になってまうやん」
要するに、俺のことも慰めて。
「つまり、僕が死ななければ良いってことじゃないですか。じゃあ、アムカは許されますよね?」
「何でそう可愛ない屁理屈言うかな?」
まあ、俺が最初に屁理屈持ち出したんだけどね。罪を半分こして、お互いに慰め合える関係で今はいて欲しい言うてんねん。
「何なんですか?」
「あーーー、京一郎やないから上手い言い訳思いつかんわ!」
と自分の気持ちを言うのが恥ずかしくて誤魔化して笑うと
「とゆーか、痛いです」
と血塗れの腕をずっと掴んでることのクレームを言われた。
「え?あっ、ごめんなぁ。痛かったなぁ。いや、せやから……」
パッと両手をこの子から離してしまった。
「もう良いですか?」
ああ、冷たい。って馬鹿か、初めに俺がこの子を拒絶したのに。
「俺だって……つらくて苦しくて痛いんだよ。孤独が平気で寂しいんだよ。自分の存在価値なんてない、いつでも死ねるって余裕な顔してイキって、不安も痛みも全部隠して、偽った自分を馬鹿みてえに愛して馬鹿みてえ!!あははっ、ねえ助けて??俺、クソダセェよな?」
愚痴がこぼれて、涙こぼして、死にたくなるわ。でもそんな俺を愛してくれ、って薄い希望を何処かにいつも抱いていて、ぎゅっと抱きしめてくれたこの子に、それを見出して甘えてしまった。
「ううん、格好良すぎて痺れましたよ。やっぱり貴方は愛おしい人間ですね。誘惑に負けちゃいそう♡♡」
「ふはっ、浮気性やなぁ。京一郎に愚痴ってやろ」
と言うと「口止めしなきゃダメですか?」ってキスしようとしてくるから調子の良い奴だと思って、これも京一郎の教育の賜物だと思えば何だか愛おしい。




