やば
「ママ、どうしたの?京一さんは?」
何かCT検査して終わったら、待合室にママが来ていた。そして、京一さんがいなくなっていた。
「飲み物買ってくるって。それよりも大丈夫なの?」
「京一さん、いちいち大袈裟なんだよ。頭痛いの、もう治ってきてるし」
と笑った。だけどママが心配してたのはそっちじゃなくて、
「京一郎くんに暴力振るわれたんだって?」
と耳打ちされた。
「それは、」
とっても良かった♡♡、なんてママには言えない。脆さと弱さと痛みと苦しみとが混沌とした京一さんのあの顔、忘れられない。最高潮に怒りが達して、僕に手が出た罪悪感に駆られて、憂さ晴らしに物に当たる。その一連の流れが可愛すぎ。きっと、僕はクズが好きなんだろう。ばぶちゃんみたいで愛おしい。
「何ニヤけてるのよ」
「え、まあ、そうゆうこと」
僕はこの状況でニヤけるほど、京一さんのことが好きなのだ。あんなに心配してくれて、京一さんってば、良い男すぎて(頭を抱える絵文字)
コンコンコン。
「氷野です、入ってもいいですか?」
どーぞ、を言う代わりに、僕がドアを開けて、目の前にいた京一さんにハグした。安静に、ってママの声は無視してしまった。
「京一さんの匂い」
この匂いに包まれている時が最も安心できる。たまにすごいドキドキもするけど。片手にコンビニの袋を持っている京一さんは少し困惑気味にぎこちなくだけど優しく抱き返してくれた。
「どう?良くなったの?」
「はい、元々僕は頭が大丈夫じゃないじゃないですかあ。なので、逆に良くなったのかもしれないです」
「うん、まだダメだね。安静にしてて」
「嫌だ、離れたくない」
という我儘を3回ほど繰り返し言うと、ベッドまで引っ付きながら移動させてもらった。
「澪さん、助けてください……」
ベッドの縁に座らせてもらった段階で僕はもっと甘えたくなって、「添い寝して」とお願いした。今なら何でも叶えてくれそうだから。けど、彼は困った顔して笑うだけで、僕から逃げようとしてる。
「ほら、京一郎くんが困って」
「何でママが口出ししてくるの?これは僕と京一さんの問題なの、関係ないじゃん」
って僕は何故か拗ねてしまった。
「湊、母親に対してそんな言い方はないだろ」
さっきまで笑ってた京一さんがまた怒ってる。澪さん、を僕が傷付けてしまったから、?言い方の問題?
「でも……」
「帰ってからたっぷり添い寝してやろうかと思ったけど、冷めた」
って両手を離されて、僕もその気迫に怖気付いて、離さなければならない雰囲気を感じ取って、一人で丸くなった。
京一さんがママと楽しそうに話してる。「湊、思春期で……」なんて、僕は春を思うより孤独感でいっぱいだ。思春期終われ。
「そうですよね。思春期かあ、懐かしいなあ」
「京一郎くんはどんな感じだったの?」
「俺はあ、酷い時は殆ど家に帰んなかったですね」
「今の湊そっくり」
「あ、確かに。でもやっぱり親としては、息子に帰ってきて欲しいですか?」
「んー、まあ、心配だし。でも、湊の好きなようにやらせたいってのが一番だから」
「そうですか」
「いつも悪いわね、湊が京一郎くんのところにお世話になって」
「いやいや俺の方が情けない話、湊に頼ってしまってばっかで」
「嘘ぉ、そんなことないでしょー?」
「本当ですって!俺、湊がいなきゃ生きていけないです……」
「可愛いっ!!♡♡」
かぶりこんでいた布団をガバッと退けて、京一さんの可愛さを見たいばかりに、勢いよく起き上がった。
「うわっ、吃驚したぁ。てか、恥っず……」
京一さんが僕から目をそらすのでさえ可愛すぎて仕方がない。こっち向いて、その赤面を拝みたい。
「あら、湊起きてたの?」
うん、めっちゃ聞き耳立ててた。
「京一さん、さっき何て言いました??」
「何も、忘れた。とゆーか、安静にしてろよ」
照れてる。可愛い。照れてる。耳赤い。
「そーだ、私も聞きたかったんだ。どうして湊がいなきゃ生きていけないの?」
さっすが、僕のママだ!!全力でスタンディングオベーションしたい。
「澪さんまで……そうですね、湊は……俺のこと大事にしてくれるんで、死にたくなくなるってゆーか……ああああ、やっぱ今の聞かなかったことに……」
「しませんっ!!」
僕の脳みそに刻みつけて、絶対に忘れない。
「良いじゃないの、気持ちが伝わって」
「まあ、はい。……湊、いつもありがと」
不貞腐れた感じの京一さんは少し考えてから、また気持ちを伝えてくれた。今日、僕の命日じゃないよな?
「どういたしまして。京一さんも、いつもありがとうございます」
「いいや、俺は何もしてないよ」
顔の前で手をひらひら、否定する。
「謙遜しないでくださいよ。素直に、僕の言葉を受け取って、僕を信じてください」
僕の言葉を軽んじているように感じられて、気迫を込めて我を通した。
「あはっ、そこまで言われちゃあな。わかったよ、どういたしまして」
京一さんの大人びた笑顔。格好良すぎて脳内まで痺れた。
「案外、湊って格好良いところもあるのね」
京一さんの前では格好良くいたいじゃん。格好付けちゃうのはしょうがないじゃん。そんなに笑わないで恥ずかしいから。
「まあ、可愛いところのが多いですからね」
「えーーー、格好良いじゃなくて可愛いなんですか?」
「うん、湊、お前は可愛いよ」
「砂浜を歩いていると思っているけれど、俺は砂漠を歩いていると分かっている。母なる海の福音はノイズだらけの壊れたラジオだ」
悶え苦しんで思い付きをノートに書き出しても、何処か痛々しくて背後が虚しくて、誰も幸せにはできないくだらないんだ。
「湊、もう大学無理、やめたい」
やめたいほどつらいのに、やめたらもっとつらくなりそうで、怖い。逃げるようにやめた、その自己否定で埋め尽くされて、死んでしまいたくなりそうだ。
「どうしたんですか?やめたいだなんて、何で?」
「今日もまた勉強できなかった。ずっとずっと俺は馬鹿なんだ。どんどん馬鹿になってくんだ。その恐怖と不安を学習しないから同じ過ちを繰り返すんだ」
洋画ばっか見て洋楽ばっか聞いて、勉強した気になってるただの馬鹿。レポートぐらい書けねえと大学ではやってけないってのに、何してんだ。その恐怖も不安も酒で薄めて、後悔が募り罪悪感の重りを担ぐ。
「そんなこと、大丈夫ですって」
気分が沈んだ俺に湊が何事もないかのように笑いかける。
「いいや、もうだいじょばないよ。俺にとっては、そんな軽々しいもんじゃねーんだ。決して裕福じゃない家庭の両親に高い学費だけ払わせておいて、当の本人は何も身に付いてないんだ。何もできないままなんだ。いっそ、死んだ方がマシだろ?」
煙草を咥えて遊んで。赤ん坊のおしゃぶりのように、無くなると安心ができない。これを吸っている時だけは幾分か気分が底辺から低級のクソみたいなんだ。
「金のために、貴方は死ぬんですか?」
「周囲の人間の苦労に反する自分の無能さに絶望して、死ぬよ」
自分が本当に死ねるって思い込んでいる時だけは素直に笑えるから心地良い。
「貴方が無能だなんてそんなのあるわけないじゃないですか。どれだけメタ認知が歪めばそうなるんですか?」
「バイトですらマトモにできねえクズで、勉強さえもロクにできねえバカが、他人様のために何ができるってんだよ。家から出られねえ引きこもりうつ病の金食うゴミが、将来に希望なんか見い出せるわけねえじゃん」
「はああ??僕の認識では、京一さんはお仕事に毎回遅刻せずに頑張って働いていますし、お勉強だって頭が良く僕よりも知っていることがたくさんあります。外出できる頻度も前よりずっと増えてきてますし、人混みもちょこっとずつ慣れてきたじゃないですか。なのに何で、そんな自分のことを卑下する言い方するんですか?!!意味わかんないですよ!!」
と掴みかかってきた湊の腕に煙草を押し付ける。
「好きだろ?お前」
涙目で歪んだ視界ではその姿がうまく捉えられない。あの恍惚とした表情を今もしているよな?
「……嫌いです。たった今、嫌いになりました」
嫌いの言葉が俺を指しているようで、心臓を突き刺された。
「なんかもう、全部が嫌になっちゃうね」
「青柳、保健相談室に行け」と何故か先生に言われてしまったのでお昼休みを返上して、たった今、保健室にいます。カーテンに囲まれた場所で、優しそうな先生と机を挟んで対面する。お悩みを書く用紙もある。
「何でも良いですよ、愚痴でも恋愛相談でも」
「えーっと、その、何から話せば良いですか?」
お悩み1、相談内容がありすぎて話す順序が分からない。
「とりあえず、話したいことを大まかに書き出してみよっか」
大まかに、んー、大まかってどのくらいだ??それに、言葉にするのってすごく難しい。京一さんが可愛くて困る、とか、京一さんがみんなにモテて嫉妬する、とか、京一さんが……と書き連ねて、京一さんのことしかなくて焦った。学校に関係のあることも書かなくちゃ。
「体育教師がウザい」
お悩みを列挙した文字でびっしりな紙をそのカウンセラーの人に渡した。ふむふむ、と一通り目を通すと、
「京一さんってどんな人なのかな?」
って質問された。
「めちゃくちゃ格好良いです!!」
「他には?」
「他にはぁ、甘えにきてくれる時はすっごく可愛くて、もう最高なんですよ〜♡♡僕のこと好きぃ、って言ってくれるし、いつもありがと、ってちゅーしてくれるんですぅ♡♡」
って調子に乗って惚気けてしまって、それら発言を振り返ってみるととても恥ずかしくなってきた。会話では一方的に喋りすぎないように気をつけないと。
「そうなんだね!スキンシップが恋人みたいな……」
「恋人みたい、じゃなくて、恋人です」
断言した。先生が言葉を濁して、気を遣ってくれているのだろうか?逆効果だ。
「へえ、名前からして、男の方、?」
「男ですよ、性的な目で見てます」
「それは、その……」
「僕がゲイで、京一さんはストレートです」
街中を歩いてても目を惹かれるのは、全て男の人で、人間のそうゆう営みを知ってからは、ああゆう人に「抱かれてみたい」って少し思う。でも自分を女性だとも思えなくて、おそらく中性的なんだと思う。可愛いものも格好良いものも平等に好き。
「そっか、大変だよね」
「いや、その、大変なのはそこじゃなくて、そこも大変なんですけど、」
待って、僕のことはいくらでも話せるけど京一さんのことはどこまで話せるんだ?
「どうしたの?」
いきなり固まった僕を覗き込むように見つめる。
「……セックスできなくて欲求不満です」
ずっと思い悩んでいることをつい言ってしまった。
「えっと、それが君のお悩みで良いのかな?」
お悩みだけどこの人に言ったところで京一さんの性嫌悪が治ることは無くて、根本的解決には何ら至らないと思ったから、パンっと両頬を叩いて
「いいえ、仕切り直して良いですか?」
とやり直した。
「どうぞ」
「体育教師がウザいです」
「ここに塩コショウを……適量って、何だ?……」
フライパンにご飯とケチャップと玉ねぎと鶏肉を入れて混ぜ混ぜして炒めたものに最後の味付けをする。
「ただいまです」
と湊が帰ってきた瞬間、吃驚してフライパンに蓋をした。咄嗟に何故か隠してしまった。
「あ、お帰り」
ぎこちないがそそくさとキッチンから離れて、布団の上に置いてあるスマホに手を伸ばした。
「何してたんですか?」
「別に、何も?」
「そうですか」
スマホを弄るフリをして湊の出方を伺う。キッチンの方を一瞥した湊が、何か異変に気づいたようで、フライパンの蓋に触れようと……
「湊、待って!!湊の好きなテレビ、もう始まるんじゃん??」
テレビリモコンを手にテレビ前に誘導しようとする。
「ん、まだ五時じゃないですか」
時計をちらっと見て、安心したように微笑む。知ってるよ、六時からだって。
「ああ、そっか。ごめん」
というとキスされた。そして、
「ところで、このフライパンの蓋を押さえてる手は何ですか?」
ロマンティックの欠片もない質問をされた。
「あはは。ちょーど置きやすくて、手があ」
無理すぎる。何言ってんだろコイツ。自分で言ってて笑えてくる。
「何か、隠してるんじゃないですか?この美味しそうな匂い、お腹が空いてきます」
ストレートに期待の眼差しを向けられて、四面楚歌。
「そんな期待しないで。たぶん失敗した」
惨めにも自らフライパンの蓋を開けて、適量が分からない俺のしょっぱいチキンライスがお披露目される。
「え!まさかこれ、京一さんが作ってくれたんですか?」
「まあ。俺同様、不格好でしょ?まだオムライスにもなってない」
未完成品の失敗作。だから、隠してしまった。みっともないなあ、なんて苦笑していると、湊に抱きしめられる。
「僕のために、作ってくれたんですね。大好きです!!残さずに全部いただきます!!!」
強火で愛された。
「そんな、食べない方が良いよ、しょっぱいから」
と言っても聞かない湊に渋々、ふわふわの卵を乗っけてオムライスにしたものを出した。
「僕、オムライス大好きです!!」
可愛い。湊にこう言ってもらえると元気が出る。いただきまーす、といつもの倍以上のニコニコで言っている途中でストップをかけた。
「あ、ちょっと待って。忘れてた」
卵の上に、ケチャップで描くのを忘れてた。好き、とか、愛してる、とか。いやいや、無難に猫ちゃんとか、温泉マークとか……
「京一さん、ケチャップ持ったまま固まって、どうかしたんですか?」
ああ、もう良いや。描きたいの描こ。
「ん。美味しくなるおまじない、かけといたから」
やばやばやばやば、めっっっちゃ、恥ずかしい。
「大きな赤いハート……」
声に出して言うな、写真を撮るな。全部が恥ずかしさを掻き立てる。
「もう、はよ食べて」
弱ったようにそう言っても
「ふふっ、可愛くて食べるのがもったいない♡♡」
って、ニヤニヤしながら俺の方を見て言ってくんの何なん。なんか狡い。でもその後に、一口食べると頬っぺたが落っこちそうな、美味しいを全面に出した表情をされて、何だかんだ作って良かったって思えた。
「しょっぱいでしょ?」
「いいえ、僕にはこのくらいの味付けのがちょうど良いみたいです。とっても美味しいですよ」
二口目、三口目、と次々にパクパク食べてる湊。本当に美味しいのかもしれないと思わされて、一口だけ貰うと、やっぱりしょっぱかった。
「うっ、無理して食べないでいいよ」
「無理してないですって。僕は濃い味のが好きなんです。濃厚な味わいとか、背徳グルメとか、大好物なんです」
「そう。じゃあ、美味しい?」
「美味しいって、そう何度も言ってるじゃないですかあ」
湊がツッコミを入れて楽しそうに笑う。
「ふふっ、それもそうだね」
湊にもう一口貰うと、少しだけ甘さを感じた。
「ルイルイ、こんなとこに呼び出してどうしたの?」
広めの公園に呼び出されて、約束時間を過ぎても来ないから、暇すぎて足元の小石を蹴っていた。駆け寄ってきた。
「ごめんごめん、ちょーっと売りたいもんがあって」
と両手を合わせて、いきなりの本題。
「買わない、帰るね」
「いや、待って?見ずに帰るん?せっかく来たんに?」
腕を掴まれ引き止められる。
「金無い」
「一万ぽっきり!かーなりお買い得だぜ?」
とその掴まれた腕を引っ張られ強制的に連れて行かれる。俺は知ってる。初めは安い値段で良いよ、でも次回以降は通常価格ね。そうゆう、詐欺まがいなこと。
「いらない」
「現物見てから言いなさんなあ」
「何?」
企むような笑顔で連れてこられたのは、だだっ広い駐車場。そして、一台のバイク。
「じゃじゃーん!こちらのNinja made by Kawasaki、たった今、お客様限定で、なんと一万円!!一万円でご提供させていただきます」
通販番組を彷彿とさせる喋り方で自信満々にプレゼンされる。
「どっか、欠陥があるとか?」
「いえいえ、そんなことはございませんよん。こちらをご覧ください」
「Berser, car?何これ?落書きされてんじゃん」
黒い機体にライムグリーンのスプレー文字。しかもtypoってる。
「はあ?審美眼が失明したんか?俺が書いた、俺のセンスだ、どお?」
そんな誇らしげに聞かれても
「ああ、そう言われると格好良いかもね!スペルミスしてるけどっ、あは」
笑いをこらえるのに必死。
「え、まじ?どこ、ここ?……へえ、kerなんだあ」
初めて知ったって顔された。調子良くした俺はルイを揶揄する。
「マルチリンガルなのに筆記は壊滅的なの笑う」
「しゃーない、誰も教えてくれなかったんだからあ……え、意味?何かあ、MAD MAX的な??」
「あははっ、映画で例えんなよ」
「俺は通訳さんちゃうもん」
と言いながらその落書きを黒く塗りつぶす。いちいち単語と対で日本語訳なんて覚えてないんだろう。次に赤色のスプレー缶を持って、"红乌鸦"と書いた。
「さらにおもろいんのがなあ、これ最高時速六十なんよ」
「原付じゃん、それでBerserkerとか」
「ダッサ、思っとるん??過去にはコイツ、時速四百出たんやけど。……メンテしたら壊れた」
いきなり誇らしげに顎を持ち上げたと思えば、口を横に広げる。
「あははっ、意味わからねえ!メンテして何で壊れんだよ」
「たはっ、俺もわからん!!」
「ねーねー、あかり。見て買ったの、バイク」
とコンビニ横に止めたバイクを見せ付ける。
「氷野さん、初任給は湊くんの参考書って……」
「あー、それも買った。格好良いでしょ?」
書店で漫画以外を買ったのは久しぶりだった。参考書とかって自分に対してだと無駄に高い気がして嫌になるけど、湊のためだったらたくさん買ってあげたいと思った。それよりも何より参考書を強請る湊が可愛かった。
「それじゃあ格好良い。とゆーか徒歩三分くらいでバイク通勤してきたんですか?」
「そうだけど?」
堂々とした素振りを見せた。乗りたかったし、自慢したかったから。まあ、可笑しいか。
「ふふっ、変な人!」
と冗談まじりに笑われた。
「はいはい、変人で良いですよ」
「あ、拗ねた」
「拗ねてない。大人の対応だから」
「貴方が大人ぁ??」
嘲るように疑わしい目をして俺の顔を覗き込んでくる。大人じゃないと断言してるように。
「馬鹿にすんのも大概にしろ。痛い目見なきゃダメ?」
首を傾げて聞くと
「え?……あ、いや、ごめんなさい」
決まりが悪いように素直に謝られた。
「ふふっ、何?まじに受け取った?俺がお前のこと傷つけるわけないじゃん」
「うっわ、ないわあ、ないない。京一郎さん、そうゆうとこダメっすよ」
「何が??」
「ほんっと鈍いですね、わざとですか?」
「わざとだよ♡」
と調子に乗って気持ち悪く惚気けると黙りこまれてしまって、自分の醜さが際立った。
「ねえ湊、俺の手嗅いで」
と京一さんに手のひらを向けられる。クンクンと匂いを嗅ぐと石鹸の柔らかい匂いがした。
「どうしたんですか?」
「イカ臭くないかの確認、でしょ?」
間を割って入って来たのは、コンビニ店員の吉岡さん。京一さんとすごく仲がいい。
「お前、まじで……」
と彼女の方を向いて檄を飛ばす。
「臭くないですよ」
「ああそう、なら良いや」
用済みの僕から手を離す。コソコソと二人で話し始める。なんなら、あの二人のがお似合いなカップルみたいな。それが死にたくなるくらい嫉妬する。
「でも京一さんの精子の匂いはしました」
だから嘘をついた。バッとこっちを向いて近づいてきてくれる。吉岡さんは爆笑していた。
「まじで?、それって、」
「京一さんのは京一さんの匂いがします。いい匂いですよ」
というとカーッと顔が真っ赤になっていって可愛かった。隠れるようにカウンターを盾にしてしゃがみ込んだ。
「京一郎さん、性欲が抑えきれないんだって」
彼女に耳打ちで教えてもらった。ということはそんなことを彼女に僕よりも先に話したってことだ。しかも直接。マウントを取られているも同然で惨めだった。
「それで自慰行為ばっかしてたんですか?」
カウンターの下に話しかけると「ざけんな……」という小さな声が聞こえてきた。このまましつこくすると殺されるかも。
「湊くん、直球すぎ」
なんて呑気に笑われる。
「吉岡さん、どんな会話したんですか?」
「会話というか別に、自滅タイムにウザがられてただけ。『一切話しかけてくんな』って」
「自滅タイム??」
「ああもうまじごめんだから、今日帰るわ」
カウンターから俯いて出てきた京一さんに腕を引かれて連れてかれる。「襲われないように気をつけてね」って助言された。
「勤務時間、まだ終わってないですけど」
「体調悪ぃ」
「熱でもあるんですか?」
とおでこに手を当てると確かに熱かった。上気した頬も可愛らしいけど、いつもとは違う。
「帰る」
怠そうに一歩一歩揺れながらゆっくりと歩く姿は庇護欲を掻き立てる。その腰に手を回して支えると、ギロッと睨まれた。「触んな」と。
「嫌です」
とずっと支えてると、ガクッと突然倒れるように三角座りで座り込んで、深いため息をつかれた。
「もう嫌だ。全てが嫌だ」
顔を覆って悲痛に囚われている貴方の背中を撫でる。
「何悩んでるんですか?」
「お前に執拗に付きまとわれんのが嫌だ。お願いだから、一人にしてくれ」
撫でていた手が止まる。触れていいものかと悩んだ。でも面と向かっては言われなかった。
「無理です。この状態のまま貴方を一人にできるわけないじゃないですか、この僕が」
一時も目を離せないほどには心配だ。
「じゃあ、俺をお家まで運んでくれんの?」
「それくらい頑張りますよ」
京一さんをおぶって家まで歩いていく。それはそこそこ余裕なのだが、今回は京一さんがおぶっている僕にちょっかいを出してくるから、かなり厳しかった。残り五十メートル。
「俺さあ頑張ったんだけど、酒飲みながら仕事した」
首を舐められるよりは、まだお悩み相談のがマシだ。
「何でですか?いつもはしないじゃないですか」
「んーーー、気分が上がんなかった。でも遅刻はしてないよ?」
ぎゅーして甘えてくる。褒めて褒めてって言ってるみたい。
「偉いですよ。でもお酒を控えられたらもっと偉いです」
「わかってるけどさあ、バックれるよりはマシじゃん」
きっとバックれるか、酒飲んで仕事に行くかの究極の二択に迫られたんだろうな。体調悪いってお休みの電話の選択肢は思い付かなかったんだろう。そうゆう人だ。不器用で可愛い。
「次からは体調が優れない場合はお休みの電話をしましょうね」
「体調良いはずだけど」
えー、数分前に体調悪ぃって言ってたじゃん。自己催眠??
「お酒いれないと仕事行けない状況は、たぶん体調悪いですよ。そうじゃなかったんですか?」
「……ただの、賢者タイムだった」
は??可愛い。無理。しんど。
「そうでしたか、そうなんですね」
やば、ああ、生きてて良かった。アパートの階段を上って、玄関ドアを開けて、自然にドアがバタンと閉まる。京一さんを下ろすと、振り返ってドアと僕の間に彼を挟み込んだ。
「何?」
ガチャと鍵をかける。
「京一さん、やっぱ性欲が戻ったんですね♡」
嬉しくなって顔をベタベタと触った。
「うん、だけど自制心のないダメ人間には手に負えないよ自滅する」
要はあれだ。鬱がやや抜けて性欲が戻って、朝から酷い賢者タイムに襲われて、動けないから酒いれて仕事した。でも自制心を身に付けるほどの精神的な余裕はないし、どんどんと自己嫌悪の沼にハマっていく。そんな感じか。京一さんは依存体質だもんね。
「大丈夫ですよ、僕が貴方をコントロールしてみせます」
将来への信頼性と高い満足感があれば、人間は我慢することができる。つまり、僕が自慰行為を上回る満足感を彼に与えて、定期的に自制できたことへの報酬を与えれば、きっと依存性もコントロールできるだろう。
「好き」も「愛してる」もみんな与えて、虚しさなんか入る隙を与えない。僕のことをもっと感じて、孤独じゃないと認識して。
「湊」
「何ですか?」
僕が一方的な愛情で京一さんを埋めつくしていたのにストップがかかる。「ん」しか言わなかった貴方が僕の名前を呼んだだけで、すごく嬉しい。
「俺やっぱお前のこと好きだわ」
そう貴方は少し気だるげに笑った。
「簡単にヤレるからですか?」
「あはっ、まあそう受け取られても仕方ないけど。……今までの償いも含めて、大切にするよ」
と優しくキスしてくれる貴方に、僕は軽々しい冗談を言ってしまったことを酷く後悔した。
「僕のこと、本気で好き?」
すっごい不安と緊張が入り交じって顔が真っ赤になっているのが体感でわかるほど顔から火が出ているみたいに暑い。心臓も痛くてもう死んでしまうんじゃないかってくらいに。
「大好きっ♡そう言ってんじゃん♡♡」
その笑顔が眩しかった。そこからはもう本当に甘々に甘やかしてくれて、されるがままに女の子を扱うみたいにシてくれた。腰持ち上げながら脚の間から見る京一さんはとっっってもエロかった。挿入されてるわけじゃないけど、脳内で補填して快楽で悶えた。でも終わった瞬間、京一さんはすぐにぶっ倒れた。若干物足りなさを感じつつも幸せそうな寝顔を拝めたので良しとした。
「あ、湊くんお帰り!はい、忘れ物」
事後、コンビニまで鞄を取りに来た。コンドームにローションが入っている学生鞄。
「僕、女の子として産まれたかったです」
彼女がこの期に及んでも尚、羨ましくみえる。
「え、いきなりどうしたの?」
京一さんの好みな女の子に産まれたかった。そしたらこの漠然とした不安感も虚無感も何も感じなくて、馬鹿みたいに愛されているを受け取れたんだろう。
「すみません、変なこと言いましたね。気にしないでください」
「ううん、性別なんか無しに湊くんは人間として魅力的だから自信持って良いと思うよ!」
「何処を見て、魅力的ですか?」
「んー、そうだなあ。好きな人に一途で献身的に支えてるところとか、すっごい可愛い!!」
京一さんに一途で献身的に支えてる。京一さんに一方的に付きまとって狂恋的に愛してる。
「よくわかんないです」
「嘘ぉ!?とゆーか、京一郎さんに何かされた?大丈夫?」
「されたはされましたけど……大丈夫じゃないです……」
言葉を濁して、思い出すだけで恥ずかしい。
「何された?場合によっては私がぶっ叩く!」
「いや、ぶっ叩かないでください。京一さんと、その、致したんです、初めて。本番じゃないですけど……擬似体験みたいな……」
「それで?期待ハズレだった?」
「いいや期待以上だったんですけど、でも僕が京一さんの愛情に懐疑的になっちゃってて、ほんっと馬鹿ですよね。折角、京一さんの方から愛してくれようとしてくれているのに」
「京一郎さん、誰にでも馴れ馴れしいからね」
「そうなんですよ!!それで試し行動みたいに僕の恋情を弄ぶんです。だけどさっきはすごい、愛されているって感じちゃって、もうどんな反応すればいいのかわからなくなるじゃないですかあ。もっとバカならバカで盲目的なバカになりたかったです!!」
「湊くんはきっと京一郎さんに傷付けられたことがあるから、無意識に傷付かないように慎重になっちゃってるんじゃないかな?それは自分を守るためだから気にしないで良いと思う。自分が信じられるタイミングで、京一郎さんを受け入れたらどう?」
「んーーー、もう一回聞いてもいいですか?」
「えっ、と……」
二回目を聞くと、より言葉が頭の中に入って来た。
「ふむ、僕は京一さんが付けてくれる傷ならぱ何でも好きですよ。心の傷を抉られて悪夢に魘されても、京一さんを感じられれば幸せです。ありがとうございます、僕は無意識でも何でも超えてみせます」
ただ僕は傷付けられるのを恐れていただけだ。死ぬわけじゃないし、京一さんがいなくなるわけでもない。そんな小さなことを恐れていたのか、馬鹿らしい。京一さんに傷付けられるなんて、最高のご褒美じゃないか。すっきりと脳内が整理整頓されて清々しい気分でコンビニを出た。
「湊、なんか良いことでもあった?」
夜中、目を覚ました京一さんがニヤついた僕を見て、不思議そうに何気なく問いかける。
「勿論、京一さん"ちゃんと"思い出してくださいね」
酒のせいで忘れたなんて言わせない。




