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見たくもない聞きたくもない生きたくもない

最近、湊の口が悪くなった。原因は、俺だ。

俺が「クソ」ばっか言ってたら、湊に伝染してしまった。あの可愛らしい見た目の湊が「クソ」と言っているのを見ると、何だか罪悪感に駆られた。

だから、俺は「クソ」と言うのをやめて、「ウンコ」と言うことにした。


「なんだよそれ、ウンコやべえじゃん」


という具合に。それはまたもや湊に伝染して、功を奏したと思われたが、湊が使っている内に飽きたのか、変化球を投げてきた。


「何ですかそれ、チ〇コやばいですね」


それを聞いた瞬間、俺は湊の口を塞いでいた。そして、こんなことを感情のままに吐いていた。


「〇ンコ系で言っていいのは、餡子ぐらいなんだよっ!」


これを言った瞬間、何だか俺の中で餡子もグレーゾーンに思えてきて、ははっ、やべえ。たい焼きが食えなくなる。


この餡子事件以降、湊の口の悪さは終息したように思われたが、いまだ健在でした。クソ。


「京一さん、ビチグソのビチって英語のbitchと関係がありますか?」


「んなわけあるか。そんなことあったら、最悪最恐の罵倒言葉の仲間入りだ。ビチャビチャのクソが訛って、ビチグソなんだよ。使うんならば下痢便を使え」


こんなことを言う羽目になるとは思わなかった。何処で覚えたんだよ、そんな言葉あ。澪さんに聞かせられねえよ。


その澪さんに、湊の期末テストの成績を見せる日が来た。日頃の湊の努力の成果が出て、テストはとても褒められる点数だった。特に英語は九十八点っ!自由記述で湊がFワードさえ使わなければ、満点だったのに。クソ。別に、使い方あってるだろうがあ。よって、俺の中では満点である。


「京一さん、Motherf**kerってどのくらい汚い言葉なんですか?」


「湊、絶っっっ対に使っちゃあダメ」


「何でですか?格好良いじゃないですか?」


「馬鹿の一つ覚えみたいに、それを言うのは格好悪ぃよ」


「何でですか?」


「最近の湊は、俺のことをやべえ奴って言うよな?やめろ、普通に腹立つ」


「.........ごめんなさい」


「そのやべえの一言で俺が片付けられてんのがムカつくの。俺は湊にとって、それっぽっちだって、やべえの三文字なんだって、思い知らされる感じが、腸が煮えくり返りそうになる。お前は何のために国語を勉強してんの?自分の表現の幅を広げるためじゃねえのかよ。それを何でもかんでも『やべえ』で単純に片付けやがって、クソ野郎」


「ふふっ、そのクソ野郎の言葉で、ガツンと頭を殴られた気分がします。やっと分かりました。言葉遣いは良くしないと、ですね。その言葉のインパクトが欠けますし、なにより表現に乏しくなります」


「わかりゃあいいの。ごめん、俺も強く言い過ぎたわ」


いつものようにキスをされる。んっ!!!.........澪さん、いつの間に帰宅してきたんですか。湊越しに澪さんが見えてしまって、湊にやめろという合図で、その背中を叩く。それをどう受取ったのか分かんないけど、湊は澪さんを一瞥すると、彼女に見せ付けるように、俺の頭を両手で覆って、長ーく濃厚なキッスをしてくる。馬鹿か。やめろともがくが、湊が調子に乗っていて、やめる気配が一切無い。


「湊、京一郎くんが嫌がることはするべきではないわ」


ソファに押し倒される俺を救ってくれたのは、俺の精神を窮地に追い込んだ犯人。飄々とした様子であくまでも気にしてないように、けれど、教育の一環として教えるように話した。


「ママ、京一さんはキスするのが好きなんだ」


何を暴露してくれてんだ、と内心怒り心頭なので、顔に出てると思って顔を隠した。


「キスっていうのはね、それに相応しい人物と状況がいるの。例え、京一郎くんがかなりのキス魔だとしても、シラフの状態と酔っている状態とではかなり違うのよ。だから、一概にキスが好き、なんて言っちゃいけないわ」


ここで俺の中で一つの悪ーい憶測が頭の中を巡った。


「澪さん.........俺、悪酔いしてキスせがみましたか?」


うへー、死にてっ!


「まさか、そんなこと」


と口を濁して馬鹿らしいと笑う。一流女優なのに、大根役者のような演技に冷や汗が出た。


「ママは僕が京一さんとキスするのに相応しくない人物だと思っているの?何で?」


「湊のそれは、お遊びの延長線上じゃないの?」


カチンときた。悪気はないんだろうけど、勘違いされてもしょうがないんだけど、俺が湊のことを愛してないような言い草は受け取れない。


「違いますよ。俺が好きなんすわ、湊のこと」


とか口を滑らせて、仕事も信頼も失ったらどうしようと思ったら、言い淀んでしまった。格好悪ぃ。


「違う、僕は本気で好きなんだけど。だから、強制わいせつ罪で訴えられるまでは続けるつもり」


と語気強めに、気持弱めに俺に抱きついてくる。


「俺がお前を訴えるわけねえじゃん、バーカ」


とか言って、その額にキスしてえ。ああ、馬鹿なのは俺だ、馬鹿。


「湊ってば、面白いことを言うわね。一緒にいて飽きないわ」


と澪さんが笑う。


悪夢のような記憶が蘇ってくる。澪さんと二人で飲みに行ったとき、個室の居酒屋で、ああ、したかもなあ。俺って、死んでもクズだわ。


「人妻って、余計に魅力的に見えちゃうもんなんですよお。他人のものが羨ましく見えんのと同じで。それに価値を見出してる人間が俺以外にもいて、その人間がその価値を保証している気がするんですよね。それに所有物化してて、奪わないと手に入らないってのもかなり唆ります。あー、酔ったからって何言ってるんだよ。京一郎、湊に殴られろお」


と頭を叩いて、酔いを覚ます。


「ふふっ、京一郎くんがまさかこんなにも私のファンだったとはね」


そう、酔って、誰かを褒め称えるのは、俺の十八番。気分が良く煽てては、甘い蜜を頂く。でも、酒飲んで饒舌で話まくれば、呂律が回んなくなって、途中で、何言ってんのかわかんなくなる。たぶん、このときはそこだ。失言が多くなる段階。


「ほんと、出会えて幸せですわ。死んでもいいくらい」


俺の命の価値が低いから、死んでもいいくらいは、やばいくらいと同義くらいだと錯覚する。


「大袈裟だって」


「いや、ほんと。大人の色気ってのに殺られちゃいますよ。俺のこと、今日だけは、甘やかしてくれません?」


静まり返った空気に耐えられなくて、彼女がお手洗いに逃げるように行った。その間に、ハイペースで酒が進む進む。俺の失言集傑作選が頭の中で巡る巡る。ああ、クソを漏らした気分だ。俺の体内にクソはあるんだけど、それが体外へ漏れて、可視化できる状態になれば、その悪臭と醜さで全身が包まれて、俺がクソになったと感じる。クソ付きの怪物はほぼクソだ。クッソ、汚ねえじゃねえか。


「京一郎くん、泣いているの?」


「いや、これは、ふふっ、体内のアルコール濃度を高めているだけですよ」


心配されたときの返答で最も良いのは軽い冗談だ。大丈夫かと聞かれて、大丈夫じゃないと答えるような軽い冗談だ。頭痛がする。これ以上はセキュリティロックがかかっているみたい。馬鹿じゃん。


「京一さん、脳ジャックされました?」


名言でも何でもないのに、ちょっとしたフレーズが引っかかるときがある。良い表現だと感じるけれど、どの基準を持って、良いと判断しているのかが分からない。ただ名言よりも何かを持っていかれる。


「ああ、ちょっと、大丈夫」


湊の頭を撫でて、気を紛らわせた。そういえば、なんて話題を湊の成績のことに切り替えて、家庭教師なのに親バカのように澪さんにプレゼンする。


「頭の良い高校に受験させた方が良いかしら?」


「いいや、それは湊次第ですね」


当の本人が聞いていないところでの、進路希望調査。こうやって、俺は親や教師が良いと言った道を進んだんだと感じた。腹立つ、自分自身のやりたいこともなかったし、頭良いと口車に乗せられた気がした。ムカつく、将来のため、将来のため、って実際のその将来が今破綻してんのに。一体何を皮算用してくれてんの?中学生にとっての親や教師は、絶対な気がしてて、逆らえないし、抗えないし、自分よりも知識も経験も豊富な凄い人だと思っていた。従ってれば、大丈夫だと思っていた。でも、結局は他人の人生。一丁前に口だけ出して、ダメだったら残念だったね、で無責任。ああ、これも勉強か。取り返しがつきそうもない、人生オジャンにしての勉強。一度ダメになった奴は、復帰を許されない社会で何してくれてんだ。社会もみんなも悪い。


「でも、学歴があると何かと就職で有利でしょう?」


「ああその言葉、散々っぱら、俺も聞かされましたよ。おかげで、ここにいられます」


と引き攣った笑顔を浮かべる。


「そうよね、だから」


俺も湊には馬鹿でいて欲しくない。他人に操られる人間になって欲しくない。だから


「俺としては湊の人生なんで、失敗しても何しても湊の好きにやらせたいんですよね」


自己犠牲なんて選んで欲しくない。


「それは無責任じゃないかしら?」


と眉をしかめられる。


「確かに、俺がまだ未熟で世間知らずなのかもしれません。が、まあ、湊ですし、自分のことは自分で決めれますよ。頭が良い子ですから。それに、失敗したらしたで俺が責任を取りたいくらいですね」


「ふふっ、変わった子ね。でも自分の選択じゃ、誰にも責任転嫁できないじゃないんかしら?」


自分と同じ視点で澪さんも見ていると思っていたら、違う角度の視点をぶっ刺されて、一瞬、混乱した。


「ああ、はい」


「あの子は自分を強く責めすぎちゃう癖があって、躁鬱の緩急が激しい子なの」


とコーヒーを啜る。


「よく分かります」


「だから、失敗しても他人のせいにできる環境っていうか、それぐらい気楽に生きて欲しいわけなの」


「俺としても、他人を責めろじゃないですけど、自分にも優しくして欲しいです。純粋に良い子ですもん」


存在価値とか意義とかそんなのは俺がくれてやるから、自分を傷つけないで欲しい。



湊に誘われて、冬の海にやってきた。

「さみぃ」を口癖のように何度も言って、湊がくっついてきてくれるのが可愛い。皮膚を突き刺すような寒さで皮膚がパリパリになった。海風に煽られる。髪型が崩れる。

何とも言えないもわっとした磯の匂いに包まれて、波の流れる音に耳を澄ます。壮大だがゆったりと流れるその音に、ため息が出た。ぶつかる時は激しく、引き際は静かに、繰り返し繰り返し、何を考える訳でもないけどぼーっとしてしまった。その時間を許してくれるみたいに寛大な海だ。


「京一さん、ホイップクリームたっぷりのパンケーキを食べませんか?」


何でもいい、でも、どうでもいい、でも、良かったんだけど、今日は一応デートなので。


「湊の好きでいいよ」


と少しだけ格好付けた。

ハワイアンテイストで、オーシャンビューを売りにしたカフェ。運悪く、窓際の席ではないのだが、海ならば散々さっき見た。オーシャンビューはほどほどだ。俺の運の悪さを誤魔化すように難癖をつけた。

パンケーキの見た目は華やかで、四枚のパンケーキの上にそびえ立つ党のようにホイップクリームが乗っかっている。フルーツやシロップもかけられていて、まさにスイーツだ。これをご飯として食べる湊の栄養バランスが心配になった。俺はコナコーヒーっていうコーヒーを頼んだ。口当たりがすっきりしていて飲みやすい。


「パンケーキ、一口どうですか?」


とナイフで切り分けた一口サイズのパンケーキをフォークごと差し出された。ホイップクリームは甘さ控えめで軽く、パンケーキのバターの風味が口の中に広がる。そこでシロップの甘みがガツンと際立ち、これはスイーツだと主張しているようだ。


「ふふっ、美味しいね」


最近わかった美味しいの基準は、嗅覚や味覚への刺激だと思う。あとは、慣れと栄養価。きっと、このパンケーキは美味しいんだろうけど、その美味しさの本領を味わえないのが俺だ。外出となると決まって体調不良になり、美味しいものも楽しいことも、その半分以下でしか享受できてない。そのことを考えるだけでも頭痛え。ストレス発散となる遊ぶ日でさえも、ストレスを溜めてしまう日なのだから、生きるのがつらいとか疲れたとかの次元じゃなくて、生きるのに体質的に本質的に向いてない。引きこもりたくて引きこもってんじゃねえよ。居場所がそこしかねえんだよ。


「んー、美味しっ!」


とパンケーキを楽しそうに味わう湊をよそ目に、俺の気持ち悪さが限界に達して、トイレに向かった。勿論、吐くためだ。

申し訳なくなる。この後、どんな顔して湊に会おう。店員さんに、「ごちそうさまでした」って、どんな顔して言えばいいんだ。いつも通り、笑顔で誤魔化すしかないか。おえっ、気持ち悪ぃ。

だから、俺のストレス発散方法は、ドラッグか、誰かを虐めること、になった。俺よりも可哀想な奴を作って、憐れまないと精神が持ちそうにないから。この頭の痛さが和らがないから。


「ただいま」


何事も無かったかのように、湊の目の前に座る。湊はパンケーキを食べ終わってからも、美味しかったと感想を述べた。隣りのテーブルに座るカップルがどうしようもなく気になって、ああ、イライラする。俺よりも整った顔にお洒落な服装で、その目にはさぞかし俺が醜く写るんでしょう。平々凡々と生きてて、何がつれえだ、何が死にてえだ、俺と同じ苦痛を味わってから言え。それなりに普通に生きているのに、そうやって軽々しく言われると虫唾が走る。希死念慮?俺には死にてえ理由なんぞ山ほどあんだよ、馬鹿。何で死ねねえんだ。今すぐにでも死にてえのによ。外に一歩でも出た瞬間から、いや正確には外出予定がある時点で、憂鬱でしかたがなくて、ずっと監視されてて攻撃されている気分で、頭がかち割れるほど痛くて、消化器官も自律神経も正常に機能しない。己の身体にも「死ね」って言われてんだから、どーしょもねえな。


「京一さん?聞いてますか?」


「んー聞いてたけど、理解はしてないね」


「あははっ、酷いじゃないですかあ。たくさん話したのに」


でも笑って許してくれるんだから、シロップよりも甘い。貼り付けた笑顔で「ごちそうさま」と挨拶をして店を出た。


次の目的地は海沿いの水族館。薄暗い照明で落ち着くかと思いきや、寧ろ、不確かさが際立って怖くなった。人じゃないものまで人に見えてくる。現実を見たくなくてわざと悪くした目で、幻覚を見てしまう。何してもストレスになってるんだから笑っちゃう。


「魚も薬物中毒になるらしいよ」


「じゃあ、餌じゃなくてヤクばらまけば、簡単に漁獲量が上げられますね」


「お魚さんには豪勢じゃねえの?初期投資がアホほど高えよ」


「ふふっ、確かに」


「でも人間様にもいらないよなあ、一部の怪物を除いて」


「じゃあ、京一さんにもいらないですね」


「いやあ、俺には必要不可欠だわ。不運で可哀想な怪物だもん」


「不運ですか?」


「勿論、だって高校も大学入試も第一希望には何しても落ちたし。何か、努力って無駄だよね。運には負けるってゆーか。それに、数量限定は目の前でなくなるし、当選メールは詐欺だらけで、何もないところでしょっちゅうつまずくし、唾飲むだけで噎せるし、顔だって悪いし、薬屋には捕まった。でも専ら、死なないのが最大の不運だろうね」


「ふふっ、聞き取れるけど、理解はできませんね。それじゃあ、僕と出会ったことも貴方にとっては不運なんですか?」


「そう、悲観的になさらんなあ」


と酔ったように湊の肩に腕を回して、歩き疲れてジンジンと痛む足を庇う。


「何ですか?」


「考えるだけどうでもいいことやって」


世の中、考えれば考えるほど不幸になる。だから哲学者の肖像画で笑顔を見たことがない。アインシュタインのような安直なユーモアが時には必要である。


「京一さん、ホテルに帰りません?」


「え?」


「ここ、カップルが多くてムカつきます」


「それは同感。てめえら、魚みにきてんじゃねえのかよ」


俺は魚を見に来たのに、カップルに視線を奪われて不愉快この上ない。魚じゃなくて彼氏彼女の顔しか見てない。公然の場だということを忘れているかのような振る舞い、虫唾が走る。ゆったりとした音楽と薄暗い証明、考えられたアクアリウムとキラキラ光る魚達。水族館の人達が思考を凝らして作り上げたそれを、「美味しそう」うんぬん「きもい」うんぬんという主観的などーでもいい言葉で片付けて、鑑賞という目的を見失っている。この空間を味わえねえのか。まじ美術館でもそれやんの?この絵はグロいとか?下手くそとか?そういう心無い言葉を聞くと、ああ、表面上で生きている人間、のうのうと生きやがって、死んでくれ、と思うんだ。そうゆう理解しようとしない姿勢が、俺を殺すんだな。知識を与えられても理解はできねえだろうが、そもそも理解されたくもねえから、俺はずっと社不なんだよ。マジョリティに相反してる時点で生きずれえんだ。まあ、不細工の俺が何しようと、気持ち悪いの一言に尽きるんだけど、目も当てられないような自分のキスシーンを客観的に見させられている最悪の気分だ。


「毒を持っているカエルって、色鮮やかで綺麗ですよね」


とさきほど「えーきもっ、カエルとか無理ぃ」と言っていた人に聞こえるような声量で湊が話した。無自覚なんだろうけど、ちょっと笑えた。


「ほんと、癒されるよね。俺、人間の方がきもくて無理だから、いやあ、可愛さが際立つわ」


俺は思いっきり睨めつけるように言って、その声に気づいたそいつが振り返って、俺の方を見た。何なんだあいつ、と言いたげな汚物を見るような目で見られた。正解。疲れたんだ、人混みの中にいるのは。社会に決められた基準で劣等感に苛まれるのは。頭がガンガンする。その毒、俺にもくれないか?


また泣きそうになって、泣けなかった。



ホテルは澪さんが取ってくれた、というか、湊が一泊したいと言ったら、ここが取られていた。オーシャンビューのスイートルームを思わせる広くて高級感溢れる部屋。たぶん、スイートルームでいつもこの四分の一以下の部屋で暮らしている身としてはかなり落ち着かない。けれど人目がない分、湊に絡んで気を紛らわせた。ふかふかのソファは俺のベッドよりも寝心地が良い。ディナーは、広い皿をキャンバスとして、芸術的に盛り付けられた料理がフルコースで届く。目で楽しめる料理というのは幸せだ。相乗効果で美味しそうに食べる湊がとても可愛い。


「あっそうだ湊さあ、俺んこと、滅多刺しにしてくんね?」


ふと思い付いたように、延々と考えていることを話した。痛みも苦しみもなく消えたいだなんて俺には贅沢だから、ぐちゃぐちゃになって死にたい。

あはっ、何だよその顔。驚いたような嬉しそうな顔はよお。


「えっと、その、本当に本当に心の底から、そうしたい気持ちは山々なんですけどお、京一さん、死んじゃうじゃないですかあ」


照れながら言うことなのかわかんないけど、照れてんのが笑えた。


「ああ、そのために頼んでんの。これは湊にしかできないことだから。てゆーか、湊にしかやらせない」


煽てて乗せてその勢いで殺してくれ。


「はあああ、ほんっっっとに可愛い♡」


感情が高ぶった湊が両手で顔を隠しながら悶えてる。無意味に貧乏ゆすりした足がバタバタと音を立てる。


「どお?」


「わかりました、何で刺されたいですか?」


感情を全て出し切って、切り替えたように微笑んだ。


「そのナイフは?」


と指さした俺の右手を瞬時に取られ、


「無理ですよ」


とその上にナイフで突き刺そうとして、食い込んだ。ナイフの先端が丸い、手の甲に痣ができた。湊が皿の上にナイフを置いて、ガシャンと音がする。


「でも」


とその次に突き刺したのはフォーク。手の甲にしっかりとめり込んで、赤く血が出た。


「ああ」


俺の痛がるような情けない声が聞こえた。手がジンジンと痛む。思わず眉を顰めた。


「これならいけますね」


彼はまだ不敵に微笑む。突き刺さったそれをぐらぐらと左右に揺らして引っこ抜く。


「湊、痛いよお」


泣きそうになりながら、笑った。


「そうですね」


とフォークを持って立ち上がり、狙いを定めるかのように今度は俺の首に手をかけた。

一瞬、何が起こったのかわかんなかった。

首にはフォークがぶっ刺さっている。湊が刺したのは見えた。声を失った。

それから、あまりの痛さに、泣いた。泣きたいのにうまく泣けなくて悩んでいたのが嘘のように、泣いた。死が間近にいた。


「ごめんなさい、もう刺さないで。.........お願い」


涙を両手で拭いながら、自分の過ちを謝った。死んでないのに顔がぐちゃぐちゃだ。


「何で?滅多刺しにしてくれ、って京一さんが言ったんじゃないですか」


不可解だと言いたげな顔をしてくれる。


「死ぬのがこんなに痛いとは思ってなかったのっ!」


八つ当たりのように怒鳴る。


「まだ死んでませんよ?」


「ふざけんなっ、何時何処で何しても結局はどれもつらくて苦しくて痛いじゃん!生きたくもないのに死ぬこともできないんじゃあ、逃げる希望も持てないなんて、最悪だ」


.........最悪だ、最悪だよ。こだまのように繰り返した。いざとなったら死ねる。その漠然とした希望が俺をがむしゃらに走らせてた。つらくても苦しくても痛くても、死んじゃえば全部どうでもいい、と思って生きてきた。近いうちに俺は死ぬと信じて疑わなかった。でも、死ねないじゃん。人生の全部、今までの失態、すぐにどっか行くと思っていたものたちと、あと何十年も付き合わないといけないのは、はあああ、無理だ。何処へ行けばいい?俺の逃げ場所は、何処だ?

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