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学校は楽しい

「湊、学校は?」


朝の八時。中学生ならば家から出てなければならない時間。


「行きません。京一さんと一緒にいたいので。」


朝から随分と楽しそうな笑顔を見せられた。眩しい。


「そういうのは女の子に言ってやれ。」


寝不足でまだベッドから起き上がれずにいる。


「京一さんこそ、学校は?」


「行かなきゃだな。けど、起きんのがだるい。」


半目を開けながら、寝返りを打っていると、手を引かれて、ベッドから落とされた。


「おはようございます。」


痛みと驚きで目を見開いた。


「…おはよう、ございます。」


怖い怖い怖い、それ不良の起こし方だって。

目の前にお粥と野菜とふりかけ。


「なにこれ。」


「朝ごはんのお粥とサラダと…」


「そうじゃなくて、何処から持ってきた。」


「家から持ってきました。」


「家?何処?」


「すぐそこの向かいのマンションです。」


「へえ、近いな。」


「それより、ちゃんと食べてくださいね。」


「朝は食欲無い。」


「明らかに栄養が足りてないです。食べてください。」


「餓死したい、って言ったら?」


「理由を聞きます。僕が納得する理由を話してください。」


「…食べんのがめんどくさい。」


「じゃあ、食べさせてあげましょうか?」


とスプーンで食べさせようとしてくる。


「はあ、めんどくさ。」


俺は野菜をフォークでつついた。


「湊、学校行きたくないのか?」


「ふふっ、そうですね。まあ、行く必要も無いですし。行かなくても卒業できますから。」


「良いな、中学生って。」


食料が胃の中でゴロゴロしてる。




「心が折れる場所。」


と最初に出会った路地裏を紹介される。


「今日は学校まで頑張りましょう。」


家を出るときに目標にしていた学校は家から電車で三駅の場所にある。

そして、ゆっくりと歩いたため、まだ家の最寄り駅まで辿り着けていない。


「暑さで溶ける。休憩させて。」


日光が肌を焦がすくらいに照りつけている。

暑さで萎えるのも無理は無い。


「あと少しで最寄り駅ですから。そこで、休憩にしましょうね。」


氷水でその場をしのいで、手を引っ張って歩かせる。

彼はだるそうに転ばないように足をただ動かした。


駅構内にやっと着いた。

約束通りカフェでひと休みする。


「京一さん、よく頑張りましたね。偉いです。」


「中学生に褒められても嬉しくないんだけど。」


とは言っているが口元は笑っている。


「駅ってさ、何処見ても、人、人、人で嫌になんね?」


カウンター席のガラス越しから駅構内を歩く人がよく見える。

それを見て、呟いたのだろう。


「まあ、そうですが、見なければどうでもいいことです。自分の世界を創って、逃げたもん勝ちですよ。聞きますか?」


イヤホンを片耳、勧めてみる。

音楽の世界に浸って、現実からできるだけ離れているのだ。


「ありがと。」


彼も片耳にイヤホンをつける。

アップテンポの中毒性のある曲が流れる。


「こういう曲、好みなんだ。」


と僕を見つめて、にやけている。


「可笑しいですか?」


「いや、別に。」


僕から目を逸らして、人の流れをまた見つめ始めた。


「もうすぐ電車乗らないとですね。」


電光掲示板にはもうすぐ発車する電車が表示される。


「それ、乗らないと駄目?」


素朴の疑問のように僕に問いかけてきた。


「じゃなきゃ、学校に行けませんよ?」


「ああ、嫌だ。行きたくねえ。」


と頭を机に突っ伏している。家を出るまではやる気だったのに。


「どうして行きたくないんですか?」


「…嫌だから。」


声のトーンが下がった。

励ますために彼の背中を撫でてみたが、「触んな。」と手を払われ、怒られた。


「京一さん、表情険しいですよ。」


「お前は相変わらず笑顔だな。」


「はい、分けてあげましょうか?」


「笑顔を?」


と聞き返して、こちらを見てくる彼の口角を手で無理やり上げる。


「だから、触んなって。」


僕の腕を掴むと、爪を立てて食い込ませてくる。


「痛いです。」


「注意を聞かないのが悪い。」


さらに気分を悪くしてしまったと後悔する。

どうすれば良いかとしばらく悩んでいると、隣りで零れた涙を拭いている。


「え、どうして泣いてるんですか?」


驚きを隠せずに言葉にまで出た。


「泣いてない。」


涙を拭きながらの見え見えの嘘。


「泣いてるじゃないですか。」


「じゃあ、この歌詞があまりにも良いせいだ。」


流れているのは失恋ソング。

僕には良いも悪いも何も分からないが、きっと彼には良いのだろう。


「失恋でもしましたか?」


「なあ、湊。俺のこと、好きか?」


「もちろん。」


「そう、ならしてない。」


と微笑む彼の涙は乾かない。

涙の理由は純粋に歌詞が良かったからなのだろうか。


「俺、変な奴。」


自分に対して笑ってる。


「僕には魅力的ですよ。」


「お前も、変な奴。」


僕に対しても笑ってくれた。


「ふふっ、嬉しいです。」


「変って言われんのが?」


「京一さんと一緒なのがですよ。」


共通点があるというのは友達付き合いにおいて重要だと聞いたことがある。


「えー、一緒にすんなし。」


とまた不機嫌そうな表情に戻った。


「でも、さっき自分でそう言っ…」


戸惑って言い訳をするように言葉を並べる。


「あはっ、ジョーダン。」


涙はもうすっかり消えて、明るい表情が輝いていた。




「湊、学校行こ。」


手を繋いで、駅の改札を通る。


「大丈夫なんですか?」


あれだけ嫌がって、しかも泣いた後だ。

大丈夫なわけがない。完璧な情緒不安定だ。


「駄目になったら、何とかして。」


それしか言いようがない。

繋いだ手だって、震えてしまいそう。


「分かりました。何とかします。」


随分と安請け合いしてくれる。

けど、この笑顔を見ると何だが安心する。


駅のホーム、人、カラス、ゴミ、線路、アナウンス。

客観的にどう見えているのだろう。


「湊」


「なんですか?」


「敬語、使わなくていいよ。」


「何でですか?」


「外出中は俺のことを兄だと思って。その方が自然。」


「…わかったよ、兄さん。」


実際に三個下の弟がいるが、まったく違う。


「兄さん、お兄ちゃん、どっちが良いですか?」


何か考えてると思ったら、こんなこと考えてたのか。


「どっちでもいいし、どーでもいい。」


「じゃあ、兄さん。あはっ、変な感じ。僕、一人っ子なんですよ。」


一人でテンションが上がってる。


「敬語。」


「あっ、すいま…ごめんなさい。つい、癖で。」


「そうなんだ。兄ちゃんができて嬉しい?」


と兄らしく頭を撫でてみる。


「うん。」


理想的な兄弟を演じている。

こんなに可愛くて素直な弟、実在しない。


電車の中は、比較的空いていた。

湊は俺の手を使って遊んでいる。


「兄さん、これやろうよ。」


人差し指だけ出して、ゲーム開始の状態に持っていく。


「懐かしい。」


童心に帰って、一緒に楽しむ。

湊も勝っても負けても、ずっと笑ってて楽しそうだ。


思ってたよりもあっという間に着いた。

きっと湊のおかげ。


駅から数分歩くと、やっと大学に着く。


「暑っつい。」


歩いてる途中、暑い空気のせいで目眩がした。

足元がおぼつかない。

ふらつく度に湊が手を引いて支えてくれる。


水分補給をしながら、大学に着く頃には体力の九割五分を使い果たしていた。


講義室の椅子に座った瞬間、怠さが一気に押し寄せてきて、そのまま目の前の机に倒れ込んだ。

もう無理だ。疲れがピークに達して、限界を超えている。

歩きながら死にそうだったんだ。


「兄さんはゆっくり休んでて。」


ノートを広げて、教科書も見よう見まねで広げている。きっとページは違うだろうが。


「僕がちゃんとノート取っておくから。」


このやる気の差は何なんだろう。

という疑問も、脳味噌の疲れのせいですぐに消え去ってしまう。もう何も考えられない。

今はただ休みたい。


寝ようとしても、寝れるわけはなく、かといって、講義に積極的になれるかと言われれば、そうでは無い。

脳内に謎のフィルターがかかっていて、思考速度が下がっている。

まさに脳内の速度制限だ。


熱心に教授の言葉に耳を傾けている弟は、何だか楽しそうに笑っている。

授業ってそんなに楽しいものか?


「兄さん、起きて。」


授業後、倒れている俺の体を揺すってくる。

もちろん起きてはいるし、授業が終わったことも気がついている。


「んん、楽しかったか?」


伸びをして、起き上がる前に血流を良くする。


「うん、特に神は不動の動者で愛されるという仕方によって動かすってのが興味深かった。」


授業内容のことは分かんないがそう笑顔で話してくれるから


「そっか、良かった。連れてきて。」


という本音が漏れた。


「連れてきてくれてありがとう、兄さん。」


素直に感謝の言葉を述べられると少しこそばゆい気分になる。


「じゃあ、明日はちゃんと中学校に行くことだな。」


と席から立ち上がる。


「えー、それは嫌だよ。」


また冗談みたく笑っている。


「学校は楽しいだろ?」


「うーん、でも、大学と中学では全然違うから、学校と言っても、大学が楽しいだけであって、中学は…」


「中学は学問の基礎を学ぶところだよ。大学はそれの延長線。だから、基礎ができてないと大学で楽しめるものも楽しめなくなるってこと。とっても重要でしょ?」


「ならば、百歩譲って、授業は楽しいとしましょう。でも、人間関係は最悪です。」


「ああ、そっか。そうだよな。」


学校が楽しい楽しくないは、単に勉強が楽しい楽しくないとは違うんだ。

馬鹿だ、俺。全然頭回ってない。


「僕のこと、考えてくれてるの?」


黙り込んだ俺に弟はそう問いかけてきた。


「え、まあ、そう。」


「ふふっ、嬉しい。」


そう笑うのはおかしいと突っ込んでやりたかったが、やめておいた。これが彼の個性で良いところであるからだ。


「ああ、気が狂いそう。」


「どうして?」


「いちいち聞くなよ。」


俺の気持ちを分かっていないのか、分かろうとしてないのか、分かった上で言っているのか、もうよく分からない。

だけど、やっぱりめんどくさい奴だとは思う。




「兄さん、学食食べたい。」


弟らしく我儘を言ってみる。


「自費で食え。」


兄としては冷徹すぎる適当な返事。

彼は食事への興味関心が薄い。


こんなに美味しそうなのに。


「食費は無駄だ。外食など言語道断。」


とまで豪語されてしまっては、これからどう食べさせようか、見当もつかない。


「美味しい。」


という独り言で彼の興味を引こうとしたが、彼の興味はスマホの中にあるらしい。


「兄さん、一口食べて。」


「いらない。」


とこちらには目もくれず、断られてしまった。

マグロ丼を食べる僕とジュースを飲む兄さん。明らかにマグロ丼が必要なのは兄さんの方だと思う。


「兄さん、今の体重は?」


「分かんねえ。」


「体重計、買いましょうよ。」


「いらねえ。」


「健康のためです。」


「どうでもいい。」


ことごとく否定される。


「兄さん、お願いだから食べてください。」


「何で?」


やっとスマホから興味がこちらに向いた。だが、こちらをにらめつけている気がする。


「健康になって欲しいから。」


「何で?何で俺に健康になって欲しいわけ?」


「兄さんが好きだから。」


純粋な答え。


「それ、理解できないんだけど。」


とそれも否定される。


「じゃあ、単なる僕のエゴ。食べて。」


「は?どゆこと?」


「理由なんて気にしないで。はい、口開けて。」


「嫌だ。」


「はあ、我儘な子供みたい。」


少し馬鹿にすると、きまりが悪そうに口を開けてくれた。


「美味しい?」


「分かんねえって。」


「好きな食べ物は?」


「ない。」


「強いて言うなら?」


「ゼリー飲料。」


「あっ、家にいっぱいありましたね。」


「前に箱買いしたから。」


「ゼリー飲料の何処が好きなんですか?」


「手軽に栄養補給できて、消化しやすい。」


「へえ、参考にします。」


突然、頬を片手で掴まれて、至近距離で見つめ合う。頬の肉が寄って、口が窄まる。たぶん、酷い顔。


「にゃんでしゅか?」


「ふふっ」


と笑いながら、僕の顔で遊んでる。


「それ癖なの?敬語。」


「ふぁい。」


「可愛い。じゃあ、敬語でいいよ。」


と僕の顔から手を離した。


「はい…何で掴んだんですか?」


「え、掴みたかったから。駄目?」


「いや、良いですけど。」


「ふふん」


笑顔、可愛い。

急に機嫌が良くなった。


ああ、ジュースじゃなくて酒なんだ。それ。


「頬っぺた、柔らかいね。」


頬杖ついて、にやにやと笑ってる。


「肉がついてるからですよ。」


「そんなについてないよ。ちょうどいいくらい。」


兄さんはもう少し肉をつけたほうがいい。


「顔、整ってんね。良いなあ。」


じーっと僕の顔を見つめてくる。


「…え?僕に言ってますか?」


「ん?他に誰かいる?」


「…兄さん。」


周囲を見回したが、顔が整っているのは彼しかいなかった。


「あはっ、ナルシストじゃん。」


「でも、顔が整ってて綺麗ですよ?」


「嘘。俺、顔良くないもん。」


「冗談ですか?」


「ううん、何言ってんの?普通にブスじゃん。お世辞かな?」


「違います。僕は好きですよ、兄さんの顔。綺麗で、整ってて、格好良くて。」


「見る目ないよね、本当に。」


「そうなんですかね?」




大学から帰る頃には日が沈みかけていた。


「授業、ほとんど寝ちゃってたあ。大学来たのに、意味ねーな。」


酒の力は偉大である。

あくびをしながら、笑ってそう話しかける。


「そんな、ちゃんと大学に来たのは偉いですよ。」


俺のハードル、低っ。


「今日は本当によく頑張りました。」


「全然、嬉しくない。」


「ご褒美が必要ですか?」


「そうじゃない。」


「…ごめんなさい。僕が兄さんを褒めるなんてお門違いでしたね。」


「それも違う。」


ああ、何だろう。何でこんなに苛つくんだよ。湊は悪くないのに。


落ちぶれた俺を認識したくない。


駅構内は朝とは違い、混んでいた。

空いている場所を探し、駅のホームを歩く。


「兄さん、危ないです。」


黄色い線の外側、ホームの端、線路の近くをふらふらと歩いていると、腕を引かれた。


「良いじゃん、別に。死にたいんだよ、死なせるべきだ。」


腕を掴んでる手を剥がそうとする。中々、剥がれない。


「何でですか?」


「もう、うざったいなあ。」


「兄さんは自分の価値を分かってない。」


「俺に価値なんてないことは分かってる。」


「…覚えといてください。兄さんは僕の命よりも価値がありますよ。」


なんて真剣な顔して言うから、


「なんだよそれ。お前の命、随分と軽いな。」


と思わず笑ってしまう。


「はい、兄さんが死ぬときは一緒に死にます。」


「ふはっ、そんなん信じねーよ。」


「じゃあ、僕がここで線路に飛び降りたら、信じてくれますか?」


と俺の腕を離し、線路へと飛び込む。

間もなく電車が到着します、とアナウンスが鳴り響く。


きっと、まだ間に合う。

そう思ったときには身体が勝手に動いていた。


後を追って線路に飛び込み、湊を抱き抱えて、反対側の線路に走る。

振り返ると目と鼻の先で電車が轟音を立てて走った。


思考が止まった。恐怖を覚えた。

電車が止まるまで、ただ見つめていた。


「信じてくれますか?」


周囲の音にかき消されてしまいそうなか細い声だったが、俺にははっきりと聞こえた。


「お前、馬鹿じゃねーの。自分の命を何だと…」


と湊の肩を掴み向かい合い、柄にもなく大声でそう言ってる途中。自分の愚かさに気づいた。

俺が何言ってんだ。


「ふふっ、何でしょうね?」


質問した覚えは無いけど、そんな質問に曖昧に答えられても困る。


「まあ、取り敢えず、生きてて良かった。」


と彼を抱きしめて、頭を撫でる。

腕の中で生きているのを確認、実感するのだ。


「ここにいたら僕達、轢かれちゃいますよ?」


「だな。」


非常停止ボタンのブザーが鳴る。

駅員が駆けつけてきた。


「すいませーん、酔っ払っちゃって。落ちちゃいましたあ。」


まあ、だいたい合ってる。と嘘を肯定してると、


「何言ってるんですか?」


と小声で突っ込まれた。


「話し合わせろ…いや、無言でいて。」


苦手だろうから、湊は。こういうの。


ホームに登るやいなや、駅員に事務室に連れてかれて、事情を聞かれた。


「酔って落ちて助けられただけ。他に何か話すことありますか?ああ、安心してください。罰金ならちゃんと払いますよ。」


饒舌を装って、捲し立てる。


「いや、でも、この子…?」


湊がずっと無言だから、気になって仕方が無いんだろう。


「この子には、俺が個人的にちゃーんとお礼しておくので、もう今日は帰してください。」


と半ば強引に話を切って、湊を連れ去っていく。

事務室から出ると、日は落ちていた。


「湊、喋っていいぞ。」


「京一さん、面白いですね。」


笑いを堪えていた分を取り返すように笑っている。人の苦労など露知らず。


「もうあんなこと二度とすんなよ。」


湊の耳を摘んで、言い聞かせる。


「京一さんこそ、やめてくださいね。自分をもっと大切にしてください。」


「自分を大切にするとか意味わかんねえ。お前だって、できてないじゃん。線路に飛び込むとか。」


「あれは違います。そういうことじゃないです。」


「どういうことだよ。」


「僕は京一さんに証明をしたかったんです。僕が簡単に死ねることを。」


「言い訳でもしたいの?結局、お前はそれを俺に見せようとして自分を傷つけた。それは、紛れもない事実だ。」


「はい。」


目線が下を向いてる。


「だから、お互いに不合格。」


と頭に手を載せる。

目が一瞬だけ合って、逸らされた。


「でも、僕が死んでも誰も泣きませんよ。」


不機嫌な顔してる、こいつも死にたがり。


「馬鹿、いる。ここに。それに、お前が死んだら俺も死ぬ。分かんねえのか?」


「何でですか?」


「このままだと俺は健康を害して死ぬ。別に俺はそれで良いと思ってる。けど、お前が俺に生きて欲しいなら、俺を健康にするべきだ。」


勢いに任せて、おかしな考えを話している。もう見栄もプライドも無くなった。


「そうですね。僕は京一さんの傷を治さないとでした。」


「うん、まあ、どっちでもいいけど。」


「人生ってのは目標があるだけで豊かになるらしいですよ。」


「そーか。」


「僕はまだ死ねないですね。」


と機嫌良さげに話してくる。

人生の目標が無い俺に自慢してくるみたい。


「俺はもう死にたい。」


「駄目、僕が許しません。」


俺を利用して楽しんでんのか?

まあ、いいや。どーせ、捨てた人生だ。


「この電車に乗るのも億劫だ。」


帰宅ラッシュでホームには人が溢れ返っている。暑いのに鳥肌が立った。


「帰るまでが通学です。」


「帰るまでが遠足、みたいに言いやがって。」


「もう少しですよ。頑張りましょう。」


「頑張れる気がしない。」


「じゃあ、頑張らなくていいです。」


と俺を置いてどこかに歩いていき、ホームの人混みに紛れてしまいそう。俺は呆れられた、のか。


「おい、どこ行くんだよ。」


後を追って、肩を掴む。


「京一さんが頑張れるようになるものを探しに行きます。」


「何で、俺を置いてくの?」


「歩くのも疲れるので。」


「だからって、置いていくな。」


「…すいません。」


「それに、そんなもの探しても無いから。ここにいて。もうすぐで電車来るし。」


「乗りますか?」


「そのためにここにいるんだろ。」


「そうですか。」


「お前って、やっぱ変わってんね。」


「面白いですか?」


俺が笑っているから、そう聞いてきたんだ。


「ああ、面白い面白い。」


「ふふふっ、僕は京一さんが面白いです。」


「それ、褒めてんの?貶してんの?」


「んー、どっちでしょうね。」


言葉を濁された。心の中で俺のこと、貶してそう。





「湊、俺を守れ。」


そう命令された後に、後ろから抱きしめられた。


「え、どういうことですか?」


「敵に囲まれてる。」


この電車内に敵なんているのか?

辺りをキョロキョロと見渡すが怪しい人物は見当たらない。


京一さんは電車の壁を背に、僕を盾にしている。


「誰ですか?」


「知らない人。」


漠然とした情報すぎて、何も分からない。


「特徴は?」


「分かんない。」


「じゃあ、どうして…?」


「声が聞こえる。俺を殺すって。別に死んでもいい。けど、お前が守りたいなら守れ。」


「分かりました。全力で守ります。だから、そんなに怖がらないでください。」


「怖がってない。」


「そうですか。」


殺される前の人間は怖がるのがセオリー。

けど、京一さんは死を受け入れているから怖くないのか。


守ると言っても、守り方は分からない。

トイガンに手をかけて、周囲を観察した。


「京一さん、泣いてますか?」


手で頻繁に目を擦っている。


「うるさい。」


周囲の人の視線が京一さんに集まるのは危険だ。片っ端からヘッドショットしたい。


注目を集めると、攻撃されてしまう。

これは僕が身を持って経験している。


「逃げますよ。」


と言っても次が家の最寄り駅。

京一さんの手を引いて、走って階段を登…


「待って、タイム。疲れた。」


階段の中段で手を膝についている。


「分かりました。では、僕の背中に乗ってください。」


「嫌だ。」


「え」


「ここまでせっかく自力で来たのに、最後の最後で頼るとか死んでも嫌だ。」


息切れしてるのに、そんなところにこだわるんだ。


「じゃあ、ゆっくり行きましょうか。」


その間、僕達に目線を向ける人達は僕が睨み返そう。

駅を出ると、京一さんはやけに達成感に満ち溢れていた。


「湊、もう敵なんていないよ。」


僕が周囲を一生懸命に観察しているのが可笑しいのか、笑ってる。


「そうですか。ふふっ、生還できましたね。」


「そうだな。コンビニ寄ろ。」


「今日は買いすぎないでくださいよ。」


「そんな金無い。」


そう言っていた通り、今日はコンビニのカゴも持たずに食料品を見ている。


「食べたいのありますか?」


「いや、どれも対して変わらない。ただ無理矢理に口に入れるだけだから。」


「でも、食べてくれるんですか?」


「お前はそれを望んでるんだろ?」


「はい。」


「わけわかんねえ。」


と笑って、適当にとんかつ弁当を手に取った。


家に帰るとすぐに、京一さんは倒れるように床で横になった。


「京一さん、せっかく買ったんですから食べましょう。」


「ああ、忘れてた。」


テーブルに温めてあるとんかつ弁当を置く。

京一さんは、まず、副菜のごぼうやポテトサラダを箸で突っついて、少量ずつ食べている。


「食べんの疲れた。」


副菜がなくなると、箸を置いて、もういいだろ、と言いたげな顔した。


「メインディッシュが残ってますよ。」


僕がとんかつを一口大に切って、口元まで持っていくと、恐る恐るだが食べてくれた。


「ふふっ、ありがとうございます。」


「何の感謝?」


「食べてくれてありがとうですよ。豚がそう言ってます。」


「あはっ、死んでるって。」


「天国で言ってるんですよ。」


「そうなの?」


「はい。」


「へえ、天国の声が聞こえるんだ。」


とお得意のにやけ顔。


「意地悪言ってます?」


「いいや、別に。」


天国の声なんて聞こえはしない。ましてや、豚がなんて言ってるかも分からない。

ただ僕が感謝しているだけ。


「ご馳走様。」


そう言って手を合わせた。半分も食べてくれた。


「京一さん。」


「何?」


こちらを向く彼の首に手を回す。

顔を近づけると、彼は目を瞑ってそっぽ向く。


「避けないでくださいよ。」


顔を手で抑えて、唇にキスをする。

一瞬、時が止まった。


「やめろ。」


気がついたように僕の胸を押して、距離を確保されてしまった。


「すいません。唇、艶々してるから。つい。」


「はあああ、馬鹿。」


マリアナ海溝よりも深いため息。


「もう一度しませんか?」


「少しは反省しろよ。」


「えー、楽しいのに。」


彼は全然、許してくれなかった。

そして、弁当の残りの半分は僕が食べた。


「ああ、腹痛てえ。」


「脂っこかったですからね。」


「吐いていい?」


「駄目です。それこそ、豚に恨まれますよ?」


「じゃあ、どうすればいいの?」


と床でゴロゴロしながら痛みで悶えている。


「お腹を温めて、横になると良いですよ。」


「もう一生、脂っこいものは食わねえ。」


布団の中で、そう宣言している。


「鎮痛剤、飲みますか?」


「いや、いらない。もう寝たい。」


「それじゃあ、おやすみなさい。今日はありがとうございました。楽しかったです。」


「ん、おやすみ。」


その言葉を聞いて、部屋の明かりを消す。

玄関の施錠もしっかりして、僕も家に帰る。

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