かまってちゃんは嘘つき
自分可哀想でしょ、アピール人間、超嫌い。自分頑張ってるでしょ、アピール人間も大嫌い。そうゆう奴に限って、仕事が遅くて、口だけ愚痴だらけなんだ。
ああ、嫌い、大嫌い。何で?何で、みんな分かんないんだよ。世の中、馬鹿しかいないのか?ああ、嫌だ。こうやって、愚痴を言う自分が嫌だ。けど、言いたくなるんだよ。のうのうと生きてる兄貴の顔を見ると特に。
幼い頃は自慢の兄貴だった。消極的な俺とは違って、積極的で誰とでも仲良くなって、木登りして怪我しても笑って過ごしてた。中学生のときも、部活に勉強にと優等生を演じて、何でこんなにも器用にこなせるのかが不思議だった。でも、高校生になって、兄貴は変わってしまった。学校に遅刻して行くようになったし、家で勉強しているところはあまり見なくなった。帰ってくるのも遅くて、夕飯の家族団欒が壊れた。母親はずっと兄貴の心配ばかりして、俺のことは何一つ興味が無い。だから、気を引くために、料理も洗濯も勉強も頑張った。兄貴ができないこともできるようになった。だけど、ダメだった。俺のことは視界にすら入れてくれない。きっと死んでも「ふーん」で終わると思う。もう母親には期待しなくなった。あの人には兄貴のことしか見えていないから。
そう、注目を浴びるのはいっつも俺じゃなくて兄貴の方なんだ。名前だって、あいつのせいで"京次郎"なんて名付けられた。服装はお下がりのものばっかだし、ゲームだって、テレビだって、決定権は俺には無かった。同じ中学校に通っても、お兄ちゃんは……って比べられて。俺はあいつの影じゃないって。俺のことを誰も見てくれない。
やつれた顔を見る度に「もうすぐ死にそうだなあ」って嬉しく思うんだ。精神科に通っているときも「治療費の無駄」くらいには思ってたし、「ああ、何で死なないんだろう」ってずっと疑問に思ってた。
それで、分かったんだ。あいつは俺よりも愛情をもらっているんだって。基本的信頼感ってやつ?そうゆうのが備わっている人間なんだって。倫理の教科書が教えてくれた。
ああ、クソだわ。俺よりもちょっとばかし早く生まれたってだけで。良いもんを貰いやがったこと。恨んでんだ。憎んでんだ。けどまあ、ここまでは許せはしないが、寛大な心を持てばまだ目を瞑れる範囲だ。だがその上、薬物をやっている。となれば話は別だ。殺しても後悔はしない。そう言い切れるほど、殺してやりたい。俺よりも愛情たっぷりの良い環境で育ったはずなのに、さらに悦を求めて法を犯すとは、何とも自己中心的で強欲なんだと絶句を通り越して、「殺してやらなきゃ」という使命感と兄貴に対する俺の愛情すら感じた。
「京一郎、死んでやるから殺させろ」
と包丁を向けても、何も怯んだり怖がったりしない。それが唯一の俺と兄貴が通じ合える瞬間だった。ああ、兄貴は殺されてもいいんだ、と安心する瞬間。罵声も暴言も、すべて俺が安心したいから言っているような気もする。
「お前に殺されるのなら本望だ」
そうやって、良い奴ぶるのも、いちいちムカついた。こんな俺のことを全然悪く言ってくれない。むしろ、兄貴だけは俺というものを見てくれているとさえ感じた。それが、とてつもなくうざい。気持ち悪い。どーせ、人間なんて期待すれば裏切られるんだ。俺は一人でも大丈夫だ。だから、俺のことをどうか受け入れないで欲しい。
「うわ、気色悪っ!キスとか、超無理なんだけど」
瞬時に目を逸らした。
いわゆるラブシーンって奴?、全部ぜーんぶ気色悪い。まったく、目が穢れる気分だ。
「京次郎は、キスしたことないの?」
「好みの問題、俺はそうゆうの嫌いなの」
「へえ、気持ち良いのに」
そうやって、落ちぶれたように笑う兄貴はすごく嫌いだ。殴って治るのなら、何度でも殴る。俺の幼い頃の憧れは何処に行ってしまったのだろう。今や兄貴の隣りには、俺よりも小さい男の子がいて、きっと俺よりも愛されてるんだ。心の中ではピエロが滑稽に踊る。目元の雫には誰も目もくれない。
ぐすん、と泣いてしまえれば、どんなに楽だろうか。
「やめてください、死んじゃいます」
止められてしまった、殺すために殴ってんのに。子供は平和で良いなあ、恨みつらみなんてまったく無さそうで。
「ごめんね、殺したいの」
子供の方に気を取られた矢先に、京一郎に手を掴まれ、抱き寄せられた。さっきまで目を瞑って死んだフリしてサンドバッグしてたのに。
「ああ、やっぱ殴られんのは痛いね」
「存分に痛みを味わえ、犯罪者が」
俺のは環境のせいだが、兄貴のは自身の罪だ。痛みをもって償え、クズ野郎。首を絞めようと、手をかけたところで、最悪な状況下で、玄関ドアが開いた。
「京次郎、何で電話に出てくれないの?荷物が多くて……何してるの?京次郎」
「母さん、おかえりなさい。兄さんとは、久しぶりに会えたから、その感極まっちゃって」
と咄嗟に離れて言い訳をした。首絞めといて感極まった、は流石に苦しいわ。
「京一郎、大丈夫なの?」
そんな俺の言い訳も無視して、まずは兄貴の心配か、この人らしい。
「ああ、大丈夫だから」
本当に?痛いところは?、なんて執拗いくらいに聞いている。あー、うざったい。
「京次郎、何でこんなことしたの?何でお兄ちゃんにこんな、酷いことをするの?」
これも、うざったい。
「それは」
「京次郎は俺のことが好きなんだよなあ?」
と肩を組まれて、頭を撫でられる。ああ、兄さんはやっぱずる賢いなあ、なんて感心してしまう。その眩しい笑顔は憎めない。
「京一郎、また痩せたんじゃない?」
と母さんから心配されるのがとても苦痛になっている。罪悪感で押し潰されそうだ。もう放っておいて、そう言いたいのに母さんの支えなしでは俺は生きていけない。
京次郎は俺の秘密を知っている。でも母さんには伝えてないらしい。俺を殺せるチャンスなのに、何でだろう?
「えー、食べてんのになあ」
と笑顔を見せて、大丈夫だと装う。あれ?湊がいない。探してみると押し入れの中に隠れていた。
「何してんの?」
「僕は空気です、存在してません」
母親には俺が押し入れに話しかけてると怖がられた。「京一郎の恋人なん、知らんけど」と京次郎が適当に説明してる。
「喋ってんじゃん」
「あ」
「どうしたの?」
と聞いても返事がない。まじで空気でいるつもりなのか?こしょこしょこしょ、とくすぐって笑わせてみた。
「あははっ、やめてください」
「じゃあ、出てきて」
と言うと、決まりが悪そうに出てきてくれた。が、そのまま座り込んで小さくなった。俺の母親に会うのが気まずいとか、かな?
「湊、どうしたんだよ」
と頭を撫でても、理由を聞かせてくれない。
「あれ、男の子じゃないの?」
「ああ、間違えたわ。生徒、その家庭教師の」
外野が五月蝿い、母さんがすごい興味津々って感じで見てくる。
「ごめんなさい。僕なんかじゃあ、全然ダメなんだって、やっと分かりました」
ああ、またその笑顔、傷ついてるのを必死で隠してる笑顔。見てる方もつらくなる。
「何が?何がダメなの?」
「……一人にしてもらっても良いですか?」
「分かった、でも家まで送らせて」
家から出て、やっと二人きりになれた。
外にも人がいるから二人きりというのも何だか変な感じがするが。湊もずっと黙り込んでいる。
「京一さん、ありがとうございました」
と玄関先での別れ際にお礼だけ言うなんて、永遠の別れみたいで怖くなった。
「また明日は?」
湊を抱きしめて、離したくない。安心できない。湊に見捨てられるのが、とても怖い。
「京一さんは何で僕のことが好きなんですか?キスしたいからですか?何か、京次郎さんを見ていたら、分かんなくなりました。あの人、僕よりも貴方の隣りにふさわしい人間じゃないですか。僕は京一さんを殺せるほど愛せてませんから」
「そんなん、一緒にいて楽しいからに決まってんじゃん。それに、殺されるほどの愛なんて恐ろしくておちおち眠ってもられないわ」
「今夜は眠れそうですか?」
「いいや、完全に不眠症を拗らせるね。あーあ、こんなときに隣りで俺を安心させてくれる子がいればなあ」
「ふふっ、そうですね」
「その子の名前、青柳 湊って言うんだけど」
「僕じゃないですか」
「うん、今日は徹夜するから明日は昼寝する」
「分かりました」
きっとわかってない、のが可愛い。考えごとしてる湊はいつもよりもポンコツになる。
「ケーキあげる」
「ありがとうございます」
湊と別れてからあの家に一人で帰るのは、鬼ヶ島に一人で乗り込む桃太郎の気分。きびだんごを失った桃太郎。
「おかえり、カレーできてるよ」
ああ、食えねえ。食欲なんて何処かへ消えてった。今はもうだるいから、このまま倒れたい。
俺が高校生の頃、家には寝るためだけに帰っていた。家族のことなんか気にも止めてなかったから、その内側が崩れていることに気づかなかった。
みんな仲良かった、旅行も行ってた、夕飯時はテーブルを囲んで楽しく笑っていた。でも、そんな笑い声も聞こえなくなった。俺が離れていったから。
小さい頃は、何でもかんでもそこそこで特別に嫌なことなんか特になかった。弟の京次郎はよく癇癪を起こしていたが、俺はそれを慰めては理想の兄弟愛というのを感じていた。
でもお互いに成長すると、理想はいとも簡単に崩れ去る。
それは俺が夜中に帰ったとき、京次郎がつまらないテレビショッピングを見ていて、一人で狂ったように笑っていた。
「兄ちゃん、遅かったね。帰ってくんの待ってたんだよ」
「寝てていいのに」
「それで、何してたの?」
「別に、何も」
「こんな遅くまで帰ってこないで、何もしてないとかありえないじゃん」
「京次郎には、どうでもいいことだから」
「ああそう、でも俺にはどうでもよくないことがあるんだけど」
「何?」
「わかんないよね、京一郎にはそのどうでもいいことが俺よりも大切なんだもん」
「そんなことないよ」
「そんなことあるから言ってんじゃん!じゃあ、何で電話無視したの?」
「それは、」
「帰りたくなかったからでしょ?」
「まあ、そうだけど」
「それで、本当に、何してたの?俺が苦しんでるときに、何してたの?」
今でも夢で見る、悪夢だ。そして、この後の俺は擁護もできないくらいの最低。
「京次郎、何かあったの?」
「あーあ、呑気にそんなこと聞いちゃうんだあ。そりゃあ、何かはあっただろうよ、涙は残ってないけどさあ」
やさぐれている京次郎を見て、罪悪感を抱きつつ、「ごめん」と頭を撫でようとすると、
「触んないで。そうやって、分かった気になんないで。俺が言わなかったら苦しんでるのも分かんなかったくせに」
と非難された。
「ごめん」
「……母さんに殴られたんだ」
「どうして?」
「夕飯を焦がしたの、失敗した。母さん、すごい怒ってた怖かった嫌われた。俺なんか、生きてても……」
ネガティブ思考の弟を抱きしめて、背中をさすった。
「大丈夫、大丈夫だから」
「たくさん泣いたのに、たくさん呼んだのに、誰も慰めてくれないじゃん」
「ごめんね、俺がそばにいれなくて」
弟の慰め役は兄の務めなのに。
突如、京次郎は俺の顔を掴んでじっと見つめてきた。
「兄ちゃん、唇が赤いね。まるで女の子にキスされたみたい」
その言葉が今も罪悪感の傷を抉る。
「京一郎、起きてるんでしょ?」
と俺の首に手をかけながら、耳元で悪魔のように囁かれる。
「ああ、悪夢だ」
「これが夢だったら良かったのに」
「お前は寝てろ」
「ねえ、生きるのは楽しい?」
と満天の星空を見るように天井を見上げては現実というものの壁が目の前を覆っている。
「まあ、それなりに」
「そっか、あの恋人のせい?」
「は?」
「お前に幸せ面なんか似合わねえよ」
頬を掴まれて、酷い顔にされる。
「酷いこと言うわあ」
「歪んだ顔のがまだ可愛い」
「京次郎は?最近はどう?」
「普通、可もなく不可もなく、平凡な人生」
「彼女でも作れば?」
「俺が人間なんか愛せるわけないじゃん!」
「笑った」
「うんうん、俺以外は愛せへんわ」
「俺のことは?」
「愚問やなあ。そんなん、ピー音(放送禁止用語)で確定」
「あははっ、可っ愛いわあ!」
と隣りで寝ている京次郎をわしゃわしゃと撫でると
「一遍、死んどけクソ」
と嫌がられた。
「俺の恋人、可愛いでしょ?」
スマホで写真を見せる。
「んー、何で付き合えてんの?」
「俺のこと、愛してくれるから」
「おえっ、吐き気だわ。そもそも、小児性愛なんてあったんだ。それに驚き」
「たまたま相手が年齢的に幼いから、そうみちゃうんだけど」
「兄ちゃん、俺が幼い頃よくしてくれたよね。ぎゅーって、抱きしめてくれて。あれ、そういうこと?」
「違うって」
「いや、否定するのもおかしいでしょ。愛してくれてたんだよね?」
「……まあ」
「へえ、なんならやりたかった?」
「んなわけないじゃん」
「俺は可愛かったからなあ、その反動だったりして」
「んーん、違いますぅ」
仮説が馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
「ならさ、証明して」
肩を掴まれて引っ張られ、お互いに寝たまま向き合い、顔の輪郭を確かめるように撫でられる。その後は、唇の形を。
好奇心旺盛というような表情で、また悪戯っ子のような笑みを浮かべて、俺に唇を重ねてきた。目を閉じて、その感触を味わうかのように位置を少しずつ変えながら、自分のお気に入りを探っている。
「ダメ、もうお終い」
と脳内で異常事態を認識して判断を下した。
京次郎の唇を手で覆うと、決まりの悪さから目を逸らしてしまった。
その手のひらにキスをされると
「ん、悪くない。愛がなくても嵌りそうだ」
と何事もなかったかのように、平常通りの姿を見せられる。
「はあ、何してんの?」
息を吐いて呼吸を整えてから冷静に考える。
「実験?あははっ、照れてんね。そうゆうの慣れてそうなのに」
と煽ってくるのは、俺の罪を知っているから。
「照れてない勘弁して」
ストレス性の怠さで頭が回らない。倒れてるのに、これ以上疲れさせないで。
「それで?俺のキスはどうだった?蕩けちゃった?」
得意気にそう言う京次郎はまだ可愛らしいと思った。俺よりは子供だ。
「ああ、さすがは京次郎だわ」
「嘘つき」
こうやって笑ってしまうと嘘になるらしい。不機嫌な顔に戻った。
「京次郎、他人を疑いすぎるのは良くない」
冗談に見せかけた教訓を頭を撫でて入れ込む。
「お前は兄貴だろ」
「あはは、そうだけど信じてあげて。疑うと孤独になる」
俺がそうだったように、京次郎は孤独が平気で、寂しいんだ。心の内を覗き込むと、目を逸らされた。
「……兄ちゃん、あの子はほんまに恋人なん?」
兄貴が恋人に取られてしまうのを心配して嫉妬して拗ねている様子に見せて、実はただ眠いだけの弟は俺に背を向けた。
「うん」
「恋愛対象?」
「それは境界線が霞んでから見えない、俺はもう恋愛できないのかも」
「俺は知ってるよ、恋愛って胸が掴まれたみたいにグッと苦しくなるんだ」
「突如、心臓が痛いってのはあるけどね」
「めっちゃ恐怖、相手に心を操られる」
「ふふっ、どんな恋愛してきたの?」
「心臓が張り裂けるくらいの片想い」
「ああ、絶句」
夜の散歩の支度を始めると、京次郎は俺のベッドを盗んで寝た。その寝顔が見られることが何だか珍しく思えてきて、死ぬ前にまた見られて良かったと安堵した。
最近の夜は、かなり寒くなってきた。酔ってないと凍え死ぬくらい。その代わり、星が綺麗に見える。
吐息が白くなって、冬を感じる。誰かの温もりが無いと、孤独も感じる。
「このまま俺も星になりたいなあ」
なんて馬鹿みたいなことを言って、公園のベンチで寝そべっている。目を閉じて、起きる頃には、死んでたら良いなと願う。痛みも苦しみも感じずに死んでたら、死ねたなら、これ以上の幸せは無いんじゃないか?
「あーあ、こんなところで寝ちゃって。寒くないのかな?」
僕が寝ている間に京一さんから留守電が入っていた。俺は星になるとか、酒を持ってこいだとか、公園なのに子供がいないだとか、酔っ払いの戯言だけれど、それを可愛いと感じる僕もいた。
「起きる頃には、死んでたら良いなあ」と最後に残すのはどうかと思うけど。
「起きてください、朝が来ました、死ねてないですよ」
掛け布団のように掛けている上着を剥ぐと
「ああ、さみっ!」
とさらにダンゴムシみたいに縮こまる。
「風邪を拗らされたら嫌なので、上着は返します」
また上着を掛ける。
「んー」
「けれど、起きてください」
「何で?」
「僕が京一さんを持って歩くだけのパワーがないのと、単純に寝る場所じゃないです」
「あっそ」
怠そうに起き上がって、僕の肩に腕を置いて体重をかけてくる。俺を支えることはできるでしょ?、と七割くらい僕が支えて家へと歩いていく。
ああ、今日もなんて良い日なんだ!




