メランコリックノスタルジー障害
「読書感想文、良く書けてたね」
図書館司書の眼目さんに褒められた。夏休みの読書感想文は眼目さんが評価するみたい。
「ありがとうございます」
「だから、落選しといたよ。君が書いたものじゃないでしょ?」
京一さんがちょっぴり悪ふざけした文章はやはり中学生レベルの文章ではなかった。それに、僕の頭ではあんなに頭の良さそうなことは書けそうにない。でも、めんどくさいからそのまま出したものだった。
「はい、京一さんに代筆してもらいました」
「ああ、あの京一郎くんか。元気してる?」
「死なない程度には元気ですね」
「ちゃんと食べてるの?あの人」
「たまーに?」
「へえ、また会いたいって伝えといて」
「何でですか?」
「嫌だ?」
と何故か少し笑われた。
「いえ、理由が聞きたいだけです」
「また会いたいから会いたいって伝えて欲しいんだ。良いかな?」
「何でまた会いたいんですか?」
「やっぱ、怒ってるでしょ?」
「分かりません、何でですか?」
「んーっと、一緒にいて楽しい人だから、かな?」
「みんな、そうなんですよ。京一さんのことばっか、僕のママもコンビニ店員も清掃員も。何でなんですか?」
「それくらい京一郎くんが魅力的なんだよ」
「それは知ってます、けど、何か苛つくんです」
「どうして?」
「京一さんが奪われる感じがして、何かよく分かんなくなるんです。僕以外、京一さんに会えなくなればいいのにって思ってます」
「あははっ、そういうの独占欲っていうやつかい?へえ、彼のこととっても好きなんだね」
「はい、もちろん」
「けど、注意した方がいい。それは彼の自由も奪いかねないから」
「そうなんですか」
そんなことを言われても、あまりピンと来ない。僕が京一さんの自由を無意識に奪っているのか?
確かに薬物はやめさせたけど、それは京一さんだってやめたがってたから。その他には……
あれ?京一さん、居ない。
玄関ドアをまた閉めて、スマホを手に取る。
「京一さん、何処にいるんですか?」
「ああ、湊か。今ね、公園で女の子と遊んでんの」
ああ、そう、こういうのが無性に腹が立つ。京一さんは、僕のことなんかきっと好きじゃない。それは分かってるけど、全くといっていいほど受け入れられない。そんな自分が殺したいほど嫌い。
公園に着くと、京一さんが砂場でしゃがんでいた。その近くには僕よりも小さい幼稚園児くらいの女の子。葉っぱや木の枝を使って遊んでいる。
「京一さん、何してんですか?」
「何って、おままごと」
「何で貴方がそんなことしてるんですか?」
「湊、怒ってんの?」
「怒ってないです、何でですか?」
何でみんな、僕が怒ってると思うんだろう。苛ついているけど、怒ってはいないのに。たぶん。
「笑ってないから」
ああ、笑えばいいのか。忘れてた、何でも笑顔で隠せば
「キョウイチローのお友達?」
と女の子が京一さんに聞いている。それに対して、京一さんは「そうだよ」と優しく教えている。
はあ、キョウイチローって?僕だって呼び捨てじゃないのに。
「帰りましょう、京一さん」
「嫌だ、まだ遊んでたいもん」
「そうだよぉ、キョウイチローはサナと遊ぶのっ!」
「無理です、僕は無理です。何で僕との時間をこの女の子に奪われないとならないんですか?だって、他人じゃないですか?」
「湊」
「何ですか?僕は貴方から自由を奪う邪魔者ですか?」
「随分と、言ってくれんじゃん。一緒に遊ぼ?」
と微笑んで僕の手を引き、しゃがむように誘われる。
「僕はこんなことして遊びたくないです」
「案外楽しいから、ね?」
しゃがんで上目遣いをしてくる京一さんに負けそうになりながら、
「無理です、嫌です。京一郎って呼ばせてくれないとやる気が起きません」
と反抗する態度をとって、少し我儘を言ってみた。
「分かったよ、今日だけね。敬語もなしで良いよ」
「やった。ありがと、京一郎」
僕も女の子と同じ目線になる。女の子が「だあれ?」と質問してくる。それに京一さん、いや、京一郎が「湊、仲良くしてあげて」と答えた。
女の子とはケーキ屋さんごっこをしていたようだ。
京一郎がケーキをバクバクと食べると、女の子はすごくよく笑う。確かに、ケーキなんて食べそうにないからすごい面白い。砂と葉っぱ、木の枝でショートケーキやチョコレートケーキ、プリンアラモードとかモンブランまで色んなものを作っている。
「ミナトは、どのケーキが良ーい?」
「僕はアイスクリームが食べたいなあ」
「分かったっ!サナが作るっ!」
と元気よく作り始めた。泥団子をアイスクリームに見立てるようだ。京一郎も一緒に作ってくれている。
「できたっ!」
と葉っぱのお皿に乗った泥団子のアイスクリームを渡された。京一郎のセンスが光って、泥団子は本物のアイスクリームみたいに下が擦り切れてて周りにも装飾がされている。写真に撮った。
「すごーい、美味しそう」
と京一郎に言うように言われた台詞を言って、京一郎の真似をして食べる振りをした。
「美味しいですかー?」
って逆に京一さんが僕に敬語を使ってくるから吃驚した。
「はい、とっても美味しいです」
と味云々ではなく、京一さんが作ってくれたというのが僕にとって、とっても美味しかった。アイスクリームをまた一口と
「あっ!本当に食べたああ!」
と女の子が嬉しそうに笑った。「ばっちぃ」と二人に笑われる。いつものように食べてしまった。舌の上でザラザラしてる。すぐに口の中を洗って、でも、あの瞬間、京一さんは本当にアイスクリームの店員さんで、僕の持っているアイスクリームは本物のアイスクリームだった。
「サナ、帰るわよ」
と強引に女の子の手を引く女性がいた。「嫌だ嫌だ」とその手を引き返している。外れそうなくらい。
「サナちゃん、また遊ぼうね」
と京一郎は女の子に手を振る。女の子は京一郎とまだ遊びたそうにしているけど、京一郎はバイバイの挨拶をした。悲しそうに女の子が諦めた。
「もう、何ですぐに居なくなるの?それに誰なのよ、あの人達。知らない人と遊んじゃダメっていつも言ってるでしょ!」
その女性は女の子を叱る。京一さんから女の子を庇うように引き離し、京一さんのことを睨みつける。女の子は「友達だもん」とボソッと言うだけでそれ以上は何も言わない。女の子が連れ去られていく。
「誰ですか?あの女性」
「母親でしょ」
「ああ」
「よくやるわ。あの母親、サナちゃんのこと蔑ろにしたくせに」
「そうなんですか?」
「そこのコンビニで知り合いとずっと喋ってた」
「へえ」
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「いえ」
「もしかして、怒ってるの?」
「はい、何でそんなに僕以外にも格好良いんですか?」
「何も格好良くないって」
「謙遜しないでください、めちゃくちゃに格好良いですよ。全人類、惚れさせるつもりなんですか?」
「あはっ、ありえない。おかしいよ」
「おかしくないです」
「そうだ、アイス買ったんだった!」
と近くに置いてあったビニール袋に入ったアイスを渡された。きっと溶けてるだろうから家に帰ってから食べて、と言われた。その気遣いの言葉にも僕は惚れてしまう。
「ありがとうございます、美味しそうです」
京一さんはゆっくりと一歩ずつ歩いている。家に帰る頃にはアイスが完全に液体に変わっているだろう。……京一さんの足が止まった。
「湊、グリコしよーよ」
歩くのに飽きたのだろうか?
「良いですよ」
ジャンケンして勝った方が文字数分、前に進めるというルールだ。グーはグリコ、チョキはチョコレート、パーはパイナップルだ。
ジャンケンすると、僕がパーで京一さんはグーだ。
「僕の勝ちですね。パイナツプルっと」
つぎは、僕がチョキで京一さんはグーだ。
「やった、グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ」
と京一さんは二十四文字分、前に進んだ。
「何ですかそれ、ルール違反です」
「湊もやれば?そしたら公平でしょ?」
僕はパー、京一さんはグーだ。たぶん、グーのあの長ーい奴を言いたいがためにこのゲームを始めたんだろうからパーを出せば僕が勝てる。
「パーソナルコンピュータ」
「パーソナリティ障害」
京一さんがチョキを出した。
「長期使用製品安全表示制度」
「またそんな長いの」
京一さんがまた離れていく。
ここから僕はチョキを出した。
「直角二等辺三角形」
「鳥獣戯画」
また京一さんがグーを出した。
「グレートスモーキー山脈国立公園」
僕を追い抜いて、京一さんが前に出る。
次からは僕はグーを出した。
「グレネードランチャー」
「グレープフルーツ」
京一さんがパーで勝ち。
「パブリックプライベートパートナーシップ」
ため息しか出ない。何でこんなに長い言葉を知ってるんだろう。得意気な笑顔。
「チョコレートケーキ」
「腸内環境」
また僕の勝ち。三回連続で勝ってしまった。
「チ、ヨ、コ、レ、イ、ト」
京一さんとあまり離れないように。
そして、また僕がチョキを出してみると、京一さんは中指と薬指を折り曲げたパリピみたいな手を出した。可愛い。
「何ですか?それ」
「最強」
と、ご機嫌そう。
「じゃあ、京一さんの勝ちですね」
ルールなんて、どうでもいい。京一さんが近づいてきてくれるから。
「サイコウニカワイイ♡」
と僕に抱きついてきた。もはやゼロ距離。
「可愛いのは、京一さんの方ですよ」
僕に抱きつくために、文字数まで考えてるんだから。
「ううん、湊のが可愛い。俺と離れたくなくて文字数減らしてた」
「バレちゃってましたかあ」
そう言うと、京一さんは僕と手を繋いだ。
これで離れられない、と言いたそうに笑う。
そこから、少し歩いて、小石を蹴る。
「……あーあ、子どもの頃に戻りたいなあ」
「どうしたんですか?」
「公園の帰り道に、よく弟と手を繋いで帰ってたの。ふと思い出しちゃって」
「へえ、そうなんですか」
「そのときは何も考えてなくてさ、考えるとしても家に帰ってからの夕飯のメニューくらいで。今思えば、結構幸せだったなあ」
「京一さん、今日の夕飯のメニューは何だと思いますか?」
「え、何だろう?ハンバーグとか?秋刀魚とか、かな?」
と童心に帰って、わくわくしてる京一さんが可愛い。
「ああ、秋刀魚。良いですね、食欲の秋って感じで」
「湊も夕飯のメニュー知らないの?」
「はい、知りません。だから、帰ってからのお楽しみです」
「何だかワクワクしちゃうね。はやく知りたいけど、この瞬間をずっと味わってたい気もするよ」
「ああ、それは分かんないです」
「何かね、満足するよりも先に時間が過ぎていくんだ。俺は子供のままでいたいのに。本当、感情がついていかないよ」
「京一さんって、お腹いっぱい食べたい人ですよね?」
「うん、詰めれるまで詰め込む」
「それで、満足はできましたか?」
「ううん、全然」
とやっぱり、悲しそうに笑う。
夕方の涼しさに誘われて、少し散歩に出かけた。
コンビニで湊へのアイスを買って、帰ろうとして女の子に付きまとわれた。お母さんは?と聞くと、コンビニのイートインスペースで談笑中だった。何だか、この好奇心旺盛なところが湊にそっくりだった。
だから、近くの公園で遊んだ。俺もたぶん暇だった。誰でもいい、その瞬間、ちょっとでも現実を忘れられれば、それで、楽しいから。
ノスタルジーに浸って、童心に帰って、ああ、何だか楽しいなあって、そう思えたのが嬉しかった。
けれど、家に着いて玄関のドアを開けると、そこにはまざまざと現実という化け物が座っている。ああ、今日も課題が終わってない。手すらつけていないまま。金を消費していくだけのクズな俺が見えてくる。
湊が持ってきてくれたジャージャー麺を完食して、喉まで出かかっているアレを水で押し込んで、消化器官にまともな仕事をさせる。おえ、気持ち悪い。
過食嘔吐にあるものは、単なる体力の消耗だ。
何一つ、埋まりゃしない。満腹感と満足感は別腹だと思い知らされる。それで疲れて寝転んで後悔するのに、現実に満足しないからとまたやってしまう。きっと病気だ。病気だと言ってくれないと、この俺は狂っちまうよ。自業自得だなんて言わないでくれ。
「京一さん、よく頑張りました」
と食べ物を飲み込んで吐かなかった俺を湊は褒めてくれる。ああ、もう嫌だ。子供の頃の俺は、無邪気に遊んでいた頃の俺は、将来の自分がこんなんだって、どう予想できただろうか?
人生をやり直すのは面倒だから、いっそ死んでしまいたい。いや、湊が許してくれないか。
湊は、俺の格好悪くてダサくて醜くて最悪なところまで知っている。俺という人間はそれなりに深みのある人間だと思っていたが、表現してみると結構薄っぺらい人間なのだとよく分かった。それなのに、俺のことをまだ好きだなんて、湊はやはりおかしい。
「泣きたい時は思いっきり泣いてください」
片目から流れる涙を見られた。たまに突如、泣きたくなる気分に襲われる。理由なんてありすぎて分かんない。やけになって、湊を抱きしめる。
「こんなつらくて痛くて苦しいのに、どうして俺は生きてんの?」
「んー、少なくとも僕は京一さんと一緒にいるために生きてます」
「湊、大好き」
言い慣れない言葉はたくさん言わないと言い慣れないことを俺は知っている。
「心臓の音が速くなって、呼吸の乱れ、体温の上昇を感じます。京一さん、僕の身体は貴方のその言葉でこんなにも反応するんです。これが恋なんですね」
「やばいくらい可愛いこと言うじゃん」
と湊をずっと抱きしめて……
突如、手に持ってるのはスコップだった。俺は愛する恋人を探しているらしい。迷路みたいな知らない道を大きなスコップを引きずりながら歩いていく。誰かさんが言った。「そっちじゃない」と。でも、俺の身体は引き寄せられるようにその道へ進んで行った。随分と険しい道だ。車通りは激しい上に、信号機は青のままで変わらない。ずっと待ち続けてストレスが溜まったところで、走ってくる車のフロント硝子をスコップをバットのように使って割った。その車が止まり、玉突き事故のように車が止まっていく。かなり歩きやすくなった。その後も虫と正面衝突したり、学校で生徒と間違われたりと散々だったが、やっと目的地までついたようだ。そこには、俺の大好きな恋人が埋まっている。「何でこんな姿なんだ」と泣いても返事はない。墓石が置かれているだけ。掘り起こす、そのためのスコップだった。朝日が昇って、夕日が沈む。それでも手を止めずに動き続けていられた。やめるように何度も言われた。無駄だって。確かにその行為は恋人の死を確かめるかのように人々の目には映る。けれど、俺には違った。寝ている恋人がそこにいると信じて疑わなかった。そしてまた、遊べると信じていた。白骨遺体が見えてくるまでは。言葉にならない、恐怖と悲痛があった。頭が狂ってしまいそうだ。俺の恋人が死んでいる、そんなことが……と記憶を振り返ると、黒い服を着た人間達に交じって、涙を流す俺がいた。恋人はとっくに死んでいた。「おい、こいつだよ」と背後から声がする。手に包帯を巻いて登場したのは玉突き事故、三台目の車。ハンドルを握っていた手を衝撃で痛めたようだ。他には損傷はなし、警察を引連れての登場だ。俺は手錠をかけられると、跪いて、スコップで殴るようにお願いした。「どーせ、死刑ならここで死にたいんだ」、その願いを叶えてくれるのは手を痛めた奴でも警察でもない。俺の
「京一さん!」
と誰かに叩かれる。
「……んんん」
眩しい、目を開けたら、目眩がしそうだ。
「京一さん、大丈夫ですか?」
湊の声がする、ということは?
「俺、死んだの?」
「何言ってるんですか、生きてますよ」
完璧に目が覚めた。さっきのは夢で、こっちが現実世界なんだ。
「良かった、湊が生きてる」
その顔に触れると、かなり不思議そうな表情をしてる。
「……大丈夫ですか?」
夢で涙を流してたのは覚えているが、現実世界でも涙を流していたのは予想外だった。湊が心配するわけだ。
「うん、もう大丈夫だよ」
夢なんて一瞬で忘れてしまうほど、どうでも良くなった。
朝食を終え、いつも通りに怠けた生活を送っていると、湊に「散歩にでも行きませんか?」と誘われた。土曜の休みに散歩だなんてと思ったけれど、渋々だが行くことにした。
親子連れや、恋人同士、子供達、お年寄り、様々な人間共で賑わっている公園に着いた。そして、着いた直後から俺は帰りたい。
「京一さん、これやりましょうよ」
と湊が健康遊具のボルダリングを始める。
頂上まで行くと、そのまま裏面へ進んで、今度は石を取り付けている部品を足場に降りていく。
「危なっ!」
足場から足を滑らせて、身体がガクンと落ちそうになる。手だけで全身の体重を支えている。危なっかしくて怖くなる。
「よいしょ、簡単でした」
と笑顔で報告されても、こっちは手に握った汗が乾かないので
「ちゃんと遊び方を守って遊ぼうね」
と幼稚園教諭のように優しく注意をした。
俺はその後にバランスボードに乗って、左右にゆらゆらと揺れたり、ただ踏み台昇降をひたすらしたりして、結構な運動をした。湊には「おじいちゃん」と笑われたが。湊の遊び方は怪我しそうで危なっかしい。うんていの上に登って座ったり、ブランコで立ち漕ぎして勢いつけて飛んだり、滑り台を逆走し出したり、挙句の果てには、登っちゃいけない遊具の屋根みたいな高い場所に登って嬉しそうにプラスチックの旗を触ったりしてる。その様子を俺はエビフライみたいなスプリング遊具に座って見ていた。もう止めはしない。注意はした。自己責任、である。俺の口から出るのは「馬鹿」という言葉だけ。けれども、子供時代の俺もあのように馬鹿していた。タイヤブランコの鎖を捻って、目が回っても止めずに、何回でも回転させて、前後左右にぐるぐるぐるぐる、それで頭をぶつけても馬鹿だと笑っていられた時代だった。あの酔っ払ったみたいに頭がぐらんぐらんする感覚が懐かしい。
「あははっ、遊具がある公園ってのは最高です」
はしゃぐ湊がとても可愛い。
確かに、安全性と過保護の問題で遊具が次々と撤去されてきている。今の子供達は可哀想だ。リアルで体感するスリルを知らないのだから。
公園からの帰り道、見覚えのある車が目に止まった。そういえば、今日の夢にも出てきた。俺がスコップを思いっきり当てた一台目の車。右ハンドルだから、確か助手席の奴が死んだはず。……悪寒がした。
「湊、俺から離れないで」
今日は湊がいないと死んでしまう日だ。きっと夢がそう暗示したんだ。
家に着くと、誰もいない。ホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間、携帯に通知が届く。「今家にいる?」というぶっきらぼうな質問。返信したくなくて、毛布の下に隠した。
もう駐車場にあの車が止まっている。湊には押入れに入っててもらおう。説明がめんどくさいから。階段を登る音、心臓の音が速く鳴る。
「あれ?京一郎、まだ生きてたんだ。既読もつかないから、てっきり死んだかと思ったのに、超残念!」
そうやって、再会の挨拶を交わすのは夢の中で殺したはずの、スコップで俺を殺そうとした、俺の弟だ。
「ごめんな、まだ生きてて」
京一さんに押入れに詰め込まれた。静かにしてないと、僕の銃コレクションを壊されるらしい。とても理不尽だと思う。何で?と聞いても後で説明すると言われ、それまた、何で?と聞くと、時間がないからとまじで怒られた。
僕が押入れにいると、家に誰かがインターホンも鳴らさずに入ってきた。京一さんの知り合いらしい。恋人とかだったらどうしよう?
「おいおいおいおい、そんなシケた顔すんなよなあ。せっかく会いに来てやったのに」
京一さんが押入れの扉を挟んですぐそこにいる。訪問してきた誰かに顔を掴まれてる?っぽい。扉の隙間からでは状況があまり分からない。
「お願いだから、さっさと帰って」
京一さんの声、いつも通りの声だ。
「京一郎こそ、さっさと土に還んなよ。ゴミなんだから」
この人は誰なんだ?何のためにここに来たんだろう?名前呼び捨てだけど、京一さんのこと全然わかってない。
「んなの、わかってる」
いや、わかってない。ゴミじゃないって。
「じゃあ、自殺して。俺を殺人犯にさせないで、にぃちゃん」
と京一さんの頭を撫でている。
にぃちゃん?ていうのは、兄ってこと?京一さんが、お兄ちゃん?確かに、京一さんには弟がいる。でも、血縁関係のない商売とかでよく聞く親しみを込めた兄さんって可能性も無きにしも非ずだから
「……ごめん、タバコ吸わせて」
京一さんは何かを考えごとをするときにタバコを吸う。
「まだ吸ってたんだ、贅沢品」
その人は京一さんに対して、眉をひそめる。
「たまーに」
「それで、シャブは?」
「あれは、やめた」
「まったく信用ならへんわ」
「母さんは?」
「買い物、何か晩ご飯作るって」
「へえ」
「ちなみにだけど、煙草を食べると死ねるらしいから試してみれば?」
あの人が玄関で靴を履いている。帰るのかな?
「ありがと」
京一さんが礼を言うと、振り返りもせずに出て行った。
「湊、出てきて」
押入れの扉が開いた。
「何なんですか?誰なんですか?」
「あれでも俺の弟なんだあ。可愛いでしょ?」
微笑む京一さんは可愛いけど、さっきの人は可愛くない。
「まったく分かりません。帰ったんですか?」
「いや、煙草の匂いが嫌いだから逃げたの。たぶん、玄関前にいるんじゃないかな?」
「へえ」
じゃあ、玄関前に行くしかない。と歩き始めると京一さんに止められる。
「何処行くの?」
「弟さんに会いに」
「やめて、せっかく隠してたのに意味なくなるじゃん」
「何で?何で隠してるんですか?」
「それは、その、湊と、離れるのが嫌だから」
「それはすごくすごーく可愛いですけど、隠している必要性が分かりません」
「湊は京次郎とは正反対じゃん?俺の好きな二人が言い合いするのは見たくない」
「キョウジロー?」
「それ弟の名前」
「ああ、理解しました。でも、言い合いはしません。京一さんはゴミじゃないことと、僕が死なせないようにしてることを伝えるだけ」
ついでに、名前呼び捨てが羨ましいことも伝えたいけど。
「うん、だからそれがまずいの」
「何が?」
「京次郎は俺を殺したい、湊は俺を生かしたい。生と死、対義語でしょ?」
「あー」
「そもそも、相手の考えを否定したらそれで言い合いになるから」
「あーあ、馬鹿でした」
「無知の知だから馬鹿じゃない」
「ふふっ、大好きです」
「じゃあ、隠れてくれる?」
「分かりました、隠れてます。けど、死んじゃダメです」
「わかってる」
「それと、銃コレクションは壊さないでください」
「それはごめん、脅した。キスしてあげるから許して」
チュッと可愛らしくバードキスされた。可愛い。可愛いで溢れた。ああ、可愛いすぎる。完璧に許した。身も心も許した。
「ごめんなさい、京一さんが可愛すぎてフリーズしちゃいました」
「湊のその反応のが可愛い」
と頭を撫でてくれた。脳みそ、空っぽにされるううう。
「おい、京一郎」
突然、玄関ドアが開いた。
京次郎さんとばっちり目が合った。そして、京一さんにそっくりで驚いた。
「んっと、何?」
「誰そいつ、どこいたん?」
「……押入れ?」
「ドラえもんかよ」
やばい、めっちゃ似てる。口悪いところも含めて雰囲気とかすごい似てる。何か京一さんを健康体にしてさっぱりとした感じだ。よくわかんないけど。
「それで、何?」
「煙草吸ってないじゃん、嘘吐かれた」
「ああ、悪い」
「母さんが美味しそうなケーキ見つけたって、食べる?」
「いらない」
「俺は食べたい、そいつは?」
いきなり聞かれて戸惑った。
「あ、食べたいです」
「了解、買って帰るって」
「あっそ」
「それで、誰なの?その子」
「俺の恋人」
京一さんに後ろから抱きしめられた。そんな堂々と紹介されるとすごく恥ずかしい。けど、それ以上に嬉しさが勝った。
「人身売買ちゃうくて?」
「脳内、治安悪ぃ」
京次郎さんは僕の目の前で少し屈んで
「初めまして、お名前は?」
と同じ目線で聞いてきた。
「青柳 湊、です」
顔が綺麗だ。格好良い。
「よろしく」
握手をされて、懐に入り込まれて、何とも言えない感覚。
「よろしくお願いします」
「京一郎、離れて。湊くんが穢れてまう」
と京一さんに向けてシッシッと手を払った。
「聞いてた?俺の恋人なんだけど?」
「嘘やろ?明るい未来のある子供に何という冒涜、悪戯、淫蕩。ああ、やめてくれ。頭が痛い」
眉間に手を当てて、やれやれと言った様子。
「何なら、ちゅーでもしよか?」
「はあ?どつくぞ、バカ」
「だってさあ。湊ぉ、どうするぅ?」
酔っ払ったテンションで僕の顔を掴んでくる京一さん。めっちゃキスしたいし、なんなら京次郎さんに殴られてみたい。と考える内に京一さんにキスされた。




