割り振られた
3月も終わり決算に向けたハードな毎日にも終わりが見え
ようやく明日は休日
佐藤隆司(さとうたかし)は疲れた表情を作りながら電車に揺られていた
(疲れた ようやく年度末の仕事が終わった)
スマホが鳴った LINEが届いている
母からだ
17:33 「明日は何時ごろくるの?」
19:42 「まだ仕事? 遅いね ご飯ちゃんと食べてるの?」
20:12 「明日食べたいものある?」
0:29 「明日の時間わかったら連絡ください」
(19時に終わるわけないだろ 時期考えろよなぁ…)
母は心配してくれているんだろうが 疲れた今はいちいち返信しているのが面倒だった
「明日は13時くらいに着くよ」 と端的な返信だけした
日々、顧客からの電話対応に追われる業務と共に、上司からは今期の厳しい目標達成度を詰められ、後輩からも締め切り間際の報告書のチェックを頼まれ、自らの月末・年度末の社内手続きも終わらず、今日も終電近くまで残業した帰り道
保険会社に入社して5年
周りの同期と比べれば順調に来ているといわれるが、自分としては仕事に対してモチベーションを維持できず、ただただ目の前にふってくるものを捌くだけの毎日だった
(社会人って こんなもんなんだよなぁ)
目の前に座る同じように疲れた顔をした女性や 奥の方で顔を赤らめてふらふらしているオジサンを見ながらそんなことを思っていた
他にやりたいこともないからと 転職活動や自主的に資格勉強することはせず
「現状維持+周りよりちょい器用」が自分のスタイルなのかなと思っていたころ最寄り駅に着いた
改札を出たすぐ目の前にあるスーパーがまだ営業している
割引のシールが張られた弁当と発泡酒を1缶買って帰るのが最近のルーティーン
(今月は頑張った。明日は昼まで寝れるし たまには別の酒でも買おうかな)
そんなことを思いながら いつものスーパーに入り 売れ残りの弁当を手に持った籠に入れ 次に酒コーナーに向かった
(とりあえずビールと…ウイスキーと…炭酸水と…)
スーパーで会計を済まし家まで歩き出した
街灯が切れているのか いつもより暗がりが多い帰路を歩いていると
道沿いの公園のライトが目に入った
(酔っ払いか?金曜日の夜だなぁ)
公園のベンチに寝転がる人影が見えたがこの辺りでは珍しいことではない
無駄に目線を送り 万が一目が合って絡まれたらやってられない
視界には入ったがすぐに道に視線を戻し歩き続けた
「よぉ お兄さん お疲れさん」
(・・・!!!)
・・・カラカラン・・・!
急に背中から声がしたため 驚いた隆司は手に持っていたスーパーの袋を落としてしまっ
た すぐに拾おうと地面を見ると中年太りのおっさんが立っていて袋を拾ってくれた
よかった 瓶は割れてない
「あぁごめんなさいね 驚かせちったね」
「あ いえ こちらこそ すいません」
先ほど背中からした声と一致したことと急に話かけられたことで軽く動転し片言で答えていた
「仕事帰り?」
「はぁ そうです」
「遅くまで大変だなぁ オレなんて今日は早い時間からさっきまで飲んでたんだよ」
「はぁ そうですか」
先ほどみた公園のベンチの人影がないことに気づいた
(あんたはついさっきまで寝てたよ)
酔っ払いに絡まれてしまった…最悪だ…と思いながら
片言で適当に返し さっさとその場を立ち去ろうと歩き出した
「あぁ待てょお兄さん ちょっと聞きたいんだけどさ」
「はぁ なんです?」
ついつい返事をしてしまった
「実はここがどこかよくわかってなくてね 酔っぱらったんだ
駅はどっちの方だったかな?」
「あっちですよ あの信号を左に行って その次の信号を…」
「あぁあぁ…悪ぃが頭に入らん 近くまで付き合ってくれないか?」
(はぁ?マジかよ…)
「んだよ あからさまな顔すんなよ こうみえてオレも稼いでんだ
お礼はするからよ さっき落とさせちゃったビール1缶買ってやるからよ」
(稼いでる奴がビール1缶かよ)
「別にいいですよ面倒だし ついてきてください」
「おぉ悪ぃね」
まったく面倒なことになった が駅までほんの5~6分だ
仕方ないと思いながら隆司は先に歩き出した
「お兄ちゃん 何の仕事してんの?」
「保険会社ですよ」
「おぉ そりゃ立派な仕事だこと」
「いやいやそんなこと ありがとうございます」
リアクションが古臭いがどこか懐かしさを感じながら 何故か「ありがとう」と答えた時に笑っている自分がいた
顧客への営業スマイル 上司への愛想笑い 笑い方は社会人になってから身に着けた
これも職業病なのかなと思った
「オレはなぁ こう見えても世のための仕事してんだよ 内緒だぞ
酔いつぶれて公園で寝てたなんて言いふらすなよ」
「しませんよ SNSも自分の住所特定されるし」
「SNS?あぁそうだな そりゃ助かるわ 今日はなぁ ちょっと飲みすぎちまったよ」
「年度末ですもんね 仕事片付いたんですか?」
「まぁ そんなとこだ オレの役割をようやく果たしたって感じだな」
「役割?」
「そう 役割だ オレの人生をかけた役割だ」
「なんすかそれ(笑) なんとなくカッコいいっすね」
「そうか?カッコいいか」
中年男は顔を赤くしてニヤけた
隆司は不思議な感覚を覚えた
絡まれたくないと思っていたのに 何故か駅まで案内し 話も自然にしてしまい
今は自然に笑った
「お兄ちゃん 見たとこ若そうだけど結婚はしてんの?」
「いや 独身ですよ」
「そうかぁ 結婚はいいぞぉ 何より子どもがな 最高だ かわいくてかわいくて
それだけで疲れなんて吹っ飛ぶしなぁ」
「皆さんそう言いますよねぇ 自分にはわかんないですけど」
「そうだろうな これからだ これからさ…そしたらお前の役割も見えてくるだろうよ」
「役割?…あぁ もしかしてさっきのって」
「ん?あぁ… そうだ オレの生きてきた役割さ」
「ふ~ん 立派ですねぇ 自分にはわかんないけど お子さんは幸せ者ですね」
「え?そうか?…そうだといいなぁ」
中年男は急に照れだして言葉が途切れた
暗がりで見えなかったが鼻水をすする音が聞こえた
どうやら悪い人ではなさそうだ だから自然に会話もできているんだ
よくテレビとかで見たことがるが 父親って大変なんだなぁとなんとなく感じた
家の外では頭を下げ 年下に詰られ 家でも妻に怒られ 子に臭いと言われる
そうしたドラマやバラエティで知った父親像が目の前にあった
こんな大人になっても 誰かに認められたことが嬉しいんだろうなと感じた
今は浸っているこのオジサンの気持ちを邪魔しないでおこう そう考えながら駅までの道をそこからは無言で歩いた
「なぁお兄ちゃん」
「はい」
「そのビール 家帰ったら飲むのかい?」
「え?まぁ そうですね」
「そうかい まぁ そうだよな」
「まさか…飲みたいんすか?さっきまで潰れてたのに…?」
「ん…痛いとこ突くねぇ」
「やめといた方がいいっすよ お子さんも心配しますよ」
「そうか そうだな」
まったく 感動を返してくれ
やっぱりただの飲んだくれは飲んだくれか
歩いているとスーパーが見えてきた
「おっスーパーがあるな ビール買ってやらねぇと」
「いいですって それより電車なくなりますよ? あのスーパーまで行けば
もう駅ですから」
「あ?あぁそうか?本当にいいのか?悪いなぁ」
「いいですって いい話聞けましたしね」
「そうかい そうかそうか」
「はい あのスーパー沿いに歩けば改札見えますから ここまでで大丈夫ですか?」
「そうか ありがとうよ もしまた会えたら今度はビール飲もうや」
「そうですね でも酔いつぶれない程度にね」
「それはもういいだろうが」
「ははっ じゃあお気をつけて」
「あ おう!元気でな 仕事頑張れよ」
「ありがとうございます そちらもお子さんのために 長生きしてくださいね」
オジサンは一瞬表情が硬くなったのを見て、隆司は「あっ」と思った
失礼な言葉を言ってしまった まだ中年レベルのオジサンに対し言う言葉ではなかった
ただ 自分の境遇が頭にあり 自然に出てしまったのだ
謝ろうと口を開こうとしたとき
「そうだな お兄ちゃんはいい父親になりそうだ じゃあ ありがとうよ」
そう言ってオジサンは背を向けて行ってしまった
なんとなく後味が悪くなってしまったが 家に帰って酒を飲んで寝ると
次の日にはそんな感情どこかへ飛んで行っていた
翌日 昼前に起きて実家へ帰った
実家に着くと母からLINEを返していないことをクドクド言われたが聞き流す
「それより もう行くよ?準備できてる?」
「あぁそうね 車お願いね」
母を乗せて車で30分程先にある丘陵地帯の方面へ向かった
「あ あそこの花屋さんよってちょうだい」
「わかってるよ いつも寄ってるじゃん」
「あそこで生け花とビール買わなきゃね」
「いつも思うけど なんでビール買うの?」
「あぁそっか あんたは覚えてないのね ビール好きだったのよあの人
いつも飲んでて飲みすぎることもよくあってね」
「飲んだくれなのね」
「でも仕事は真面目にやってたよ 誇りも持ってね じゃあちょっと待っててね」
「はいよ」
誇りか 自分はまだ見つけられていない いつか見つかるのだろうか
母が戻ってきて更に田舎道を進んでいくと駐車場に着いた
「持つよ」
「あぁありがとう」
隆司が花とビール 水桶を持ち 二人で歩き始めた
「あんたはご飯ちゃんと食べてんの?」
「またそれ?食べてるってさっき言ったじゃん」
「お酒は?飲みすぎてない?」
「大丈夫だよ」
「そう?心配ねぇ あの人はよく飲んだくれて外で寝たりしてたから」
「へぇ~ そういや昨日 家の近くの公園のベンチで寝てるオッサンもいたなぁ」
「えぇ?似た人がいるのねぇ あの人もよく公園のベンチで寝ててね」
「そうなの?」
「そうよ 私がいくら言ってもやめなくてね 特にあんたの誕生日とか 私の誕生日と
かは酷かったもんよ 「家族の大黒柱としての役割を果たしたからいいんだ」とか
言ってね」
「役割?」
「そう 家族が誕生日とかの毎年の記念日を迎えられるってことは
その1年自分が頑張ってきたから今があるんだ だからオレは偉い
オレはカッコいい だから今日は飲む ってね」
「…なんだよ…それ」
「酒好きだし カッコつけだったのね カッコいいって言われるとすごく嬉しがってね
調子乗るのよ」
「そっか」
「あんたが もの心つく前だったから知らないでしょ」
「…知らないね」
「…ん?どしたの?」
「…」
「なんかあったのかい?」
「…」
「…」
「…母さん」
「ん?」
「母さんって 最近運転してる?」
「え?まぁあんたがいないからね たまにはしてるわよ」
「じゃあ…ビール 飲んでいいかな?」
「えぇ?嫌よ~ この辺道細いから…」
「ビール 飲みたいんだ」
「…」
「…」
「仕方ないね 私の運転で酔っても知らないよ」
「ありがとう」
そんなはずない
ただの偶然の巡りあわせだと 頭で言い聞かせながらも
例え偶然だとしても 親父とビールを飲みたいと思った
隆司は母から顔を逸らし 階段を早足に上っていった