第42話「今の子はスポーツ刈りを知らないって本当ですか?!⑤」
ローフェードのツーブロックの黒髪。整えられた口髭に煙草代わりの棒付きのキャンティーをくわえている。Tシャツにジーンズのラフな格好。理髪店のおっちゃんは顔を赤くさせている。
僕は一瞬ためらったが、知っている人ということもあって少し会話をして立ち去った方が早く別れられると思った。
「ど、どうも……」
僕は軽く会釈する。おっちゃんは「おう!」と元気よく返事をした。それきり会話もなく静まる。二三秒の事だと思うが、僕には数分に感じた。何を話していいかわからない。っていうか、最近理髪店にも行ってないし、合わせる顔がない。
もう二言ぐらい話そうと思ったけど、変な間に耐えられなくなり、再び振り返り家路を急ごうとした。しかし、おっちゃんは力強く僕の腕をつかんで離さなかった。
「最近、お前が店に来ないからさ、寂しかったんだよ。とうとうお前がオシャレと言う名の美容室へ旅立ったのかと思ってさぁ……って、そんな心配なかったな。わっはっはっ」
いや、笑い事じゃねえだろ。オシャレじゃなくて悪かったな。普通の生活をしているアンタ等にはわからないんだよ。おっちゃんの顔を見る。顔が結構赤くなっていた。この人、酔っぱらってるな。どうりで息が酒臭いわけだ。
「それにしてもお前、髪の毛ボサボサじゃねえか。なんだよ、誘ってるのか? 俺を誘ってるのか? そそるじゃねえか!」
何言ってんだ、この人。酔っ払いには関わらないでおこうと思い、再び逃げようとしたが、相変わらずの力強さで僕を引っ張った。
「よし、おっちゃんが男前にしちゃる! ちょっと来い!」
おっちゃんは大きな声を上げて僕を引っ張っていく。僕は何度か抵抗して逆に引っ張ったけど、日ごろの運動不足がたたり、おっちゃんにどんどん引っ張られていった。
おっちゃんに引っ張られてたどり着いた場所。それはおっちゃんの店だった。引っ張られるままに店内に入る。真夜中ということもあり、店内は静かだった。
「はい、座って~、座っちゃって~」
と、おっちゃんは僕をバーバーチェアに座らせると、手際よくタオルとカットクロスを僕の首にかけた。戸惑っている僕におっちゃんがニヤニヤしながら答える。
「今から男前にしてやるから。お前、ずっと髪切ってないだろ。だからコンビニ行くのにいちいち気後れするんだよ」
おっちゃんの言葉が僕に突き刺さる。おっちゃんは僕がコンビニに入っていくのを見てたのか。そして、僕の心を見透かしているかのようだった。
「いや、俺もお前みたいにフラフラしてた時期あるからわかるんだよ。あの時俺も夜中に行動しててさ。だけど夜中に理髪店ってやってないからさ。どこに行くにも行きづらいよなぁ。髪型が決まらないとさ」
さらっと言ったけど、僕の今の状況を知っているらしい。途端に気恥ずかしくなる。考えてみれば、父はおっちゃんの店に通っているわけだし、話をしていても不思議じゃなかった。きっと僕の愚痴しか聞いていないんだろうけど。
おっちゃんは鼻歌混じりで準備を進めていた。酔っぱらっているのに大丈夫なのだろうか。
「髪型はどうする? って、決まってるか。もちろん……スポーツ刈りだ!」
「いや、それは勘弁してくださいよ!」
「いやいや。俺は今、猛烈にフェードをかましたい気分なんだ」
「フェードが何かわからないけどお断りします!」
「フェードは……簡単に言えばグラデーションのある刈上げの事だよ」
「酔っぱらってるのにそれは危険だよ! っていうかスポーツ刈りは勘弁してよ」
思わず僕はツッコミを入れてしまった。背中に伸びようかという髪をいきなり角刈りのような髪型にされるのには抵抗があった。それに小学生じゃないんだから、という気持ちもないわけではない。
するとおっちゃんは舌打ちした。いや、お客に対して舌打ちって!
「ちっ。色気づきやがって。まぁ、いいや。じゃあ、ソフトモヒカンぐらいにしてやるよ」
「いや。一昔前のサッカー選手みたいなの止めて」
「お前、『甘~い』ってツッコむ芸人に謝れ! まだけなげに現代でも続けているんだぞ!」
「『甘~い』ってツッコむ芸人さん、ごめんなさい! はい、これでいいだろ!」
「ったく。しょうがねえな。ただ、長い髪だから今日のところは短く整えてやる。後日、また昼間に来いよ。今度はちゃんとカットしてやるから」
おっちゃんは機嫌よさそうに鼻歌交じりで僕の髪をカットし始めた。僕はもうなるようになれという気持ちだった。それに心のどこかで嬉しい気持ちがあったのかもしれない。伸び放題の髪を見るたび、憂鬱な気持ちになっていたからだ。
それに僕、今、人と会話してた。なぜだか、おっちゃん相手だと言い返してしまう。
小気味よいハサミの擦れる音がする。リズミカルで高い音をついつい聞き入ってしまう。
おっちゃんはカットしながら天気の話から、プロレスの話、僕に会う直前まで言っていたスナックの話などをしてくれた。僕はそれを黙って聞いていた。久しぶりに聞いた他人の世間話だった。子供の頃、大人の仲間入りができたような気持ちになったあの意味のない話。だけど、それが今の僕にとっても世間と繋がりを思い出させてくれる。
おっちゃんは僕の事情を知っている。だけど説教臭いことは一切言わなかった。おっちゃんのお店に来なくなって一年が経とうとしているのに、つい先月まで通っていたかのような気さくさで僕を包んでくれた。
気を遣われているような硬さもない、おっちゃんが酔っぱらっているせいもあるのだろうけど、すごく自然な振舞いだった。僕にはすごくありがたかった。
久しぶりの洗髪や顔そりはすごく気持ちよかった。任せられる人に洗ってもらう髪はこんなにも心地よいものだったのか。頭を洗われながら、顔が小刻みに揺れる快適さ。顔そりの後の肌までスッキリとした感じになる清々しさ。僕は全面的に自分が清潔になっていくような薄皮を剥いて綺麗なっていくような感覚を味わった。
そんな一時間はあっという間に過ぎていき、最後に髪を乾かしてもらっているころには自然に口元が笑っていることに気づき、僕は自分に驚いた。まだこんな気持ちになれるんだな。そう思ったら、僕は自然に涙をこぼしていた。おっちゃんは黙ってタオルを渡してくれた。
髪のカットが終わり、僕がお金を渡そうとしたら、おっちゃんは首を振った。
「今日は俺が勝手にやったことだ。金は要らない」
「そうだね。おっちゃん酔っぱらってたし」
「俺はなぁ、酔えば酔うほど強くなるんだよ!」
「いや、カットに強さ関係ないし!」
僕は自然とおっちゃんにツッコミを入れていた。おっちゃんも笑ってた。僕も笑ってた。まったくもって変な気持ちだ。
帰り際、おっちゃんは「また来いよ」と言ってくれた。僕は黙って頷いた。
頭がすっきりした帰り道。家に帰ったら何かできそうな気がした。何ができるってわけじゃないけど、よくわからない高揚感だけは残ってた。




