第39話「今の子はスポーツ刈りを知らないって本当ですか?!②」
五年前。僕は部屋の中にいた。ベッドの周りには山積みにされたラノベの塔がいくつもできている。机には飲みかけのペットボトルが何本も置いてある。空になったコンビニ弁当の入れ物を入れたビニール袋がいくつも床に並んでる。
テレビはつけっぱなしで、ゲーム画面は垂れ流し。おそらく朝になっているだろう。遮光カーテンの隙間から日の光が漏れていた。ベッドに寝転んでスマホを操作しながら、定期的に左右に重心をずらしてゴロゴロしていた。
まったくもっておかしい。一年前まで僕は学校に通っていたはずだった。
僕の家は親子三代に渡って地元で医者をしている。父親の代には市内でもそれなりに大きい病院になっており、僕も小さいころから父親に「医者になれ」と言われてきたし、僕も漠然と医者になるのかな? って思っていた。小学校では成績優秀で過ごし、中学は受験に合格し、県内の私立中学に通うことになった。
中学生活は勉強漬けだった。夕方遅くまで授業があり、課題もたくさんあった。優秀な生徒が集まってくる学校なだけに、僕の成績は学年全体で中ぐらいだった。僕は自分の実力を思い知った。頑張っても頑張ってもこの程度なのか。思えば、この落胆が少しのずれを生んだのかもしれない。
父親は僕のテスト結果の用紙を見て、無言でそれを数秒眺めたと思うと「まだまだだな。そんなことでは良い医者になれんぞ。精進しなさい」と言った。オルエが居てくれたら「『まだまだだな』ってテニス少年かお前は」ぐらいツッコんでくれたかもしれないけど、当時の僕にそんな余裕はなく「ごめんなさい」と謝るしかなかった。それに対して父は無言でなにも返さなかった。
少しずつ。少しずつ。何をやっても「まだ駄目だ」という思いが付きまとった。少しいい結果が出たとしても「たまたま」だと思う、「まだ上がある」と自分の立ち位置の低さを情けなく思い、「自分は大したことない」と否定する日々。僕の頭の中で「こんなじゃあ、立派な医者になれない」という言葉が反芻した。
そんな僕にも息抜きができる時間があった。近所の理髪店に行く時間だった。小学校就学前から月に一回父親に連れられカットしてもらっていた。僕は店主である理容師の男性を「おっちゃん」と呼び、おっちゃんも自分の事を「おっちゃんさぁ……」と言って話をしてくれた。
子供の僕にも子供に合わせた世間話をしてくれて、子供ながらに大人の世界の接点を持ったかのような、少し誇らしい気持ちにさせてくれた。毎回髪型をどうするか? って聞かれるんだけど、子供の僕には髪型で自己主張をすることもなく、興味もなかったので、「スポーツ刈り!」と答えていた。
スポーツ刈りは角刈りのように刈上げで、頭の高い位置まで刈り上げる。角刈りほど角度をつけず滑らかにサイドの丸みを付けて、前髪は短くカットするという髪型。ブロースという言葉も知らなかった頃の話だ。ちなみに、おっちゃんは父の同級生だったということが後々わかった。
中学になってからは父と理髪店に行くこともなくなったけど、「おっちゃんの店」には自分一人で月に一回は通っていた。勉強を離れ、意味もなく、心にも残らない雑談をおっちゃんとする。だけど、勉強で毎日を埋められていた僕には、意味のない話ができる時間はとても重要だった。とにかくこの時期は勉強してた思い出しかない。
中学二年生のある日。夜、自宅で勉強中にシャーペンを持つ手が少し震えていることに気が付いた。わずかな震えだったので、気にしなかった。だけど、震えは日に日に大きくなっていった。僕は驚いて、何度も手の震えを抑えようと、もう片方の手で押さえたり、机に手を打ちつけて落ち着かせようとした。
しかし、状況は何も変わらず、震えは大きくなるばかりだった。同じころ、勉強中、急に頭が真っ白になることがあった。気が付いたら、白いノートやタブレットを見つめたまま三十分ぐらい時間が経過し、視線が動かせなかったりした。
さらに机に座っていられなくなり、それでもベッドに寝転びながら、勉強を続けようとした。だけど、今度は強烈な眠気に襲われいつの間にか寝てしまった。目が覚めて朝になっていると情けなくて自分を心の中で罵りながら何度もベッドを殴りつけた。




