魔女の杞憂
た、楽しんで頂けましたら幸いです……
リンフを守ると覚悟を決めてから──早くも五年が経った。
「……完全に、肩透かし、だよなぁ……」
地面に寝転がり空を仰ぎながら、ぼそりとカンザキは呟く。
──この、五年間。
『魔女狩り』は──再びとして……二度として襲ってくることは無かった。
あの時の一度こっきりでそれ以降。
あれ以降──『魔女狩り』の動きは全く見えなかったし聞くことも無かった。
平穏無事。
安穏無事。
平安無事。
三拍揃った、無事息災。
いいことであるとは思うのだが、如何せん。
何事も無いなら無いで、暇だと思う時間が増えて──カンザキは。
突然と思い立って、リンフに戦う術を教えることにしたのだった。
武器を使ったものから、丸腰でその身一つで出来ることまで、カンザキが知っている全てを教えることにしたのだ。
結果。
「……ただの暇つぶし、だったんだけどなぁ」
カンザキは空に向けていた目を少しだけずらして、傍らに立っているでかい図体を見上げた。
「うん? 何か言った? カンザキさん」
でかい図体……否、成長したリンフがこちらを向いて小首を傾げる。
カンザキはそれまで休めていた身体を起こし、すぐ側に置いていた木刀を握りながら立ち上がった。
「いや、なんでもねぇ。……休憩は終わりだ。始めるぞ」
「お願いします」
二人は距離を取り、木刀を構えて、向かい合う。
しばらくはお互いに相手の出方を探り合っていたが──構えたリンフの剣先が揺れたところでカンザキが仕掛ける。木刀を下段に構えながら一気に間合いを詰め、脇腹めがけて逆袈裟懸けに薙ぐ。リンフはそれを体重を乗せた剣尻でたたく様に押さえつけて封じ、そこから剣尻をずらして刀身を寝かせ当て、カンザキが抵抗しようとする力を利用しながらそのまま切り上げる。が、これをカンザキは左に身体を傾けて避け、その勢いで押さえつけから解放された木刀を引き上げて再び脇腹を狙う。リンフは後ろに飛び退いて避けると同時に間合いを取ると、木刀を構え直して仕掛けてきた。剣戟の連撃がカンザキに振り下ろされる。カンザキは刀身の全身を駆使しその全てを受け流していく。
「…………」
リンフの身長は、女性としてはやや高い方であるカンザキの背丈(+ヒールの高さ)を越え抜いた。体格も段々と大人になりつつある。その身体から繰り出される剣戟に、カンザキはリンフの成長を見る。最初は暇つぶしにと教えていたこの剣技も、いつのまにか本格的に教えるようになってしまい、今やこうして実践するまでになっている。
しみじみとリンフの成長を感じながら──それこそ実際に身体で感じながら──さて、どう反撃に出ようか、と考えていると。
「うわぁ、なんて野蛮な」
カンザキの耳に知り合いの声が聞こえた。そちらを見ると、森の際のすぐ傍に馴染みの白い魔法使いがいた。
「よう」
するりとリンフの剣戟を躱してカンザキは白い魔法使い──ヴァイスに近づく。躱されたリンフの切っ先が地面にめり込んだ音がカンザキの背後から聞こえた。
「久しぶりだな。何年振りだ?」
木刀を肩に担いでカンザキはヴァイスに話しかける。
「五年振りです。久し振りというのも貴女が集会に顔を出さない所為なんですけどね。集会に来ず、何をやってるのかと思えば……。お陰で私が集会メンバーに貴女の様子を見てくるよう使いに出されたんですけど」
白く長い髪を後ろへやりながら不機嫌な様子でヴァイスが言う。
「あぁ? アタシの所為かよ」
「そうですよ。貴女がこの五年、魔女の集会に来ない上に音信不通なものだから、皆に言われて私が様子を見に行く羽目になったんです」
「はぁ? なんでだよ。あんなん別に来ようが来まいが行こうが行くまいがどうだっていいだろ。気まぐれに集まってるだけなんだし」
「カンザキ……貴女、自分が五年前に何をしたか覚えてます?」
「え? アタシ? 何かしたのか?」
「…………」
カンザキが思い出せずに逆に聞き返すとヴァイスは呆れたような顔になった。
というか実際に呆れているのだろう。
「ふ……魔女の中でも一番の古株だからと言って全てにおいてそんなお惚けが通用すると思わないで下さいよ……」
言って、ヴァイスは口から怪しい笑い声を洩らす。
「貴女! 五年前! 『魔女狩り』に遭ったからと皆に用心するようフジノさんを介して伝言したでしょう!」
「んぉ? んあー……そういやそうだっけ」
と、カンザキは思い出しながら気のない返事を呟く。
「そう! なん! です! 貴女……伝言をくれるだけくれておいて音信不通になるなんて……不安を煽るようなことをしておいて放置するなんて! フジノに訊いても、あたしは伝言を預かっただけだから、としか言いませんし! なんなんですかもう!」
「なんなんだって言われてもなぁ……実際、奇襲はあったし、警戒してもらおうと思ってだな」
「でも貴女以外、どなたも奇襲に遭ってないじゃないですか!」
ヴァイスが一際強く叫ぶ。
カンザキは飄々としてその叫びを音的にはスルーし、内容的には悩ましく思った。
……そう。
そう、なのだ。
不可解なことに──あれから。
あれから、誰一人として『魔女狩り』の奇襲を受けた者はいなかった。
カンザキは伝言とはまた別に、フジノに『魔女狩り』の奇襲を受けた者が居たら話を聞いておいて欲しい、とも頼んでいた。だが、カンザキが奇襲に遭ったその前後や、それ以降の五年間においても──他の魔女は誰も奇襲をされていないということだった。
カンザキの危惧は杞憂に終わったことになる。
「それはそれでいいじゃねぇか」
「それはそうなんですけどね!」
と、ヴァイスは呆れ混じりに怒鳴る。
「分かってますか、貴女。集会のメンバーからすると今の貴女はオオカミ少年のそれなんですよ? ご自身の立場というものを少しは考え──」
不意にヴァイスのセリフが途切れる。その視線が己の背後に向けられている事に気付いて、カンザキは首だけで振り返る。見ると、剣を置いて(地面に突き刺し立てて)リンフがこちらへ駆けて来るところだった。ヴァイスの怒鳴り声に、気になって寄ってきたものらしい。
「……その、子供はなんですか」
ヴァイスが表情を引きつらせてカンザキの隣に立ったリンフを指差す。
子供、と言われてむっとしたのかリンフの顔がやや不機嫌になる。
「ん、あぁ、リンフっていってな、五年前に拾ったんだ」
「拾った!?」
ヴァイスがらしくない反応をする。
「んだよ、悪ぃかよ」
「い、良いとか悪いとかではなくてですね……っ、貴女……人間の子供を育ててるんですか!?」
「まぁ、そうだな」
「ハッ、しかも五年前ということはもしかしてこの子供がいたから……」
「ん? あぁ、そういやぁ、そうだったか」
リンフを一人だけ家に置いては行けないからと集会には行かなくなり、そのまま現在に至ることに今になってカンザキは気付いた。
「貴女って人は……」
呆れたようにヴァイスが言葉を落とす。
そんな二人のやりとりを見ていたリンフがカンザキの顔を覗き込む。
「カンザキさん……この人は?」
「ん、あぁ、こいつは知り合いのヴァイス。コロニーで医者をしてる魔法使いだ」
カンザキが紹介すると、二人はお互いに挨拶を交わした。しかし、向かい合ったときの様子にどこかしら不穏な空気があり、妙にぴりぴりしたようなぎこちないものであったのは気のせいだろうか。
「さて、怒鳴ってスッキリしただろ。アタシが集会に出なかった理由も分かったんだ、用事は終わったし、はよ帰れ」
言って、カンザキは肩から木刀を下ろし、剣先を地面に突き刺してそこに置いた。
「相変わらずの言い方に苛立ちを覚えますね……言われなくても帰ります。……貴女が集会に来なかった理由は皆に報告させてもらいますからね」
「あー、はいはい、どーぞどーぞ、ご自由に」
あしらうようなカンザキにヴァイスは呆れたような溜息を落とすと、「それでは」と言い残して去ろうとした。
「──そういや、お前さぁ」
ヴァイスが背を向けたところでカンザキが言う。
「まだ、あの『文明化石』、集めてるのか?」
カンザキの問いにヴァイスは半身だけ振り返り、こちらを睨むように目を細めた。
「……その質問に答える義務は無いですね」
言って、ヴァイスは再び背を向ける。『遺跡の森』の中へその姿が消えるのをカンザキとリンフは見送った。
「相変わらずだったな……」
後ろ頭を搔きながらカンザキは呟きを落とした。
「……んで、覗き見はよくないと思うぞ──フジノ。そこに居るだろ」
カンザキは、己とリンフしか居ない筈のそこに呼びかけた。リンフがきょろきょろと辺りを見回すが、誰の姿も無い。
が。
「んふふ、まさか、白いのとバッティングするなんて予想外だったわぁ」
艶を含む声と共に木々の間からゆっくりとフジノが姿を現した。
妙に楽しそうに笑っている。
「予想外だったとしてもそんな隠れてまで避けることねーんじゃねぇの?」
「隠れてまで避けたいわよぉ。魔女の薬師と魔法使いの医者なんて、同業みたいなものだものぉ」
フジノは応じながらゆったりとした歩みでこちらへ来る。
「いや、同業じゃねーだろ」
「人の命をあれこれ出来る点では一緒よぉ」
「それってただの共通点じゃねーか……」
「んふふふふ」
妖しく笑ってフジノはカンザキの前で止まり、リンフを見た。
「お弟子ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
ヴァイスの時とは違い、慣れたようでありながら礼儀正しく、挨拶を返すリンフ。
「んふふ、ここ数年はきちんと挨拶を返してくれるからうれしいわぁ」
フジノは嬉しそうにリンフに笑いかける。
その笑顔を向けられてリンフは、照れくさそうに顔を伏せた。
そんなリンフを見て、カンザキは苦笑するように表情を緩めた。
「あらっ? 貴女がそんな顔するなんてねぇ」
カンザキの表情を見たフジノがふふふ、と妖しく笑って言う。
「ん? どんな顔だ?」
「んふふ、ひぃみぃつ♪」
唇に人差し指を添えて楽しそうに笑うフジノ。
カンザキは怪訝な表情をするも、それ以上は掘り下げなかった。
「にしても、今日は早いな。どうしたんだ?」
カンザキが話を変えると、フジノは両の手を叩いて満面の笑みで二人を見た。
「そうそう! 私、い~いこと思いついちゃってぇ~♪」
「あ? いいこと?」
カンザキは怪訝そうに片眉を下げた。
「いつものお買い物だけどぉ、今回はお弟子ちゃんと一緒に行こうと思うのぉ♪」
フジノは楽しそうにそう言った。
カンザキは生活に必要なものの調達──主にリンフの食事や身の回りのものが多いが──をフジノにお願いしていた。今回はその買い物に、リンフを連れて行きたいらしい。
「お弟子ちゃん、カンザキの所に来てからは一度もコロニーに行ってないんでしょぉ? 町並みとか見ておいてもいいと思うのよねぇ」
提案するようにフジノは言った。
その提案にカンザキは、ふむ、と考えながら、己の左側に立つリンフを見る──見上げる。やや上向きにならないと目が合わせられないほどに成長したリンフ。まだまだ幼さが残る相貌であるとはいえ、十五、六ともなれば、もう子供だとは言い切れない。大人へと続く成長の階段を登るために既に足を掛けてさえいる。
カンザキは、リンフが己の手から離れることを考えた。
「……そうだな。いつかはここを出て行くんだし、コロニーの一つや二つは見ておかねーとな」
そう言ってカンザキがフジノの提案に賛成すると、リンフが驚いた顔をした。
「ん? なんでそんなに驚くんだ。ふ、ダメだって言うと思ったのか?」
苦笑して、カンザキは己よりも高いリンフの頭に軽く手を置いた。
「森の外を勉強してこい。百聞は一見に如かず、だぜ」
そのままくしゃくしゃと髪を撫で回す。
「うっわ、髪ン中まで汗だくだな。とりあえず風呂入って汗と汚れ落とさねーと。このままじゃ出掛けられねぇ」
カンザキはリンフに急いで風呂に入るよう言い、リンフの支度が出来るまでの間、フジノを家の中に招いて茶飲み話をすることにした。
読んで下さいましてありがとうございます。
おかしいな、と思うところなどございましたら、ご指摘頂けますと助かります……
次回更新は7月1日です。