魔女の指導
遅すぎる筆で申し訳ありません。
気にくわない話だったろうに──
カンザキはそう心中で言葉を落としながら、魔法の実習前の準備運動として軽い柔軟体操を始めるリンフを見ていた。
昨日の今日だ。
こうも手の平を返すように姿勢を転じられては──カンザキも困惑を覚えるよりない。
たった一晩でだ。
眠って起きたら心機一転──就寝前までも気を落として無言でいたのが、朝、起きてみれば──カンザキより早く起床していて、それどころか朝食の支度まで済ませていた次第。加えて、起き抜けのカンザキに気合いの入った顔で指導を求めてきたのである。
あの落ち込みようでは、しばらく不貞腐れるのだろうな、と思っていたカンザキだったが、このリンフの立ち直り様に、一体何があったのだろうかと怪訝にならざるを得なかった。あれだけ落ち込んでいたリンフの気持ちを、一晩で浮上させたモチベーションが一体何なのかを測りかねている。
「…………」
沈んでいた気が、一転して浮き上がる心機の切っ掛け──それも、たった一夜で覆すように翻して切り替えられるような理由──を、カンザキは推し測ることが出来なかった。
カンザキは小さく息を吐いた。
……まぁ、理由は何であれ──やる気になってくれたことは良いことか……。
当てもない思考ではこれ以上考えても無駄だろうと見切りをつけ、カンザキは意識をリンフに戻した。丁度、柔軟体操が終わり、身体が整ったようで、リンフは目が合うとすぐに、お願いします、と一礼した。その声にはやけに気合いが入っていて、聞いてカンザキは再び勘ぐりそうになったのだが、ここで変に黙ったり訊いたりすると、今のこのやる気を削ぐことになりそうだったので、気にはなるものの、触れないでおくことにした。
「……今日から実習を始める。座学と同様、基礎基本からだ。魔力が身体に馴染むまでは──魔力を使う感覚をつかむまでは、同じ事を繰り返す。いいな?」
カンザキが言うと、リンフは一瞬、不服そうな顔をしたが直ぐに真剣な表情になり「わかった」と応えた。
リンフの前には、何も入っていない竹製の盥が置いてある。
「さて、基礎の課題だ。この空っぽの盥を水で満たすこと。……やってみろ」
出題したカンザキに頷いて応え、リンフは両手を前に出して集中し始める。
まぁ、あれだけ『水の気』と相性が合うのだから、これは即クリアするだろう。
そう、見越していたカンザキだったが──
「……?」
妙に、時間がかかっている。
数分経っても、なかなか水が現れない。
どうしたことかと思いながらも暫く見守っていると、ようやく手の平の上に小さな水の塊が現れた。しかし、そこからも時間はかかり、拳大ほどの球体を成すまでにリンフの額には汗が滲んでいた。怪訝に思ってカンザキが目を細めてその原因を探ろうとした時、水の塊に不安定さが現れた。水が浮いているのは良いものの、上手くまとまらないのか形はいびつになり、その下からはぼたぼたと滴が落ちている。やがてその表面に小さくさざめきがたち、そのさざめきが段々と大きくなり伸縮を繰り返し、揺れに揺れて、終には──
ばしゃんっ
意図が切れたように──糸が切れたように水は落ちた。位置悪く盥の縁に当たってしまい、弾けた水飛沫が地面にもリンフが着ている作務衣の裾にも散った。
予想外の事にカンザキは驚いてリンフの様子を右眼で探る。本人も驚いているようで、己の両手を呆けた顔で見つめて固まっている。
「おい──」
カンザキの声かけよりも早くリンフは直ぐに居住まいを正し、両手を構えて集中し始める。一呼吸の後、先程よりも短い時間で水を具現出来たが、やはり安定しないのか、下からぼたぼたと大きな滴が落ち、水の表面はさざ波だっている。やがてその波は止まること無く荒ぶり始め、徐々に崩れだし──ばしゃんっ、と落ちて再び水飛沫を作った。
「な、んでだ……?」
戸惑いの言葉を漏らして、両手を握りしめるリンフ。ぎり、と一際強く握り込んで直ぐに、再び両手に集中し始めた。
「──止めろ」
やり直そうとするリンフの顔を隻腕の手の平で覆って制止する。
手の平越し──指の隙間から戸惑いに揺れる碧の双眸がカンザキに向けられ、その揺らいだ瞳に失敗から来る焦りに加え──それとはまた違う──妙な焦りがあるのが見て取れた。
カンザキはリンフの顔から手を離して隣に立つと、空いたその手で背中をぽんぽんと叩いて添える。触れた背中から、身体に変な力が入っているのが感じられた。
「落ち着け、焦るな。焦れば焦るほど気が散るぞ」
宥めるためにそう言葉をかけるとリンフは一瞬ハッとした表情を見せたのち、何故か気まずそうにカンザキから視線を逸らした。胸中を言い当てられて恥ずかしいのか、と思いながらその横顔を見てカンザキは言う。
「急いては事を仕損じる、という言葉がある。焦って物事に取り組むと失敗しやすくなることを云った戒めだ。ここで変に気合いを入れてやり続けたとしても空回りするだけだぞ」
落ち着かせるように、背中に添えたままでいた右手でとんとん、と、宥めるようにたたく。少ししてから、バツが悪そうな顔でゆっくりとこちらを向いたリンフだった。その目に、何か言いたそうな気配があったが口にすることはやめたらしく、小さく溜息を吐きながら脱力した。
その様子にカンザキは片眉を上げる。
「なんだ、言いたいことがあるなら言えよ」
そう促すも、リンフは小さく首を振って、
「いや、なんでもない……」
と、拒んだ。
この状況で無理強いはするまい、とカンザキはそれ以上は言及はせず、指導する言葉に代えた。
「少し呼吸を整えろ。瞑想するときのように、心を鎮め、身体を静め、無心でもって臨め」
リンフの背中に添えていた手を離し、励ますように二の腕を優しくたたく。
「ん……」
小さく答えて頷き、リンフは二、三度と深呼吸をする。
その様子を見守りながら、カンザキは探る。
……コイツは何を焦っているのだろうか。
ふむ、と、カンザキはリンフが焦っている理由は何なのか考察してみる。
……確かにいまカンザキたちが持っている時間はあってないようなものだ。ヴェルデからの通達が来れば、そこからすぐに動かなくてはならなくなる。
だが、そのことは既にリンフも心構えているはずだ。焦る理由にはならないだろう。
「…………」
リンフがいま抱えている焦りは一体、何から来るものなのだろうか。
あってないような不安定で不明瞭な時間に、ではないことは確かだ。
あと考えられるのは──早く魔法を使えるようになりたいと思っている──くらいだが。
しかし、それはそれで何故それを焦っているのか──あるいは急いているのか──という疑問が新たに浮かぶ。リンフの中に早く魔法を使えるようになりたい、という気持ちがあるのは確かだろう。だが、一昨日、『地球』が来たときにカンザキの「慌てて雑に教えるようなことはしたくない」という言葉をドア越しに聞いているはずだ。そこは理解してくれているものと思っていたのだが──そうではなかったのだろうか。いや、しかし、今に至るまでの間、カンザキの進めるペースに不満を持っているような素振りは見えなかったが──
──では一体、何に焦っている?
これといった理由が見えてこず、考えが行き詰まったところで。
「カンザキさん?」
と怪訝な表情のリンフがカンザキの顔を覗き込んできた。
「あー……悪い、ぼーっとしてたわ」
惚けるようにリンフに答え、誤魔化すように上体を屈めて水に濡れた盥を手に取った。盥を手に上体を起こしながら少し考えて──カンザキは言う。
「……何を焦っているのか分からんが」
切り出だされた言葉に、リンフが僅かに身を固めて反応した。
カンザキはそんなリンフと真っ向から見据えて言葉を続ける。
「アタシは付け焼き刃のような性急的教え方はしたくねぇ。慌てるように教えてあとでぼろが出るような、そんな適当に教えるようなことはしたくねぇんだ。それが徒になって取り返しのつかないことになったりしたら……その時こそアタシは後悔する。そうならないためにも、お前の、その身に馴染ませるように……しっかりと染み込ませるように丁寧に教えたいと思う」
目を逸らすこと無くカンザキは言った。
リンフの表情に変化は無かったが、しばらくして、口元が締められたのが見て取れた。
それをカンザキは首肯の意と捉えて、表情を緩めた。
「よし、仕切り直すか」
カンザキは手にしていた盥の中に残っていた水を零し捨て、地面に置き直す。
「それじゃあ、改めて、だな。この盥に水を満たすこと──」
視線で促すと、リンフは頷いて体勢を整えた。そこからは先程の不調が嘘のようにすんなりと、水が空中に現れ球体を作り、球体からつららのように水が降りていき、盥へと注がれていった。程なく盥の中は水で満たされた。
「……いや、お前のメンタル、どんだけ魔力に影響してんだ」
ここまであっさりと一通りのことが出来るとは。
「お、俺にも分からない……」
本人も当惑しているようだ。
カンザキの予想では、水の球体を作ってからそれをそのまま盥に落とし入れることをするのだろうな、と思っていたのだったが──水を球体にして集めつつゆっくりと注ぐなど──予想外だった。
「因みにこれ、お前のイメージ通りか?」
「う、うん……」
カンザキは顎に手をやり、盥を満たす水を見つめた。
──相性が良い分、同調しやすいのか。
なるほど、これは様子を見つつ考えて調整していかねぇと、だな。
進め方によっては、思いの外、捗るかも知れない。
そう思いつつ、傍で蝶々を追いかけていたクロ(猫姿)を数回の指鳴らしで呼ぶ。
「クロ、盥を五つ出してくれ」
ピィ! と張り切ったように大きく一鳴きすると、背中を突き出すように丸めた。その背中が切り込みを入れたように割れ、その割れ口は徐々に広がり、クロの猫姿よりも大きくなり──果ての見えない闇が覗いた──そこから、投げ出されるように一つずつ盥が出ててきた。それをカンザキは一つずつ片手で受け止めては置き並べていく。
「ここからしばらくは同じ事を繰り返して、魔力を使う感覚を身体に馴染ませていく。いいな?」
「わかった」
心中の焦りはなりを潜めたのか、はっきりと頷いて応えるその声に雑心は混じっていなかった。
猫姿に戻ったクロが地面にゴロンと横たわり、午前の日差しを受けて目を閉じる。
魔女の指導は、少年の腹時計が鳴るまで続けられた。
ここまでお付き合い下さりありがとうございます。
誤字脱字、訂正などありましたら御一報ください。
楽しんで頂けましたら幸いです。




