少年の夢見
……遅い更新で申し訳ありません……
その日の夜。
相性を見るための試しとはいえ、属性の違う魔法を立て続けに使ったせいか、夕食を済ませて風呂から上がった途端にリンフは、急激な眠気に襲われた。
この後には座学をする予定だったので、頬を張ったり頭を振ったりしてリンフは眠気に抗ったが、中々どうして眠気の波は一向に引いてはくれず、リンフの意識を攫おうと押し寄せるばかりだった。何をしても瞼が重く怠く下がってくる。リンフの瞼を上げようとする意志には従ってくれない。頬を叩いて気を張った一瞬は明瞭になるものの、しかし、目の前にあるテーブルに広げられた書物が徐々にぼんやりと霞んでいく。気を抜けばこのまま椅子の上で寝てしまいそうだ。
リンフはなんとか持ちこたえようとして姿勢を正すが──それも一拍の間には崩れていく。以降は崩れては持ち直す、崩れては持ち直すを繰り返すばかりで、正した姿勢を維持することは出来なかった。
「リンフ。……おい、リンフ」
カンザキに呼びかけられながら肩を叩かれ、眠り眼でそちらを見上げるが、閉じようとする瞼に半ば遮られてカンザキの顔が霞む。
「今日はもう寝ろ」
「……え……、でも……ざがく……、ざがく……する……」
「無理すんな。あぁ、もう、目ぇ開いてねぇじゃねーか」
カンザキが呆れたように言って、リンフの短髪をくしゃくしゃと撫でた。
「魔力を消費してんだ、ここは身体の要求に素直に従っとけ」
撫でた頭をぽんぽんと軽く叩いてから、カンザキの手はリンフの頭から離れた。
リンフは不本意ながらもカンザキに、わかった……、と小さく頷いてみせてから、眠気に引っ張られるように傾いでいく身体を立て直しつつ、部屋へと向かった。
身体を引き摺るようにして部屋へ入ると、その大きな体格をベッドへ投げた。流石はカンザキ特製のベッド、リンフの身長を考慮して誂えて設えたベッドはその強度も申し分ない。掛けられたシーツも肌触りが良く──リンフは秒で意識を手放した。
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気が付くとリンフは青い景色の中に居た。
青い空に、足下には青い水──否、青い海。
リンフはカンザキに読ませてもらった書物でしか知らないが、その書物に載っていた写真と同じものが足下にある。
頭上の空と足下の海──その狭間にリンフは浮くようにして立っていた。
「──やあ」
背後から。
記憶に新しい声──覚えたくも無い、嫌悪感を沸き立たせる声──が、投げられた。
振り返ると、昨夜初めて会ったばかりの『地球』がそこにいた。
二十代半ばくらいに見える青年の姿をした『地球』は、あのにやにやとした嫌な笑みを浮かべてリンフを見ている。
不快な笑みだ。
反射的に身構える。
臨戦態勢を──何をされても返せるように意識を──整える。
「ふふっ、昨日の今日だけに警戒もされるか」
『地球』はそう言って自嘲気味に笑った。
「…………」
リンフはそれを黙殺した──否、正しくは、今のこの状況の情報量と疑問が入り交じり、軽く混乱を起こしていて言葉が出てこなかった──のだが、『地球』は気にも留めていないようだった。
「──うん。よかった、なんともないや。流石のカンザキも少年の夢の中までは感知することが出来ないようだね」
己の身体を点検するように見回しながら満足そうに『地球』は言った。
──夢の中。
『地球』の言葉を聞き拾ってリンフはこの妙な状況を理解した。
その言い方から察するに、リンフの夢の中に『地球』は入ってきたということだろう。そう察し至ってリンフは、己の中に嫌いな奴が侵入してきたという印象を受け、より不快感を強めて『地球』を睨んだ。
「そんなに睨まなくてもいいじゃないか──君にいい話を持ってきたというのに」
『地球』はリンフの嫌悪感に満ちた眼光に怯むどころか、その飄々とした態度のままでリンフを誘うように本題らしき言葉を投げた。
堂々も堂々。
勝手に入り込んでおいてこの態度。
図々しいというか何というか──己がどう思われているのか分かっているのだろうか。
「まぁ、君のその反応は想定内さ。そのままでいいから聞きたまえよ」
分かっているようだった。
『地球』は一度そこで言葉を切り、それから少しもったいぶるように間を置いてから。
「──僕が君に『影』の魔法を教えようと思うのだけれど、どうかね?」
と、言った。
「は……?」
唐突な──『地球』からの提案にリンフは驚くと同時に、その発言の如何わしさに眉を顰めた。
「お前……『影』の魔法を知っているのか」
「もちろん。だって僕は『地球』だよ? 知っていて当然じゃないか」
にこにこと笑って『地球』が言うのを、リンフは半信半疑で聞き──とりあえず、『地球』が『影』の魔法を知っていると仮定した上で──その真意を測ることにした。
『地球』がリンフに魔法を教える──その狙いは何だろうか。
何を考えているから──こんな提案をしてきたのだろうか。
リンフに『影』の魔法を教えることで『地球』が得るメリットは。
「どうしたんだい? 君、『影』の魔法を使えるようになりたいんだろう?」
真意を探るリンフに、誘うように囁く『地球』。
そんな『地球』にリンフは疑念を持った。
初対面の時の出会い方が出会い方だ、リンフが『地球』に対して敵意を持ったように、『地球』もリンフに対しては良い印象を持ったわけでは無いだろう。では何故そんな相手に魔法の習得を推してくるのだろうか。
何か裏があるのか?
しかし何があるというのか──
──と。
直感的に、これだ、と思われるものがリンフの中で浮上した。
『──少年が『闇落ち』したらさ、僕が少年を殺してあげようか?』
昨夜、『地球』がカンザキとの会話で言った台詞。
「お前……俺をどうにかしたいのか」
リンフが問うと『地球』は一瞬の間を置いたあと、ふふ、と小さく笑ってリンフを見た。
「おや、察しの良い。そうだよ」
目論見を言い当てられてか、『地球』は開き直ったように飄々とした態度になり、あっさりと提案の理由を認めた。
この不貞不貞しさ。
いっそ清々しくもある。
「君には、居なくなって欲しいんだ。君はカンザキの大きな心残りになりそうだからね」
言って『地球』は微笑むが、その目は冷たく笑っていない。これをリンフは『地球』の言葉と視線は己に対する嫌悪なのだと確信し──真っ向から受けて『地球』と対峙する。
「それはどういう意味だ?」
『地球』を見据えたままリンフは問う。
心残りになりそうだから。
その言い方は──まるで、『地球』自身がこれからカンザキをどこかへ連れて行こうとしているような感じを受ける。リンフの心中にざわめきが沸き立った。
「……カンザキはね、僕のものだったんだ」
勿論、君たちで言うところの恋人という意味でね──と『地球』は言う。
「カンザキは今までずっと僕のものだった。けれど、五年前に君が現れてからカンザキは君に掛かりきりだ。大きくなったんだからさっさとどこぞのコロニーにでも行けば良かったものを──君がカンザキの傍に居たいなんて言うから──カンザキはずっと君と一緒に居るじゃないか。これまで僕と話したり遊んだりしてた時間が──君に取られたんだよ。まぁ、人の寿命なんてせいぜい五十年か八十年、それくらいなら待ってやろうと思っていたのに──君は我儘にも魔力を望んで……難なく手に入れた。しかもそれで寿命がどうなるかも──延びるかも知れないなんて──こんなにムカつく展開ってないよね」
一気に。
内包していた怒りをぶつけるように『地球』はリンフに向かって言葉を吐く。
「僕の手で君を直接殺すことも考えたんだけどね──それだとカンザキに嫌われることが分かったからこれは諦めざるを得なくなってしまった。だから君には自然に……自動的に自滅的に居なくなってもらおうと思ったんだけど。まさか断られるとは思わなかったな」
残念残念──そう言って『地球』は苦笑しながら溜息を吐いたが、その仕草が演技掛かっているようで全く残念そうには見えない。
「さて、どうしたものか」
困ったようにそう呟くものの、やはり『地球』のその様子は全く困っているようには見えなかった。
「……何をどうしたって、カンザキさんがお前みたいなヤツのところに行くわけ無いだろ」
やや反発的に──反抗的に言って、リンフは『地球』を睨んだ。
この飄々とした奴に何か言わないと気が済まなかった。
「お前みたいなヤツとは失礼だな。まぁ、カンザキの口の悪さが移ったんだろうってことで聞き逃してやるさ。でもね、これは確信を持って言えるよ。カンザキは絶対に僕のところに来る。僕と、一緒になってくれる」
言葉の最後をはっきりとした声で強調して『地球』は言った。
「なん、で、そう言い切れるんだ」
あまりにも『地球』が明言するものだから、リンフは少し気圧されてしまい、言葉が詰まり気味になってしまった。
「なんでって、僕には魔法の言葉があるからさ」
「魔法の言葉……?」
リンフは戸惑い半分と訝しみ半分で『地球』を窺う。
「そう、魔法の言葉だ。僕だけが使える魔法の言葉」
『地球』は胸に手を当てて目を閉じた。
そして続ける。
「人を殺したくないと思っている彼女だからね──たった一言……たった一言こう云えばいいんだ──“この星に居る全ての人間が死んでもいいのかな?”とね」
そうすればカンザキは僕の所へ来てくれるんだ──そう言って、目を開けた『地球』は恍惚な表情を浮かべて微笑み、そのうっとりとした表情のまま『地球』はリンフを見た。
「その場合は君という心残りが出来る上に、人間の命を質に取る卑怯さで嫌われてしまうかも知れないが──そこはもう、仕方がないかな」
リンフは『地球』の言葉の激しさにその顔を険の深いものへと変える。
確かにそれは『地球』だけが使える言葉──魔法だった。
この星に存在する人間、その全ての命をどうこう出来るのは──質に取ることが出来るのは──『地球』だけだろう。
「まるで異常者を見たような──狂人を見たような顔をしているね。でも僕は人じゃ無いからさ──僕の思考や動向を、人の杓子や定規で測ること自体が間違いだ」
僕には僕のスケールがあるということを覚えておくといい──と『地球』は笑った。
スケール。
そもそもの規格が──違う。
「ふふ、でもこの魔法の言葉は僕がなりもふりも構わなくなったときの最終手段だからすぐには使わないよ。カンザキに嫌われないように、が一番ベストだからね。──さて。用は済んだし、言いたいことも言ったし、失礼するとしようかな」
『地球』は、くるりとリンフに背を向けると、あっさりと姿を消してしまった。
一人になったリンフは『地球』がいたその空間を、意識が途切れるまでじっと見つめていた。
……段々と下手くそになってますが、楽しんで頂けましたら幸いです……ヽ(´o`;




