少年の懊悩
この一週間。
リンフはまともにカンザキと口を利いていなかった。
「………………」
掃除、洗濯、炊事、……それから家の周りに生えている野草の手入れ、と日常のことを熟しながらも頭の中では常にカンザキと『喚起』のことがぐるぐると巡っていた。
──カンザキに『喚起』というのをしてもらえれば──人であるリンフも『魔力』が使える……ひいては『魔法』が使える──そうなれば──カンザキを守ることが出来るようになる──が、しかし──そうなるためには引き替えに──ここを……この家を出て行かなくてはならない──
……着地地点が見えない思考ループ。
──『魔力』を得るには、カンザキから離れなくてはならない。
──『魔力』を得ても、カンザキの傍にいることができない。
──守る為に欲しい力なのに。
──得る為には守りたい者の傍から離れなければならないなんて。
それでは意味が無い。
リンフはカンザキの傍に居て守りたいのだ。
今まで守ってきてもらった分、『魔力』を得たらそれからは守っていきたい。
一体どうすればいいのか。
リンフはカンザキが出した理不尽な条件に納得できない中で悶々としながらも色々と考えた。
例えば。
出て行った様に見せかけて戻ってくるとか……条件を呑んだ振りをして『喚起』後に手の平を返すとか。
はてはまた。
ここを離れるように出て行くが、カンザキの領域外……その際に留まって暮らす、とか。
考えた。
考えた──けれど。
その、思いついたどれもがどれも、カンザキを欺くような──裏切るような行為に思えてその全てに頭を振った。
そういうことは、したくない。
「────……」
思考は、堂々巡りをする。
リンフが胸中にある煩いを吐くように大きな溜息を吐いたところで。
ぐぅぅぅ。
腹の虫が啼いた。
成長期の真っ只中であるリンフの身体だ。家事も庭仕事も熟し、その上こうして頭を悩ませていることがあるものだから、最近はどうしてもお腹が空きがちである。
「なんか食うかな……」
リンフはそう呟きながら、食べ物を求めて部屋を出た。
と。
キッチンでバスケットからその中身を取り出しているカンザキに遭遇した。その様子は、片腕であるが故にやはり難儀そうだった。リンフは心中で軽く溜息を吐いた。
「……それ、俺がやるよ」
そう言って歩み寄って行くと、カンザキは「ん、頼む」と言ってリンフに立ち位置を譲った。リンフは入れ替わるようにバスケットの前に立つ。そうして、このバスケットはフジノが来たのだなと察して──リンフは思いついた。
フジノに相談してみよう、と。
どうしたらカンザキを説得できるのか。
カンザキと付き合いの長いフジノなら、何か考えてくれるのではないだろうか。
キッチンの上に広げられたバスケットの中身は、味噌、大根、醤油、とまだ少ない。ということはカンザキと別れてそう時間は経っていないようだ。
……のであれば。
まだ近くにいるはず。
そう推測するやいなや、リンフは空腹を忘れて家を飛び出した。
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間に合うかどうか不安ではあったものの、森の中でフジノの後ろ姿を見つけたリンフは安心するのと同時に出せるだけの声で叫んでフジノを呼んだ。
「フジノさんっ!」
その声に反応してフジノが足を止めて振り返り、「お弟子ちゃん?」と目を丸くする。そしてそのまま、追いついたリンフが呼吸を整えるのまで待ってくれたフジノは心配そうに声を掛ける。
「どうしたのぉ?」
その表情は驚いたままだ。
「……っ、フジノさん、あの、相談したいことがあるんですけど」
「!」
「それで、その、話、聞いてもらってもいいですか?」
リンフがそうお願いすると、フジノはにっこりと笑って、「いいわよぉ」と快諾してくれた。
「でも、ここで立ち話はちょっと疲れるからぁ、とりあえず森の外に移動しましょぉ」
フジノがそう提案してきたので、リンフは頷いてフジノと共に森の外に出た。二人は蔦の絡まる不自然な岩場の中、座れそうな場所を見繕って腰を落ち着けた。
「……さて、と。それじゃあ、話を聞こうかしらぁ」
上品に座ったフジノは、リンフにそう言って話すことを促した。
リンフはどこからどうやって話そうか考えたものの、上手く簡略化出来なかったので、最初から──それこそ白衣の男たちのことから──順を追って話をすることにした。その中でリンフは、『魔力』を使いたい理由も、フジノに話した。
話をし終えたリンフがフジノを見ると、フジノはさっきとは違う種類の笑顔をしていた。
「んふふふふ……お弟子ちゃん……。私は今、カンザキにものすごぉく怒りたいわぁ」
フジノの口から漏れた声にはリンフが気圧されるほどの怒気が含まれていた。
「それと……アナタのその話だと、カンザキはアナタが『魔力』を欲する理由を知らないのよねぇ」
そう確認するフジノにリンフは頷いて答えた。
「それから……『喚起』をしたらどうなるか、なんていう懸念も聞いてないのよねぇ」
これにもリンフは頷いて答える。
「それじゃあ、あまりにもアンフェアよぉ……他にも色々と卑怯だし、憤慨ものだわぁ」
笑顔なのに憤怒の念が烈火のようだ。
カンザキとは仲違いの最中であるリンフがでも、その怒りの矛先にいるカンザキが気の毒に思えた。
「意図的であれ偶発的であれ、重要なことをすっとばすのはカンザキの悪い所よねぇ……」
ぼそりとフジノは呟く。
確かに、とリンフは心中で同意した。本当に、そういうところがあるのだカンザキは。
「ふ……うふふ……お弟子ちゃん。私、いいこと思いついちゃったわぁ」
不意にそれまでの怒気を少しだけ収めてフジノが言う。
「な……何を思いついたんですか……?」
リンフが訊くと、フジノは妖しく笑って、
「カンザキのバカに仕返しするのよぉ」
と言った。
「仕返し……? って、何するんですか?」
そんなリンフの質問に、何を想像しているのか、フジノは楽しそうに笑った。
「師匠にカンザキを説教してもらいましょぉ」
そんなフジノの提案にリンフは一瞬、面食らったように呆けてしまった。
「せっ……きょう?」
思いも寄らないその提案に、リンフは呆けたままで鸚鵡返しをする。
あのカンザキに説教とは。一体どこからそんな考えが発生したのだろうか。
それに、フジノの言う師匠とは。
「そう。説教。カンザキの悪いところを今一度、師匠に叩き直してもらうのよぉ」
名案じゃなぁい? と、言ってフジノは両の手を叩き合わせる。
「セ、センセイって……?」
フジノのテンションにやや気圧されながらもリンフがそう訊くと、フジノは叩き合わせた手を右頬に添え、「カンザキや私たちに『魔法』を教えてくれた師匠よぉ」と、どこか誇らしげに答えた。
「え……、カンザキさんに『魔法』を教えた人……?」
その存在を知ってリンフは驚いた。
そんなリンフの反応を見て、フジノは面白そうに笑った。
「あら、意外だった?」
「はい……ものすごく……」
リンフの中で、カンザキは──というか『魔女』や『魔法使い』は──最初から『魔法』を使えるものなのだと思っていたからだ。誰かに教えられるまでもなく、『魔力』が発現していれば直ぐに『魔法』は使えるものなのだと。
リンフがそれを言うと、フジノは「そうねぇ、確かにそんなイメージはあるかもねぇ」と少しの同意を見せてから続けた。
「先天的であれ後天的であれ、『魔法』がすぐに使える、なんてことはないのよねぇ。私もカンザキもヴァイスも、『魔力』をちゃんと使うために、師匠の元で必至に『魔法』を──『魔力』を使う方法を学んだのよぉ」
まぁ、カンザキは他にも色々たたき込まれてたけどぉ、とフジノは苦笑いをした。
「………………」
自分の知らないカンザキの話に、リンフは胸中に妙なもやもやが湧き上がってくるのを覚えて少しだけ眉根を寄せた。この感覚はなんだろうか、と疑問に思いながら、リンフは話の線を戻した。
「その、カンザキさんを説教してもらうって言ってましたけど、ここに呼ぶんですか?」
呼ぶというか招くというか。
説教してもらうためには、その師匠とカンザキを引き合わせなければならないのだが。
「んふふ、師匠を呼ぶんじゃないのよぉ」
「え?」
「こちらからカンザキを向こうに連れて行くのよぉ」
フジノは悪戯を企む子供のように笑った。
「その為に、なんだけど……ねぇ、お弟子ちゃん」
「ちょっとやってほしい役があるんだけれどぉ、お願いできるぅ?」




