始まりの出会い
楽しんで頂けましたら幸いです。
ある日。
カンザキが木の幹で仰向けに寝そべり本を読んでいるところへ、使い魔のクロがなにやら慌ただしく飛んできた。慌てすぎて普段の姿を保てず、黒いもやもやが飛んできたように見えるクロは、靄状のままカンザキに絡みついた。
「……ぅん? なんだよ」
本から視線を上げ、指先でクロを弄る。
クロは何かを訴えるようにぴぃぴぃ鳴きながらカンザキにまとわりつく。
「ぁあ?」
カンザキの眉間に皺が刻まれる。
クロが訴える何かが、カンザキの機嫌を傾けたようだ。
本を閉じて身体を起こすとカンザキは、中指と親指を擦って指を鳴らした。ぱちんっ、という音と共に何も無い空間から水晶玉が出てきて、カンザキの手の中に落ちた。
す、とカンザキは片目──右目で水晶玉を覗き見る。
そこに映っていたのは、苔に覆われた建物──文明の遺跡と化した瓦礫の間を、危なっかしい足取りでうろついている少年の姿だった。少年がいる辺りはちょうど、カンザキの領域に入るか入らないかの境界だった。
「迷子……か?」
そうは思ったものの、それにしては変だな、と違和感をもった。
というのも。
一番近い人里──コロニ──からここまでは優に十数キロと距離がある。とても子供が歩いてこられる距離では無い。考えられるとしたらコロニーからコロニーへと移動しているなかではぐれてしまいここまで来てしまった、ということくらいだが、果たして。
「追っ払うついでに確認してみるか」
カンザキはそう言うと水晶玉を放り投げ、続けて本も放り出してしまって、木から下りた。
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その場所へ着いてみると。
「……マジかよ」
うろついていた……歩き回っていたはずの少年は、俯せに倒れていた。
どうやら力尽きてしまったようだ。確認すると呼吸はあり、ただ気を失っているだけのようだった。
「おい、おい、起きろ」
ぺちぺちと頬を強めに叩くが、小さく呻くばかりで目を開けない。
「これじゃあ、確かめようがねぇな……」
そう呟いてカンザキは少し考えた。
ここで放置するという選択肢もあるが、後々がとても面倒臭いことになりそうだ。
「とりあえず、連れて帰るか」
カンザキは少年を右腕でひょいと持ち上げ小脇に抱えると、住処へと戻った。
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カンザキの住処は森の中にある。
倒れたビルを下から絡み付くように支える大樹。
その、ビルの中でカンザキは暮らしていた。
勿論。
魔女らしく──ビルをそのまま使うことはしていない。
ビルのどこかしらをノックすればそこに扉が現れ、その扉をくぐると、木造建築様の室内に入る。
少年をベッドに寝かせると、カンザキは食事の用意をすることにした。
どれくらい彷徨っていたのかは知らないが、力尽きるほどだ、胃の中はよほど空っぽだろう。
「どれ、胃に負担の掛からないものにするか」
ポタージュ辺りが無難だろうと決め、カンザキは早速とりかかった。
そうして数時間後。
猫の姿になったクロが飛んできて、少年が目を覚ましたことを伝えてくれた。カンザキが水を持って様子を見に行くと、横たわったままぼんやりとした目で室内を見回していた少年は部屋に入ってきたカンザキを見てびくりと身体を振るわせた。
「そう警戒すんなよ……つっても無理か。ま、とりあえず、水でも飲めよ」
カンザキはベッド脇のサイドテーブルに水とコップが載ったトレイを置き、コップに水を注いで少年に勧めた。少年は少し躊躇ったあと、ゆっくりと身を起こしてコップを受け取ると、おずおずと口をつけ、何も無いと分かるとごくごくと喉を鳴らして飲み干した。
「その様子だと自分でメシも食えそうだな。ちょっと待ってろ、今取ってくるから」
少年に言い置いてカンザキは部屋を出ると、ポタージュを深皿に注ぎ、スプーンを添えてトレイに載せ、少年の所に戻った。
「クロ」
カンザキが呼ぶと、猫の姿をしていたクロはベッドに飛び乗り少年の前で猫の姿を崩して形を変え、小さなテーブルになった。不思議なものを目の当たりにした少年は驚いて目を瞠る。
「今は気にすんな。これを食べるのが先だからな」
クロが化けた小さなテーブルにポタージュが載ったトレイを置きながら、カンザキは少年を軽く睨む。少年は驚いた表情のまま小さく頷き、スプーンに手を伸ばした。
「クロ。少年が食べ終わったらアタシを呼べ。なっ」
カンザキが言うと、小さなテーブルはぴぃ、と小さく鳴いて返事をした。
しばらくして。
ソファーで読書をしていたカンザキの元に、なんだか嬉しそうにクロが飛んできた。
「ん、食べ終わったか……って、お前」
カンザキが立ち上がりながらソファー越しに寝室のドアを振り返ると、ドアの前にトレイを持った少年が立っていた。
「回復、早ぇな。立って大丈夫なのかよ」
少年はこくりと頷く。
「そうか。んじゃ、それ、そこのテーブルに置いてからこっちこいよ」
カンザキに再び頷いてから、少年はトレイをキッチンのテーブルに置いてから、ソファーへと来た。カンザキは少年をソファーに座らせると、少し離れて自分も座った。
「別に取って食いやしねぇから安心しな。ちょっと訊きたいことがあるだけだ」
少年はちらりと見て、すぐに視線を逸らした。
「……なんであんなところで彷徨ってたんだ?」
カンザキが問うと、少年は少し逡巡するような様子を見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「……く……くるまに……の……のせられ、て……どこか……にいく……とちゅう、で、なにかに……くるま、がぶつかって……それで……にげてきた」
震える声で、少年はそう答えた。
少年の答える様子とその内容に、カンザキは胸くそ悪い推測に至った。
人身売買。
このご時世だ──ありえないわけじゃない。
推し測るに少年は、人身売買のために車で移動していた最中、その車が事故を起こし、その騒ぎに乗じて無我夢中で逃げてきたというわけだ──そうして至ったのが、カンザキの領域一歩手前の、あの『文明遺跡の森』。
ちっ、と思わずカンザキは舌打ちをした。
少年がびくりと肩を揺する。
「あぁ、悪ぃ悪ぃ。お前にじゃねーから」
カンザキは慌てて少年に詫びる。
「にしても、そういうことならお前のコロニーまで送ってやるよ。今日はもう遅いから明日になるがそれでも──」
いいか、と訊きかけて少年を見たカンザキはセリフを止める。
少年が、先程とはうって変わった表情で──カンザキを真っ直ぐに見ていた。
「なんだよ、どうし──」
「お、おれをここにおいてくれっ!」
少年から、初めて大きな声が放たれた。
「……は?」
大きな声に気圧されて、少し仰け反った体勢になったカンザキの口から間の抜けた声が出た。その傍ではクロもぴぃ? と戸惑いの声で鳴いた。
「おれ、おかあさんもおとうさんもいないんだ……コロニーにかえっても……いえとかないし……でももう……あんなふうにみちのうえでいきてくのはいやなんだ……!」
少年は懸命にカンザキに訴える。
「お前、ふ……、……孤児だったのか」
「こじ……?」
「お前みたいな子供のことだ」
カンザキが一言で答えると、少年はきょとんとした。
そんな少年をカンザキはじっと見て検分する。
浮浪孤児。
先程、口にしようとして改めたが、少年の身なりは浮浪孤児のそれだった。
ところどころ破けた上着に、裾のほつれたズボン。短い髪は傷んでいるのが見て分かる。その上、地肌の黒さが輪を掛けて野蛮さを印象づけていた。
さて、どうしたものかと考え始めたカンザキの横を、蝙蝠の姿になったクロが飛んでいった。
「わっ、なにっ」
クロがぴっぴっと鳴きながら少年に戯れついている。
「クロが懐くなんて珍しいな。もしかして気に入ったのか?」
カンザキの言葉に、クロはぴぃ! と強く反応した。その様子に、ふむ、とカンザキは一案した。
「少年。ここに居たいっつーんなら……そうだな、家の事でも手伝ってもらおうか」
カンザキは少年に向けてそう言った。
少年が表情を明るくしてカンザキを見る。
「とりあえず、風呂に入らねーとだな。クロ、連れてってやれ」
クロは承知したとばかりにぴぃっ! と返事して、少年の服の袖を引っ張り、風呂場の方へ行こうとする。少年は嬉しさと戸惑いが混じった顔でクロに引っ張られていった。カンザキはそれをため息とともに見送る。
「一人で生きていけるようになるまではいさせてやるか」
独り言を落としてカンザキはソファーから立ち上がり伸びをした。
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次回更新は5月20日(水)の15:00です。