少年の一戦
楽しんで頂けましたら幸いです……
彼らを見て直ぐにリンフは、この者たちが『遺跡荒し』や『迷い人』などの類いではないことを察した。フード姿はともかく、白衣を着てここを訪れた、あるいは、侵入してきた者をこれまでに見たことが無かったからだ。
白衣。
その裾の長い白い衣服にリンフは一瞬、あの気に入らない魔法使い──ヴァイスを思い浮かべたが、あれよりもこの白衣の男にはよく分からない嫌悪感があった。
否。
嫌悪感と言うよりは──嫌な予感。
悪い予感というか、何か良くないことが起こりそうな予感がしていた。
白衣の男がカンザキと会話しているのを見て聞いているだけでその予感は強くなっていった。
しかし、二人の会話の内容からこの者たちが何をしに来たかが知ることができそうだったので、割って入ることも躊躇われた。そして、切れ目も無く進む会話の中で白衣の男の『お母さん』という言葉の後に、カンザキにそっくりな少女がフードの下から現れ、カンザキを『オカアサン』と呼んだ。リンフは驚いてカンザキと少女を見比べた。まるで、カンザキの幼い頃の姿はこうだったんじゃないかと思わせられるほど、少女はカンザキによく似ていた。リンフが驚いていると、カンザキの口から『複製』という言葉が出てきた。
『複製』──『クローン』
リンフはカンザキの書斎で読んだことのある書物を思い出した。
その本にはクローンの語源から何から載っていて、その概要に、
『複写したように同じ遺伝子、細胞、構造をもつ──性を介さずに作られる生命体』
とあった。
思い出したその言葉でリンフは、いま目の前に居る少女の存在を、この世にカンザキがもう一人居るようなものか、と理解した。
そして、カンザキと白衣の男の会話から、この少女が、研究のために作られた存在なのだということが分かった。
リンフはそこで少し引っかかりを覚えた。
本で読んだ限りでは確か、人間のクローンは作ることを禁止されていたはず。理由は、倫理観が言い争われていて……とかなんとか難しいことが書かれていたので覚えてはいないが──とにかく。リンフの中では人間のクローンは作れないものなのだという認識がある。
しかし──そういえば。
あの本は数百年以上も前のものだとカンザキは言っていた。
数百年前は駄目だったとしても、今は可能なのだろうか。
そうしてリンフが脳内で疑問を呈するのと同時に、隣に立つカンザキから何か不穏な空気を感じて、そわり、と背中に冷やっこいものが走って鳥肌が立った。
カンザキを見ると、辛そうな表情で、左腕を失った肩口を押さえていた。
何かを堪えるように──抑えるように。
「カンザキさん?」
心配になって呼びかけると、カンザキのハッと我に返ったような表情と目が合った。すると、カンザキから発せられていた何かが引いていくような不思議な感じがした。
「カンザキさん?」
何も言わないカンザキに、もう一度、呼びかける。
カンザキは一度、深呼吸をしてから、リンフを見た。
「なんでもない。……前言撤回だな。お前が付いて来てくれて助かった」
そう言ってカンザキは右手で作った拳の甲をリンフの胸に軽くぶつけた。
特に何もしていないリンフは、カンザキのその行動がどういう意味だったのかは分からなかったが、カンザキの反対を押し切って付いてきたことが、なにやら功を奏したようだということは分かった。けれどもカンザキの辛そうにしていた顔が気になって問おうとした。だが、カンザキが白衣の男たちに向き直ったので、リンフは訊きたい気持ちを抑えて問うのを止めた。その代わりに、少女の方を見た。少女は、光の無い瞳でこちらを真っ直ぐに見ていた。
その、少女の光を灯さない瞳を見て、リンフは怪訝に思った。
カンザキも感情をあまり表に出す方ではないが、その目を見れば今どんな気持ちなのかくらいは分かる。だが、この少女の瞳からは一切の感情が読み取れなかった。
リンフは先程思い出したその本に載っていた一文を思い出した。
『クローンは──同じ遺伝子(身体の設計図)で作られるが、その精神(心)までは同一とはならない。精神は、育った環境によって左右されるからだ』
なるほど、とリンフは納得した。
見て聞いて感じた物事がその精神を構築する──同じ身体でも、心までは同じになるわけではないということだ。
しかし、そうであるならば──この少女は一体どんな環境で育ったのだろうか。
それが気になってリンフは少女を見ていたのだが、白衣の男がなにやら少女に命令すると、少女は信じられない速さでこちらに突進してきた。そして、その小さな拳をカンザキに向けて振るう。カンザキが避けると、その勢いを無駄にすること無く身体を捩って次の動きに繋げた。リンフが呆気にとられているうちに二人は、木々の間を縫うようにリンフから離れていってしまった。しかし、その姿が見えなくなることは無く、どうやらカンザキは白衣の男たちを見失わないようにぎりぎりの距離を取ったようだ。
木々の間から見え隠れするカンザキと少女。辛うじてその動きは目で追っていくことが出来たのでカンザキに加勢しようとも思ったが、こちらに残っている白衣の男たちが気になって動けずにいた。
リンフが警戒しながら白衣の男たちを見ていると、攻防の応酬を見ていた白衣の男にやがて苛立ちが滲み始め、その顔が不機嫌に歪んでいった。
なんだろうか、と思ってリンフがカンザキと少女に視線を戻すと、少女が蹴り飛ばされて茂みに埋まったところだった。少女の劣勢に、機嫌を損ねたのだろうか。そこからしばらく見ていると、少女は体勢を整えてすぐにカンザキに向かっていったが──何かを踏んづけたようで転び倒れた。しかし何で転んだのか分からなかったようで、足下の辺りをきょろきょろと見回している。けれども、見つけきれなかったらしく探すのを諦め、地面から立ち上がってすぐさま戦闘態勢になり、再びカンザキに突進していった。攻防の応酬が再開される。その最中、カンザキがちらりとこちらを見た。
──と。
よそ見をしていたカンザキの右脇腹を狙って打ち込まれる少女の蹴り足。だが、その足は掴まえられ、そこにカンザキの踵が振り下ろされた。
地面に倒れ込む少女。
しかし、少女は喚いたりせずに、悶絶した。
「やったぞ!」
そう言う声が聞こえて、耳を疑った。見ると、白衣の男が「待ってました」と言わんばかりの嬉しそうな表情で少女を見ていた。
少女が負傷したというのに喜んでいる。
その異様な様子を見せる白衣の男に気味の悪さを感じて、リンフは眉根を寄せた。
仲間──といっていいものかどうか分からないが──己の連れが負傷したというのに何故か喜ぶ白衣の男。
リンフは一層と警戒心を強めた。
しばらくして白衣の男は、隣に立つ背の高いフード姿の者と二、三言葉を交わすと、戦っている二人から何の後引きも無い様子でリンフに向き直った。フード姿の者もそれに倣う。
ぎくりとして身構えるリンフに、白衣の男はにぃ、っと笑った。
「──君、コロニーで騒ぎの中に居た子だね」
白衣の男がリンフに向かってそう言った。
確信を持っているのにあえて確認するようなその物言いに、リンフは不快感を覚えて目を細める。
「くくっ、なんだか気分を害してしまったようだね──まぁ、こうして君たちの領域に入っていること、これ自体がそうさせてしまっているか」
悪びれるような様子を微塵も見せずにそんなことを言う白衣の男。
そして続ける。
「実は君にも用事があってね。手っ取り早く“確認”させてもらうよ」
そう言って白衣の男が無造作に右手を挙げると、それが合図だったのか、控えていたフード姿の者が動いた。一気にリンフとの距離を詰めると、その纏の中から腕を振るってきた。咄嗟に納刀したままの鞘で振り下ろされた腕を受け止めた。その受け止めた腕を見てリンフはぎょっ、と目を見開く。
その攻撃を打ち込んできた腕は──人の腕をしていなかったのだ。
黒い殻に覆われた異形──大鋏。
リンフの首など軽く切り落としてしまいそうな程の甲殻類のような大鋏だった。
見た目もさることながら、その力も強く、圧し負けそうになる。
リンフは大鋏を受けたまま身体を捩り、鞘を傾けてその力を流すと、そのまま半回転して相手の横っ面に蹴りを見舞った。
手応え──足応え?──は、あった。
だが、フード姿は僅かに蹌踉けただけだった。
リンフは相手の反撃に備えて距離を取ったが、フード姿はゆらりと体勢を持ち直しただけで、すぐに反撃しては来なかった。その隙にリンフは抜刀して構える。フード姿はリンフを暫く見た後、再び一気に距離を詰めて攻撃を仕掛けてきた。今度は両腕──その左腕も右腕と同じ大鋏──を交互に繰り出し殴打するように連打してくる。リンフはそれを刀身でのみならず柄でも受けて流していくが、一撃一撃が重く、体幹に響く。そうして耐えるように凌いでいると、その攻撃にも慣れてきて、リンフは自分が攻撃に転じる隙を窺った。
が。
急に、フード姿は攻撃を変えてきた。
大鋏を開いて──リンフの右腕を狙ってきたのだ。
「!」
リンフはそれを太刀で受けながら地面を蹴った。大鋏が突き出されるその勢いと、自身でそれを押し返す反動を利用して後ろへ跳んで退がる。そうしてフード姿と距離を取ったところで──
──フード姿に少女が命中した。
御一読、ありがとうございました。