少年の因縁
楽しんで頂けましたら幸いです。
「……このバスケット、便利ですね」
買ったものを次々とバスケットに入れて収めていくフジノを見ながら、リンフはそう感想を溢した。
今、バスケットに収めているのは野菜や肉、パンやチーズなどの食料品。だが、このバスケットはこれまでに巡ってきたマーケットで、石けんや歯磨き粉などの消耗品や、コップや皿などの日用品、それから、薬を作る為に必要な材料や器具──と、それら全てをその中に収めてきている。見た目以上の許容量を持つ魔法のバスケットだ。
「んふふ、とっても便利よぉ。カンザキ特製だから殊更よねぇ」
感心するようにフジノは言って、最後の品をバスケットに収めると、その蓋を閉じる。それから、軽々とそれを持ち上げ腕にかけた。重さは見た目のままのようだ。
二人は並んで店先に出る。
日は既に傾いて、町並みは夕暮れに沈みつつあった。
「フジノさん、それ、俺が持ちます」
リンフはそう言ってフジノに手を伸ばしバスケットを寄越すよう促した。
「んふふ、ありがと」
フジノは柔らかく笑って持っていたバスケットをリンフに手渡す。
「……カンザキさんって何でも出来るんですね……」
リンフは受け取ったバスケットをまじまじと見ながら呟いた。
「ふふふ、それ、本人の前で言ったことある?」
イタズラっぽく笑ってフジノが訊いてくる。
リンフは頷いて答えた。
「あります。そしたら──」
『──何でもは出来ねぇよ。ただ出来ることが人より多いだけだ──』
リンフの諳んじたセリフにフジノが被せてきて見事に重なった。リンフはフジノと顔を見合わせる。そして、一拍のあと、同時に噴き出すようにして笑った。
「やぁだぁ、カンザキったらお弟子ちゃんにまで同じ事言ってるのねぇ」
可笑しそうに笑いながらフジノは言う。
「でも、カンザキさんらしいと思います」
リンフも笑いながらそう言った。
謙虚になることも無いけれど、傲慢になることも無い。けれど、己の能力をちゃんと自覚していて、その自負はきちんとある。
「己」の中にちゃんと「自分」を持っている。
それが、カンザキという魔女なんだ、とリンフは思っている。
「ふふふ、私も同意見よぉ。……あ、そうだ、お弟子ちゃん」
不意に何かを思い出したかのようにフジノが言う。
「なんですか?」
「えっとねぇ、近くに少しだけ用事があるのだけれどぉ、ここで待っていてもらえるかしらぁ?」
フジノがそう言うのでリンフは頷いて承諾し、荷物を預かって大通り沿いにある外灯の下で、足早に通りの向こうへ行くフジノを見送った。
「…………」
急に手持ち無沙汰になり、リンフはそわそわとして手に持っている紙袋を見た。
そわそわの原因であるそれは──カンザキへのお土産にと買った髪留めだ。
フジノに相談したら真っ先におすすめの店へ連れ込まれ、直感で決めるのが一番よぉ、とアドバイスなのか何なのかよく分からない選び方をフジノに教えてもらい、これだと思うものを買ったのだった。
早く渡したい。
どんな顔をするのだろうか。
落ち着き無く、カンザキがどう反応してくれるのかとあれこれ想像しながら、フジノが戻るのを待っていると、背後にあるパン屋と雑貨店に挟まれた暗く細い路地から、ふらついた足取りの男が出てきた。手には酒瓶らしきものを掴んでおり、男は右へ左へとふらつきながらも歩道を進んでいく。道行く人々は、男を見ると距離を取って遠巻きにすれ違っていった。やがて男は限界が来たのか、建物の壁にぶつかるように寄りかかると、ずるずると壁に沿って崩れ落ちた。
その様子を後ろから眺めていたリンフは、気になって声を掛けた。
「あの……、大丈夫ですか?」
男はリンフの声に反応を示して、顔を上げた。
乱れて傷んだ長い前髪の間から覗く、男の虚ろな目がリンフに向けられ──それは、それまで失っていた焦点を取り戻す。瞳孔の開かれた目がリンフを見て捉えた。
そして。
「お──お前ぇ!」
男はそれまでの力無い様子を一変させ、勢いよく立ち上がりリンフに掴みかかってきた。男の手から放り出された瓶が地面に落ちて砕ける。
「!」
リンフは咄嗟に反応し、掴まえられるその手前で、男の腕を受け流し、男の後ろに回り込んだ。その背中を手の平で軽く押す。男は酒に酔っていた所為か踏み留まることが出来きなかったようで、押されるままに──つんのめるようにして地面に倒れ込んだ。
「あ…………」
リンフは小さく声を洩らし、己がやったことに驚いて、地面に伏せている男を呆然と見つめた。男は呻きを漏らすと、ゆっくりと身体を起こした。が、立ち上がるまではならず、身体を伏せていた状態から仰向けになるのが精一杯だったようだ。しかしこちらを向いたその目はギラギラとして、鋭くリンフを睨む。
「……その髪と眼の色……覚えてるぞ……っ、お前ぇ……赤い魔女ンとこに居たガキだろぉ!」
男が吠えるように叫ぶ。
リンフは男の言葉に喫驚すると同時に怪訝に思った。
この男は何故──己のことを知っているのだろうか、と。
「五年前……五年前だ! あン時の魔女狩りで……っ、ちくしょうっ!」
男は何かしらの感情にとらわれているのか、最後に憎言を吐くと、どこから出したのかいつのまにか手に回転式拳銃を握っていた。強く握り締めた拳銃のその銃口がリンフに向けられる。しかしその銃口は酒の酔いと興奮の所為でカタカタと震えて定まってはいない。男が拳銃を構えたのを見て、興味深げにこの場を眺めていた通行人が数名、悲鳴を上げる。
リンフは、『遺跡の森』に入ってくる侵入者に対するようにして臨戦態勢に入り、銃口の動きを捉えることに集中した。
「あの赤い魔女のせいで俺は……俺らはァ!」
叫ぶと同時に男は引き金を引いた。
銃声と悲鳴が辺りに響く。
放たれた銃弾は、リンフを撃ち抜く──ことは無く──空中で消えた。
リンフの目の前には魔法陣。
「……早速と役に立つとはなぁ──」
カンザキの声が耳に響いた。
ぬ、と。
リンフの腕にあるブレスレットから、赤い腕が伸びてきた。
幽玄に映る赤い──臙脂色の右腕。
その不思議な光景にリンフが呆然としていると、赤い腕は更に伸びた。
否。
伸びたのでは無く──それに続くものが出てきた。
二の腕、肩、頭と首、胴体、下肢、と──その人を形作る全てが。
全容が、全貌が、全体が──ブレスレットから出てきた。
カッ、とハイヒールのトップリフトが地面を鳴らす。
臙脂色の羽織。
その裾が翻る。
「──それにしても物騒だな」
発砲した男を右眼で見据えて、カンザキは言う。
男は、突然と出現したカンザキに、蒼白と驚愕の顔で震えていた。拳銃も、手から落ちて地面に転がっている。カンザキはヒールを鳴らしながら、男へ近づいていく。動けずにいる男を尻目に、拳銃を拾い上げる。
「このコロニーは銃の規制がないのかよ」
拾い上げた拳銃を矯めつ眇めつと眺めたカンザキは、不意についっと男へ視線を移す。
「ひ……っ」
目が合った男は短い悲鳴を上げる。
「こいつは返してやるよ」
言って、カンザキは拳銃を男に向けた。男は必至にカンザキから離れようとするが、焦るあまり足は地面を滑るばかりで少しも距離は開かない。カンザキは、ふっ、と小さく息を吐くように笑ってから、ぱ、と拳銃から手を離した。カンザキの手から落ちる拳銃の先に魔法陣が敷かれる。拳銃はその魔法陣を通過すると地面に当たって──分散した。ただ、しかし、それは地面に当たって破壊されたというものではなく、魔法陣を通過することによって外れるところは残さず外されて──分解、あるいは解体されたそれが──回転式拳銃であったものが──黒い鉄の小片となって地面に散らばったのだった。
男は愕然としてそれを見ているだけだった──というか、おそらくそれしか出来なかったに違いない。
リンフが呆然と事の顛末を眺めていると、カンザキは踵を返してこちらに来た。そしてリンフの肩にぽんっと手を置いてから、帰るぞ、と言った。
「えっ……」
リンフは戸惑いの声で応じてしまった。
騒ぎで失念していたが、フジノがまだ用事から戻ってきていないのだ。
「アイツなら大丈夫だ」
こちらの心中を察してかカンザキが言う。
カンザキが言うなら大丈夫なのだろうと納得してリンフは頷いて応じ、先に歩き始めたカンザキの後を荷物を持って追う。
──と。
不意にカンザキが足を止める。
そして徐に──顔を左前方へと向ける。
何があるのだろうかとリンフも倣ってそちらを見るが、騒ぎを見に来た野次馬たちが居るだけで、そこになんら気の引くようなものは無かった。
そこに何かがあるのか、何があるのかは、リンフには分からなかったが──カンザキは何も言わず視線を前に戻して再び歩き始める。
その背中に問いかけようと思ったが、何故か、訊いても答えてはくれないだろうと直感した。
カンザキの怪訝な動きに疑問を抱えたまま、リンフはカンザキと共にコロニーを後にした。
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次回更新は7月22日になりますです。