少年の動揺
楽しんで頂けましたら幸いです。
コロニーに到着しても、リンフの頭の中からカンザキの言葉が消えることはなかった。
『──いつかはここを出て行くんだし』
脳内はカンザキのその言葉ばかりが巡っている。
「…………」
そんなことを考えたことすら無かったリンフにとって、そのカンザキの言葉は……考えは、衝撃だった。
いままでに、それらしい素振りや発言を、見たり聞いたりしたことがない。
いつからカンザキは、リンフと離れることを考えていたのだろうか。
掃除や洗濯、身の回りのあれこれに勉強、ケガの処置や薬の作り方だって教えてくれた。
最近では──護身術や武器を持った戦い方も教えてくれる。
なのに。
どうして。
あの家を離れなければいけない話になるのだろう。
「──────」
何のためにあれこれと教えてくれたのか、その理由を考えて続けてリンフは一つの考えに行き当たった。
もしかすると。
もしかすると、今まで色々と教えてくれたのは──一緒に暮らしていくために、ではなく。リンフが一人でもコロニーで生きて活けるようにと考えてのことなのだろうか。
いずれ、リンフをコロニーへ……人の中へと、還すときのために。
そう思い至って──そう考え至って──リンフは青ざめた。
ずっと、一緒に暮らしていくものだと思っていた。
その為の、あの家で暮らすあれこれを教えてくれたのだと。
その為の、あの場所を守るあれこれを教えてくれたのだと。
それが。
カンザキと離れて暮らさなければならないなんて。
あれが。
カンザキと離れて暮らす為のあれこれだったなんて。
そんなの、嫌だ。
そんなの、絶対に嫌だ。
腹の底から湧き上がる感情に、ぐ、と喉の奥が潰れるような感覚を覚えた。
何かを吐きそうになって、それをこらえた。
「……お弟子ちゃん?」
呼ばれてリンフはハッと我に返り、見るとも無しに目を向けていた地面から顔を上げると、心配そうな表情でこちらを窺うフジノの顔があった。
「大丈夫ぅ?」
訊かれてリンフは大丈夫です、と答えようとしたが、喉の奥ががつっかえてその言葉が出せなかった。
「んふふ、まぁ、大丈夫なんてことぉ、ないわよねぇ──」
苦笑いのようなものを顔に浮かべてフジノは言う。
「────」
リンフは、フジノのその何かを察しているような物言いに驚いた。
見開いた目にフジノの怪しく笑う顔が映る。
「カンザキが言ったこと……気になってるんでしょぉ?」
「!」
言い当てられて、リンフは更に目を見開く。
「な……んで」
驚いた拍子で掠れた声が出た。
「だってぇ、あのときのお弟子ちゃん、そんなこと初めて聞いたって感じでとてもショックを受けたような顔だったんだものぉ」
まぁ、カンザキは別の意味に勘違いしちゃったみたいだけどぉ──とフジノは小さく溜息をつく。
リンフは上げた顔を再び伏せる。
胸の中に一つの疑問が不安と共に湧き上がった。
「……カンザキさんは……俺のことをどう思ってるんでしょうか」
こんなことを訊かれてもフジノは困るだけだろう。だが、そう思いながらもリンフはそれを口に出さずにはいられなかった。
リンフに質問されたフジノは人差し指を顎に添えながら、「カンザキがどう思っているか……ねぇ」と、ぼんやり呟いてから暫く黙った。
そして。
「んー……、まぁ、そんなことぉ、どうだっていいんじゃなぁい?」
と、言った。
その、思いもよらない言葉にリンフは驚いた顔でフジノを見る。
フジノはリンフと目が合うと口角の端を上げてさらに怪しく──妖しく微笑んだ。
「カンザキがどう思ってようがいいじゃないのよぉ。そんなこと考えるくらいならいっその事、自分がどうしたいのかをカンザキに直接ぶつけた方がいいと思うわぁ」
そう言って後に何故か、んふふ、と含み笑いをしながら、フジノはそう助言した。
しかし、その助言を聞いてリンフは戸惑いながら心中で葛藤していた。
自分がどうしたいのか。
それは勿論、カンザキと一緒に居たいと思っている。
けれど──言ってしまえば、それはリンフの我儘だ。
子供であればその我儘も素直に率直に言えただろう。
だが、リンフはもう子供では無い。
今、そんな我儘を言ったら、カンザキは呆れるかも知れない。
もしそうなったら。
カンザキはリンフをどうするのだろうか。
嫌な考えが脳を駆け巡る。
「お弟子ちゃん」
フジノに呼び掛けられ、思考の淵から意識が這い上がる。
「いままでに、カンザキがアナタに対して何かを強要したことってあるのかしらぁ?」
急に妙な質問されてリンフは戸惑ったものの、すぐに首を横に振る。
「んふふ、すぐに答えられるってことはそういうことよねぇ」
何か含むようなフジノの言い方に、リンフは首を傾げる。
「カンザキはアナタのことをちゃんと考えているわぁ、言葉は足りないけれどねぇ。だから、アナタがどうしたいのかちゃんと話して、話し合えば、カンザキはちゃんと良いように考えてくれるわよぉ」
そういってフジノはリンフの腕を指差す。
「ちょっと買い物してくるだけのお出掛けにそんな大げさなお守りだって付けるくらいだものぉ。アナタのこと、凄く大事にしてるんだわぁ。そんなアナタが嫌がったり悲しむようなことはしないと、私は思うのよねぇ」
だから、カンザキには言いたいこと言っちゃいなさいよぉ──とフジノは笑った。
リンフは腕のブレスレットをまじまじと見る。
臙脂色のそれは鮮やかに、それでいてリンフの褐色の肌に馴染むようにそこにある。
そんなカンザキ特製のブレスレットを見ていると、フジノが言うようにリンフが思い描いている最悪なことにはならないような気がしてきた。リンフは、腕にあるそれを反対側の手で包み込むように上から握る。不思議と、不安の波が引いていくのを感じた。
それからリンフは気持ちを切り替えるように、はい、とフジノに返事をして顔を上げる。
「それじゃ、お買い物をするとしましょぉ♪ 欲しいものがあったら遠慮無く言ってねぇ♪」
こちらも空気を切り替えるようにフジノはそう言って、コロニーを歩き始めた。その足取りはとても楽しそうだ。
欲しいもの、と聞いてリンフが真っ先に思い浮かべたのは、カンザキに髪留めを買っていきたい、だった。
出会った当初よりカンザキの髪は伸びて長くなり、最近では、洗うのもまとめるのもリンフがしている。
同じ女性であるフジノなら何か──良い髪周りのことを知っているだろうか。
早速と欲しい物の相談をすることに少し躊躇ったが、リンフはそうと決めて、先を行くフジノの後を歩いた。
読んで下さいましてありがとうございます。
次回更新は7月15日です。