009「カノコ、五歳児におだてられる」
「アルバイト時代の給与明細って、要るのかな……、だぁー! 面倒なことをパパッと片付けてくれる、有能な執事が欲しーい。出でよ、セバスチャン!」
トウマくんが隣の部屋に居るのも構わず、私は両手で耳を塞いで心の中にあった欲望をぶちまけた。
すると、トウマくんがドア枠に手を添えつつ、そのまま「あらいやだ」とでも言いそうなポーズでこちらを伺いはじめた。
何も言わずに様子を見ているので、こちらから話しかけることにした。
「どうしたの、トウマくん?」
「カノコおねえさん。セバスってだれ? ひつじさんなの?」
執事のセバスチャンを、羊のセバスちゃんだと思ったのか。金田一京助教授を、かねだ、かずちか、じょきょうじゅと読み間違えるようなものだな。
本棚で埃をかぶっている函入り国語辞典の金文字をチラッと見ながら、そんなことを考えていた。
「ただの願望だから、トウマくんは気にしなくていいわ。それより、そろそろお腹空いてない?」
立ち上がって近寄りながら話を逸らすと、トウマくんは部屋の中へ一歩踏み込みながら答える。
「すいてるよ。おかいもの、いかなきゃ」
「まぁ、お買い物もするけど、お昼は外で済ませようと思うの。トウマくんは、お蕎麦は好き?」
「すき! おうどんもいいよね」
「よしっ。それじゃあ、お出掛けするから、帽子をかぶってらっしゃい」
「はーい」
よっぽど外食が嬉しいのか、トウマくんは急いで部屋に駆け戻り、ヴィッセル神戸の赤いキャップをかぶって戻ってきた。
「さっ。のびないうちに、はやくいこう!」
「ちょっ、ちょっと待って。私にも支度があるから。ノーメイクは駄目」
「だいじょうぶ。すっぴんでも、おかあさんよりきれいだから」
おいおい、ケシカランことをいうもんじゃないぞ、トウマくんよ。もっと褒めなさい。
腕を引いて外へ連れて行こうとしたトウマくんに玄関で靴を履いて待つよう言いつけ、一階へ降りたのを確認してから、私は部屋に戻ってドアを閉め、ルンルン気分で洋服を着替えはじめた。