013「カノコ、気分はパリジェンヌ」
神戸はパンの街といわれている。今から百五十年以上も前、幕末に開港された翌年には、神戸にはパン屋さんが開業していたそうだ。
当初は異人館や居留地に住む外国人向けに作られていたパンだったが、日清日露戦争での軍需増を契機にして、広く神戸市民に身近な存在へなっていったという。
その後、大正期にはロシア革命から亡命してきた職人が、次々にパン屋さんや洋菓子店を開業していったこともあり、神戸に洋食文化が花開いたのだった。
とまぁ、歴史を紐解くのは、このくらいにして、フロイン堂へ急ごう。
先に言っておくが、別に私はフロイン堂の回し者ではなく、常連家族の一人でしかないので、そこのところを誤解しないように。
フロイン堂は、この岡本界隈に長く住んでる人間なら、知らない人は居ないと言っても過言ではないくらい、地元で有名なパン屋さんだ。雑誌やテレビでも、よく取り上げられている。たしか、となりの人間国宝さんで紹介されていたはずだ。
店の前に派手な看板はなく、知らなければウッカリ通り過ぎてしまいそうな控えめな外観なのだが、そこが老舗ならではの奥ゆかしさを感じさせるポイントになっていると、私は思う。
このお店は、パンの他にもドーナツやビスケットも販売しており、店先の黒板には、商品それぞれの焼き上がり時間が貼り出されえているので、焼きたてを食べたい時には参考にしてはいかがだろうか。
ガラスの嵌った木製の引き戸の内側へ一歩足を踏み入れると、小麦とバターのいい香りがしてくる。
店の奥には、童話でグレーテルが使ってそうな大きな煉瓦窯があり、毎日、そこで手捏ねした生地がじっくり焼き上げられているのだ。
今日は平日ということもあり、店内の柱には、まだ「食パンあります」の札が掛かってる。週末になると、予約分だけで売り切れてしまうので、確実に手に入れたい場合は、取りに行く日の朝に電話で予約しておくことをオススメする。
「ごめんください。予約していた梅野ですけど」
小さい時から母に連れられて何度も来ているので、わざわざ名乗らなくても分かりそうなものなのだが、久々なので念のため。
白い紙に包まれた三斤棒サイズの食パンを受け取ると、私は雲のように柔らかな食感と、バターの濃厚な味を想像しつつ、自然と軽やかになる足取りで家路を急いだ。