043
自分の設定とかの雑さが酷すぎると自分を叱責し、ちょっと最初から考え直そうと考えました。
「……う~む、奴は何がしたかったのだ?」
フィリップから解放され、肉体を完全回復させた邪神は窓から逃げる。その姿は時雨のものであり、時雨の姿を知るものがいたら妙な光景だろう。
ここは渋谷、学園から遠く離れたこの地では彼の知り合いに会う事はほとんど無い。
……そもそも、時雨には知り合い自体が少ないが。
「まぁいい。戦略的撤退である。」
情けない発言である。
この邪神の目的は、人間を滅ぼすことにあった。理由は無く本能的なものでしかなかったが、その本能がこの邪神にとっての災いであろう。
なぜなら、この世界線には数多の英傑が在るからだ。
邪神が英傑を圧倒する力と、狂気的なまでの知能を持っていたら人間を滅ぼすことは可能であっただろうが、完全に選んだ器のミスである。
勇者達はまだいい。彼らは死ぬという概念を持つ存在であり、人類史から消せる可能性があるのだ。……しかし、仮に勇者達を越えたとして、まだ地球には守護者がいる。
こそこそ生き延びるなら生存できるが、邪神の本能が機能している以上終わりだ。
そう、邪神は発言を誤った。
勇者に殺す名目を与えてしまったのである。
「待てやゴラァ!」
「ブフォ! ……貴様か勇者ァ!」
それは邪神が逃げ始めて数分後の事。すでに人のいるところからは離れており、辺りには草木のみが広がっている、そんな場所である。
どれだけ暴れようとも、人への被害は無い。
勿論、このような場所となったのは駆け引きでも偶然でも何でもない。
ただ、龍牙の肉体を操る時雨の仕業である。
「いいや違う、俺は師匠じゃねぇ。」
「……なるほど、この体の持ち主であるか。」
「そうだよ。返してほしいから死んでくれよ。つか死ね」
「口悪いな貴様。……まぁまて、ここで戦うというのも不利益極まりないであろう? なら提案だ、器を入れ替えぬか? 貴様は元の肉体を手に入れて余は勇者の肉体を手に入れる。さすれば解決だ。ほれ」
「は? 器じゃねぇと駄目って聞いたけど? っつか勇者ってなんだよ。なんなん? 師匠って勇者扱いされてんの?」
「さぁ、余もイマイチ知らん。かつての王がそう呼んでいたからな、その名残である。」
「へぇ? んで、お前は素直に返してくれんの?」
「断る。等価交換としてその肉体を渡すのならよいがな。……交換せずに取り返したいというのなら余から奪え。」
邪神は、時雨の精神が弱いと感じている為負けることはないと思っている。邪神の能力は肉体よりも精神に勝っていることが多い。さらに、龍牙の肉体すらも奪うことでよりよい器を手に入れられる可能性があるのだ。
また、邪神の器というのは神の系譜の一族が成るモノである。故に、山崎の一族である龍牙は器に適している。龍牙自身が神ですらあるのだ。邪神の器にこれほど良いモノは無い。時雨の肉体は良いモノではあったが、龍牙の肉体ほどではない。
「殺し合うってことなのか?」
「左様。貴様は元々柏木貞夫とやらを殺すつもりであったのだろう? 殺す覚悟は出来ている筈だ。無論、殺される覚悟も、な。」
邪神は時雨に対して揺さぶりをかけた。
精神攻撃は基本である。たった数分程度で精神が立ち直るとは普通思わないだろうから、邪神の精神攻撃は本来間違っていない。
しかし、元勇者が二人もいてしまった。
数多の戦場を、苦悩を、絶望を、挫折しながら乗り越えて来た。そんな二人である。精神についてなど特に詳しかった。彼らが歩んできたのは肉体の強さを極める道ではなく、弱い心を強く、強靭にしてゆく道であった。
「当たり前だ。お前はあいつの前座だ。お前自体には大した恨みは無いが、殺す理由が十分である以上、俺の糧になってもらう。」
「……ん、あれ?」
「--行くぞ悪霊--《闘気》ッ!」
邪神の至らなかった考えはたった一つ。
強制的に人のトラウマをかき消し、無理やりにでも覚悟を決めさせる二人の悪魔の危険性と容赦の無さを考えようとしなかったことである。
後悔しても今更遅い。
器への適応はその機を待ち続けていた邪神のほうが当然高いが、如何せん肉体の基礎的なスペックが違いすぎた。
それだけではない。時雨には二人の戦闘を元にしたトレーニングを受けているのだ。龍牙の肉体の60%ほどの力は時雨でも出せる。それはあくまでも基礎的な肉体能力のみではあるが、十分過ぎた。
「オォォオオオォォォ!」
「ぬお!?」
赤いオーラ、《闘気》を纏った時雨が戦いを始めた。
振り抜こうとする拳には様々な思いが団子結びのように固まっている。
自分の体を乗っ取った事への憤怒。
自分の心の不甲斐なさへの憤怒。
柏木貞夫殺害の邪魔をされた憤怒。
--そして何より、自分のするべきことを何一つ達成出来ていない事実への、苛立ちとは違う焦りの気持ちが籠もっている。至極人間的な感情からのことだ。合理性も無く、意思を持ちながらこの世に存在しているのにという生存への欲求でもなく、ただひたすらに私情のみでのことである。
誰かの為、否。
愛の為、否。
世界の為、断じて否。
愛する妹の為でもない。想いを寄せる異性、あるいは同性の為でもない。邪神の危機から世界を守るという高等な理由では決してない。
「オラァ!」
しかし、自分のためというのは生物が最も力を出せる最大の理由である。
この世において起こり得るありとあらゆる事件、恋慕、戦争、他にある出来事は己のためである。生物は皆、起こした行動による結果を期待し力を発揮するのだ。
時雨は、邪神を殺すことによる心の成長を望み力を出している。肉体を取り返すためというのもあるが、それはまだ保険があるのだ。
邪神と闘い、命を奪うというチャンスはこれきりかもしれない。
それ故に、時雨は力を発揮する。
今、時雨の拳が邪神の腹に直撃した。
「どうだ!」
「グフ……なんだ、それは……」
「知るか。あの世で師匠にでも聴きやがれ」
それは、内蔵をえぐり取るような一撃である。人体の急所……つまりは、自分の肉体の急所を何の躊躇いもなく殴り抜いたのだ。
時雨自身、躊躇いの無さには驚いたが、これが自分の本質だと考える。
「なぜだ。なぜ戦おうと思う。柏木貞夫とやらが貴様に見せたのは幼き頃のトラウマだ。なぜ体を動かし、余を殺そうと思える。」
「ただの八つ当たりに決まってるだろ。別に、復讐心とか、そういうのはないんだ。やりたいからやるんだよ。」
「違う。そうではない。なぜトラウマを乗り越えたのかと聴いているのだ。有り得ないだろう。そんなに早く立ち直れる筈がない。」
「頼れる大人達のおかげだよ。おまえはあの人達のことを眼中に入れなさすぎたんだろ。さっさと逃げればよかったんだよ」
「ちっ、それもそうだな!」
互いの拳をぶつけ合いながら、二人は問答をする。
一言聞くたびに、ひとつ答えるたびに地響きが起こり、大地を揺らす。
後に自然災害扱いをされることだが、時雨はこれを気にしない。
そこに在るのは拳と言葉を交え、傷ついていく二つの肉体のみ。邪神の生き延びて本能通りに生きるという欲と、時雨の思いがぶつかってゆくのみ。
「もう問わぬ! これで最後だ!」
「こっちの台詞だ! いい加減滅びやがれ!」
ほぼ同時、ほぼ同時に彼らは拳を突き出した。が、拳が相手へと直撃したのは時雨だけであった。圧倒的な肉体スペックからきた奇妙な勝利である。
最後の地響きが終わりを伝えるゴングとなり、終戦を迎えた。
「クッ……この器は駄目だったか……。しかし……次こそは……!」
肉体がダメージを負いすぎ、器へといられなくなった邪神が逃げ出す。
邪神にとって、器から逃げ出すというのは最終手段のうちの最終手段である。
もう、邪神にはそれしか残っていなかったのだ。
「……次……だと……?」
一方の時雨は、龍牙の肉体と一時的な融合をし、擬似的な精神生命体となっていた時雨の心には、形容し難い靄が残っていた。
また、龍牙と一緒にいたフィリップへの疑問すらも彼の心からは蘇る。
そんな、良きとは言えぬ感情を残したまま、彼は本の肉体へと戻っていった。
「……師匠、あれはどうなるのでしょうか。」
「さぁな。邪神ってのはよく分からないやつらだ。完全な消滅はするのか、していないのならあれはどこにいったのか、俺にすらそれは分からん。」
「そう、ですか。」
「ああ。--しかし時雨。完全な生命じゃないにしろ、一つの個を奪った気分はどうだ? 清々しいのなら、おまえは殺しの才能があるぞ。」
「……特に何も、こんなものかって感じですね。達成感も少しの嫌悪感もありますけど、清々しいとかそういうのは有りません。」
「なるほどな。……まぁ、あれだ。お疲れさん」
「……はい、色々あったのでよく覚えていませんよ……」
そのまま、時雨は糸が切れたように気絶していった。
その表情に浮かんでいたのは、はたして何だったのか。
……それは、時雨を優しい瞳で抱えた龍牙にしか分からない。
かくして、柏木家により引き起こされた事件は……いや、五年前のあの日から繋がる事件は、邪神を二柱顕現させることで終わってしまった。
ただの終わりではない。まだまだ柏木貞夫のこと、邪神の行方、彼ら兄弟の再会、根本的なことは何一つとして解決していない。
時雨のこれからには数々の試練があるであろう。敵が敵だ。そうやすやすと、全てを終わらせられるほど甘いことではない。
ひとまず、幕を閉じただけなのである。
そう、カンマが打たれただけであって、ピリオドは見えていないのだ。




