拾二花- Pappet songs Ⅰ
今回は九条さんの回想です。
ピピピピピピ
不快な目覚ましの音が頭に響き、私――九条傀音は目を覚ます。
ベッドの隣に付いている卓上机の上にある時計のボタンを押そうと手を伸ばす。
ジャリ
だが、金属が擦れる音ともに右腕を後ろに引っ張られる。
朝は弱いせいで、手錠を付けて眠っている事をつい忘れてしまう。
「本当、厄介なものね…」
私は自由な左手を動かし、慣れた手つきで空中で十字を切る。
すると、手のひらにキラキラと光の粒子が集まり、小さな金色の鍵となった。
私はその鍵を使い右手に付いている忌まわしい手錠を外す。
「まったく…自分が本当に嫌になるわ…」
時計を見ると時刻は午前4時27分、アラームは4時に鳴るよう仕掛けておいた。
どうやら私はこの轟音の中で三十分近くも眠っていたらしい。
「はぁ…我ながらこの図太さに感心するわ…」
重いため息をついた後、私は枕元に置いてあるタブレットを手に取りカレンダーを開くと、今日の日付(十月二十九日)をタップする。
『4時27分、起床。頭がぐらつく。就寝時間を早めたほうがいい』
私はそうメモを残した。
「さて、と」
画面を横にスライドして昨日のメモを確認する。
メモには時間通りに起床し、仕事をこなし、就寝した。と計画した通りに物事をこなした自分の事が事細かに記録されていた。
その中で一つ、目にとまるものがあった。
『18時42分/門音、華蓮、両人無事に帰還した。
とても嬉しい』
淡々と続く状況報告の中で、このメモだけは昨日の私の心情が書かれていた。
「珍しいこともあるものね」
このメモは、昨日の私が、私であった事を示すための文字列に過ぎない…。
だから心情など書いたことはない――いや、本当は私がまた忘れてしまっているだけかもしれない。
似たようなことは、以前にもあったことなのかも知れない。
昔のように、また私が記憶を失ってしまっただけなのかもしれない。
――私は、あの日より前の記憶を持っていない――
私の一番古い記憶は、豪雨の中、裸で泥沼に倒れていたことだ。
どうして自分がそこにいるのか、などということはわからなかった。
私は目覚めたらそこにいた。ただそれだけだった。わからない事に恐怖をしたりはしない。わからない事が多すぎて動く気なんてものは起こらなかった。だが口に入ってくる泥水が苦かった事だけはよく覚えている。
ザーッと降る雨で体は冷えきり、目を開ける力も無くなってきた――自分から開けることを放棄しただけかもしれない。ただ、目を閉じると、雨音だけが耳に長い間届いていた――
だが暫くするとバシャバシャと地面を歩く別の音が耳に訊こえてきた。その音は段々と大きさを増していき、私の眼の前で止まった。次に訊こえてきた音は「生きてる」と叫ぶ少年の声だった。そこで私の記憶は一度途切れる。
次目を覚ました時は柔らかい布団の上だった。横にはとても優しそうな目をした男と、心配そうに私の顔を見つめる少年の姿があった。
男は私が目を覚ましたのに気付くと「良かった、目が覚めたんだね」と優しい声でそういった。
ここは――
私がそう口にしようとする前に、男が口を開いた。
「ここはコキュートス、安全な場所だ。倒れていた君を息子の天武が見つけて、私とここに連れてきたんだ」
隣にいる少年を見る。少年は下を向いてモジモジと尻込みしていて私と目を合わせようとしない。
だがとりあえずお礼は言おう。それが多分、礼儀だ。
「ぁりが、とぅ」
乾いた喉からは掠れた声しか出なかった。
だが少年は私のその小さな声を訊くと、とても恥ずかしそうに照れていた。こんなものでも嬉しいらしい。
「あ!お水あるよ!」
少年はそう言って横のトレーからコップを私に差し出す。
私はそれを受け取ろうと体を起こそうとするが、体に上手く力が入らず起き上がれない。
無理もないか…。『起きる』という行為を知っていても、その行動を取るには何処に力を入れるか私には思い出せない。経験が無いから、筋肉の動かし方なんて、私にはわからない。
「まだ体に力が入らないんですね。気付くのが遅くて申し訳ない」
ゴソゴソと醜く体を揺らす私を見て、男が私の上半身を支えて起こしてくれる。
「手は、あがりますか?」
そう言われ、腕に力を入れてみる。だがピクッと筋肉が痙攣するだけだった。とても動かせそうに無い。
「だ…め」
「分かりました。では天武、この子にゆっくり水を飲ませてあげなさい」
男がそう言うと、少年は「はい!」と返事をして、私の唇にコップの縁を重ね、ゆっくり、ゆっくりと水を流す。口に入ってくる水を、喉に入れる行動は経験が無くても出来た。
その水は、ぬるくて、美味しいなどというものには程遠かったが喉を潤すには充分だった。乾ききった喉に水が流れる感覚が気持ちいい。私はいつの間にか自分から首を動かし、水を飲み干してしまった。
「ありがとぅ。ございました。感謝します。このご恩は。末代まで語り継ぎます」
頭に浮かぶ感謝の言葉を羅列する。
『言葉』の記憶は残っていたが、使いどころがわからなければ、それはただの繋げた音の塊でしかなかった。
「それはとても喜ばしい、そう言っていただけるのは私の誉れです」
そう言って男は温かい笑みを浮かべる。
「もし良かったら君の名前を教えてくれないかな?私達の事を語り継いでくれてる良い子がいるって、私も末代まで語り継ごうと思うんだ」
名前――名前――
思考を続けると、それは微かに、段々と頭に浮かんできた。
「くじょ、う…かい…ね…」
安心した、どうやら私には名前があった。
自分が何者かわからないが、名前が存在している。それだけで私の心に少し光が差した。
「九条傀音…とても美しくて、良い名前だね」
『私』を私たらしめている唯一のモノ、それを褒められて、私はとても嬉しかった。
「お前達の、名前は?」
私のその質問に、男は優しく笑みを浮かべながら答える。
「私の名前は龍宮寺斉明。そしてこっちが息子の天武です。天武、ちゃんと挨拶しなさい」
「りゅ、龍宮寺 天武です!よ、よろしくおねがいします!」
少年の慌てながら自己紹介をする様を見て、私の口角がピクッと少し動く。
これが『笑う』時の、筋肉の使い方なんだ、とわかった。
「落ち着くまでここに居なさい。ここはもう傀音の部屋だ」
「は、い」
その後、私は付きっ切りで看病してもらった。言葉遣いを教えてもらい、体の動かし方を教わった。
そして時は風のように去り、いつの間にか一年の年月が流れた--
私の世界は広がった。色々なことを聞いて、色々な本を読んで勉強した。
けれど、『個』としての私が広がることはなかった――
「斉明様、私は、誰なのでしょうか」
ある日、私は勇気を出してそう尋ねた。なんとなく聞いてはいけないことの気がした。斉明様は私がここに連れてこられて来てから私については名前しか尋ねてこなかった。敢えて触れないようにしている気がした。
「その答えが辛いものだったとしても、傀音は良いのかい?」
私は首を縦に振って頷く。
「じゃあ、昔話を始めようか――」
そう言って斉明様は、この一年の間に読んだ本には載っていなかった世界の話をしてくれた。
ルクシア、ソウル、どれも耳慣れない言葉ばかりで私は戸惑った。
けれど私が理解できない度に斉明様は話を一旦止め、事細かに説明してくれた。そうして全ての話が終わった後
私がルクシアに取り憑かれている、と言われた――
私を森で発見した時、既に斉明様は私の魂に絡みつく別の魂の存在を感知していたらしい。だが彼は私を殺めることなく、ここへ連れてきた。
そして私がソウルの崩壊により記憶を損傷してしまった様子を見て、何も教えずに普通の人として育てる事を決めたらしい。
「少し、時間をください」
私はそう小さく言うと、自室へと戻りベッドへと顔を埋める。
――哀しい
それが何よりも強い感情だった。
私は人ではなかった。この世界を、何よりも斉明様を苦しめているという化物を、この身に宿していた。自分の体が急に気持ち悪くなった。異物に感じた――
この身体を、この感情でさえも、この化物に操られているような気がした。
「っ――‼︎」
私は立ち上がり、戸棚からハサミを取り出すと、目を強く瞑ってそれを勢いよく自分の心臓に狙いをつけて振り下ろす。
操られているというのなら、死んでしまった方が良いに決まっている。この化物は、人を傷つけるだけだ――‼︎
グサッ
ハサミの刃が肉を抉る感触が手に伝わる。だが私の身体には何の痛みもなかった。これも私の体が化物のせいだろうか――
ゆっくり目を開けると、今まで見たことのない形相で私を睨む斉明様の姿があった。斉明様の右手は私の胸の前でハサミを止めていた。貫通した掌からはダラダラと生温かい血が滴る。
「あ……ど……」
「死ぬな‼︎」
狼狽する私に、斉明様は私にそう言って怒鳴った。
斉明様が今まで声を荒げている所なんて、訊いたことがなかった。
「あ…わ、わた…し…」
ガクガクと膝が震えて、私はその場に尻餅をついた。
「傀音、大丈夫、落ち着きなさい。こんな傷はすぐに治る」
そう言って手に刺さったハサミを抜き取ると、震える私を斉明様は優しく抱きしめた。
「すまなかった…」
静かにそう言う斉明様の声はどこか震えていた。顔は見えなかったが泣いていたのではないかと思う。
死ぬ時に、私は私のためになかった。けれど、斉明様は私の為に泣いてくれていた。
「ですが…私の心には化物が住んでいるんでしょう⁉︎斉明様を傷つける化物が!ならば私は生きることなんて願いません!どうか、どうかここで死なせて――」
そう言って斉明様の袖を掴み、私は泣き噦る。
「それが――」
斉明様は震えを抑えながら小さくそう呟いた。
「それが、なんだと言うんだ!」
斉明様はそう叫ぶと私の体を強く抱きしめた。
「化物が身体にいるからなんだというんだ‼︎そんな事で――そんな事で大切なお前を失ってたまるものか!」
その言葉が、なぜか私の胸を熱くした。
「うっ……うぅ…」
何故か涙が溢れ出てくる。
一度出た涙は何故か止められずにずっと出てくる。
悲しくて人は泣くと本に書いてあった。だが私は今悲しんではいない。とても胸が焼けるように熱かった。思いが溢れてきてそれがいつの間にか水分として目から出てきているようだった。
哀しくない時でも涙は出るんだな、と知覚した――
「傀音、君は私と会った時の事を覚えているかい?」
斉明様は私の頭を優しく撫でながら、そう口にした。
「…い、いえ。覚えておりません…」
「君は、末代まで私への恩を語り継ぐ、と言ったんだ」
そんな事を過去の自分は言っていたのか。と私は恥ずかしくなって顔が赤くなった。
「だから、君はまだ死んではいけない。君の中に死ぬ理由があるというのなら、君の中に生きる理由を私があげよう」
そう言って斉明様は微笑む。その微笑みは、私が目覚めた時に見た顔と、なんら変わっていなかった。
「私に、斉明様の仕事のお手伝いをさせてください」
私は真っ直ぐに斉明様の顔を見つめそう告げる。
私のその願いを、斉明様は否定せずに承諾してくれた。
それからは、今の私がいる世界の勉強をした。私は人よりグラナを操る能力が高いという事でよく褒めてもらった。
だが、私が表舞台に立つようになると、人の声がやかましくなっていった。
「訊いたか?あの悪魔憑きが七地区のルクシアを倒しんだってさ」
「あぁ訊いたよ。ルクシアがルクシアを狩っているなんてとんだ笑い話だな」
汚い大人は、私が近くにいるのをわかっていて敢えて悪口を言った。
消えればいい、なんて言葉は嫌でも毎日訊こえてきた。
でも私はそんな言葉に屈したりしなかった。どれだけ人に悪口を言われようと、私には斉明様が言ってくれた《私の生きている理由》があった。それがあるから、私は立って入られた。それに天武も、頼りなくはあるが私の友達としてよく遊んでくれていた。
だがそんな日々は長くは続かなかった――
突如としてコキュートスを襲撃してきたルクシアにより、斉明様は殺された。みんなを守るため、斉明様は最前線に出て戦った。
その後、息子の天武が新しい主となることが決まった。だがまだ若い天武の就任に反対するものも多かった。
だから天武は力の証明として、《灼眼の天使》と呼ばれ恐れられていたルクシアを倒し、更にそのルクシアに《セツ》と名前をつけ配下に置くことで、反対する者を黙らせた。
――そして世界は、斉明様という歯車を、新たな歯車と交換し、また何事もなかったように動き始めた――
それからは忙しかった。天武からコキュートスの宰相を任された私は仕事に追われた。
しかし悪魔憑きである私に対しての扱いは宰相という高い役職についても変わることはなく、命令を無視するものも多かった。
私の命令をまともに聞いてくれたのなんて、華輦ぐらいなものだった――
読んでくださり、ありがとうございました(╹◡╹)




