一花-Seed
……
………ね…く…ん
……かど…ね……………
「門音くん、起きて‼︎伊集院くんが見張り変わって欲しいって!」
鈴のように耳に心地いい落ち着く声。
「ほ〜ら、はやく!」
ふわりと香ってくる百合の花の様な香りが全身の神経を刺激し、門音 燈利は意識を覚醒させる。
「おはようございます、門音くん」
周りを見渡すと棚から落ちて散乱した商品や、崩れ落ちた天井に、ジジジッと如何にも壊れてます。といった音を立てながら機能していない照明。この惨状が、どうやら眠る前の出来事は夢ではなかったらしいことを燈利に知らしめる。
眠る前と違うところは、横に学年…いや学校一可愛いと評される八神 永遠が隣にいてこの化粧品やスナック菓子の混ざった悪臭が漂う空間を八神が発してくれている甘い香りが和らげてくれている分呼吸が楽、といったところだろう。
燈利はまだぼんやりとした意識の中で、上半身を起こし「おはよう」とだけ八神に挨拶をした。
今まで近くで八神の顔を見る機会などなかったが、泥やホコリを被っていてもわかる白く透き通った肌に鼻筋の通った綺麗な顔立ち。学校一と言われるのも頷ける。こんな子とお近づきになれたのだから案外この天変地異は感謝しないといけないのかもしれない。
「んで、ごめん用事はなんだっけ?」
ポキポキと骨を鳴らしながら背筋を伸ばしながら燈利はそう質問した。
「伊集院くんが流石に疲れたから見張りを代わってほしいんだって」
「んー、でも代わって欲しいって言ったって俺まだ全然寝てないぜ?」
燈利がそう言うと、八神はブレザーの袖を捲り、右手に巻きつけている時計をズイッと燈利に見せる。
「そんなことはないよ、ほら、見て」
時計の針は午後十時を指していた。燈利の交代の時間である八時はとっくの昔に過ぎていた。
たしか最後に時計を見たときは一時だった気がするな…てことは、けっこうな時間を寝ていたことになるけど…。
「その割にはあんまり疲れが取れてないな…」
燈利のその言葉を訊いて、八神は下を向いて俯いた。
「そうだよね…こんな所じゃ、しかたないよね…」
燈利の眠っていた冷たいタイルを見ながら八神は尻すぼみにそう呟いた。
それを見て燈利はあわてて取り繕う。
「ごめんごめん!暗くしようと思った訳じゃないんだけど、つい出ちゃってさ」
それに、と燈利は努めて明るい声で話を続ける。
「それにこのスーパーに逃げようって言ったのは俺だしな!あーあ、こんな事ならホームセンターに逃げこんどくべきだったな」
そう言って燈利が笑うと八神の表情も少し明るくなった。
「じゃあ行ってくるよ。これ以上遅れるとあの温厚な伊集院にも流石に怒られちまいそうだし」
立ち上がり、伊集院達のいる方へと向かおうとする燈利を「あ、待って!」と言って八神が制止させた。
「門音くん、怪我してるよ」
八神の指差した方を見ると、左足の脹脛の所をいつの間にか引っ掻かれていたらしい、斜めにパックリと裂けていて、血がドクドクと出てきていた。
「こんな傷がわからないって門音くんって本当鈍感なんだから」
本当…鈍感…、ボソッと八神はそう言いながら肩に背負っていた学生鞄からハンカチと真新しい包帯を取り出した。
「いや、こんぐらいなら唾つけとけば治--」
「治りません!」
八神はそう燈利を叱咤した。
「こんな状況だと門音くんの免疫力も下がってるだろうし、こういうのはちゃんと治療しておかないと…」
八神の声が少しづつ弱々しくなっていく。
「…私、門音くんが死んだら…嫌だよ」
ポツリと、涙声でそう伝えた。
「わかった。八神委員長のお言葉に甘えさせてもらうよ」
ポンポンと八神の頭を優しく撫でると、燈利は冷たいタイルの上に腰を下ろした。
燈利が座ると、八神は慣れた手つきでハンカチを使い止血を始めていく。
さすが、看護師になる事が夢だと言っていただけてはあるな。
「私達、また元の生活に戻れるのかな…」
不意に八神はそう呟いた。
燈利はその言葉に対する答えに少し戸惑う。だが八神をこれ以上心配させまいとすぐに返答する。
「大丈夫だよ。日本の警察は優秀って聞くからな。もうあの化物が現れて3日ぐらい経つし、そろそろ救援が来るさ」
化物--3日前、突然現れてこの世界をぶっ壊しちまったあの化物。
あのこの世の物とは思えない怪異的な物に政府が対応してるなんて本当は思えない。
かろうじて一緒に逃げてきた学校の奴らもスーパーマーケットに来るまでにたくさん死んだ。
ココに逃げてこられた奴らは俺を入れて5人だけだ。後は…みんな…死んだ……あの化物に殺された……この3日間に他の人間に出会ったことはない…もしかしたら、もうこの世界にいるのは俺たちだけな--
「門音くん?」
その声で燈利はハッとする。
「大丈夫?」
そう言って八神は心配そうに燈利の顔を覗き込んでいた。
どうやら相当酷い顔をしていたらしい。
「まぁでも、門音くんの言う通り日本の警察さんは優秀だもんね!きっと大丈夫だよ!」
そう言って八神は白い歯を見せて明るく微笑む。
ははっ、励ますつもりが、逆にこっちが励まされちまったな。
「よし!じゃあ一応止血と応急処置だけはしておいたから、座って見張るぐらいの事は平気だよ!」
がんばれー、と八神は燈利の足に向かって話しかける。
「おぉー、ありがとな。これなら怪我する前より歩けそうだ!」
燈利は立ち上がるとそこでクルリとターンして見せる。
「もー!そんな動いちゃダメだってば!」
八神はそう言って頬を膨らませたが、内心では燈利の元気な姿を見て安心していた。
「あのね、門音くん、わたし――」
八神がそう口を開きかけた時だった。
「うわああああぁ‼︎‼︎」
突然伊集院たちのいる入り口の方で悲鳴と呻き声が聴こえた。
「な、なんだ--⁉︎」
ゴゴゴゴ
地面が大きく揺らぎ、半壊していた天井が耐えられず更に崩れていき、地面に亀裂が走っていく。
「あの声は…伊集院くんたちのっ‼︎」
八神は口を押さえ、絶望の表情を浮かべながらその場に立ち尽くす。
「くそっ……」
考えられる事は一つ、化物が俺たちを嗅ぎつけてココに浸入してきた。なら俺のやる事もまた一つ、八神を逃がすことだ。
「俺は伊集院たちの所へ行く!八神は裏口から逃げてくれ、俺も後で伊集院達を連れて向かう!」
そう言ってこの場を去ろうとする燈利を「でも!」と納得のいっていない声色で八神が叫ぶ。
八神も、燈利自身も、もう燈利が無事に帰ってはこれないだろうことは前日までの仲間の惨状を見て察知していた。
「わたしも!わたしも一緒に連れてって‼︎」
狼狽した様子で燈利にそうせがむ八神の肩を、燈利は両手で強く掴んだ。
「大丈夫だ。俺も後で必ず追いつく!だから‼︎」
だから――
八神を落ち着かせようとそう口にした燈利の言葉は全て震えたものだった。
死にたくない――このまま八神と一緒に逃げてしまいたい。だけど八神だっていつか死んでしまうかもしれない…。
俺は――俺は一人にはなりたくないっ‼︎
「痛い…」
その八神のか細い声で燈利は我に帰る。
慌てて八神から手を離す。
燈利の手があった場所は、鬱血して青痣になるほど強く握られていた。
「ご…ごめん……」
「ううん、私こそ……」
八神はキュッと肩を抑えると、顔を曇らせ下をうつむいた。
俺――」
燈利が口を開こうとすると、八神の方が先に口を開いた。
「私…信じるよ!」
八神は流れでようとする涙を必死に堪え、震え声にならないように話す。
「門音くんが来るって信じる!だから、絶対――絶対、来てね!門音くん!」
八神はそう言うと、精一杯の笑顔を作った。
「あぁ、絶対追いつく」
八神のその笑顔が作り物だったとしても、その笑顔は燈利に勇気を与えた。
だから、燈利は進むことを決意した。
「これ、俺の大切な御守りなんだ。次俺と会う時まで預かっててくれ」
そう言って燈利は首にかけていたロケットを外すと八神へと手渡した。
「うん、大切に預かるよ。だから、またねっ!」
「あぁ、またな‼︎」
燈利はそう言って八神に手を振って笑うと、伊集院たちの方へ向けて走り出した。
もう後ろを振り向くことはない――
XXX
見張りのいた場所は酷い有様だった。
綺麗に磨かれていた入口付近の窓ガラスは今や血がベットリと張り付いていて鈍い光を反射していた。
自動開閉式のドアは粉々に地面に叩きつけられ、その五倍以上の大きな入口が新しく目の前にいる巨大な白い化物によって作られ、冷たい外の空気が中に勢いよく吹き抜けてきていた。
「こんなタイプの化物もいんのかよ…」
燈利は目を背けず、敢えてその醜悪な化物の方を見る。
化物の背中からは羽のように六本の細長い枝のような物が生えていた。その枝の一本一本には五本づつ更に細い枝が生えていて、まるでこの化物の背中に人の腕が植えられている様で気味が悪かった。
化物には足はあったが、腕はついてなく、地面に頭をつけグチャグチャと不快な擬音を立てながら飢えた獣の様に勢いよく床に転がる肉塊を食らっていた。
「あの塊は――」
化物の両脇にある瓦礫の山にも床に転がるのと同じぐらいの大きさをした肉塊が二つ埋もれていた。燈利は頭の中に浮かぶ考えを首を振って一生懸命払拭した。
「あまり考えるな…この思考はなんの役にも立たない。今は…やるしかないんだ!」
燈利は自分にそう言い聞かせると、深呼吸し物陰から頭だけだし周囲を見渡す。
どこかに伊集院たちの持っていた金属バットか包丁が何処かにあるはずだ。それさえあれば、どうにか--
目を凝らしていると光でキラリと光るものを化物のすぐ脇に見つけた。見張りの一人が持っていた金属バットだ。
「よし……行くぞ!」
燈利は意を決し、一気に物陰から飛び出した。
「GG…?」
物が動く気配を捉えた化物は貪り食うのをやめ、その頭には不釣り合いな程大きく肥大化した紅い目を新たな獲物へと向けた。
くそっ!案外感は良いんだな。
「GGaaaaaa‼︎」
化物は耳障りな雄叫びを上げる。
ガチガチガチガチ
化物は歯を擦り合わせ不快な音を鳴らすと醜くい真っ赤に染まった巨大な口を開け、燈利へと勢いよく地響きを鳴らし突進してくる。
「いきなりかよ‼︎」
燈利は寸前のところで横へ転がりその攻撃を避けると、化物は止まることが出来ずそのままあおむけに転んだ。
「ははっ、マヌケな奴だな」
燈利はその隙にバットの方へと走り、それを掴み取った。
ガチガチガチガチ
背後からまた不快な音が燈利の耳に響く。
化物はまたガチガチと奥歯を鳴らし次の突進の準備をしていた。 化物の歯を鳴らす音が大きくなると巨大な体を震わせまた突進してきた。
ギリギリまで…待つんだ…
その巨大な口の迫力に圧倒され、今にも避けたくなる気持ちを必死に抑え、燈利はバットの届く間合いまで化物が来るのを待った。
「……今だ‼︎」
燈利は化物が間合いに入った刹那、バットを振りかざしその化物の鼻先へと一撃を叩きつけた。
だが金属の鈍い音と共に無慈悲にもその攻撃は弾き返され、燈利の手からバットが投げ飛ばされる。
終わった――
体から力が抜け落ち、眼前には化物の口が広がっている。
鋭く尖った歯、何本も気持ち悪いように線が入っている歯茎――目の前まで来てくれたおかげで、その化物がよく見えた。
「ごめんな、八神…」
そう呟き、燈利が死を覚悟した刹那、黒い影が燈利の前に出現した。
「なっ――⁉︎」
その影は、燈利を後方へと突き飛ばした。刹那――
ガキンッ‼︎
化物の口が閉じる音と共に、その口から鮮血が噴水のように弧を描きながら溢れ出た。
「あっ…あ…な、なんで……」
その溢れ出る鮮血の中に金色に輝く石が燈利の目の前へと転がり落ちた。
「信じ……てるって……」
落ちた物が何なのかは、見なくてもよくわかっていた。
けれど、何故彼女がここにいるのか。何故自分を助けたのか。何故…何故…疑問ばかりが出てくる。
だが燈利のその問いかけが返ってくることはない。
返答をくれるはずの彼女の上半身はもうこの世に存在していない。
ドサッ
重い音と共に、化物が食い損ねた下半身はふらふらと力を無くし冷たいタイルの上へ倒れた。
「う…くっ…あぁ…あぁ…」
八神を失った悲しみはもう残ってなかった――
仲間を守れなかった自責の念なんていうのもとうに消えていた――
心の中に残るのは、ただ、殺したい、こいつを殺したい、黒い黒い黒い黒い黒い憎悪のみだった――
「あああああぁぁぁ‼︎‼︎」
燈利が立ち上がり、無意識に右手を胸の前へと掲げると、大量に燈利の体から噴出した黒い粒子が一気に右手へと集まり黒い霧となる。
その霧はビリビリと大気を震わせながら燈利の右腕を包む。
「ネ……Mo…」
瞬間はじけその黒い霧から漆黒の剣が出現した。
その剣を手にした燈利の表情は別人のように、暗く冷静な顔つきとなっていた。
「……」
化物は目の前にいる燈利を喰らおうと血の糸を引きながらゆっくりと醜い口を開ける。
グチャッ
燈利はその醜い口の舌へと手にした剣を突き立てる。艶かしい感触が伝わる。
「GGGyyy⁉︎」
剣を抜くと、刺した箇所から黒い粒子が大量に噴出した。
「Gaaaa‼︎」
化物は雄叫びをあげ燈利を威嚇する。
だが燈利はそれに臆することなく次は刃を上に向け、化物の口内を切り裂いた。
グチャッという確かな手応えが燈利の手に伝わると、傷口からはまた黒い粒子が噴出し、化物のは悶絶の怒号を開けながら体をくねらせ後方へと後ずさる。
「GGGaaaa‼︎」
化物は怒号をあげると歯を今までとは比べ物にならないほどガチガチと鳴らし突進してきた。
「憐Reダ、な…」
燈利は血を蹴り軽く五メートル程跳躍すると、剣を化物の脳天めがけて振りかざした。この一閃はもう跳ね返されることはない――刃は化物の頭を真っ二つに切り裂いた――
「GGG‼︎…G…a…」
化物の体全体が黒い砂のようになると、風に吹かれその砂の塊は飛んで空へと溶けていった。
「……っ」
突然の疲労感により燈利は膝から地面に崩れ落ちる。
だが最後の力を振り絞り、ひび割れた扉の前にもたれかかり、八神がいる方へと続く道を自分の体で塞いだ。
「これで…大丈夫、かな…」
周りにはもう血溜まりと瓦礫の山しかなかった。
ポタリ…
突然冷たい水滴が燈利の頬を伝った。
見上げると、崩れ落ちた天井の隙間から雨が降りそそいできていた――
ポタリ…
また燈利の頬を水滴が伝っていった。
今度は温かい水滴だった――
身体中から力が抜けていく。もうこれ以上は…俺も無理そうだ…
前方から訊こえてくる獣の雄叫びが雨水を震わす――
だがその雄叫びはもう燈利の耳には届かなかった…燈利は重い瞼を閉じて体を横に倒す。
次起きる時は、また百合の花の香りがすることを願いながら――




