斉藤、賢者に出会う。
「ここはもう店じまいかな…。」
タクシーの車内で、俺は一人呟いた。
時刻は既に深夜1時を回っている。終電から30分すぎた駅前には人の姿はもはやなかった。
「飲み屋街にでも…行くしかないか。」
出来ればあそこには行きたくない。あそこで拾う客は酔っ払いばかりだからだ。
酔っ払いを素面で相手にするのは苦痛だ。酔っ払いは感情のスイッチが緩くなるらしく、迂闊なことは言えない。人付き合いが苦手な俺には特に扱いに困る相手だ。
こないだなんて自らの安月給に嘆くサラリーマンらしき男に「大変ですね」と返したら「てめえに何が分かるんだ」とか「タクシー運転手は気楽でいい」などとさんざん暴言を言われたあげく、運転席越しに後ろから何度も蹴られてしまった。
だが、蹴られるくらいで済むならマシな方だ。口から出るのが暴言ならまだ我慢できる。
我慢できるのだが…。
「いやーすっきりした。すまんま、兄ちゃん。お釣りはいらんから、許してな。」
そう言って、飲み屋街で拾ったお客様は2000円と飲食店で飲み食いしたであろう酸っぱいにおいを漂わせるおすそ分け残し去っていく。
「料金は1890円だぞ。ちくしょう、ふざけんな…。」
足取り軽く去っていくお客様の姿を見ると、後ろからタクシーの全速力でぶつかり、地獄までご案内して差し上げたくなるが、そんなことしたら今度は、俺がおまわりさんに、ぶたさんが暮らす部屋までエスコートされるハメになる。
それじゃ割に合わない。いや、この状況も割に合ってないのだけどさ。俺は自らの憤りに何とか折り合いをつけると感情をひたすら押し殺し、タクシーの清掃を始める。
物はなんとか片づけたが、まだ社内に酸っぱいにおいが漂っている気がする。
これじゃ今日の営業はもうできないな…。
…もう疲れた家に帰って何もかも忘れ、寝てしまおう。文字通り泣き寝入りだ。
俺は営業所に向けてタクシーを走り出す。お客様の残り香に顏をしかめながら、
俺はまばらな夜の街をひた走る。
「今日もろくに稼げなかったな…。」
5時間かけて稼いだ金が7000円程度。これから諸経費を差し引かれると、手元に残るのは…
考えたくもない現実に、嫌気がさす。
「やっぱり向いてなかったのかな…。」
めんどくさい上下関係がなそうだから。そんな安易な理由で選んだ仕事だったか、現実は厳しい。
結局のところこの仕事も人間関係を重要だった。金持ちの客の心をつかみ、固定客を増やしていく同期を見ながら、人づきあいが苦手な俺にはできないとことだと痛感させられる。
「辞めちまうか…。」
無理して仕事を続けても、稼げるのはスズメの涙程度。だったらいっそ…。
「…辞めてどうするんだよ。」
辞めたところで、次の仕事の当てがあるわけでもない。思いつきで行動してもろくなことにはならない。
俺は自分にそう言い聞かせる。そもそも待遇の改善を目指して次の仕事を探す向上心があるなら、今の仕事を頑張っても変わらないはずだ。
「そんなに簡単に変われたら苦労はないんだけどな。」
変われないからこそ、だらだらといつもおなじことを…
そんなことを考えていたら、目の前に当然飛び出てきた人影に気が付くことができなかった。
俺は慌ててブレーキを踏むが、間に合わない。ヤバい!!
タクシーは飛び出してきた人影に思いっきりぶつかってしまう。
やっちまった!ちくしょう。
俺はハンドルを手にしたままうなだれてしまう。
ついていない、なんで俺だけこんな目に合うんだ。
暫くは呆然とそんなことを考えていたが、道路に横たわる人影を見たとたん我に返る。
そうだ、とにかく救助しないと!
「ちょっと、アンタ大丈夫か!?」
倒れこむ人影に近寄る。ローブをまとった老人まったく身動きしない。まずいな相当当たり所が悪かったらしい。
「この私を一撃で…さすが勇者様…お願いです。邪竜王を…エルドガルドをお救いください。」
その言葉を最後に老人は、力なくうなだれる。
マズイ、やっちまったのか?
「おい爺さんしっかりしろ、傷は浅いぞ。今救急車をよ…ぶ…。」
俺が爺さんの体を強くゆすり、必死に呼びかけていると。突然老人の体が光に包まれたかと思うと。そのまま天に昇っていく。
「…なにこれ?」
残された俺は天に上る光をただ茫然と見送りながら、そんな感想しか思い浮かばなかった。