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フォールスイード  作者: 横田シュン
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第四章六

「ミロ何してるの? インセクターは?」

 この劣勢でもマァイは冷静だった。コックローチの時のように、操っているインセクターさえ叩けば下位種への支配は解ける。

「だめですわ、全然わかりません……」

 必ず付近に、マンティスとモールクリケットの二種類のインセクターが潜んでいるはずだった。濃いスイード障害のせいか脳波をつかむことができない。必死に修正の変数を頭に浮かべセルフェスに意識を伝える指先に力が入った。

「崖の上のやつらも数が増えてるわ。隙を見せたら一気にくる。ミロ、もういいわ。あれを使えるか? アニタに連絡とれる?」

「うまくいっていれば今日調整運転するははずですわ。あれを使う気?」

 サイトロンドームに設置された新兵装『インセクトディセプター』。あれは蓋外性生物の脳波を読み取り、阻害する空気波を発することができた。アルカナの立案した作戦では、インセクターの集落を発見したところで妨害空気波を照射し、行動できなくさせたところで一気に捕獲する計画だった。確かにパラボラアンプを介せば、遠く離れたここまで空気波が届くはずだった。インセクターの居場所がわからない以上、下位種を操っている彼らの脳波を妨害してこの包囲を抜けるにはあれを使うしかない。

「…………」

 「バカじゃない? そうするしかないでしょ?」そういつもの繰り言を言ってくれるものと期待したマァイの表情は変わらず、通信がミロだけへの個別モードに切り替わった。

「逆に通信が入っていたわ。いい知らせと悪い知らせがあるけどどっちから聞く?」

 マァイの声がワンオクターブ高く、二段階ほど口調も早くなる。ミロは敏感に、みぞおち辺りに砂を詰め込まれたように息苦しさを感じた。

 これはマァイのいつもの笑えない冗談だ。きっとどっちも悪い情報に違いない。

 ――選ぶ意味ないですわ。

「いい知らせって?」

「アニタたちがセフィロトに向ったわ」

「悪い知らせは?」

「息を吹き返したサンプルが逃げて、サイトロンドームに被害が出たそうよ。少なくともディセプターは使えない」

「そんな……」

 妨害空気波が使えない。アニタらがサイトロンドームを離脱したということは、アルカナを強制遮断したということ。すなわちそれは……。

「ミロ、それに他の者も聞いて、ここでアルカナを強制遮断して、ダアトを起動させて一気に離脱する」

 中隊の中にいる黄昏団だけに向けた非情な個別通信だった。

「ほかのコたちを犠牲にするの?」

「…………」

 マァイは答えない。

 ヘリオスーツの機能を統括する基幹システムが遮断されれば、マニュアルに切り替えるまでスキが生じた。ダアトのシステムがインストールされたミロら黄昏団のメンバーだけにはスキは生じなかった。

 後ずさりしたアンの肩が触れる。他の隊員もなすすべなく、浮き足立つ動きが手にとるように分かる。

 犠牲になった亡骸を胃袋におさめたモールクリケットが、触角を激しく動かしながらこちらへの距離を詰めてくる。レーザプロセスの照準を合わせる者もいるが引き金を引くことができないでいた。圧倒的に不利な状況で、均衡を破るのが怖い。低いほうに水が流れ落ちるように、それは堰を切ればとめようのないものだとわかるからだ。

 ミロは触れた肩の下、無意識にアンの腕を握った。アンはぎゅっと握り返してくる。

「大丈夫、マァイがなんとかしてくれるよ」そう強く言い返してきたように感じた。

 マァイの言うとおり、この包囲を脱するにはダアトを使うしかない。目的を果たすためには、いかなる犠牲も払わなければならならない。でも。ミロは接触回線で声が聞こえてしまわぬよう、アンの手を離しマァイへの個別通信で話しかけた。

「マァイ。アルカナのシステムだけでも残せませんの? これじゃあ……」

「これじゃあ? って何? かわいそうとでも言うの? どの道戦えても、この数じゃあ遅かれ早かれ喰われるわ。ならせめて囮となってもらうほうがええんとちゃう? それにアルカナに動きを悟られる。何ために苦労してダアトをアルカナに介入させたの? サイトロンドームが無力化されたことすら、アルカナには悟られてないはず。さあ、ミロはやくして!」

「……そう! いいこと思いつきました! わたくしのセルフェスにディセプターのデータが残っているから、それを組みかえれば」

 ミロのすがるような口調をマァイは乱暴に振り払った。

「そんな時間あれへんわ! どないしてん! さっきから!」

 ミロはヘリオスーツの胸倉をマァイにつかまれ足が宙に浮いた。バイザー越しに見えるその表情は怒っているようには見えない。

「う、上――――!!」

 ヘルメットを突き破るアンの声が、硬直していた全員を動かした。鎌と羽を広げグライダーのような形になって、緑のマンティスが上空をおおいつくすように崖を飛ぶ。

 熊手状になった腕で土煙をあげながら、モールクリケットが地面を耕しながら地を這う。

 上空に向ってレーザプロセスを撃つ者、地面に向って火炎放射で炎の壁を作る者。訓練されたキベルの隊員は、極限状態でも最善の行動をとった。

 マァイも手を離し、右腕に水素サーベルを形作った。尻もちをついたミロはセルフェスの中、必死にディセプターのデータを探した。

 ――少し……。もう少し……。

 マァイの華麗なサーベルの舞は、近づいてきたマンティスを何体も切り裂いた。

 アンたちは密集隊形のまま火炎放射でモールクリケットを後退させている。

 ミロは立ち上がって意識へ集中した。左腕からセルフェスを取り外し、システムとリンクして頭の中に浮ぶ数式をもとにマクロを組んでいく。

 ――あとちょっと。

 ――あれ? 何? 邪魔……な?

 突然、ミロのヘルメットの中を不快なアラート音が満たした。インセクトサーチが漸く目標の場所を特定したようだ。ミロは目の前に広がった、赤い熱源グラフィックの意味を直ぐに理解することができなかった。

 刹那、背中から鳩尾に向って、何かとても熱い……何かが通り抜けたように感じた。

「何? これ?」

 と、ミロは言ったと思った。自分のお腹から緑の鋭利な刃がまっすぐ突き出ている。

本来緑であろうその刃に、赤い鮮血が絡みつき滴っていた。

 身体の中心が火箸で抉り取られたように感じ、足の力が抜けたがなぜなのか身体が沈まない。身体が腹部を支点として持ち上げられている。

「う、ううげぇ」

 腹の中が沸騰したようににえたぎり、湧き上がる血潮を抑えきることができず口から吹き出し、バイザーがべったりと赤黒く塗りたくられた。

 視界がふさがれ落としそうになったセルフェスを必死につかんだ。ヘリオスーツのシステムが、内側からバイザーを洗浄し汚物を外に排出して直ぐに視界を確保する。

 マンティスを切り払ったマァイが、こっちに向って何か叫んでいるように口を大きく開けている。

 ――どうして? 何も聞こえない。あんぐり口あけて、パンでも食べようと……。

 ――違う! 違いますわ! インセクターが一体、真下に……。

 ――こいつ……わたくしのチップを……。

 ミロはセルフェスから刃のついたインプラント用の生体データチップを取り出し、後方へ裏拳のように腕を力いっぱい振った。

――手ごたえあり……もう一体は……。

 ミロのヘルメットのバイザーに再びアラート音とともに矢印が表示された。

「マァァァイ!! 真下!!!!」

 今度は自分の声をはっきりと耳にした。マァイは何か叫びながら最大出力で水素サーベルを足元の地面に突き立てた。

 突然自分の意思に関係なく視界が振れる。身体が投げ飛ばされ宙を舞うのを感じる。それはまるで自分の身体でないかのように軽くゆっくりとしていた。

 ――ああ、本当に空を飛んでいる。

 モールクリケットが開けたのだろう、大穴の横に立つマンティス型インセクターの姿が視界の端に映る。

 ――そんなのわかりませんわ。ずるい。

 何十秒もゆっくりと羽毛のように空を漂う感覚のあと、身体は仰向けに地面に落ちたらしい。いつも見飽きた星の分厚い雲が目の前に広がった。

 ――最後ぐらい晴れてくだされば……。

 仰向けに転がるミロの傍らを、コントロールを失ったモールクリケットがまちまちの方向に走り去って行った。

 ――さすがマァイですわ。一撃でしとめた。

 残ったマンティスと、生き残ったマァイらが入り乱れて近接戦となり切っ先を交え戦っているのが見える。たぶんマァイが必死に呼びかけてくれているのだろう、はるか向こうで蚊の鳴くような、言葉も成さない音が微かに消え入るように小さくなっていく。

 ――もうなんも聞こえません。

 ――でも、大丈夫。なんとかできた。簡易型のディセプターで動き数分くらいならとめられます。これなら、マァイたちはもちろんあのコも逃げられますわ。

 ミロは最後の力を使い、腕を掲げセルフェスから浮んだ起動アイコンにふれ意識を伝え叫んだ。

「わたくしにかまわず早く行って!」

腹部にぽっかりと開いた穴から、込めた力と出した声がどんどんもれ出ていくような感覚だ。暖かかった背中の地面も次第に冷たく温度を失っていく。

 ――おかしい。スーツ越しに地面の温度が感じられるわけないですわ。

 体の中心から体温がどんどん抜け落ちていく。手を触れると、べったりと血糊がヘリオスーツの白い手袋を赤黒く染める。

 ――なにこれ? ジャムみたい。昨日アンコがおっしゃってた、まずいパンに塗ると美味しくなる甘い……。

 大脳から血液が引いていき、現状認識ができなくなる。直近の楽しい記憶が意識を混濁させ彼岸へと誘う。

 少しだけ頭を振ることに成功すると、動きが乱れたマンティスを無視して、マァイら黄昏団の面々がスラスターを使ってセフィロトに向い飛び立っていくのが見えた。

 ――よかった。わたくしにかまわず行ってくれたのですわ。ありがとう。この気持ち……。いっしょにいれてよかった。

 ミロはなぜか飛び立つマァイらと離れず、ゆっくりと自分が浮遊していくのを感じた。

 ――嫌や。また飛んでますわ。

 下を見ると仰向けに横たわる自分の身体が見えた。身体を離れて、意識がどんどん遠のいているのがわかる。

 ――やっぱり、そっか。

 中身の抜けたミロの身体の手をとって、一人ヘリオスーツの隊員がすがっていた。

 ――だめ! あのコ……。 一人でも逃げてって言いましたのに!

 意識体となったミロは叫んだつもりだが、声が届くはずもないことも同時に理解した。 

名を呼ばれたような気がして上を向く。

切れた雲から光が燦とさしこみ、周囲が心なしか明るくなったような気配がした。

 ――晴れ……た。かみさまが最後に……。

 視界の端、マァイが飛び立った反対側から、空を飛び近づく新手の蓋外性生物の一団が見えた。ディセプターの効果が切れたらマンティスも再び動きだすだろう。

 ――わたくしがあそこにいるからあのコ逃げませんのね……。もう助けられませんわ。

「なぁんだ。わたくしが足手まといですわ」

 高度が上がるにつれて、現世に残した未練も段々薄まり消えていく。

 ミロは優しく自分を呼ぶ空を再び見上げた。

 見たことのない光の渦から、両手が伸びる。

 光の中には、メガネをかけた優しい女性の顔が浮んだ。

「……お母さま……」

 抱きとめられるように、ミロの意識は光とひとつになった。

 ――どうして? すごく暖かいですわ。

 ――……なんだか、ほっとしたらからかな。とってもお腹へりましたわ。お母さま。

 ――あっちいったら、いっぱい甘ぁいお菓子を食べようね。

 ――アンコ、あるかな。


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