ꓓꓤꓳꓑ6 夏夜雪
ストッキング占い師の予言は現実となって鳴る。
僕の名前を呼ぶ声の主はココだった。携帯電話はいつでもココと繋がれた。お互いの時間が合えば、お昼を一緒に過ごすこともある。それは、僕の勤め先が渋谷にあり、ココと近い距離にいる、というのがあるけれど、一番はやはり携帯電話の役割が大きい。
計太はSTORMのツアー中で、なかなか会えていない。カナがいるから安心して仕事に行ける、なんて言っていたけれど、計太がいうほどココの状態はひどくない気がしていた。ココはいつでも明るくて、冗談も言い合える。僕はまだ、彼女の持つ傷の深刻さに近づいていないだけなのかもしれない。
「ねえ、聞い……る?」
ザーーーーっという雑音が、ココの声を隠す。僕は立ち止まり、通話に集中した。
「電波が悪いみたい」
僕の声はどこにも吸収されずに虚しく散っていく。僕は自分の影を見つめた。僕の足に踏まれた墨色の影は、どこにも行けなくて、仕方なく僕の下にとどまっているようだ。電話を切ると、街の喧騒が一気に押し寄せた。
ふと気付くと、目の前に本屋があった。仕事柄、何度も通る道だ。この場所に本屋があることは知っていたけれど、特に気にしたことはない。軒先には、distortを知らせるポスターが貼られている。目立つフォントと色で大きく書かれた文字は、おなじみのものだ。コンテスト出場者の中から、バンドが数組選ばれてコラージュされる。コンベアも選ばれたことがあり、額に入れられて家宝扱いで店に飾ってある。この時期になると、メンバーたちは今年は誰が切り取られるのかと考察していた。僕はその話題には入れなかったし、ポスターを見かけても、なにも思わず通り過ぎてきた。
だが、今回は予想を大きく裏切ったといっていいだろう。ひと目見ただけでその違いは歴然だった。僕は、引き寄せられるようにポスターの前に立っていた。
写っているのはたったひとり。バンドの選手権大会だというのに、楽器もなにも持ってはいない。ただ、こぼれるような笑みがあるだけだ。
ユキのいた夏が また始まる
僕はそのキャッチコピーを反復した。手の中で携帯電話が振動している。僕は現実をぎゅっと握りしめた。
「おかえり」
と言いながらネガが時計を二度見した。むりもない。それほど僕が太陽が沈む前に帰るのは珍しいことだろう。あのあとココから電話がきた。今日は忙しくなりそう、とのことだった。僕もだよ。と言ってはみたものの、予定はなくて、シークに行く気分にもなれず、帰路についたのだった。
「今月号、結構ケイが載ってたよ。見たら?」
レジカウンターには、定期的に届く雑誌が積まれていて、一番上にトートを特集した音楽雑誌があり、そこにもユキがいた。
借りるね、とネガに断りを入れて、雑誌を片手に台所へ向かう。冷蔵庫を開け缶ビールを持って振り向くと、ネガの奥さんがいた。音楽イベンターとして精力的に働き、多大な影響力や発信力があるらしく、結婚と引退を発表したとき、コンベア解散よりも惜しまれたという。「まじで狩られるかと」とネガが焦るほどだった。ヒルダと呼ばれ、体格もよく、豪快な人だ。僕は、熊を倒すのはヒルダしかいないんじゃないかと思っている。
ヒルダは仁王立ちで、
「カナの分のご飯ないよ」
とからかう。
「いーよ、これで」
と僕はビールを掲げる。
「夕飯にみんなが揃うのは久しぶりだから、カナの好物作るね。楽しみにしてて」
にっこりとそう言うと、僕の手からビールを取り上げ、変わりにキャラクターが描かれた子供用のりんごジュースを収めた。おやつをおあずけされた僕は、すごすごと階段を上がり、おとなしく部屋へと入った。今や城石家の主だ。父親でさえ、ヒルダにはかなわない。ことあるごとに「ヒルちゃん」を呼び、お気に入りだ。
りんごジュースを飲みながら雑誌を手にした。……が、ズーズーという擬音語とともにすぐに空になった。甘い後味に、なつかしさと物足りなさを感じる。パッケージを彩るキャラクターが、対象年齢を大幅に上回った大きな子どもに企画的な笑顔を向けていた。ヒーローは健在であることに安心し、再び雑誌と対面する。
アイドル雑誌と見間違うほどに、ユキの笑顔が表紙を飾っている。笑顔は楽しさが伝わってくるほどだ。
本屋でざっと目を通していたので、次のページに“ケイ”がいることはわかっている。めくろうとしたそのとき、携帯電話の着信音が邪魔をした。
「俺」
邪魔をしたのは計太だった。
「今東京に帰るとこ。そっちはどう?」
「なにも変わらないよ。どうしたの」
雑誌の中のユキと目が合う。
「ん、その……そろそろ気づいているころだと思って。ずっと言わなくちゃとは思っていたんだ。でも俺もまだ人にちゃんと説明できるかどうか自信がなくて。まだ事実として受け止められないというか。まだ……」
珍しく、計太がいいわけめいた言葉を並べている。それだけ重大なことだったのだろうと思う。僕は計太の話の途中に邪魔をした。
「いい笑顔だね」
計太がふっと笑んだのが聞こえた。「そやろ」聞き取れないぐらいの声で肯定したあと、計太は言った。
「ポスターや雑誌のこと、前もってココには言ってあるけど……まだ無理。まだユキに関することすべてを受け入れられないでいる」
「そんなこと言ったって、嫌でも目につくよ」
「そうなんだけど。軸兎にもまだ早いんじゃないかって言ったんだ。まだ一年しか経ってないんだぜ。だけどもう一年なんだよな。ファンのためにも前を向いていけるようにって言われて、そうかもなって納得もした」
「もしかして、ココがこの前仕事休んでたのって……」
「そう。その話をしたからなんだ。嫌がるのを無理に聞かせた」
やはり僕が思う以上に深刻だった。僕はなんの言葉も用意できず、黙った。
「カナに電話する前、ココにかけたけど繋がらなかった。あいつ仕事入ってた?」
「うん、今日は予約が重なって忙しいって言ってた」
「なら少し安心か」
切り出すように計太は言った。
「本当はあんな仕事やらせたくない。だけど、仕事をしているココは、以前と変わらないココだから、つい……。とりあえず、帰ったらまた連絡する。ココから目を離さないでいてくれ」
「わかった、仕事が終わるころ電話してみるよ。ただ、もし、そういう場面にあったら僕はどうすればいいんだろ」
自信がない。ユキの笑顔に勝てる気なんて全然しないし、僕になにかをできる気もしなかった。
「俺もわかんないけど、カナの思うやり方でいいんじゃない? だって、好きなんだろ?」
ドドドドド(ドドドド)と、二重に階段を駆け上がる音がして、ドン(ドン)ドン(ドッ)と雑にドアを叩き、甥っ子たち双子の波が押し寄せてくるのを感じた。こちらの都合など構わず扉は開く。
『ご飯だよー!』
ピッタリ合ったタイミングで、僕を呼ぶ声が計太にも届いて、話は終わった。
みんなが揃うのは本当に久しぶりで、テーブルの上には僕の好きなものばかり並び、誕生日でもないのに並んだごちそうに、甥っ子たちは「おめでとう」「おめでとう」と僕を祝った。「別になにもないよ」そう言うと、「なにもなくても、こうしてみんな向かい合って食べれるのは嬉しいことだよ」とヒルダが言った。
「じゃあやっぱりおめでとうだね」「おめでとうだね」『ね』
甥っ子たちがいれば、喜びも倍になる。確かに、こうしてみんなで向かい合えて同じ時間を共有できるのは貴重なことなのかもしれない。
ココと電話は繋がらなかった。不安になりながらも僕は眠りに落ちた。ちょうど雨が降ってきて、ざあざあと僕の神経を撫でた。ユキが夢に出てきた。なにも言わず、僕を見つめているだけだ。とても哀しそうな目をして、雨の線が重なって、ユキは壊れかけの映像のようにそこにいるみたいだった。
【夏夜の雪】
貪欲に満ちた
街の明かりが零れて
奈落の花びらを射す
怪しく
美しく
光沢を帯びて
蠢いて
痛みは鈍る
脆弱な赤に心従い
涙の欠片を刺す
悲しく
虚しく
虹彩を放ちて
雪を追う