立花くん、ちょっと待っててね
わたしには、好きな人がいる。
彼は、いつも明るくて優しくて。わたしのような教室の隅っこにいるようなタイプの女の子にも気さくに話しかけてくれる。彼は、わたしにとって太陽みたいな存在だ。
わたしは、いつものように学校に登校した。
高校生になったわたしは、隣町の学校に電車で登校している。いつも徒歩圏内の小学校、中学校にかよっていたわたしとしては、とても緊張する瞬間だったけれど、二年生にもなると電車登校にも慣れてきた。
「おはよう」
彼は学校に登校してくると、わたしに挨拶を毎回必ずしてくれる。なぜならば、彼は私の席の前の席だからだ。席が前だからといっても普通は話しかけてくれない。普通は無言で、自分の席に向かい、めいきなり、あくびなりをして、体操着なり教科書なりが詰まった重い学生鞄を机の上に置いて座るものだ。
「今日の一時間目ってなんだっけ」
彼は、笑顔でわたしに聞いてきてくれた。
「今日の一時間目は、簿記だよ。たしか、今日から試算表についての授業をやるって前回先生が言ってた気がす、するよ」
(最後に少しだけ噛んでしまった。いけない。緊張していることがちょっぴりバレたかな)
「そうなんだ。ありがとう」
また彼は笑顔でわたしにお礼を言ってくれた。わたしにとってこの会話が毎回毎回幸せそのものだった。優しい人は、何も言わなくてもお礼をいってくれる。当たり前のようなことを当たり前にやってくれる人はわたしはとても尊敬していた。
わたしは、自然と笑みがこぼれながら自分の鞄から電卓と教科書とノートを取り出して、すぐに簿記の授業が行われる教室に移動できるとように机の上に置いていた。すると、不意に彼はわたしのほうを向いた。
「電卓ってもう一個くらい持ってない?」
彼は、顔は笑っているが目が笑っていないなんだかへんてこりんな顔をしていた。どうやら、簿記の授業で使う電卓を忘れたらしかった。実は、わたしもよくやる。だから、お気に入りの電卓とは別に、スペア電卓を買って自分のロッカーに忍ばせているのだ。まさか、そんなわたしの几帳面な性格が功を奏すとは。
「持ってるよ」
私は、笑顔で彼に答えた。
「あ、貸してくんない?」
彼は、両手を合わせて私の方を見た。彼にとっては私は、神様のように見えているに違いない。
「いいよ。ロッカーに入ってるんだ。取ってくるからちょっと待ってて」
わたしは、席を立って自分のロッカーのある廊下に向かってスタスタと歩いた。
ロッカーの鍵を開けて中を確認した。
電卓は、ロッカーの扉部分についているちょっとした小物が入りそうな網の部分に刺さるように入っていた。
電卓は、学校ではじめに買うやつはあまりかわいらしくはなかったが、性能的には完璧で、且つ使いやすかった。でも、わたしはそれがあまり好きじゃなくて、もっと可愛らしい電卓が使いたかった。だから、新しく家電量販店で可愛い電卓を買った。そして、はじめに支給される電卓はこのロッカーの住人として礼儀正しくスタンバイしていたのだ。
わたしは、彼のところにもどって彼に電卓を渡した。
「はい、みんなのと一緒の電卓だから失くさないでね。一応、名前は貼ってあるからわからなくなることはないと思うけど」
彼は、助かったという表情を浮かべた。またしても彼は「ありがとう」と言ってくれた。今日は彼の役にたってしまう日なのだろうか。わたしはうれしくてたまらなく、そしてドキドキしていた。心臓の鼓動が早い。わたしは顔が赤くなっていないか心配になってしまった。わたしの瞳の奥は輝いてなどいなかっただろうか。人は、好意を抱いている相手としゃべっていると瞳の奥が輝いていると言われる。態度に表れていなかったとしても、瞳は嘘をつかないのだ。
わたしは、彼のことが大好きだった。
放課後、わたしは帰る準備をしていた。教室の外を見ると、あいにくの曇り空だった。わたしは雨が降る前にお家に帰ろうと思った。わたしはあまり雨に濡れるのが好きではなかった。たとえ、傘をさしていたも頭こそ濡れないが、肩であったり、鞄は濡れるし、水たまりにはいれば革靴はびしょびしょになってしまうからだ。
「相川」
わたしは、はっとして肩がびくっと動いた。急に私の名を呼ぶ人物が後ろに現れからだ。わたしは恐る恐る振り返ると彼が立っていた。
「あ。立花くん。どうかしたの?」
「いや、これ」
そういって彼は、わたしの前に今朝、貸した電卓を差し出した。水色の電卓ケースに丁寧に収納されていた。
「ああ、そういえば貸してたね」
わたしは、忘れているふりをした。正確には貸していたことは覚えている。でも、本当は明日電卓を返してもらおうと思っていた。そうすれば、また明日お話しができる。わたしには自然となにもないところから彼とお話しできるほどの度胸はなかったからだ。きっかけとして明日までとっておきたかったのである。
「ありがと、助かったよ。今日のところ期末テストに出るからって先生が気合を入れて教えてたから本当に助かった!」
またしても彼は、笑顔だった。本当に笑顔が似合う。
「じゃあ、また明日な」
彼は右手を少しだけふって教室をささっと出ていった。わたしの作戦Aは失敗してしまった。わたしは、ため息をついて肩を落とした。
しかし、このあたりはポジティブである。作戦Aが失敗してしまったのならば、作戦Bである。もちろん、作戦Bなど現時点では無い。無いなら作ればいいのだ!とわたしは自分に言い聞かせた。
(帰りに歩きながら考えよう。そうしよう。)
わたしは、下駄箱で、上履きを脱いでローファに履き替えた。
学校を出るとぱらぱらと小雨が降ってきていた。でも、傘をさすほどではなかった。鞄に刺してあった折りたたみ傘に手をかけるものの、わたしは使うのをやめて、前を向いて歩き始めたのだった。
電車の駅につくと、学校とは反対側の入り口に立花くんが立っていることに気がついた。彼は、スマートフォンをいじりながら誰かを待っているようだった。
わたしは、彼に挨拶をしようかと思った。でも、もちろん思っただけで声などかけられるほどの勇気はなかった。わたしは彼にバレないようにひっそりと駅の改札を抜けようと試みた。
しかし、彼はこちらを振り向いた。私は、顔が一瞬こわばるとともに、心臓が高まった。いわゆる「きゅんとした」という表現が正しいのかもしれない。ふいに振り向く姿が、かっこよかったのだ。
でも、数分後、いや数秒後にわたしのために振り向いたのでは無いということに気づかされた。
わたしの前を歩いていた女の子のために彼は振り向いたのだった。
わたしは、少しだけ噂では聞いていた。
(立花くんには彼女がいる)
でもそれは噂である。彼には確認していないし、一緒に歩いている現場を見たことはなかった。だから、わたしは彼に大好きで大切な人がいるなどということは信じてはいなかった。
ただ、さすがにだ。さすがに目の前にその現場が不意にあらわれるとそれは真実なのかそれとも幻なのか区別がつかなかった。いや、区別をつけようとせず幻として認定しようとしている私の醜い心のせいだろう。
わたしは、電車の座席に座り、かばんから最近ハマっている漫画を取り出した。
その漫画はSF漫画で、地球に突如現れた侵略者と日常ゆるふわ系女子高生が戦う漫画だった。
彼女たちは、侵略者に恐れている様子はない。そして、一向に侵略者と戦う気配もない。侵略者と戦うのは別の大人たちで彼女たちは侵略者というよりも、自分たちの置かれている立場と戦うのだ。その【高校生】の葛藤と戦う姿が自分に似ているなと思ったから、きっと好きなのである。
わたしは、漫画を握りしめながら人目をはばからず泣いていた。
多くの乗客は漫画を見て泣いているようにしか見えなかっただろう。しかし、その漫画は泣ける漫画ではない。
わたしは、悲しかったし、悔しかった。
どうして、彼の横にいるのが自分では無いのだろうかと自問自答を繰り返した。でも答えはみつからなかった。
家に帰ってすぐに制服のままベットに潜り込んだ。
ああ、時間がもどらないかな。
わたしが彼と出会う前の時間に。
いや、あの女の子の前に彼と出会えたらあるいは。
そして、わたし自身も教室のすみっこの日陰の存在ではなく、彼のような太陽に近づける女の子にならないと。
わたしのお気に入りのSF漫画の話の中で、過去に行く話がある。
一人の女の子が、「過去に行きたい」とある侵略者に願うと、彼女は侵略者の力によって過去にタイムリープするのである。そして、女の子は今は亡き母親に過去で再開するというお話だった。彼女は、真夜中のベットで目をつむり、目をさますと過去に移動していた。
わたしも、このまま目をつぶれば過去にいけないかと思った。
過去に行って、過去に行って、過去に行って、かこにいって……かこに……カコニイッテ
私は呪文のように言葉を唱え続けたが、気がつくと眠りに入っていた。
信じれないかもしれないが、わたしは目をさますと過去に移動していた。
なぜならば、少しだけ空気がちがっていたから、私は過去に移動したと理解した。たしかに、わたしの部屋ではあるが、現代ではなさそうだ。ちょっと前の過去にもどったのだろうか。
わたしは、ベットから起きた。よく見るとベットのシーツや掛け布団のカバーの柄が違っていた。ピンク色ではあるが、なんがかくすんでいて昔のような印象を受けた。部屋の印象もどことなくちがう。いや、どことなくではない。なんだかわたしの部屋ではないような印象だった。
わたしは恐る恐る自分の部屋のドアをあけた。すると、わたしが住んでいる家よりも新品できれいな部屋だった。
階段を降りてリビングに行ってわたしは驚いた。
「おはよう」
わたしを出迎えてくれたのはお母さんではなかった。お母さんのお母さん。つまりおばあちゃんである。
「おはよう」
わたしは、驚きを隠せなかったが、一応不自然がられるのも良くないと思って返事はした。
「あ、そうそう立花くん」
わたしは、ビクと肩をうごかした。おばあちゃんからそのフレーズが出るとは思わなかったからだ。
「あんたに、昨日の夜電話があったよ。めぐみさんはいらっしゃいますかって。まぁ、寝てるからっていったから電話は切ったけど。もう、夜の7時に健全な女の子が寝るとはどんな嫌なことがあったのかしらね」
そして、もう一つの驚きがあった。めぐみとは私のお母さんの名前である。いくら鈍い日陰なわたしでもわかった。
これは、確かに過去ではある。
が、わたしの過去では無い。
お母さんの過去である。
「立花くん。本当あなたのことが好きよねぇ……。あんないい青年他にいないのに。あなたときたら、うるさい人は嫌とか言って。こんなませたお嬢さんになるとはね。誰に似たのかしら」
過去の立花くんは、優しい人のようだ。わたしは安心した。
しかし、お母さん。それ、わたしと正反対。
でも、きっとお母さんも立花くんが好きだったんだろう。嫌だったら、きっぱり断ればいい。
わたしと同じで、日陰な存在だったようで自信が無いみたい、とわたしは安心したのだった。
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